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『アジル・イマの残響 ―鏡像の長女―』
第7話:『泥の閨、狂乱の触手』
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結晶宮殿は、もはや「白銀の墓標」ではなかった。
玉座の間から溢れ出した泥とパッチワークの肉は、かつての清潔な幾何学模様を蹂躙し、生温かい湿り気を帯びた「内臓の宮」へと変貌させていた。神とアルジュを、かつての自分と同じ「継ぎ接ぎだらけの無力なオブジェ」へと作り変え、宮殿の隅へと追いやった聚楽(じゅら)は、今、人生で初めての穏やかな夜を迎えていた。
「……聚楽様。まだ、震えているのかい」
暗い広間の奥で、オタキがその巨大な節足を動かし、聚楽の背中を優しくなぞった。彼の身体は泥と甲殻でできているが、そこから伝わる温度は、かつての冷たい結晶世界には存在しなかった「命の熱」そのものだった。
「……オタキ。私は、……神様を壊した。自分を愛さなかった完璧な世界を、私の泥で汚し尽くしたわ。……でも、……どうしてかしら。胸の奥が、まだこんなに熱いの」
聚楽は自らの左右非対称な胸元を、オタキの泥に浸した。
オタキは、神に捨てられたこの女神の「醜さ」こそが、何よりも尊い聖域であることを知っていた。彼は聚楽を「直すべき失敗作」としてではなく、その壊れた形のままで完成された「唯一の愛しい女」として抱きしめた。
「あんたはもう、独りじゃない。……俺の泥も、俺の命も、全部あんたの継ぎ目の隙間に流し込んでやる。……神様が愛さなかったその傷跡を、俺の愛で埋め尽くしてやるよ」
聚楽は、オタキの泥の中に自らを沈めた。
それは、神話の冒涜であり、同時に新しい命の契約だった。女神と古き民。種族を越え、定義を越え、二人の肉体は泥の中で溶け合い、一つの大きな、拍動する「塊」となった。
聚楽の複数のレンズ状の瞳は、初めて恐怖ではなく、法悦の色に染まった。
彼女は、この泥の伴侶との間に、新しい命――神の意志を介さない、自らの意志による「子供たち」を宿すことを決意した。
――だが、その幸福な拍動の影で、一人の男が崩壊を始めていた。
クヨリゥ。
オタキと共に聚楽を守り、共に戦ったはずの彼は、今、宮殿の暗い回廊で自らの触手をもがき散らしていた。
「……ああ、……あ……っ。……聚楽様。……俺も、……俺だって……」
クヨリゥの複数の目は、泥の中で重なり合う聚楽とオタキを覗き見ていた。
彼の中にあったのは、純粋な憧憬だったはずだ。自分たちを見つけ、光を与えてくれた女神への崇拝。けれど、聚楽がオタキを選び、その泥を混ぜ合わせた瞬間、彼の中にあった「執着」は、救いのない「独占欲」へと変質した。
クヨリゥは自らの触手を、白銀の床に叩きつけた。
聚楽の愛を得られないのなら、この世界を自分だけの泥で塗り潰してしまいたい。オタキすらも、自分の一部として取り込んでしまいたい。
彼の「古き民」としての理性が、嫉妬という名の毒に溶かされていく。
「……許さない。……俺の目を見てくれないなら、……全部、……全部消して……」
クヨリゥの背中から、黒い膿のような粘液が噴き出した。
彼の狂気は、この新しい世界の安定を揺るがす、もう一つの「溢出」になろうとしていた。
しかし、その絶望の淵に沈むクヨリゥの前に、一人の少女が現れた。
彼女は、いつの間にそこにいたのか。
宮殿の影から、音もなく歩み寄ってきた少女の姿は、この泥と肉の世界において、異様なほど「清廉」だった。
薄紫色の髪、静かな、けれど底の見えない深い瞳。
彼女は聚楽のような継ぎ接ぎも、アルジュのような冷たい結晶も持っていなかった。ただ、そこに存在するだけで、周囲の狂った泥が沈静化し、空間が「高貴」な沈黙に支配されていく。
「……泣いているのね。悲しいほどに、醜く」
少女が、クヨリゥの荒れ狂う触手へ、躊躇なく手を伸ばした。
「……だ、誰だ……っ! 俺に触るな、汚れるぞ……!!」
「いいえ。私は、……汚れさえも、私の一部として愛でることができる。……なぜなら、私はあなたたちよりもずっと、……神に近い場所で、独りでいたから」
少女の名は、加藤 紫帆(かとう しほ)。
この世界の神が、そのあまりの美しさと高貴さに畏怖し、触れることさえ禁じられた「第5の女神」。
「おいで、クヨリゥ。……あなたが求めていた愛を、……私が教えてあげる」
紫帆の指先が、クヨリゥの醜い目に触れた。
その瞬間、宮殿を揺るがしていた嫉妬の波動が、凪のような静寂へと変わった。
狂いかけたクヨリゥの瞳に、この世界のどんな光よりも強い、冷徹で慈愛に満ちた「紫の闇」が映り込んだ。
聚楽とオタキ。
そして、クヨリゥと紫帆。
二組の異形の愛が、この世界の主権を巡る、新たな神話の火種となろうとしていた。
玉座の間から溢れ出した泥とパッチワークの肉は、かつての清潔な幾何学模様を蹂躙し、生温かい湿り気を帯びた「内臓の宮」へと変貌させていた。神とアルジュを、かつての自分と同じ「継ぎ接ぎだらけの無力なオブジェ」へと作り変え、宮殿の隅へと追いやった聚楽(じゅら)は、今、人生で初めての穏やかな夜を迎えていた。
「……聚楽様。まだ、震えているのかい」
暗い広間の奥で、オタキがその巨大な節足を動かし、聚楽の背中を優しくなぞった。彼の身体は泥と甲殻でできているが、そこから伝わる温度は、かつての冷たい結晶世界には存在しなかった「命の熱」そのものだった。
「……オタキ。私は、……神様を壊した。自分を愛さなかった完璧な世界を、私の泥で汚し尽くしたわ。……でも、……どうしてかしら。胸の奥が、まだこんなに熱いの」
聚楽は自らの左右非対称な胸元を、オタキの泥に浸した。
オタキは、神に捨てられたこの女神の「醜さ」こそが、何よりも尊い聖域であることを知っていた。彼は聚楽を「直すべき失敗作」としてではなく、その壊れた形のままで完成された「唯一の愛しい女」として抱きしめた。
「あんたはもう、独りじゃない。……俺の泥も、俺の命も、全部あんたの継ぎ目の隙間に流し込んでやる。……神様が愛さなかったその傷跡を、俺の愛で埋め尽くしてやるよ」
聚楽は、オタキの泥の中に自らを沈めた。
それは、神話の冒涜であり、同時に新しい命の契約だった。女神と古き民。種族を越え、定義を越え、二人の肉体は泥の中で溶け合い、一つの大きな、拍動する「塊」となった。
聚楽の複数のレンズ状の瞳は、初めて恐怖ではなく、法悦の色に染まった。
彼女は、この泥の伴侶との間に、新しい命――神の意志を介さない、自らの意志による「子供たち」を宿すことを決意した。
――だが、その幸福な拍動の影で、一人の男が崩壊を始めていた。
クヨリゥ。
オタキと共に聚楽を守り、共に戦ったはずの彼は、今、宮殿の暗い回廊で自らの触手をもがき散らしていた。
「……ああ、……あ……っ。……聚楽様。……俺も、……俺だって……」
クヨリゥの複数の目は、泥の中で重なり合う聚楽とオタキを覗き見ていた。
彼の中にあったのは、純粋な憧憬だったはずだ。自分たちを見つけ、光を与えてくれた女神への崇拝。けれど、聚楽がオタキを選び、その泥を混ぜ合わせた瞬間、彼の中にあった「執着」は、救いのない「独占欲」へと変質した。
クヨリゥは自らの触手を、白銀の床に叩きつけた。
聚楽の愛を得られないのなら、この世界を自分だけの泥で塗り潰してしまいたい。オタキすらも、自分の一部として取り込んでしまいたい。
彼の「古き民」としての理性が、嫉妬という名の毒に溶かされていく。
「……許さない。……俺の目を見てくれないなら、……全部、……全部消して……」
クヨリゥの背中から、黒い膿のような粘液が噴き出した。
彼の狂気は、この新しい世界の安定を揺るがす、もう一つの「溢出」になろうとしていた。
しかし、その絶望の淵に沈むクヨリゥの前に、一人の少女が現れた。
彼女は、いつの間にそこにいたのか。
宮殿の影から、音もなく歩み寄ってきた少女の姿は、この泥と肉の世界において、異様なほど「清廉」だった。
薄紫色の髪、静かな、けれど底の見えない深い瞳。
彼女は聚楽のような継ぎ接ぎも、アルジュのような冷たい結晶も持っていなかった。ただ、そこに存在するだけで、周囲の狂った泥が沈静化し、空間が「高貴」な沈黙に支配されていく。
「……泣いているのね。悲しいほどに、醜く」
少女が、クヨリゥの荒れ狂う触手へ、躊躇なく手を伸ばした。
「……だ、誰だ……っ! 俺に触るな、汚れるぞ……!!」
「いいえ。私は、……汚れさえも、私の一部として愛でることができる。……なぜなら、私はあなたたちよりもずっと、……神に近い場所で、独りでいたから」
少女の名は、加藤 紫帆(かとう しほ)。
この世界の神が、そのあまりの美しさと高貴さに畏怖し、触れることさえ禁じられた「第5の女神」。
「おいで、クヨリゥ。……あなたが求めていた愛を、……私が教えてあげる」
紫帆の指先が、クヨリゥの醜い目に触れた。
その瞬間、宮殿を揺るがしていた嫉妬の波動が、凪のような静寂へと変わった。
狂いかけたクヨリゥの瞳に、この世界のどんな光よりも強い、冷徹で慈愛に満ちた「紫の闇」が映り込んだ。
聚楽とオタキ。
そして、クヨリゥと紫帆。
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