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第10章 第1話

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 雨野タカミがゲートをくぐった先は、彼が知る世界中のどんな文明のどんな建造物とも全く異なる荘厳さを持つ、翡翠色の場所だった。荘厳としか、彼の知る言葉では表現できなかったし、細かく見てまわる時間もなかった。
 アリステラは元々地球から56億7000万光年離れた外宇宙の惑星に存在した文明だ。地球のどんな文明とも違っていて当たり前だろう。
 全く異なる文明ではあったが、世界中のあらゆる文明はアリステラ人の末裔によって生み出されたのだから、すべての文明の起源はおそらくここにあるのだろう。10万年という長い年月は、起源となったものがそうであるとわからないほどになってしまうほどの時間なのだ。

 そこはどうやら女王の間ではないようだった。
 ショウゴやレインの姿はどこにもなく、ユワと瓜二つの女王も小久保ハルミの姿もなかった。
 女王が座る玉座もない。ヒヒイロカネの武具を身にまとった兵士たちの死体がいくつも転がっているだけだった。
 兵士たちの詰め所といった場所のようだった。

 この兵士たちは、ショウゴやレインが殺したのだろうか。
 そんなことを考えながら、タカミは兵士の死体が身にまとっていた甲冑を脱がした。追い剥ぎのようで気が進まなかったが、自分の身を守るためだ。仕方がなかった。
 甲冑は見た目こそごつく重たそうで動きづらそうだったが、実際に身につけてみると大変軽く動きやすかった。さすがはヒヒイロカネといったところか。まがい物のエーテルから作られていてもそれは変わらないようだ。そもそもレインがショウゴに与えた「雨合羽の男セット」と日本刀もまがい物のエーテルから作られていた。

 兵士の死体はどれも、ショウゴの日本刀やサバイバルナイフで斬られたわけでも、拳銃で撃たれたわけでもなく、鞘で叩き潰されたり体を貫かれたりもしていなかった。レインの魔法によって燃やされたり凍らされたり、かまいたちのようなもので切り刻まれたりもしていなかった。兵士たちは皆、どこにも外傷がなく、ただよだれを垂らして白目を剥き死んでいた。

 まるで、脳だけを頭蓋骨の中で一瞬で破壊した、そんな風に見えた。
 こんな芸当ができる人間は、タカミが知る限りひとりしかいない。
 遣田だ。
 遣田ハオトが移動のための手段として兵士たちの肉体への憑依を繰り返し、使い捨てる際に脳を破壊していったのだろう。
 一条の体もこんな風に使い捨てられたに違いなかった。
 許せなかった。

 レインがタカミの部屋に開いたゲートは、彼女の頭の中にあった歴代の女王の記憶から女王の間に繋げたと言っていた。だが、必ずしも女王の間に繋がっているわけではないとも言っていた。
 アリステラに本来存在した城塞戦車と、それを元に新生アリステラが作り出したまがい物の城塞戦車ではその作りが違う可能性があると。

 だが、まがい物の城塞戦車だからというよりは、意図的に女王の間の位置を変えたに違いないとタカミは思った。こんな風にゲートを使って侵入されれば、簡単に女王を暗殺されてしまったりマザーシドを破壊されかねないからだ。

 甲冑を身に付けたタカミは、武器を手にとった。
 甲冑は和洋中のそのどれにも似ておらず、強いて言えば特撮ヒーローのパワードスーツのようだったが、武器である剣を見ただけでやはり、地球のすべての文明の原点はここにあるのだと思わされた。

 鞘から剣を引き抜くと、反りのない直刀で両刃の刀身を持った剣であった。日本で言えば青銅器時代の銅剣のような形をした最も古い形の剣だ。
 しかし、柄の部分に指で回せるしかけがあり、そのしかけを作動させると、1本の剣が2本に分かれるようになっていた。レインがまた父・赤空の~と言い出しかねない剣だった。
 2本に分かれた剣は、片側のみに刃の付いた切刃造り(きりはづくり)の剣であった。飛鳥時代に作られたものだ。
 これが平安時代には反りの付いた湾刀へと変化し、やがて日本刀へと進化していくことになるのだが、アリステラにおいてはヒヒイロカネ自体が非常にしなやかであったため反りなど必要なかったということだろう。

 両刃の状態の剣には、さらにしかけが施されていた。鞘を柄に繋げることができたのだ。これにより剣の刀身はそのままに長い柄を持つ矛や槍のような形となった。
 また、鞘自体もヒヒイロカネで作られているために非常にしなやかで、弦らしきものがついていた。矢が別に存在するのか、それとも切刃造りの剣を使うのか、あるいはエーテルを矢に変えて放つのかまではわからなかったが、鞘もまた弓のように扱うことができるようだった。

 ひとつの武器が状況に応じて4つの使い方ができるようになっていた。エーテルが存在したからこそ作ることができた武器であったが、別々の武器を4つ作るよりもはるかに効率的で理想的だった。

 戦闘経験のないタカミは兵士らの武器を回収し、ひとつは槍の形にして手に持つことにし、腰に2本、背中にさらに×印になるように2本背負った。パワードスーツのような甲冑は、タカミのその考えを読み取ったかのように、腰や背中に留め具を作り出した。
 ヒヒイロカネの形を変えられることは、タカミのようにエーテルの扱いに長けたものでなくても多少ならできるようだった。
 さすがに武器自体を別の形に変えるような高度なことは一般の兵士にはできないため、武器は先ほどのような形をとることにしたのだろう。

 兵士たちの詰め所を出ると、タカミの目の前にはまさに死屍累々といった光景が広がっていた。
 災厄の時代の到来以来、人の死はそれ以前よりもありふれたものになり、世界中のいたるところで、医療や科学が発展する以前の時代のようにそこら中に死体が転がっていたが、4年間マンションの最上階に引きこもっていた彼は、いまだ死体を見慣れてはおらず、胃液が逆流し嘔吐した。

 新生アリステラは人類の敵だ。
 だが、同じ知的生命体同士、手を取り合うこともできたはずだった。

 古代アリステラ人たちは、恒星の超新星爆発から逃れるためにゲートを使い、地球へと転移してきた、いわば宇宙移民だ。
 彼らは高度な文明を有していたから、10万年前の地球人には彼らに何もしてやれることはなかっただろうが、ネアンデルタール人らのように彼らに教えを乞うことはできたはずだった。
 そうすることで実質的にアリステラにこの星の支配権を渡してしまうことになってしまったかもしれない。だが、10万年という長い時を経たその世界の文明は21世紀の文明をはるかに超えたものになっていただろう。

 しかし、いくら10万年前のこととはいえ、人類は唯一宇宙の存在を認識することができた知的生命体と敵対してしまった。先に攻撃をしかけてしまった。
 現在では地球人の中にアリステラ人の血が混じっており、10万年間のうちの大半は共存することができていた。
 だがその遺恨はずっと続いており、最終的にこんな状況を生み出してしまった。

 古代アリステラ人が他に居住可能な惑星を見つけられなかったということは、少なくとも10万年前には地球以外には人が住める惑星はなかったということだ。
 たかだか10万年ぽっちでは、そんな惑星は生まれないし、惑星の環境も変わらない。アリステラが存在した惑星ももはやない。
 アリステラは、このどこまでも広がり続ける宇宙の中に存在する知的生命体が自分たちだけかもしれないという孤独感から人類を解放してくれたかもしれない人類にとって唯一の理解者であり友になり得た存在だった。

 それなのに、どうしてこんな結末を迎えなければいけないのだろうか。

 タカミはただただ悲しかった。
 だが、いつまでも悲しんではいられない。
 ショウゴとレインを探さなければ。
 女王の間に向かわなければ。

 人類とアリステラの10万年にわたる悲しい歴史を終わらせなければいけなかった。
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