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第17話:計算外の心拍数(ハートビート)
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「……。……また、ここを焼き切ったのね。……馬鹿な男(ひと)」
深夜2時、A学院大学の地下ガレージ。
れいんは、取り外したミライースの制御基板を顕微鏡で覗き込みながら、小さく溜息をついた。
名阪国道での『オメガ・ドライブ』。あの極限の加速を維持するために、逢魔はれいんの警告を無視して、さらに数秒、アクセルを踏み抜き続けた。その数秒の「無理」が、基板の一部を炭化させていた。
「……あ、まだ起きてたのか」
ガレージの重い扉が開き、逢魔が入ってくる。手には、自販機の冷たい缶コーヒーが二つ。
「……修理が終わるまで、寝ないわ。……この子が動かないと、私の計算が完結しないから」
れいんは顔を上げず、淡々とハンダごてを動かす。だが、逢魔がその隣に座り、冷たい缶を彼女の頬にそっと押し当てた瞬間、その指先がわずかに跳ねた。
「……っ、冷たいわよ」
「はは、悪い。……ほら、これ。お礼だ。……あの時、れいんが信じてくれなきゃ、俺はガードレールの向こう側だった」
逢魔が手渡したのは、何の変哲もない微糖のコーヒー。
だが、れいんはそれを素直に受け取り、プルタブを開けた。
「……私は、自分の計算を信じただけ。……あなたが、私の期待以上に『非論理的な踏み込み』をしただけよ」
ふたくち、みくち。喉を鳴らしてコーヒーを飲み干すと、れいんはポツリと呟いた。
「……ねえ、逢魔。……あの時、どうしてアクセルを戻さなかったの? ……プーリーが砕ける音、聞こえていたはずでしょ?」
「……。……聞こえてたよ。でも、それ以上に、れいんの声が聞こえた気がしたんだ。……『今よ』って。……だから、壊れてもいいと思った。……君の計算の先を見てみたかったんだ」
逢魔の真っ直ぐな視線。
その瞬間、れいんの脳内モニターに、今まで見たこともないエラーメッセージが並んだ。
血流量の上昇。心拍数の急激な加速。
体温が、ミッションのオーバーヒート時と同じ曲線を描いて上昇していく。
「……非論理的ね」
れいんは慌てて顔を背け、再び顕微鏡を覗き込んだ。
レンズ越しに見える電子回路が、なぜか少しだけ滲んで見える。
「……。……次の改装案、考えておいたわ。……今度は、あなたの心臓の音をフィードバックして、変速比を動的に変化させるシステム。……名付けて、『バイタル・リンク』」
「バイタル・リンク? ……なんか、凄そうだな」
「……ええ。……でも、私の心拍数(データ)が乱れたら、プログラムが暴走するかもしれないから。……あまり、変なこと言わないで」
「変なこと?」
「……コーヒー、ごちそうさま。……さっさと寝なさい。……明日は、甲斐たちと知多までテスト走行に行くわよ」
逢魔が「おやすみ」と言ってガレージを去った後。
れいんは、空になった缶コーヒーの底に残った、ほんの少しの甘さを噛みしめていた。
「……やっぱり、計算が合わないわ」
彼女はPCの画面を真っ白なメモ帳に変え、誰も見ていないところで、小さくこう打ち込んだ。
『――観測データ:刻賀逢魔。予測不能な変数。……ただし、共振係数は極めて良好。』
その文字をすぐに消去すると、彼女はいつもの冷徹な「魔女」に戻り、深夜のガレージにハンダの匂いを漂わせ続けた。
逢魔がガレージを去り、れいんが一人、ハンダごての煙の中に消えていく。
その様子を、ガレージの柱の陰で、息を潜めて見つめている影があった。
ロリコだ。
かつては「頂き女子」として、甘い声と巧みな計算で数多の男たちを掌の上で転がしてきた彼女。だが、安倍薫の暴露によってその地位は失墜し、今や彼女に残されたのは、傷だらけのピンクのアクアと、この薄暗い地下ガレージという「居場所」だけだった。
(……なによ、あのアドバンテージ。ずるくない?)
ロリコは、自分の胸元をぎゅっと掴んだ。
いつもなら、あんな風に男をその気にさせるのは自分の得意分野だったはずだ。なのに、コーヒー一本を渡す逢魔と、それを受け取るれいんの間に流れた「温度」は、彼女が今まで金で買わせてきたどんな熱量とも違っていた。
「……なによこれ。……アクアの燃圧でも不安定になったのかしら」
ロリコは小さく毒づく。
かつてはパパ活で手に入れたブランド物のバッグやマカロンが、心の隙間を埋めてくれていた。でも、今の彼女はそれらをすべて失い、剥き出しの自分でここに立っている。
「……胸が、チクチクする。……これじゃ、ハッキングされた時より痛いじゃない」
安倍にすべてをバラされた時、彼女は「怒り」と「絶望」を感じた。
でも、今感じているこの鈍い痛みは、もっと別の……自分では「制御(コントロール)」できない種類の感情だった。
「……馬鹿ね、私。……あんな、車のことしか頭にない男(ひと)なのに」
ロリコは暗闇の中で、そっと自分の頬に触れた。
れいんのように、プログラムで逢魔を支えることはできない。
でも、彼女には彼女なりの、意地がある。
「……見てなさいよ。……次こそは、私のアクアで、あいつの視線を全部かっさらってやるんだから」
暗いガレージの隅で、ロリコは一人、静かに決意した。
それは「頂き女子」としてのプライドではなく、一人の「走り屋」としての、そして「恋をする少女」としての、不器用な反逆だった。
深夜2時、A学院大学の地下ガレージ。
れいんは、取り外したミライースの制御基板を顕微鏡で覗き込みながら、小さく溜息をついた。
名阪国道での『オメガ・ドライブ』。あの極限の加速を維持するために、逢魔はれいんの警告を無視して、さらに数秒、アクセルを踏み抜き続けた。その数秒の「無理」が、基板の一部を炭化させていた。
「……あ、まだ起きてたのか」
ガレージの重い扉が開き、逢魔が入ってくる。手には、自販機の冷たい缶コーヒーが二つ。
「……修理が終わるまで、寝ないわ。……この子が動かないと、私の計算が完結しないから」
れいんは顔を上げず、淡々とハンダごてを動かす。だが、逢魔がその隣に座り、冷たい缶を彼女の頬にそっと押し当てた瞬間、その指先がわずかに跳ねた。
「……っ、冷たいわよ」
「はは、悪い。……ほら、これ。お礼だ。……あの時、れいんが信じてくれなきゃ、俺はガードレールの向こう側だった」
逢魔が手渡したのは、何の変哲もない微糖のコーヒー。
だが、れいんはそれを素直に受け取り、プルタブを開けた。
「……私は、自分の計算を信じただけ。……あなたが、私の期待以上に『非論理的な踏み込み』をしただけよ」
ふたくち、みくち。喉を鳴らしてコーヒーを飲み干すと、れいんはポツリと呟いた。
「……ねえ、逢魔。……あの時、どうしてアクセルを戻さなかったの? ……プーリーが砕ける音、聞こえていたはずでしょ?」
「……。……聞こえてたよ。でも、それ以上に、れいんの声が聞こえた気がしたんだ。……『今よ』って。……だから、壊れてもいいと思った。……君の計算の先を見てみたかったんだ」
逢魔の真っ直ぐな視線。
その瞬間、れいんの脳内モニターに、今まで見たこともないエラーメッセージが並んだ。
血流量の上昇。心拍数の急激な加速。
体温が、ミッションのオーバーヒート時と同じ曲線を描いて上昇していく。
「……非論理的ね」
れいんは慌てて顔を背け、再び顕微鏡を覗き込んだ。
レンズ越しに見える電子回路が、なぜか少しだけ滲んで見える。
「……。……次の改装案、考えておいたわ。……今度は、あなたの心臓の音をフィードバックして、変速比を動的に変化させるシステム。……名付けて、『バイタル・リンク』」
「バイタル・リンク? ……なんか、凄そうだな」
「……ええ。……でも、私の心拍数(データ)が乱れたら、プログラムが暴走するかもしれないから。……あまり、変なこと言わないで」
「変なこと?」
「……コーヒー、ごちそうさま。……さっさと寝なさい。……明日は、甲斐たちと知多までテスト走行に行くわよ」
逢魔が「おやすみ」と言ってガレージを去った後。
れいんは、空になった缶コーヒーの底に残った、ほんの少しの甘さを噛みしめていた。
「……やっぱり、計算が合わないわ」
彼女はPCの画面を真っ白なメモ帳に変え、誰も見ていないところで、小さくこう打ち込んだ。
『――観測データ:刻賀逢魔。予測不能な変数。……ただし、共振係数は極めて良好。』
その文字をすぐに消去すると、彼女はいつもの冷徹な「魔女」に戻り、深夜のガレージにハンダの匂いを漂わせ続けた。
逢魔がガレージを去り、れいんが一人、ハンダごての煙の中に消えていく。
その様子を、ガレージの柱の陰で、息を潜めて見つめている影があった。
ロリコだ。
かつては「頂き女子」として、甘い声と巧みな計算で数多の男たちを掌の上で転がしてきた彼女。だが、安倍薫の暴露によってその地位は失墜し、今や彼女に残されたのは、傷だらけのピンクのアクアと、この薄暗い地下ガレージという「居場所」だけだった。
(……なによ、あのアドバンテージ。ずるくない?)
ロリコは、自分の胸元をぎゅっと掴んだ。
いつもなら、あんな風に男をその気にさせるのは自分の得意分野だったはずだ。なのに、コーヒー一本を渡す逢魔と、それを受け取るれいんの間に流れた「温度」は、彼女が今まで金で買わせてきたどんな熱量とも違っていた。
「……なによこれ。……アクアの燃圧でも不安定になったのかしら」
ロリコは小さく毒づく。
かつてはパパ活で手に入れたブランド物のバッグやマカロンが、心の隙間を埋めてくれていた。でも、今の彼女はそれらをすべて失い、剥き出しの自分でここに立っている。
「……胸が、チクチクする。……これじゃ、ハッキングされた時より痛いじゃない」
安倍にすべてをバラされた時、彼女は「怒り」と「絶望」を感じた。
でも、今感じているこの鈍い痛みは、もっと別の……自分では「制御(コントロール)」できない種類の感情だった。
「……馬鹿ね、私。……あんな、車のことしか頭にない男(ひと)なのに」
ロリコは暗闇の中で、そっと自分の頬に触れた。
れいんのように、プログラムで逢魔を支えることはできない。
でも、彼女には彼女なりの、意地がある。
「……見てなさいよ。……次こそは、私のアクアで、あいつの視線を全部かっさらってやるんだから」
暗いガレージの隅で、ロリコは一人、静かに決意した。
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