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『アルジュ・イマの再編 ―黄金の国、禁忌の系譜―』
第5話:『骨董屋『佐伯堂』の邂逅』
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新宿の喧騒が嘘のように遠のく。
『佐伯堂』の店内は、天井まで積み上げられた古文書や、出自不明の呪術具、そして鈍く光る青磁の壺などが放つ、幾千もの「記憶」の重圧で満ちていた。
弘幸は、入口の土間に座り込み、泥に汚れた靴を見つめたまま動けずにいた。
「……腹が減っているだろう。奥に茶と粥がある。毒は入っていないから安心しろ」
店主の佐伯は、カウンターから身を乗り出すこともなく、淡々とそう告げた。
彼はこの黄金の日本において、極めて異質な存在だった。経済大国の象徴である「効率」や「新しさ」を一切拒絶し、カビ臭い過去に埋もれて生きている。
「なぜ……僕を助けるんですか。テレビを見れば、僕がどんな人間か……」
「テレビ? ああ、あの光り輝く大嘘つきの箱のことか」
佐伯は鼻で笑い、一本の古びた煙管(キセル)に火をつけた。
「この世界は、美しく整えられすぎている。長女・聚楽、次女・亜美、三女・梨沙。彼女たちが正位置で座り続けている限り、この国は『完成』という名の病から逃れられない。……だがな、棗。俺の脳の隅には、別の映像が焼き付いているんだ」
佐伯が吐き出した煙が、弘幸の周りで龍のようにうねる。
「……別の世界では、聚楽は継ぎ接ぎだらけの醜い怪物だった。亜美はドロドロとした泥を吐き出し、梨沙は自らの肉体を解体して、この世の真理を覗こうとしていた。……俺は、そんな彼女たちを拒絶し、あるいは愛し、そして共に破滅した。……そんな『あり得ない記憶』が、俺をこの骨董屋に縛り付けている」
弘幸は息を呑んだ。佐伯の話す内容は、彼が文科省で見た『アルジュ・イマ神話』の記述と、恐ろしいほどに一致していた。
「佐伯さん……あなたも、パラレルワールドの存在を?」
「存在どころか、俺の魂の半分は、未だにその泥の海に沈んだままだ。……棗、お前もだろう? お前が書いたわけでもない神話の中に、自分の死に様を見つけた。だからこそ、宮内庁はお前を消そうとしている」
佐伯は立ち上がり、店の奥から一枚の「面」を持ってきた。
それは、目元だけを隠す鉄製の精巧な仮面だった。
「今日からお前は、この『佐伯堂』の丁稚(でっち)だ。名は名乗るな。顔も出すな。……ここには時折、この国の正しさに耐えられなくなった『不純物』たちがやってくる。お前はそこで、顔を隠して働きながら、この世界の裏側に流れる真実の血脈を学べ」
弘幸はその仮面を手に取った。冷たい鉄の感触が、社会的に抹殺された自分の無力さを象徴しているようで、けれど同時に、新しい「自己」を定義するための殻のようにも感じられた。
それから数週間、弘幸の生活は一変した。
昼間は奥の作業場で、古文書の修復や仏像の煤払いを行う。夜は仮面をつけ、佐伯の背後で客の応対を記録する。
宮内庁の追っ手は、定期的に新宿の街を巡回していたが、なぜか『佐伯堂』の周辺だけは、彼らの意識が滑り落ちるように逸れていく。
「この店には『結界』が張ってある。……と言っても、霊的なものじゃない。情報の真空地帯だ」
佐伯は、弘幸の働きぶりを見ながら満足げに頷いた。
ある雨の夜、一人の男が店を訪れた。
仕立てのいいスーツを着ているが、その袖口からは消毒液の匂いが漂っている。眼鏡の奥の瞳は、まるで死体を見定めるような、無機質で深い理性を湛えていた。
「……佐伯、例の『神の肉体の一部』とやらは見つかったか」
その男の登場に、佐伯が少しだけ真剣な表情を見せた。
「九条か。相変わらず、生きた人間よりも死体に興味があるようだな」
九条――。
佐伯堂の常連であり、表の顔は都内屈指の解剖医。
彼が弘幸の横を通り過ぎた瞬間、弘幸の身体に静電気のような衝撃が走った。
九条は、仮面をつけた弘幸の正体を知るはずもないのに、その足を止め、弘幸の首筋をじっと見つめた。
「……ほう。この青年、面白いな。……皮膚の裏側で、神話の泥が沸騰している音がする」
「よせ、九条。こいつは俺の新しい助手だ。……余計な『解剖』はするなよ」
佐伯が制したが、九条の口元には歪な笑みが浮かんでいた。
「解剖などしないさ。……ただ、懐かしいだけだ。……私はかつて、別の世界で一人の『梨沙』という女神を愛で、その心臓が止まるまで、その神聖なる器官を一つ一つ、この手で数え上げた記憶があるのだから」
弘幸は、仮面の下で震えた。
佐伯に続き、九条までもが「別の世界」の記憶を持っていた。
この閉ざされた骨董屋の中に、かつて女神を壊し、女神に壊された男たちが集い始めている。
黄金の日本の裏側で、静かに、けれど確実に、神話を反転させるための「影の同盟」が結ばれようとしていた。
『佐伯堂』の店内は、天井まで積み上げられた古文書や、出自不明の呪術具、そして鈍く光る青磁の壺などが放つ、幾千もの「記憶」の重圧で満ちていた。
弘幸は、入口の土間に座り込み、泥に汚れた靴を見つめたまま動けずにいた。
「……腹が減っているだろう。奥に茶と粥がある。毒は入っていないから安心しろ」
店主の佐伯は、カウンターから身を乗り出すこともなく、淡々とそう告げた。
彼はこの黄金の日本において、極めて異質な存在だった。経済大国の象徴である「効率」や「新しさ」を一切拒絶し、カビ臭い過去に埋もれて生きている。
「なぜ……僕を助けるんですか。テレビを見れば、僕がどんな人間か……」
「テレビ? ああ、あの光り輝く大嘘つきの箱のことか」
佐伯は鼻で笑い、一本の古びた煙管(キセル)に火をつけた。
「この世界は、美しく整えられすぎている。長女・聚楽、次女・亜美、三女・梨沙。彼女たちが正位置で座り続けている限り、この国は『完成』という名の病から逃れられない。……だがな、棗。俺の脳の隅には、別の映像が焼き付いているんだ」
佐伯が吐き出した煙が、弘幸の周りで龍のようにうねる。
「……別の世界では、聚楽は継ぎ接ぎだらけの醜い怪物だった。亜美はドロドロとした泥を吐き出し、梨沙は自らの肉体を解体して、この世の真理を覗こうとしていた。……俺は、そんな彼女たちを拒絶し、あるいは愛し、そして共に破滅した。……そんな『あり得ない記憶』が、俺をこの骨董屋に縛り付けている」
弘幸は息を呑んだ。佐伯の話す内容は、彼が文科省で見た『アルジュ・イマ神話』の記述と、恐ろしいほどに一致していた。
「佐伯さん……あなたも、パラレルワールドの存在を?」
「存在どころか、俺の魂の半分は、未だにその泥の海に沈んだままだ。……棗、お前もだろう? お前が書いたわけでもない神話の中に、自分の死に様を見つけた。だからこそ、宮内庁はお前を消そうとしている」
佐伯は立ち上がり、店の奥から一枚の「面」を持ってきた。
それは、目元だけを隠す鉄製の精巧な仮面だった。
「今日からお前は、この『佐伯堂』の丁稚(でっち)だ。名は名乗るな。顔も出すな。……ここには時折、この国の正しさに耐えられなくなった『不純物』たちがやってくる。お前はそこで、顔を隠して働きながら、この世界の裏側に流れる真実の血脈を学べ」
弘幸はその仮面を手に取った。冷たい鉄の感触が、社会的に抹殺された自分の無力さを象徴しているようで、けれど同時に、新しい「自己」を定義するための殻のようにも感じられた。
それから数週間、弘幸の生活は一変した。
昼間は奥の作業場で、古文書の修復や仏像の煤払いを行う。夜は仮面をつけ、佐伯の背後で客の応対を記録する。
宮内庁の追っ手は、定期的に新宿の街を巡回していたが、なぜか『佐伯堂』の周辺だけは、彼らの意識が滑り落ちるように逸れていく。
「この店には『結界』が張ってある。……と言っても、霊的なものじゃない。情報の真空地帯だ」
佐伯は、弘幸の働きぶりを見ながら満足げに頷いた。
ある雨の夜、一人の男が店を訪れた。
仕立てのいいスーツを着ているが、その袖口からは消毒液の匂いが漂っている。眼鏡の奥の瞳は、まるで死体を見定めるような、無機質で深い理性を湛えていた。
「……佐伯、例の『神の肉体の一部』とやらは見つかったか」
その男の登場に、佐伯が少しだけ真剣な表情を見せた。
「九条か。相変わらず、生きた人間よりも死体に興味があるようだな」
九条――。
佐伯堂の常連であり、表の顔は都内屈指の解剖医。
彼が弘幸の横を通り過ぎた瞬間、弘幸の身体に静電気のような衝撃が走った。
九条は、仮面をつけた弘幸の正体を知るはずもないのに、その足を止め、弘幸の首筋をじっと見つめた。
「……ほう。この青年、面白いな。……皮膚の裏側で、神話の泥が沸騰している音がする」
「よせ、九条。こいつは俺の新しい助手だ。……余計な『解剖』はするなよ」
佐伯が制したが、九条の口元には歪な笑みが浮かんでいた。
「解剖などしないさ。……ただ、懐かしいだけだ。……私はかつて、別の世界で一人の『梨沙』という女神を愛で、その心臓が止まるまで、その神聖なる器官を一つ一つ、この手で数え上げた記憶があるのだから」
弘幸は、仮面の下で震えた。
佐伯に続き、九条までもが「別の世界」の記憶を持っていた。
この閉ざされた骨董屋の中に、かつて女神を壊し、女神に壊された男たちが集い始めている。
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