アジル・イマの晩餐 ―偽神の解剖録―

あめの みかな

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​『アジル・イマの溢出 ―逆位置の次女―』

​第9話:『異世への転移、静寂なる氾濫』

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​ 四日市の夜空は、燃え上がるコンビナートの火を吸い込み、毒々しい紫色の肉の雲に覆われていた。
 亜美が指をさすたびに、銀色に輝く石油タンクの群れは、巨大な「膿疱(のうほう)」へと変貌して爆ぜ、中からアジル・イマの黄金の粘液を噴き出す。そして背後では、聚楽の白銀の糸と、古き民の泥の触手が、四日市の街を文字通り「噛み砕き」ながら激突を続けていた。

​「佐伯さん……、もうすぐ。……あそこに、大きな『門』が見える」

​ 二人の結合体は、鈴鹿を越え、ついに伊勢の地へと足を踏み入れた。

 伊勢。そこはこの国において、神の居所とされる最古の聖域。だが、逆位置の女神を宿した亜美にとっては、そこは単なる「最も強固な概念の殻」でしかなかった。
​ 五十鈴川の清流が、亜美の足が触れた瞬間に沸騰し、透明な羊水へと変わる。
 伊勢神宮の正宮を囲む幾重もの垣根。それはこの世界の秩序を象徴する究極の境界線だったが、亜美が手を伸ばすと、千年守られてきた木材は、瞬時に生温かい「肋骨」の列へと変異した。

​「――そこまでよ、亜美!!」

​ 満身創痍の聚楽が、古き民の包囲を強引に突き破って降臨した。彼女のパッチワークの翼は半ば引き裂かれ、醜いセラミックの貌からは黒い油のような涙が流れている。

​「この聖域だけは……、私の『完璧な再生』で塗り固めさせてもらうわ! ここさえ直せば、神様もきっと私を……!!」

​ 聚楽が全霊を賭して放った白銀の糸が、亜美の変質させた正宮を包み込もうとした。

 しかし、その瞬間に「奇跡」は起きた。

 亜美の「次女イマ」の破壊(解体)と、聚楽の「長女アルジュ」の再生(固定)が、伊勢という特異な座標で正面から衝突したことで、空間そのものが「定義」を喪失したのだ。

​ 伊勢は異世。

 聖域の最奥から、まばゆいばかりの虚無の光が溢れ出した。それはこの世界の物理法則を根底から書き換える、別次元へのゲートだった。

​「な、……に……!? 糸が、吸い込まれて……」

​ 聚楽の驚愕の表情が、光の中に消えていく。彼女を足止めしていた古き民の半数も、その巨大な引力に抗えず、泥の肉塊となって光の渦へと飲み込まれていった。
 聚楽は最後まで、壊れた自分を直してくれる「神」を求めて叫びながら、異世界の彼方へと転移させられていった。

​ やがて、光が収まると、伊勢神宮のあった場所には、何も残っていなかった。
 聚楽の気配も、彼女が執拗に広げていた灰色の「パッチワーク」も、瞬時に消失した。
 そして、ゲートに飲み込まれなかった古き民たちは、主を失ったかのように、あるいは役割を終えたかのように、散り散りになって暗い海や地の底へと姿を消していった。

​ 残されたのは、静寂。

 そして、佐伯と亜美。

​「……お姉様が、いなくなった。……あの冷たい石の檻が、消えたんだね」

​ 佐伯が安堵の吐息を漏らした。
 だが、その安堵はすぐに凍りついた。
 聚楽という「制止の殻」がなくなったことで、亜美の体から溢れ出す黄金の粘液は、もはや抑えるものがない。
 彼女が歩くたびに、伊勢の森全体が、溶けたアイスクリームのように崩れ、一つの巨大な、拍動する「肉の野原」へと変わっていく。

​「佐伯さん……、止まらないの。……お姉様が直してくれないから、……世界が、……全部溶けていっちゃう……」

​ 亜美の瞳は、もはや焦点を結んでいない。
 聚楽の「いびつな再生」という名の枷が消えた今、亜美の破壊は、真の意味で完成に向かおうとしていた。

 破壊の余波は止まらない。
 それどころか、かつてない勢いで西へ、そして南へ。日本列島という「殻」を、中身そのものに変えていくための、終わりのない溶解が始まったのだ。

​「……ああ、亜美。……行こう。……今度は誰にも邪魔されず、……すべてを君という『中身』だけで満たすために」

​ 佐伯は、半分溶けた自分の体で彼女を抱きしめ、さらに南――和歌山へ、あるいは九州へと続く、崩壊のロードへと足を踏み出した。


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