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しおりを挟む「言いにくいことか?」
「そうですね……」
「分かった」
流してくれるのかと思いきや。
「夜、飲みに行くか」
そう来るか。
「すみません、今日は用事があるので。また他の日に」
僕が気にしたのは佐藤君のことだったのだが、四谷さんは探るような視線を僕に寄こした。
「何だ、女か?」
「女……って、違いますよ。そういうのではありません」
否定すると、つまらなそうに息を吐く。
「堅いな」
「いいんです、僕は」
経験がないこともそうだが、恋愛というものにあまり向いていない。
それ以上、四谷さんは何も言ってはこなかった。
仕事を終えて帰宅すると、部屋には明かりが灯っていた。そういう誰かが家にいる状態というのは久々で、反射的に頬が緩んだ。
「ただいま」
ひとりきりのときにも欠かさず口にしていた決まり文句に、今日は言葉が返る。
「あ、お帰りなさい」
リビングの方から、佐藤君が顔を出した。
「本当に、帰り遅いんですね」
「ああ、うん」
玄関先に来ると、彼は僕の方へと手を伸ばした。その均整の取れた長い腕に感心していると。
「村上さん、鞄。あと上着も」
「はい?」
「貸してください」
慣れた手つきで、僕から鞄と上着を受け取る。
「どこに置きますか?」
品のよい微笑みとともに当たり前のように問いかけられたが、それは僕にとってはちっとも当たり前のことではなかった。
「佐藤君……?」
「何ですか?」
「ええと、それくらい、自分でやりますけど」
「そう?」
うん、と頷くと、微笑みが少し困惑に傾く。
「ごめんなさい。母親にいつもそうしてたから、つい習慣で……。迷惑、でしたか」
「迷惑ではないけど、慣れない、かな」
「そっか」
本人がそうしたいならいいか、と思えるくらいのいい笑顔。一度預けた荷物を取り上げるわけにも行かず、僕は佐藤君を伴って自室に入った。
「鞄は適当に置いて。上着は、そこのハンガー」
「了解」
言われた通りにしてくれる彼に、僕はありがとうと頭を下げた。
「着替えてから、リビングに行きます」
「ん、分かりました」
部屋を出ていく彼の後ろ姿を見送りつつ、人がいる生活か、と僕は思った。
着替えてリビングに入れば、ふわりといい匂いが漂ってくる。リビングのテーブルには食事が用意されていた。肉じゃが、魚のフライ、ほうれん草のごま和え、お味噌汁。
「村上さん、ごめん。勝手にキッチン借りました」
「それは構わないけど……」
「俺、最近コンビニ弁当ばっかで、さすがに飽きてきて。村上さんの分も作ったから、一緒に食べませんか?」
「いいの?」
「もちろんです」
「おいしそう……」
「嫌いなもの、ありませんか?」
「うん、ない」
「よかった。ごはん、これくらいでいい?」
お茶碗を受け取ると、その温かさが指先から染み込んでくる。ありがとう、と僕が言うと。
「ありがとうって、それ、基本的に俺の台詞だと思うんですけど」
笑いながら、彼は僕の正面に腰を下ろした。
最近まともに料理をしたのは、いつのことだっただろう。忙しかったせいもあるが、随分と日が空いてしまった気がする。もう少し自炊した方がいいことは分かっているし、まったく料理ができないというわけではないのだが、どうしても面倒さが勝ってしまう。
佐藤君を見習うか、と思ったのは一瞬のこと。
「すごいね……おいしい」
「そう?」
「うん。可能なら毎日食べたいくらい」
店のような味を前にして、これは無理だと早々に結論づけた。味つけはめんつゆがあればいいと思っている自分とは大違いだ。おいしいが、料理をしなさすぎて、何がすごいのか言葉にできない。
「それお世辞じゃないなら、俺、本当に毎日作りますよ?」
「本当?」
「はい」
隠し子疑惑の結果、僕は同居人とおいしいごはんを手に入れることになったらしい。
「……佐藤君、お風呂どうぞ」
食事の後は少しテレビを見て、僕が先にお風呂に入った。何だか総合的に、ほんわかな夜だ。
佐藤君はリビングで大学の課題に取り組んでいるようだった。
「中国語?」
「はい。外語、中国語にしたんで」
「僕も第二外国語は中国語だったな」
「そうなんですか」
ちらりとテキストを覗き込むと、昔習ったことが、そのときの空気感と一緒に甦ってくるような気がした。
「懐かしい……」
「そんなに前じゃないでしょう?」
もう、十年も前のことだ。それに。
「僕のこと、自分の父親と勘違いしたのは誰でしたっけ」
「すみません」
「三十五くらいに、見えたわけですよね」
「や、あの、違くて……っ」
全力で否定する姿に溜飲を下げる。
「あのときは、俺もテンパってて……」
それはまあ、そうだろう。昨夜の彼は冷静とは言いがたかった。
「村上さん、よく見たらすごく若くて。ぶっちゃけ年齢聞いて驚いたっていうか……」
「確かに、下に見られることは多いですね」
それって男としてどうなんだろう、と思わなくもないが顔は変えられないので仕方がない。
「佐藤君は、顔立ちが大人っぽいね」
「そうですか?」
「うん」
まじまじと、改めて彼の顔を見る。瞳がすごく綺麗で、雰囲気のある子だなと思う。確かに、その瞳の感じはどことなく兄に似ているような気もする。
じいっと顔を見すぎたせいか、佐藤君が目を逸らした。
「村上さんって……」
「何?」
「いえ、何でもないです」
それ以上彼は言葉を続けようとはしなかった。
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