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運命の人…?

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  scene 5

 そして、一見穏やかな街から、高層ビル立ち並ぶ賑やかな都市ニューヨークへと戻ったショーティは、高級な部類に入るだろうコンドミニアムの一室のドアを今まさに開けようとしていた。

 通信用デバイスが機能していない今、プリペイドカードを渡してくれたのはマクリラール夫人であったが、彼女曰く、

「ご家族の方にお預かりしたの」とのこと。

 ショーティがカプセル治療を受けていた時に連絡があり、自身の足で帰るから迎えはいらない、と伝言を渡したところ、カードの手配をしてくれたらしい。

 治療費の類もすでに解決済みとのことで、この場所に家を持つならそれも納得できた。

 ただ、どことなくこの場所が自室、なのだろうかと疑問はあった。
 記憶は戻っておらず、腕の中で子犬が元気に尾を振っている以外は、どこか重い空気をまとう。

 そもそも、場所が高級すぎるのだ。

 本当にここで間違っていないよね、と記憶がないのに考え込んでしまう。
 妙な緊張感に包まれたまま左手薬指に馴染むそれに視線を落とすと、脳裏を過ぎったのはあの青年の姿。

「いやいや、なんで!」

 自身の想像に慌てて首を振り、意を決してドアを開ける。

「うわ」

 瞬時にふわりと漂う芳しい香りは、青年の身につけていたコロンと同じものだった。
 もちろん、脳裏を横切ったのは鮮烈な————口づけ。

「キャウン!」

 それまで大人しく腕の中にいた子犬が突然、一吠えするなり手をすり抜け部屋の中に駆けていく。

「かなん!」

 慌てて追いかけるショーティは、

「かなん!待って」

 子犬が消えていった部屋に飛び込む
 落ち着いた調度品の数々。それは至ってシンプルなのだか、妙な安心感を覚える。そして、

「……かなん?お前、本当に“かなん”なんてつけられたのかい」

 不意に大窓から声が響き、ショーティは茶色の瞳を大きく見開いた。
 薄い色のカーテンの向こうに広がるのはビル群。多種多様な光の渦。
 そして、その中にいたのは。

「………なに…してんの、こんなところで」

 内に秘めた怒りが言葉に乗って溢れ出していた。

 窓から吹き寄せる風が青年の金茶色の髪を優しくなびかせ、見つめる切れ長の視線も、ただそこに立っているだけなのに、優雅で目を奪われる。しかし、それとこれとは別で。
 あんなに悩んで、あまつさえ泣きが入ったというのに。
 先日の2度出会っただけの青年の、やや憂いを秘める瞳がやおら伏せられ、気がついた時には、ショーティは自らその距離を縮め、さらりとした金茶の髪へ手を伸ばしていた。

「ねえ、いったい……」
「ショーティ」

 口を開いた刹那、視線が近づく。思わず瞳を閉じると、柔らかく口唇が触れた。

「教えてくれないのに…キスはするわけ?」

 離れた間際に皮肉を交えて問い掛ける。
 そして青年の、先日と同じその香りに浸りながら、今度はショーティがゆっくりとその首元へと口を寄せた。
 ちくりと刺すようなキス。
 離れたそこには赤い刻印がしっかりと成され、大きな瞳を寸前、そっと細める。

「指輪の主はあなたで、あなたは、僕のもの、なんだ?」

 どうしてあの時言ってくれなかったのさ、と思う。しかし、青年は思い出せ、と自分に告げた。
 多分、それが真実。
 ショーティの獲物を見つけた獣のような、それでいて射抜くような鋭い視線に、

「君は…?……僕のものなのかな?」
 
 習うように青年は問う。
 その表情は見えなかった。ただ肩を抱きよせるようにして額や頬へと口を寄せてくる。

「この状況で、なにを言わせたいって」

 悔しいのか、嬉しいのか、もどかしくもあり、そのすべての感情をまとめてやや拗ねたようにつぶやくショーティであったが、

「………ショーティ、君はまた、僕のものなのかな?」

 再度耳元で囁くように問われ、ビクンと身が震える。
 …………確信犯でしかない。
 ショーティは思わず顔を上げ、まっすぐに、青年を見据えた。
 今回は青年もまっすぐに見つめており、その瞳の中に映るだろう自分の姿に、思わず深く息を吐く。

「質問には答えてくれないのに、やっぱり聞くんだ…」

 先日は不安に圧し潰されそうだったのに、本当は、青年の方が不安で仕方がなかったのではないか、とさえ思えてしまう。

「僕が、記憶を取り戻したくないんじゃないかと、本当は、あなたが思っていたんだね?」

 だから、名前を告げなかった?
 だから強引にも連れ帰らなかった?

「ショーティ」
「…うん、ま、いいよ」

 答える代わりに名を呼ぶ青年のその声音に、ショーティの中の何かが納得する。
 記憶のあるなしに拘らず、妙に青年が愛おしい。
 なので、自然ふわりと柔らかな笑みが口元を覆う。

「なんかさ、多分、っていうか、確信的に?そんなあなたの傍にいられるのって、僕くらいなんじゃないかな」

 そう、伝える。
 そのままゆっくりと青年の肩越しに腕を回し、

「記憶を失くして……ごめん。けど、傍にいるから………傍にいさせてよ」

 告げる言葉は、青年からの深いキスで飛び散った。
 
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