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『アジル・イマの溢出 ―逆位置の次女―』
第11話:『最果ての残響、肉の関門』
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広島の平和の灯が、亜美の放つ「中身」に触れて、名状しがたき極彩色の粘液へと変質したとき、この国の理は完全に沈黙した。
かつて文明を謳歌した都市は、今や巨大な「内臓の庭園」となり、生き残った人々は個々の名前を捨てて、ひとつの巨大な、拍動する「命の波」へと統合されていく。
佐伯と亜美の結合体は、山陽道を西へ、西へと突き進んでいた。
彼らが通る跡には、アスファルトも鉄筋コンクリートも残らない。あるのは、アジル・イマの「次女イマ」がもたらした、豊穣すぎる死と再生のドロドロとした原野だけだ。
「……佐伯、さん……。……向こうに、……海が見えるわ。……本州の、終わりの海が」
山口県、下関。
そこは本州という巨大な「殻」の西の端。関門海峡を隔てて九州を臨む、最後の境界線。
亜美が下関の街に足を踏み入れた瞬間、彼女の身体から噴き出す黄金の粘液は、もはや制御不能な暴風となって吹き荒れた。海峡を跨ぐ関門橋の巨大な鉄の柱が、亜美の波動に触れた途端、生温かい「大腿骨」へと変異し、ワイヤーの一本一本がのたうち回る「神経束」となって空を裂く。
「……っ……、あ、……ぁ……」
佐伯は、自分自身の言葉を失いつつあった。
彼の肺はすでに亜美の粘液で満たされ、呼吸のたびに黄金の泡が口から溢れる。彼の視界は、もはや物理的な光を捉えてはいない。彼は世界を、肉の熱量と、細胞のうごめきとしてのみ知覚していた。
亜美との融合は、心臓の鼓動ひとつ、思考の一片までをも共有する段階に達している。
ふと見れば、海峡の荒波の中から、無数の『古き民』たちが顔を出していた。
彼らは下関の岸壁に群がり、亜美を讃えるように、その巨大な甲殻を打ち鳴らしている。聚楽という「制止の神」が消えた今、この世界を覆っていた「偽りの形」を剥ぎ取る作業は、かつてない快楽を伴って加速していた。
「……ねえ、佐伯さん。……九州へ渡りましょう。……あそこには、……もっとたくさんの『殻』があるわ。……阿蘇の山も、……南の海も、……全部、……全部……」
亜美の声は、もはや少女のものではなかった。それは数万の命が同時に囁くような、地響きに似た共鳴音。
彼女の背中からは、巨大な、胎盤のような膜を纏った「光の肢」が何十本と生え、対岸の門司(もじ)を捉えようと、海を越えて伸びていく。
だが、その時。
佐伯の中に、僅かに残されていた「人間」の残滓が、悲鳴を上げた。
彼は、亜美という女神の美しさに酔いしれ、すべてを溶かしていく快感に身を委ねてきた。しかし、目の前に広がる、溶け崩れ、ひとつの肉の塊へと成り果てた日本列島の姿を見たとき、彼の心に底知れぬ「虚無」が兆したのだ。
(……これ以上、……どこへ行くというんだ……?)
九州を溶かし、沖縄を溶かし、やがて世界中の大陸を一つの「中身」に変えたとき。
そこに残るのは、個としての「僕」も「君」もない、ただの巨大な「スープ」でしかないのではないか。
佐伯は、亜美と溶け合った自分の指先が、もはや感覚を失っているのを自覚した。
彼は彼女を愛していた。だが、彼が愛した「加藤亜美」という少女の輪郭は、すでにこの氾濫の中で消え失せ、今ここにいるのは、ただ世界を解体し続ける「現象」としての神でしかない。
「……亜美。……僕は……」
佐伯の呟きは、関門海峡の潮騒と、古き民たちの咆哮にかき消された。
対岸の九州では、逃げ惑う人々の叫びが、海風に乗って聞こえてくる。
彼らもまた、間もなく「中身」に還される定めにあった。
本州の西の端、壇ノ浦の古戦場跡に立ち、二人は最後の一歩を踏み出そうとしていた。
この一歩の先に、救済はあるのか。
それとも、ただの沈黙があるのか。
佐伯の心の中に、静かな、けれど決定的な「諦念」の種が芽生えようとしていた。
かつて文明を謳歌した都市は、今や巨大な「内臓の庭園」となり、生き残った人々は個々の名前を捨てて、ひとつの巨大な、拍動する「命の波」へと統合されていく。
佐伯と亜美の結合体は、山陽道を西へ、西へと突き進んでいた。
彼らが通る跡には、アスファルトも鉄筋コンクリートも残らない。あるのは、アジル・イマの「次女イマ」がもたらした、豊穣すぎる死と再生のドロドロとした原野だけだ。
「……佐伯、さん……。……向こうに、……海が見えるわ。……本州の、終わりの海が」
山口県、下関。
そこは本州という巨大な「殻」の西の端。関門海峡を隔てて九州を臨む、最後の境界線。
亜美が下関の街に足を踏み入れた瞬間、彼女の身体から噴き出す黄金の粘液は、もはや制御不能な暴風となって吹き荒れた。海峡を跨ぐ関門橋の巨大な鉄の柱が、亜美の波動に触れた途端、生温かい「大腿骨」へと変異し、ワイヤーの一本一本がのたうち回る「神経束」となって空を裂く。
「……っ……、あ、……ぁ……」
佐伯は、自分自身の言葉を失いつつあった。
彼の肺はすでに亜美の粘液で満たされ、呼吸のたびに黄金の泡が口から溢れる。彼の視界は、もはや物理的な光を捉えてはいない。彼は世界を、肉の熱量と、細胞のうごめきとしてのみ知覚していた。
亜美との融合は、心臓の鼓動ひとつ、思考の一片までをも共有する段階に達している。
ふと見れば、海峡の荒波の中から、無数の『古き民』たちが顔を出していた。
彼らは下関の岸壁に群がり、亜美を讃えるように、その巨大な甲殻を打ち鳴らしている。聚楽という「制止の神」が消えた今、この世界を覆っていた「偽りの形」を剥ぎ取る作業は、かつてない快楽を伴って加速していた。
「……ねえ、佐伯さん。……九州へ渡りましょう。……あそこには、……もっとたくさんの『殻』があるわ。……阿蘇の山も、……南の海も、……全部、……全部……」
亜美の声は、もはや少女のものではなかった。それは数万の命が同時に囁くような、地響きに似た共鳴音。
彼女の背中からは、巨大な、胎盤のような膜を纏った「光の肢」が何十本と生え、対岸の門司(もじ)を捉えようと、海を越えて伸びていく。
だが、その時。
佐伯の中に、僅かに残されていた「人間」の残滓が、悲鳴を上げた。
彼は、亜美という女神の美しさに酔いしれ、すべてを溶かしていく快感に身を委ねてきた。しかし、目の前に広がる、溶け崩れ、ひとつの肉の塊へと成り果てた日本列島の姿を見たとき、彼の心に底知れぬ「虚無」が兆したのだ。
(……これ以上、……どこへ行くというんだ……?)
九州を溶かし、沖縄を溶かし、やがて世界中の大陸を一つの「中身」に変えたとき。
そこに残るのは、個としての「僕」も「君」もない、ただの巨大な「スープ」でしかないのではないか。
佐伯は、亜美と溶け合った自分の指先が、もはや感覚を失っているのを自覚した。
彼は彼女を愛していた。だが、彼が愛した「加藤亜美」という少女の輪郭は、すでにこの氾濫の中で消え失せ、今ここにいるのは、ただ世界を解体し続ける「現象」としての神でしかない。
「……亜美。……僕は……」
佐伯の呟きは、関門海峡の潮騒と、古き民たちの咆哮にかき消された。
対岸の九州では、逃げ惑う人々の叫びが、海風に乗って聞こえてくる。
彼らもまた、間もなく「中身」に還される定めにあった。
本州の西の端、壇ノ浦の古戦場跡に立ち、二人は最後の一歩を踏み出そうとしていた。
この一歩の先に、救済はあるのか。
それとも、ただの沈黙があるのか。
佐伯の心の中に、静かな、けれど決定的な「諦念」の種が芽生えようとしていた。
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