夏雲 女子高生売春強要事件

あめの みかな

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第三部 冬晴(ふゆばれ)

第3話

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「シュウは、あなたのことをとても大切に思っていたわ」

 アリスの言葉を聞いて、わたしははじめてその事実を知った。

 兄は生前、インターネットで知り合った彼女と毎日のように何時間も電話をしていた。

 たぶん、その頃に兄からわたしの話を聞いたのだろう。


『アリスと同い年の妹がいるんだ。
 羽衣(はごろも)って書いて、「うい」って読む。天女みたいな名前。

 羽衣は、ぼくのことをあまり好きじゃない、っていうか、たぶん嫌いなんだろうね。
 いつも不機嫌そうにしていて、ぼくと目が合えば必ずすぐに目をそらす。
 まともに会話らしい会話をしたことはほとんどない。

 兄や姉がいる妹や弟にとって、兄とか姉とかっていう存在は、親よりも身近な異性だと思うんだよね。

 ぼくの情けなさやふがいなさ、心の弱さを小さい頃から見てきた羽衣は、きっとをぼくを軽蔑してるんだろうね。

 もしかしたら、ぼくが覚えていないだけで、羽衣に何か悪いことをしたのかもしれない。

 アリスにちゃんと将来の夢があるように、羽衣にもぼくとは違ってちゃんと将来の夢があるみたいなんだ。
 それが何かまでは知らないけど。

 これから先、もし羽衣が悩んだり困ったりしたとき、ぼくを頼ってくることはまずないだろうけれど、たぶんぼくが一番に気付くはず。
 だから、そのときは嫌われていてもいいから、好かれなくていいから、そのときは兄として力になりたい。

 5年後になるか10年後になるかわからないけど、お互いが大人になったら、一度でいいから兄妹らしい会話をしてみたい」


 兄はわたしのことをそんな風に話していたと、アリスはタクシーの中で教えてくれた。

 わたしは何も知らなかった。

 今思えば、わたしはなぜ兄をあんなに毛嫌いしていたのだろう。
 会話らしい会話をしたこともなければ、いつも避けていた。
 だから、嫌なことをされた記憶は一切なかった。


「シュウにそんな風に思われていた、あなたがうらやましかった」

 と、彼女は言った。


「アリスにも腹違いの兄がいるの。シュウと同い年。

 でも、会ったこともなければ、電話やメールをしたこともない。写真を見たこともない。どんな人で何をしているのかも知らない。

 シュウは男らしくなかったし、頼りなかったし、気が弱かったけど、繊細で傷つきやすくて、でも、だからなのかな、すごく優しい人だった。すごくかわいい人だった。

 アリスは最初、シュウみたいなお兄ちゃんが欲しかったなって、そんな風に思っていたの。
 でも、いつのまにか恋をしてた」


 わたしはもしかしたら、優しい兄に甘えていたのかもしれなかった。

 本当は兄のことが好きだったのではないだろうか。

 アリスのように恋をしてしまうかもしれないのがこわくて、兄を避けていたのではないだろうか?

 兄をインターネットにしか居場所を見いだせないほどに孤独にさせたのは、わたしだったのではないだろうか。


 もしそうなら、わたしは兄を傷つけ続け、居場所を奪い、アリスと出会わせてしまった。

 結果、ふたりはお互いに好きで好きでどうしようもなかったのに、兄には自ら命を絶つことを選ばせ、アリスを一生車椅子が必要な体にさせてしまった。

 わたしがふたりをそうさせてしまったのだ。


「そっか……」

 と、わたしは言った。

「本当にありがとう」

 と、もう一度言った。

 草詰アリスにわたしは本当に感謝した。


 しばらく沈黙が続いたあとで、

「あなたは、どうしてメイに会いたいの?」

 アリスはわたしに訊いた。

 アリスはまだ全部信じてるわけじゃないけど、と前置きしたあとで、

「あのまとめサイトや、アリスたちがモデルになってるケータイ小説を読んでいるなら、メイがとてもこわい子だということを知っているはずよ」

 と言った。

「怖いもの見たさ、ってわけじゃないんだよね?」

 わたしはこくりとうなづいた。

「人の心を巧みに操り、操られていることすら気付かせない。
 夏目メイが言う『友達』とは、自分の意のままに動くおもちゃのこと」

 わたしはそう答える。

「アリスはいまだに操られていたとは思えない。
 アリスはアリスの意思でメイといっしょにいたと思ってる。
 でも、今のこの気持ちすらも、メイに操られているのだとしたなら、アリスの心はどこにあるのかな」


 アリスは、たった半年で、恋人を失い、友人に裏切られ、一生車椅子の体になった。
 その上、心まで自分の物かどうかすらわからなくなりつつあった。

 わたしは、アリスの手を握った。

 彼女はわたしの行動に驚いたけれど、すぐにその手を握り返してくれた。


「わたしが夏目メイに会いたいのは、あの子を普通の女の子になんてさせないため」

 わたしは言った。

「わたしは本当の夏目メイを知らない。
 小説に書かれていたような女の子なら、とても恐ろしい女の子だと思う。
 だけど、わたしはそんな彼女を好きになってしまったの」

 わたしはそう続け、

「普通の女の子になんてさせない。
 あのままの彼女を、その心を、わたしは操りたい。
 操られていることも気付かせない。
 今度はわたしのおもちゃにするの」

 そう言った。


 夏目メイは、わたしの初恋の女の子だった。

 そして、その初恋は、とても歪んだものだった。





 草詰アリスの家は、横浜で一番高い高層マンションの最上階にあった。

 タクシーの支払いを済ませるとき、アリスが財布から出したクレジットカードの色はブラックだった。

 クレジットカードを魔法のカードだと勘違いして使いすぎてしまう人がいると聞いたことがあるけれど、その色は確か使用限度額が定められていない、どんな高価なものでも買えてしまう、本当に魔法のカードだった。

「お金に困ると人は心まで貧しくなる」

 というのが、彼女の父親の言葉らしい。

 だから、彼女とその母親は、お金には一切困らない生活を、両親の離婚後も半永久的に父親から与えられているのだという。

 彼女から、父親の言葉を聞いて、わたしは確かにそうかもしれないと思った。

 お金がないと、人の心は本当に貧しくなる。
 自分より裕福な人間を妬み、自分より貧しい人間を下に見て馬鹿にする。
 わたしの両親のように。

 最終的には犯罪にすら手を染めることもある。

 わたしも、彼女がわたしを迎えに来てくれなかったら、いずれは財布の中のお金は底をつき、実家へ帰るどころか、ネットカフェに泊まるお金さえなくなっただろう。

 家出少女が食事や泊まるところを提供してもらう代わりに体を差し出す「神待ち掲示板」に書き込むようになっていただろう。

 わたしは夏目メイに会うまでは帰るつもりはなかったから、そうなるのは家を出たときから目に見えていた。

 夏目メイに会えるなら、そうなってもかまわないとさえ思っていた。


 最上階へと向かうエレベーターの中で彼女の話を聴きながら、罪滅ぼしのつもりなのかもしれないけれど、しかし、それでもわたしには、彼女の父親はやりすぎのように思えた。

 彼女もそれは同感だったようで、

「でも、あの男の心が一番貧しい。
 自分が金持ちだから女が寄ってくるだけってことにすら気付けないんだから」

 吐き捨てるようにそう言った。


 エレベーターが最上階に着くと、最上階はそのフロア全体がひとつの家になっていた。
 すべて、彼女と母親のものなのだという。
 わたしが通う高校の体育館くらい広かった。


「あんなものを持たされているから、ママの心は余計に貧しくなった。
 毎日ホストクラブ通いで、いつも家にいないの」

 だから、彼女はわたしを住まわせることが母親の許可を取らずとも独断でできるのだろう。

「本当はね、シュウが来てくれたときに、そのままここで暮らしてもらうつもりだったの。シュウには話してなかったけどね」

 と、彼女は言った。

 彼女は今でも、わたしの兄のことが好きなのだろう。
 忘れられないでいるのだろう。

 わたしと兄は、顔がよく似ていた。
 ふたりとも母親似だった。

 わたしをここに住まわせることで、彼女は余計に兄を忘れられなくなるだろうと思った。

 けれど、忘れたくないから、わたしを住まわせようとしているのかもしれないとも思った。

 わたしは、横浜に来るべきではなかったのかもしれないとさえ思った。


「ごめんね」

 と。わたしが謝ると、

「なにが?」

 と彼女は言った。


「わたしが、あなたの好きなシュウの妹だから、わたしにここまでしてくれるんでしょ?」

「アリスはシュウのことが好き。シュウはもういないけれど、それでも好き。他の男を好きになるつもりはない。アリスがシュウを忘れることはない」


 わたしの問いにアリスはそう答えた。


「アリスと、あなたは、ううん、羽衣は……」

 彼女はそのときはじめてわたしの名前を呼び、

「同い年だけど、もしシュウが生きていたら、あなたは今頃きっと、わたしの義理の妹になっていたはずだから」


 だから、他の誰かじゃなく、わたしが横浜で出会い、夏目メイのところまで導く存在は自分じゃなきゃいやだと思った、と彼女は言った。

 わたしを自分のものにしたい、と彼女は言った。

 家族だと思ってほしい、と言った。


 そう言われて、はい、とすぐに答えられるほど、わたしはまだアリスのことを知らなかった。

 だから、懇願するようにそう言った彼女の言葉を、保留にさせてもらった。


「夏目メイの居場所を知ってるの?」

 わたしは、彼女に尋ねた。

「知ってるよ」

 彼女はそう答えて、

「わたしを抱いてくれたら、教えてあげる」

 そう言った。


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