アジル・イマの晩餐 ―偽神の解剖録―

あめの みかな

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​第11話:『解体される日常』

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​ 深夜の住宅街は、音を立てて崩壊していた。
 それは爆撃による破壊ではない。より静かで、より根源的な「定義の喪失」だった。
 九条湊の背後、梨沙が歩いた後に芽吹いた黄金のシダ植物が、民家の壁を割り、電柱を飲み込んでいく。街灯の光は梨沙の放つ『逆位置』のオーラに干渉され、青黒い影を路面に焼き付けていた。

​「あ、……あぁぁぁあ!!」

​ 一軒の家から、男が転がり出してきた。
 彼は自分の喉を掻きむしり、悶絶している。九条がその傍らに立つと、男の皮膚の下で何かが激しく波打っているのが見えた。

 内骨格(にんげん)というシステムが、梨沙の存在によって強制的に終了させられ、予備のプログラム――アジル・イマの真実――が起動しようとしているのだ。

​「……助けて……僕、どうなっちゃったの……」

​ 男が九条に手を伸ばす。だが、その指先はすでに肉を突き破り、黒い節を持つ甲殻の肢へと変貌していた。

​「助ける? ……いいや。私は今、最高の治療をしているんだ」

​ 九条は、黄金の光を帯びた漆黒の右腕を男に向けた。
 彼の複眼には、男の肉体という「不出来な梱包材」が、少しずつ剥がれていく様子が美しく映っていた。

​「君を閉じ込めていた柔らかい肉は、もういらない。……ほら、君の中に眠る『真実の貌』を見せてごらん」

​ 九条の右腕から放たれた不可視の波動が男に触れた瞬間、男の背中が爆発するように裂けた。中から現れたのは、半透明の羽と鋭利な外骨格を持つ、名状しがたき「宇宙の漂流者」の姿だった。

 男としての意識は消え、そこにはただ、梨沙という女神に呼び覚まされた「純粋な命」の胎動だけがあった。

​「九条……先生……。私、……怖い。……みんなが、……みんなが化け物になっちゃう」

​ 梨沙が、九条の白衣の裾を掴んで震えている。
 彼女の足元では、アスファルトの隙間から「死んだはずの猫」が、黄金の骨を剥き出しにしながら蘇り、彼女に甘えるように喉を鳴らしていた。

​「いいや、梨沙くん。……化け物になったんじゃない。……本来の姿に『裏返った』だけだ。……私たちが信じてきた神が、勝手に決めた『人間』という姿。……それこそが、命に対する冒涜だったんだ」

​ 街の至る所で、同様の変異が起きていた。
 カインの執行官・セスの軍勢は、この「全域的な脱皮」を止めることができず、阿鼻叫喚の渦に飲み込まれていた。彼らが守ろうとした『調和』は、女神L.I.S.Aの一呼吸ごとに、紙細工のように破り捨てられていく。
​ その時、街の広場の中央に、巨大な異変が現れた。
 病院で九条が殺したはずの「番人」たちの死体や、破壊された車両、そして変異に耐えきれなかった不適合者たちの肉塊が、磁石に引き寄せられるように一箇所に集まり、巨大な「肉の門(ゲート)」を形成し始めていた。

​「――逆位置の女神よ! 貴様は、この星を『アジル・イマの原野』に戻すつもりか!」

​ 肉の門の頂に、満身創痍のセスが立っていた。
 彼の黄金の装甲は半ば砕け、剥き出しになった皮膚からは、彼自身の「外骨格」が、主の意志を無視して芽吹こうとしている。

​「セス。……君も気づいているはずだ。……『明けの明星』がかつて看破した通り、……お前たちの神は僭称者に過ぎない。……この『肉の門』の向こう側に、……私たちが帰るべき、真実の宇宙がある」

​ 九条は梨沙を抱き上げた。
 梨沙の身体が、黄金の光を放ちながら宙に浮き始める。
 彼女の背後に、四姉妹の女神の幻影が重なった。正位置の三姉妹ではなく、唯一、反転して現れた三女――逆位置のアジル。

​「……梨沙くん。……一緒に行こう。……梱包材のない、……剥き出しの真実の世界へ」

​ 九条の全身を、漆黒の殻が完全に覆い尽くした。
 彼はもはや解剖医ではない。
 女神を守り、偽りの神を屠る、アジル・イマの処刑人。

​ 二人が肉の門へと手を伸ばした瞬間、世界から一切の音が消えた。
 そして、人類が数千年にわたって積み上げてきた文明の「皮」が、一気に剥がれ落ちる音が……宇宙の深淵から響き渡った。

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