その殺人鬼、『星喰いの凶星(ステラ・ディヴォアラー)』につき。

あめの みかな

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プロローグ『その殺人鬼、『星喰いの凶星(ステラ・ディヴォアラー)』につき。』

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​冬の夜気は、武御 雷(たけみ らい)の肺を奥まで凍りつかせるほどに冷たかった。

彼は、激しい鼓動を抑えながら、路地裏の闇を疾走していた。
​靴がコンクリートを叩く音。自分の荒い呼吸。そして、視線の先を逃げる男の背中。

こどもの頃に眼鏡屋で眼鏡を作ったとき、カチャカチャと度数のレンズを入れ替えて視力を測る独特な眼鏡をかけたことがある。
​その正式名称が「検眼枠(けんがんわく)」、あるいは「テストフレーム」であることを雷が知ったのは今回の事件がきっかけだった。

検眼枠はあの眼鏡型のフレーム自体であり、横に置いてあったたくさんの度数のレンズが入ったケースは、トライアルレンズセットという名前であったことも。

目撃情報にあったその犯人らしき人物がその検眼枠をかけていたからだ。

​最近では、機械の中に顔を乗せて、ボタン一つでレンズが切り替わる「フォロプター」という大きな機械を使うことも増えているが、実際に歩いてみて見え方に違和感がないか確認するときには、今でもあの「検眼枠」が欠かせないという。

そんな眼鏡をかけて夜の街を歩き、人を殺す人間など、この国にはひとりしかいないだろう。警察はその情報をマスコミには流していなかったからだ。

そいつの衣服は、まるで結婚式の新郎のような真っ白なタキシードだった。
それも目撃情報と一致していた。
だが、つい先ほど奪われたであろう誰かの命……その鮮血によって、白いタキシードはどす黒く塗り潰されていた。
被害者はおそらく北斗七星にまつわる名を持つ女性だろう。

​『星喰いの凶星(ステラ・ディヴォアラー)』

​この数ヶ月、地方都市を恐怖のどん底に陥れている連続殺人鬼はそう呼ばれていた。
そう呼ばれるようになったのは、北斗七星にまつわる名を持つ女性ばかりを、儀式のように屠っていたからだ。

星喰いの凶星は、まるで街全体の地図や建物の構造がすべて頭に入っているかのように、一切迷うことなく走り続けた。同時にまるで雷に遠慮し彼が自分を見失うことがないように走っているようにも見えた。

「くそったれが。なめやがって!」

だが、追跡は唐突に終わりを告げた。
星喰いの凶星はとうとう​袋小路に迷い込んでしまったのだ。

「もう逃げられないぞ。観念しろ」

しかし、その男は絶望などしていなかった。

「安心したまえ。私は逃げるつもりなどさらさらないさ」

さんざん逃げ回っておいてよく言うなと雷が思っていると、星喰いの凶星はまるで自分の庭で散歩でも楽しんでいたかのように、悠然と振り返った。
街灯の光が、奴の顔の半分と検眼枠だけを青白く照らし出した。

​「……動くな!」

​雷は警察署の証拠品保管庫から「持ち出した」拳銃を、震える両手で構える。
正規の携帯許可などない。それは組織への裏切りだった。だが、法が裁けぬ悪を裁くには、これしかなかった。

​「お前が……連続殺人犯、星喰いの凶星(ステラ・ディヴォアラー)だな?」

​男は、降参を示すように両手を軽く上げた。その仕草すら、舞台俳優のように優雅で鼻につく。

​「そうだね。その名前はあまり気に入っていないけれど……私が、君の探している男だよ」

​「……一体何人の女を殺した?」

​「五人? いや、六人かな……」

​「覚えていないだと……!? 貴様……お前の血は何色だ?」

​怒号が路地裏に反響する。だが、男は、絶望的なまでに冷静だった。

​「血の色か。君が見ているその色と、私が見ている色が同じであれば、同じだよ。……それは君にも私にも、永遠にわからないことだがね」

​「……何を言っている?」

​「認知の話をしているんだよ。人間の血は赤い。それは誰でも知っている。だから君の問いに答えるなら、私の血も『赤』だ。――見てみるといい」

​男が懐からナイフを取り出したのは一瞬だった。
躊躇なく、自らの左手首を切り裂く。

​「どうだ? 同じ色だろう? 赤だ」

​ドロリと、熱を帯びた液体が地面を汚していく。男は苦痛すら感じていないかのように、雷を……彼の奥底にある「衝動」を覗き込むように笑った。

​「だが、私が認識している『赤』が、君にとっての『青』だったとしたら……。私の血も君の血も、それは『青』だということだ。おっと、忘れずにちゃんと止血しておかないとな」

​男は出血を意に介さず、雷に結束バンドを放り投げた。

​「手伝ってくれないか? 片手ではやりにくいのでね。君の正義で、きつく縛ってくれ」

​「……頭がおかしいのか。七人も殺しておいて……!」

​「君たちは理解できない存在を、そうやって『異常者』として排除するのか? 私の血の色を問うたのは、私が人間かと問うていたのだろう? だが、獣も、魚も、血は赤い。体液の色が違うのは虫くらいじゃないか? 詳しいことは私にもわからないがね。血が赤いことは人間であることの証明にはならないよ」

星喰いの凶星はペラペラとよく喋る男だった。目撃情報だけでなく、捜査本部のプロファイリングによる犯人像とまったく同じだった。

「黙れ」

そして、雷にはそうやって怒鳴ることしかできなかった。目の前の男に反論する言葉を彼は持ち合わせていなかったからだった。

「――今、君は理解できない存在である私に銃を向け、武力で排除しようとしている。……それは本当に、君が信じる『正義』か?」

​「お前は、悪人だ! 七件も殺人を犯したんだ!」

​「では聞くが、私は今、君の生命を脅かしているか? ……いないだろう。だが、君は私を撃つ気だ。それは過剰防衛ではないのか?」

​「うぅ……っ!」

​図星だった。雷の指がトリガーに食い込む。

こいつを逮捕しても、法という温い膜がこいつを守る。
逮捕し起訴されれば間違いなく死刑判決が下るだろう。
この冷静な犯罪者は、精神鑑定で責任能力なしとみなされたり、無罪になることは決してないからだ。
しかし、死刑判決を受けても、法務大臣はその書類にサインをすることはまずないだろう。

死刑執行は法務大臣の仕事のひとつのはずだが、政治家という連中は次の選挙でも再選するために仕事をしている。
票を逃しかねない死刑執行は必要最低限に留める。法務大臣になりながら死刑執行はしないと宣言する者さえいる。
死刑は先進国ではほとんど行われていない。だが、そのために終身刑がある。
終身刑を作ればいいだけなのに、政治家たちはそれすらすることはない。
目の前の男は三食昼寝付きの独房で、暖かい布団で眠り、寿命による安らかな死を待つだけの存在になるのだ。

そんなことは、許されない。俺が、ここで――。雷がそんなことを考えていると、

「君は私がそこらの貧しい家のこどもより、よほど快適な暮らしをすることが許せない。そういうことか?なるほど、一理ある。君は貧しい家庭にそだった顔がにじみでているからな」

星喰いの凶星は見透かしたようにそう言った。

​「構わない。撃てるものなら撃ってみるがいい。その銃は押収された証拠品だろう?ニューナンブとかいうやつじゃないから一目でわかったよ。コルト・ガバメントかベレッタかスミス&ウェッソンか。そこまではわからないがね。君はそれを警察署の保管庫から持ち出すという犯罪に手を染めながら、私を悪と断罪するのか? それが君の正義であるなら、私を撃つがいい。正義がその銃に宿っているのならね」

​「……うわああああああああッ!!」

​闇を切り裂く銃声。
確かな手応えがあった。全弾、星喰いの凶星の胸を撃ち抜いたはずだった。
だが……その男は、倒れなかった。

​「痛いじゃないか。……防弾チョッキというものは、本当に痛いものなのだな」

​男はタキシードに空いた穴を指でなぞり、狂おしいほど美しい微笑を浮かべた。

​「だが、これで君は本当に『こちら側』へ墜ちた。もう警察という光は君を守ってはくれない。……どうする? 君には、犯罪者としての素晴らしい素質がある」

​男が、血に濡れた手を雷の方へと伸ばす。
その背後で、冬の星々が冷たく瞬いた。

​「私の相棒として……共にこの世に、美しき混沌をもたらさないか?」

その言葉に武御 雷は何故か強く惹かれた。
彼の中の闇がそれを強く望んでいたからだった。

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