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ゴールドマンの屋敷にて ③

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 本来のアーネストは、あの学園で楽しかった生活は、彼の本質的なところだったと思う。どこかスリリングにも楽しそうにスイと話していた。ショーティの目論見をいち早く察して奪い取り、高みの見物をしていたのだって彼だ。仕事が詰まってイラついたまま連絡をした時だって、ショーティよりも理路整然と道を示してくれて、『そんなことで詰まってしまうなんて』と皮肉交じりに告げていた。

 まるでスポットライトを浴びているかのような華やかな容姿…優雅な仕草。
 けれど…その足元の影の色はとてつもなく濃い。
 その場からアーネストを連れ出したいと切に願う。

「どうかしたのかい?………少し、寂しくなった?」
「……そうだね」
「それは、君の思いが社長に届かない、からかね」
「………」

 いや、と思う。

 心が届かないのは僕じゃない、と。

 アーネストはどれだけ両親を、母親を想っていただろうと考える。世界中が受けて当然と思って、それが当たり前すぎて、その大切さに気付かないけれど、受けられなかった子供は必死なのだ。ただ振り向いてほしくて、褒めてほしくて。
 アーネストがしていることは小さな子供と同じことなのに、それに気づいていないエメラーダ。単にアーネストが欲しているものを満たしてあげればそれだけでアーネストは喜んで彼女のそばにずっといるだろうに。

 アーネストがそれを自らの意思で選んでくれるなら、ショーティには何も言うことはなかった。

 匂いが……近づいてくる気配があった。

 ショーティは椅子に腰かけたまま、じっとテーブルの花をみつめている。
 髪に触れてくるのはあの太く肉付きの良い指先。

「なかなかに、悩ましい表情で考え事をするのだね。社長のことかな」
「…それ以外を考える必要は、今ないでしょ?……」
「けれど、社長は迎えには来ない。君が攫われたと知った今でさえ社長は仕事に忙殺されているよ」

 それがアーネストだからな、と思うがそれも口にはしない。

「………それは困ったな」

 その代わりに口にしたのは、そんな言葉だった。仕事に忙殺されて動けないのか、すべてを諦めて動かないのか。それとも別の理由で、それこそアーネスト自身が望んで、サリレヴァントに捕らわれても良いと思って動かないのか、会わないことには事情が読めない。

 覚悟を決めるしかない。幸いに差し出せるモノがあるのだから。けれど、言いたいことは言っておく。

「うん、じゃあ週末はおとなしくしといてあげる。その代わり、自由になったら後は知らない。僕は納得していない。そして僕はジャーナリストだ。真実を、本当を暴き立てる」
「サリレヴァントを敵に回すと言うのかい?」
「アーネストが……友人が……、好きな人が幸せでないなら、一緒にみつけてあげたいじゃないか。それとも本当にマーガレット・エヴァレンとの婚約が幸せなのか、僕は、ただそれが知りたい」
「そうしたら、………私の傍にいるかね?」

 ゴールドマンの問いが柔らかくも促すごとく響く。そうしたら、との響きに隠されたものをきちんと探りたいところだが、こちらからカードを切らないと進まないのだろう、とどこか漠然と思う。

「………それも、いいかもしれない」

 軽いため息交じりに告げながら、まっすぐに射貫くようにショーティは振り返った。頬に触れてくるのは柔らかな指先。そして……口づけが落ちてくる。

 キスって…こんなだったかな、とショーティはどこか他人事のように感じていた。
 そっと触れるだけの口づけは、頬に、首筋にと滑り落ちる。どこか優しいのが少し笑えた。

「ここで押し倒すつもりなの?」
「…いや……合意の上なら……ベッドに行こうか」

 ゴールドマンの声が冷ややかに耳に忍び込む……。






 掴まれたままの右手首が、妙に窮屈だった。5日間使用してきた天蓋つきベッドの天井も見慣れたもので、シャツが肩越しに落ちていく感覚もどこか冷めたものでしかない。
 心のどこかで、まずいな、と思う。この感覚はまずい。これはゴールドマンを納得させらないと思う。

「何を…考えているのかな…」

 どこか掠れるような声で問いかけながらゴールドマンが瞳を覗き込んできた。

「別に、何も…」

 何も、本当に?自問しながら近づく口づけに……。

「やっぱ、無理っ……!」


【コン、コンコンコンコン】

 そこへ不意に響いたのはノック音だった。

「申し訳ありません、旦那様。至急取り次いでほしいとのことで」

 執事の声だった。この状況を把握してなのか、どこか焦ったような響きを落ち着かせながらの声にゴールドマンもぴたりと動きをとめる。
 しばらく、組み伏した彼の言うところの綺麗な退職金なるショーティを見つめていたが、

「社長からでございます。副会長へ、どうしてもと」

 切羽詰まったかのような響きが見えない相手へと視線を向けさせる。

「社長?」
「アーネスト?」

 そして二人の口からこぼれたのは同じ響きの声であった。






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