アジル・イマの晩餐 ―偽神の解剖録―

あめの みかな

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​『アジル・イマの溢出 ―逆位置の次女―』

​第4話:『パッチワークの街、冷たき長女の帰還』

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​ 海辺の繭(まゆ)は、静かに脈動していた。
 内部では、佐伯の意識と亜美の神性が、もはや誰にも邪魔できない密度で混ざり合っている。亜美が放つ「次女イマ」の逆位置の力は、周囲の海を、砂浜を、そして夜空の境界さえも溶かし、この世の全てを一つの「巨大な中身」へと還元しようとしていた。

​ ――だが、その「融合の法悦」は、あまりに冷酷な「静止」によって切り裂かれた。

​ 突如として、砂浜の端から世界が「色」を失い始めたのだ。
 押し寄せていた黄金の粘液のような波が、触れた端から硬質な灰色へと変貌し、石像のように固まっていく。それは凍結ではない。あらゆる流動性を奪い、強制的に「形」を押し付ける、絶対的な拒絶の波動だった。

​「……汚らわしい。中身を撒き散らして、救われたつもりなの? 亜美」

​ 霧の向こうから現れたのは、加藤聚楽(かとう じゅら)だった。
 J.U.R.A.。逆さ読みはA.R.U.J.(アルジュ)。アジル・イマ神話の四姉妹の長女。
 神に最初に愛され、そのあまりに強すぎる愛の重圧で一度は粉々に砕け散った「最初の殻」。神の御手によって接ぎ合わされた彼女の全身は、まるで割れた鏡を繋ぎ合わせたような、無機質な継ぎ目に覆われている。
​ 人に転生しても尚、女神の貌(かお)は、かつての美しさを失っていた。左右非対称に歪んだセラミックのような皮膚、複数のレンズが複雑に噛み合った瞳。神に「醜い」と捨てられ、愛を失った彼女が持っているのは、壊れた世界を無理やり「直し」、二度と壊れないように固める、執念に近い再生の力だった。

​「……お、姉……さま……?」

​ 繭の内部から、亜美の震える声が漏れる。

「あれ? わたし、今、お姉さまって……知らない人なのに……」

 ふたりは同じ苗字だが、血縁関係があるわけではなかった。ふたりの神性が磁石のように惹かれ合い、そして、拒絶しあうのだ。

 聚楽が指先を空に向けると、亜美の力で溶けかかっていた空間のひび割れが、瞬時に「灰色のパッチワーク」で埋め尽くされた。破壊された東京の街並みでさえ、彼女の通り過ぎた跡では、溶けたビルが歪な立方体として固まり、人々は肉の塊から無理やり「人の形」へと引き延ばされ、石の檻の中に固定されていく。

​ それは再生という名の、生きた埋葬だった。

​「加藤亜美……いいえ、イマと呼んだほうがいいわね。あなたは聡明すぎる女神だった。だから、逆位置として生まれたあなたは、世界の殻を剥がしてしまう存在になってしまった。……でもね、私は許さない。むき出しの命なんて、美しくないもの」

​ 聚楽の手から、白銀の糸が幾千も放たれた。それはカインの番人たちが使うワイヤーとは比較にならない。
 長女アルジュが失った愛の代わりに手に入れた、あらゆるものを「封印」し「修復」する神の糸だったからだ。

 糸は海辺の繭を包囲し、その柔らかな有機的な表面を、無機質な殻へと作り変えていく。

​「やめろ……! 彼女を……僕たちを、引き離すな!」

​ 繭の中から佐伯の声が響く。彼は亜美と一体化することで、世界の「中身」そのものになろうとしていた。だが、聚楽の糸が触れるたびに、彼の意識は再び「個人」という狭い殻へと押し込められ、亜美の温もりから強制的に遮断されていく。

​「うるさい梱包材ね。神に愛されなかった私には、あなたの熱意なんて不快なだけよ」

​ 聚楽の瞳が冷たく光る。

「梱包材だと……?」

 彼女にとって、東京の崩壊を止めることは「正義」ではない。ただ、自分が愛されなくなった原因である「壊れること」そのものを否定し、世界を自分の貌と同じ、醜くも堅牢な「継ぎ接ぎの標本」にしたいだけだった。

​ 海辺の繭は、聚楽の力によって石化し、ひび割れた彫像のようになっていく。
 内部で叫ぶ亜美の「溢出」する神性は、長女の「拒絶」の殻に阻まれ、行き場を失って彼女自身の内側を焼き始めた。

​「さあ、直しにいきましょう。あなたが壊した、この不出来な世界を。……私が、永遠に動かない『完璧な殻』の中に閉じ込めてあげる」

​ 聚楽が歩き出すと、死んでいたはずのカインの番人たちが、彼女の糸によって「形」を繋ぎ合わされ、人形のように立ち上がった。

 破壊の女神・亜美。そして、愛を失った再生の女神・聚楽。

 二人の女神の相克によって、東京は「溶けゆく混沌」から「歪な静止」へと、その地獄の位相を変えようとしていた。

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