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友情と恋のはざま ⑧

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 水色のシャツに麻の生地のスラックスを着こなし、相手と真剣に話しをしていた。それは遠目には話し合っているというよりも、口論か喧嘩すらしているように見える有様だった。まるで妥協が許せないとでも言っているように、相手の言葉に首を振る。

 仕事中は、あんな顔をするのか。
 しかし、アーネストはその表情を知っていた。
 食事などの約束をした時に、入稿が間に合わないとショーティはレストランでも記事を書いていた。その時に、真剣な眼差しで書いていた。その様は鬼気迫るというか書くことに魂をかけているようで…。
 今も、それに通じるものがあった。
 それは…スイとは違う強さだった。
 ショーティは、例えばそれが大統領であったとしても、仕事に関しては納得しなければよしとはしないだろう。
 それも、アーネストにはないしなやかな強さだった。
 瞳が細められ、口元に手を当てて思案している様が続く。

 随分ストイックな感じだね。

 そう思った矢先に、いつもの癖で前髪を無造作にかき上げる。そして耳に、赤いピアス。
 ストイックと感じる半面、たまらない艶やかさを感じる。

 ————————その時だった。

 不意にショーティが、相手に向かって破顔する。考えが一致したのか、親指を立てて示していた。

 その瞬間の様変わりと胸の高鳴りを…なんと表現すればいいのか。誰も触れられないような厳しさから、一転して花がほころぶかのような—————綺麗なショーティ。

 早鐘のように……胸の鼓動が続く。

 ショーティの周囲にだけ色鮮やかな空気があるようで、目が、視線がどうしようもなく奪われる。

 —————胸の鼓動が、加速するようにどんどん高まっていく。全身の血が、逆流していうかのようだった。

 胸が締め付けられる。めまいすらする。
 なのに、ショーティから一切目が離せなかった。

 彼は立っているだけだというのに……その存在に…ふと目頭が熱くなる。

『ショーティ………』 

 名前を呼んだだけ、それだけなのに…歓喜に身体が震えた………。こんな自分は、知らなかった。スイの時とは比にならない程、自分の内側で嵐が巻き起こっているようだった。

 なのに。

 そんな自分に気付かないように、相手の男と笑い続けるショーティ。

 それに対して、切なさと怒りのようなものが込み上げてくる。頭の片隅ではそれが如何に理不尽なことかわかっていた。わかっているのに……手に余るほどの感情の、激情といってもいいほどの波が傍から傍から押し寄せる。

 どうしたんだろう、僕は。

 その時。
 相手の男が、ショーティに軽いキスをした。

 —————————!!

『ショーティ!!』

 自分の声が周囲に響いたのと周囲のざわめきが静まるのは、ほぼ同時だった。
 しまったと後悔した時には、遅かった。こんな…感情に翻弄されて動く自分が、信じられなかった。そして人の視線が集まれば集まる程に、自分の中に混乱を来たす。

 しかし。

 次の瞬間の胸が震えるほどの歓喜は……生涯忘れないだろうと思った。 

 ショーティの驚いた表情が、途端に輝かしいばかりの笑顔になった。先程とは比べようもない、自分だけに向けられた笑顔。

 ショーティ………。

『どうしたの、アーネスト!約束、今日夕方からだよね』

 走ってきたショーティが、嬉しそうに一気に話す。しかし傍から『あれって……』『……レドモン?』とここあそこで声がした。

『あ…とここじゃまずいか。ちょっと抜けるよ』
『おい、ショーティ』
『休憩休憩』

 そう言いながら相手に手を振って、ショーティはアーネストを別室へと連れていった。
 しかしショーティと現場の人間の会話で、ショーティは仕事中であったことを思い出した。

『……すまない、ショーティ』
『何が?それよりアーネストが来るなんて珍しいね。時間は早いけど、仕事終わったの?』

 見上げてくる瞳が、誘っているように思える。それはいくらなんでも錯覚だろうと、自分に言い聞かせる。なのに胸の鼓動はいまだに早鐘のようで、ショーティに伝わらないようにと祈るばかりだった。

『仕事早目に切り上げるからここで待って……』
『いや…、ごめんショーティ。今日はダメだと伝えに……』
『あ…そうなんだ…』

 一瞬、ショーティの顔が曇った。
 予定は何もないくせに。ましてやこんな顔をさせたいわけではないのに。

『でもわざわざ来てくれたんだ、アーネスト』

 電話でもよかったのにとにそう告げ、ショーティが笑顔を見せる。
 その笑顔に、本当に胸が痛んだ。ショーティを抱きしめたい衝動に駆られる。

『今度いつ会える?近いうちに…』

 そんな何でもない問いに、アーネストは嘘ですらも答えられなかった。



 アーネストはそのまま射撃場に行くと、無心に的を撃ち続けた。

 点数など、関係なかった。
 身体の内部に溜まった熱を発散したくて、仕方なかった。
 しかし普段なら集中できる射撃場で、脳裡を占めたのはぞくりとしたショーティの真剣な眼差しだった。それを振り切るかのように連射するが、それでも記憶に留めるショーティの一つ一つの行動が蘇り…頭から離れなかった。

“うん、好きだよ、アーネスト。————セックスしたいくらいに”

 彼らしく、さらりと言いのけていた。

“アーネストは?僕とのセックス嫌だった?”

 髪が…光をはじく。

“ねえ、僕にしときなよ”

 妖艶で不敵な……微笑……。

 アーネストは軽く舌打ちすると、次々と的を射ていく。振り切りたいのに、それできない。それどころか身体の疲労感はそれなりにあるのに、ショーティをまざまざと憶いだすたびに神経は冴えわたり躰が正直なくらいに反応してしまう。
 全てを撃ち終えた時、アーネストは全身で呼吸していた。全身に汗をかき、運動による疲労感が襲う。
 それでも。

 ショーティの眼差しと振り向いた瞬間の笑顔が……忘れられない………。夢にすら出てきそうな勢いだった。狂気にも似た感情が、アーネストの中を巡る。
 遠巻きに…ショーティを見ていた輩たち。
 誰の視線にも…触れさせたくなかった。
 ショーティへの挨拶なのだろうキスをしていた男。
 ………誰にも、触れさせたくなかった。

 アーネストはそこまで考えると、いきなり壁を左手で思い切り打ち付けた。射撃場はその構成上厚いコンクリートで造られている。人間の手でどうこうなる品質のものでは、なかった。案の定、壁には幾つかの血痕が飛び散っていた。

 しかしアーネストはそれに気を止めることなく、片手で顔を覆うと、

『最悪だ…………』

 絶望的な、悲壮な声でそう呟いたのだった。



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