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本当に欲しいもの 〜火星に行くのは拗ねたからじゃない

仕事のために…?②

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 仕事の話がきたのは12月初旬だった。既知の間柄である地球軍情報部の青年が突然連絡をよこした。
 内容は、火星に行ってみないかとのこと。危険度100%のその仕事はあまり公にしたくないが実情を探って欲しいとのこと。もちろん、いいネタを掴んだらそれを公表しても構わない。

『なぜ、僕?』
 そう短く問うた時、青年はにやりと笑った。
『火星の独立はあるかもしれない、と言ったのはショーティだったろう?』
 相変わらずさえない容姿のまま、けれど眼光だけは鋭く年の離れた友人でもある地球軍情報部に勤める青年が言い放った。

 揉め事が起きているらしい火星での真実を掴む。フリーのジャーナリストが動いている間に、情報部が潜入する………のだろう。つまり囮、ということだ。

 けれども火星である。今現在、火星への入り口ともいわれる第二ステーションまでは望めば割と行ける。申請をすれば火星にも降りられる。しかし、往復するだけで1ヶ月以上はかかる場所だ。さらに言うならば、火星まで行ってもテラフォーミングの状況が知れるくらいで何のメリットもない。だが、今、そのメリットが生まれた。なんら捕らえられなかったとしても、依頼で行くのだから取材費は出る。命の危険と隣り合わせだとは言うが、道を歩いていても人に襲われることもあれば、犬にかまれることもある。車にぶつかるときもあるし、飛行機だとて落ちることもある。危険を理由に断ることは、ショーティには考えられなかった。そうなると行く、という選択肢しかない。
 それでも、いくらかは考えた。そこそこ思ってくれているだろう両親と気の合う仕事仲間と、友人たち。
 そしてアーネスト・レドモン……。
 このタイミングで喧嘩になるとは思ってもみなかったのだが、それが行くことを決定づけたのは、まぁ間違いない。
 少し頭を冷やさなければならない、と思ったのも事実なのだ。

 そして、今日、それを手伝ってくれる軍人との初顔合わせのために月ーここーに来た。そして、あわよくば何か知っていないかと………。


「やっぱり、粗野だ」
 誘った自覚のあるショーティであったが、軽い仕草で残滓を拭き取り、横目で言い放つなりグラスに手を伸ばしていた。そして、持ち上げようとした瞬間、不意に止められる。
「…情報なんて持ってやしねぇぞ。けど飲みたいなら、場所を変えよう」
 そうだな、と思う。運んでくれるだけの人がさほど情報を持っているとは思えない。
 暗闇は、自分の表情も隠してくれるが、相手の表情も隠しているために、やや探るような視線を見せるが、それはほんの一瞬のこと。

「この街―アトラス―が一望できるところがいいな」
 軽い笑みを覗かせつつ、そう甘えてみせる。
「軍の安月給でそんな部屋がとれるか」
「僕にその価値はない?」
「ねえよ」


「って、言ったくせに」
 月にある第四ドーム“アトラス”の中でも割と評判の良いホテルの一室、最上階とはいかないなりにもそれなりに見晴らしの良い室内で、軽い食事とおいしいワインを前に、ショーティは軽やかな笑い声を上げた。

「…お前、いつもこんなことしてんのか?」
「そういうあんたこそ、いつも連れ込んでんの?もしかして、一人目も?」
「ばか言うな。一人目はおっさんだ。奴がそんなことしたら、即、断って…」
 こましゃくれた幼い表情に思わず口を開いた男は、はたと我に帰り、口を閉じた。

「なに?」
 その様子に、笑うことを止めたショーティはやや不思議な表情を見せる。
「自分の短絡さに呆れてんだよ。お前、かなり、こすいな」
「そんなの、充分わかってると思ってたけど?」
 あははは、と笑い声を上げると、男の精悍な顔つきも柔らかなものとなった。
「……見事な夜だね」
 瞬間的に、ショーティは窓の外に目を移す。あちらこちらに生活のための明かりが灯っている。狭いなりにもそれなりに人が生活しているのだ。灯りは人を安心させる……。

「まぁ昼間から、盛るつもりはねぇからいいが」
 告げると同時に腕をとられ、ショーティは男を見上げた。薄暗い室内ではわからなかったが、年は30歳後半、ごつい体躯は見事な筋肉で小柄なショーティに比べると男そのものを思わせる匂いがある。確かに、興味はあったのだ。全く異なるその人物に、けれど、軽く眉根を寄せてしまう。
 ————比べるな。
 言い聞かせるのは、自分自身。

「どうした?嫌なら、今のうちだぞ。まだ俺に余裕があるからな」
「それに?深い繋がりは仕事上ヤバイ?」
「ああ、まぁそれもあるがな」
「じゃ、いいよ。やめよう。ごちそうさま。第二ステーションまでは、少なくとも運んでよね」

 腕をとられたまま、笑みをつくり言い放つショーティに、男は軽く舌打ちをしていた。
 深い繋がり。
 情報が取れなくとも、使い道はいくらでもある。そして、情報もお楽しみもあるのなら、今のショーティにとってこれほどおいしいものはない。

「ほんとに…」
 男は軽いため息とともにつぶやいた。そして、
「俺は、どっちかって言うと女の方が好きなんだが」と天井を見上げてから、視線を戻す。
「大人の?…しっかりとした?」
 視線が絡んだそこで、からかうような響きで問い掛ける。
「ああ」
「へえ、意外」
「うるさい」
 腕を引き寄せられ、男の深い頷きが唇を掠った。そのまま押し付けるように重ねられ、抱きしめられる力強さに、久方ぶりの人肌に脳が軽く揺れる。

 心地よいと思ってしまう。
 そして、そう思ってしまえることに、更に自虐的な気分を味わう。
 このまま噛みつき、引きちぎりたいような凶暴な感覚さえ目覚め始め、
『やばい……』
 ショーティは心中深く、つぶやいていた。

「悪いが…」
 そんな中、離れる唇の隙間から男の声が零れる。
「抱かせてもらうぞ」
「…誘ったのは、僕だよ」
「馬鹿」




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