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女神選抜試験

第31話 恋人同士

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「さて、そろそろ向こうへ帰らなければ」
「え……、もうですの?」

 うっとりとハーヴェイに身を寄せていたクリスは残念そうに言った。
 ハーヴェイはそんなクリスの唇にキスをすると、彼女から離れた。

「あまりここにいたら神官達の身の置きどころがないだろう。……クリスティアナ、この後の予定に響かないならば、わたしの部屋へそなたを迎えたいのだが」
「まあ、それならばわたくし喜んでハーヴェイ様のお部屋に参ります」

 ギルバートに近々話に行くと言っていたクリスだが、両想いになったこの時だけは、ハーヴェイと共にいたかった。
 クリスが艶やかな笑顔をハーヴェイに向けると、彼は思わずといったように彼女を抱きしめた。
 そして、もう一度クリスの唇に口づけると、嬉しそうに「そうか」と言った。
 するとクリス達の様子を窺っていたらしいハンスがおずおずと彼らの前に出てきた。
 それを見て、クリスは思わず赤面した。
 ──ハンス達に遠慮させてしまったかしら。なんだか恥ずかしいわ。

「女神様、金の魔術師様、お帰りですか?」
「ええ、また来ますわね。それではごきげんよう」

 クリスが輝くばかりの笑顔で挨拶すると、ハンスは真っ赤になって絶句した後、慌てて頷いた。

「はい! またのお越しをお待ち申し上げております!」
「それではな」

 そしてクリスは、ハーヴェイに肩を抱かれながら転移門をくぐり元の世界へ戻っていったのである。



 クリスはハーヴェイの部屋に通されると、応接セットのソファに座るよう勧められた。
 ハーヴェイの侍従は、クリス達の睦まじい様子を見て取ると、一度茶を出したきり引っ込んでいった。
 ここでも気を遣われてしまったとクリスが赤面していると、それまで対面に座っていたハーヴェイは彼女の隣に移動してきた。

「クリスティアナ、愛している」

 クリスはハーヴェイに抱きしめられ、キスを何度も受けた。それにうっとりとして吐息をつく。

「ハーヴェイ様、愛しております」

 クリスがハーヴェイの背中に手を回すと、ハーヴェイの口づけが激しくなる。
 クリスはくらくらとなりながらもそれに酔った。



「……失礼いたします。ハーヴェイ様、そろそろお時間でございます」

 遠慮気味にハーヴェイの侍従が声をかけてきて、クリスははっとなった。既に随分と時がたっていたらしい。

「まあ、長居をしてしまいまして、申し訳ございませんでしたわ」

 クリスは真っ赤になってハーヴェイから離れた。

「いや、わたしがそなたを引き留めていたのだから気にすることはない」

 ハーヴェイはソファから立ち上がると、クリスに手を差し出した。
 クリスはその手を取ると、おぼつかない足元に注意して立ち上がった。
 ハーヴェイがその様子を見て、彼女を抱き上げた。

「ハ、ハーヴェイ様……っ、恥ずかしいですわ」

 クリスが真っ赤になってハーヴェイに訴えた。
 いつかルーカスにされたようにこのまま神殿から寮まで歩いて行かれるのだろうか。
 しかし、クリスのその心配を打ち消すようにハーヴェイは微笑んだ。
 その柔らかい微笑みに、クリスは胸をきゅんとさせる。

「大丈夫だ。転移魔法で寮まで移動するから、そなたは心配することはない」

 それで思わずクリスはほっとしてしまった。こうしてハーヴェイといられることは嬉しいが、やはり恥ずかしさは残っていたからだ。

「それでは移動するぞ」
「はい」

 ハーヴェイの言葉にクリスは頷いた。
 彼の短い詠唱の後、クリスは女神候補寮の前にいた。



「あーっ、クリス!」
「クリスティアナ」

 寮の前に出た途端、クリスは聞き覚えのある声に出迎えられた。マリーとルーカスだ。ご苦労なことに二人はクリスを待っていたらしい。

「どうしてクリスがハーヴェイ様にお姫様だっこされてるんですか?」

 マリーが機嫌悪くそう言うと、ルーカスも眉を顰めてきた。

「そうだね。ハーヴェイ、どういうことなんだい」

 それに対してハーヴェイは慌てることもなく、クリスを地に下ろして、いつもの無表情で答えた。

「クリスティアナが疲れているようなので、無理をしないように運んだだけだ」
「そうなんですか? でも、ハーヴェイ様、必要以上にクリスに触れないでください」
「そうだ。クリスティアナはわたしのものだ。簡単に男共に触れさせる訳にはいかない」

 その言葉に恋人同士になったクリスとハーヴェイはむっとした。マリーもむっとしていたが。

「ルーカス様、わたくしはあなた様のものではありません」

 できればハーヴェイとの仲をぶちまけてしまいたいが、この二人に言ってしまってもいいものだろうか。
 クリスが不安げにハーヴェイを窺うと、彼は力強く頷いた。

「わたしとクリスティアナは両想いになった。だからわたし達は恋人同士だ」

 淀みなくハーヴェイが言うと、マリーとルーカスはショックを受けたようだった。

「うそっ、本当なのクリス!」

 マリーが信じられないと言うように、クリスの腕を掴んだ。

「ええ、本当よ。わたくしとハーヴェイ様は想い合っているの」
「信じられないな。ひょっとしてハーヴェイは君に魅了魔法を施したのかもしれないよ」

 ルーカスが首を横に振って言う。

「ハーヴェイ様はルーカス様ではありません。これは本当の恋です」

 クリスが毅然として宣言すると、マリーとルーカスは呆然とした。

「クリスティアナ、今のうちに寮に入った方がいい」

 この二人のしつこさを考えたら、まったくその通りだったので、クリスはハーヴェイの意見の通りに行動した。

「はい。それではごきげんよう」
「ああ」

 ハーヴェイが頷くのを確認する前に、クリスは素早く自分の部屋に身を滑り込ませた。

「! クリス待って!」
「クリスティアナ!」

 マリーとルーカスが呼び止めたが、クリスはあえて知らない振りをした。

「まあ、お嬢様お帰りなさいまし」

 ノーラがのんびりと微笑んで出迎えてくれた。とりあえず危機は回避された。
 ……それにしても、この後、ハーヴェイは二人になにかされないだろうか。
 クリスはそれだけが心配だった。

「──ハーヴェイ様」

 クリスは彼にされた口づけを思い出し、自らの唇に指をやった。
 その途端、あの時の幸福感が蘇る。
 そして彼はクリスと恋人同士になったとはっきり宣言してくれた。
 ──どうしましょう。ものすごく嬉しいですわ。
 クリスは思わず自分を抱きしめたが、いつまでも幸せに酔っている場合ではないことを思い出した。
 クリスは机の引き出しからレターセットを取り出すと、ハーヴェイに当てて手紙を書いた。

『ハーヴェイ様
 あれから、ルーカス様とマリーになにかされなかったでしょうか。それだけが心配です。
 それはそうと、ハーヴェイ様からわたくし達が恋人同士とおっしゃってくださってとても嬉しかったです。また明日以降も是非お会いしたいですけれど、育成に支障が出るかもしれないのがつらいところです。
 クリスティアナ』

 その手紙を送った後、やや遅れてハーヴェイの返事があった。

『クリスティアナ
 わたしは大丈夫だから、そなたは安心していい。伊達に魔術師はしていないからな。
 恋人同士と言ったことは内心そなたが困るかと思ったが、喜んでくれているようでとても嬉しい。
 明日からは堂々とそなたを迎えに行く。
 ハーヴェイ』

 それを読んで、クリスはほっとした。
 いろいろ問題はあるが、ハーヴェイとの恋が実ったことはとてもめでたいことだと思った。
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