9 / 22
第9話 イルーシャ、カブトムシになる
しおりを挟む
「かでぃす、きいす、おはよーっ」
リイナに庭園に連れてきてもらったイルーシャは先を争うようにして現れた二人に挨拶した。
「おはよう、イルーシャ」
「ああ。イルーシャ、今日は元気そうだな」
昨日家が恋しくて泣いたイルーシャは、今日はにこにこと機嫌がよさそうだ。
「うんっ。おはなきれーだね!」
どうやら、エーメ並木に続いて庭園がイルーシャのお気に入りになったようだ。このあたりは、大人のイルーシャと好みは変わっていないようである。
「陛下、キース様、おはようございます。できましたら、イルーシャ様のお相手をお願いしたく存じますが、よろしいでしょうか」
「ああ、いいぞ」
「もちろん、そのつもりで来たからね」
リイナの願いを二人は快く引き受けた。……もとより、そのつもりがなければここにはいないはずの二人なのだが。
「おまえ達もここで控えていろ」
「はっ」
三人はリイナと近衛騎士達を残してその場を離れた。
「きれーい」
爽やかな風に吹かれて、花々が揺れる。
その様子をイルーシャが目を輝かせて見ていた。
「ねーねー、おはな、もらっていーい?」
「ああ、いいぞ」
「わあいっ」
カディスの返事にイルーシャが両手を挙げて喜ぶ。
イルーシャは興味津々な様子で辺りを見回していたが、なにを思ったのか手近な樹によじよじと登り始めた。
「危ないよ」
キースが慌てて声をかける。
「だいじょぶー」
そう言うと、イルーシャは樹にしがみついたまま静止した。
「?」
もしかして降りられなくなったのかと思って二人が内心ハラハラして見ていると、ふいにイルーシャが言った。
「みてみてー、いるーしゃ、かぶとむしー」
イルーシャの突飛な言動に、キースは思わず噴き出した。
「可愛い……っ、可愛すぎる」
腹を抱えて笑うキースに舌打ちすると、カディスはイルーシャを樹から引きはがした。
「まったくお転婆がすぎるぞ。なにをやってるんだ、おまえは」
「やーん、かでぃすのいじわるぅ」
舌っ足らずなその声に、カディスは思わず固まった。その間にもカディスに羽交い締めされた格好でイルーシャがじたばた暴れる。
「……カディス、今変なことを考えただろ」
「い、いや、そんなことはないぞ」
「いいや、絶対考えた。今の言葉を大人のイルーシャに言わせたいとか考えただろ」
「はなして、はなしてえ」
「……」
カディスは一瞬赤くなると、イルーシャを地面に降ろした。
「……カディス、言っておくけど今のイルーシャは三歳なんだからね」
「あ、ああ、分かっている」
狼狽えたようにカディスが頷くと、イルーシャは二人を置いて、てってっと駆けだした。
「あ、イルーシャ」
「危ないぞ」
二人が慌てて追いかけると、イルーシャは開けた場所の芝生に膝をつくところだった。
「ねーねー、みてて、みててー」
今度はなにをする気だと二人がイルーシャに注目する。
「ぜんてーん」
そう言うと、イルーシャは芝生に手をつき、前に回り始めた。
……前転、というより前転もどき。はっきり言うと、体が斜めになって回り切れていない。
それでも、イルーシャは前転を試みる。
慌てたのは傍にいる二人で、一斉に叫びだした。
「イルーシャ!」
「見える! やめろ!」
二人に大声で止められて、イルーシャはようやく止まった。
「ふあ?」
イルーシャが芝生に座り込んだまま二人の方を向く。
乱れたドレス、覗く白い脚。
乱れて顔にかかった一房の髪、紅潮した頬、半開きの唇。
「……っ」
幼児とは思えない色気に、二人が絶句する。弱冠三歳でこれとは末恐ろしい。
「かでぃす、きいす、どしたの?」
イルーシャが小首を傾げて聞いてきたことで、ようやく二人は我に返る。
「イルーシャ、その格好で前転はやっちゃ駄目だよ」
「いや、その前に姫がそういうことをやるな」
二人に駄目だしされて、イルーシャは大きな瞳を見開く。
「……おひめさま、ぜんてんやらない?」
「やらないよ」
「ああ、やらないな」
「……そっかー」
イルーシャが眉を下げて、残念そうに呟く。
「ぜんてん、みえるからだめ?」
「……っ、ああ、だめだ」
カディスは一瞬言葉に詰まると頷いた。
「なにがみえるの?」
「イルーシャ、それは聞いちゃ駄目だよ」
キースは有無を言わせない笑顔で言った。
いくら小さくても、イルーシャに下着が、などと言えるわけがない。
「?」
イルーシャは不思議そうに首を傾げていたが、やがて不承不承頷いた。
「わかったー。いるーしゃ、ぜんてんやらないよー」
「うふふふふ」
少し離れた場所でその様子を観察している者がいた。侍女長のリイナだ。
彼女は諜報用の魔法眼鏡を外すと嬉しそうに笑った。ちなみに魔法眼鏡とは離れた場所の映像と音声を送る魔法器具だ。
「三歳でもお二人を悩殺されるなんて、さすがイルーシャ様ですわ」
有能とされる侍女長の実益をかねた趣味が覗きであるとは、周囲にはあまり知られていない。唯一、接点の多い近衛騎士達だけが自分達の団長の奥方の趣味を知っていると言えた。
「……リイナ様、楽しそうですね……」
団長もすごい方を奥方にしてるなあと近衛騎士達はダリルの胆力に感心していた。
リイナに庭園に連れてきてもらったイルーシャは先を争うようにして現れた二人に挨拶した。
「おはよう、イルーシャ」
「ああ。イルーシャ、今日は元気そうだな」
昨日家が恋しくて泣いたイルーシャは、今日はにこにこと機嫌がよさそうだ。
「うんっ。おはなきれーだね!」
どうやら、エーメ並木に続いて庭園がイルーシャのお気に入りになったようだ。このあたりは、大人のイルーシャと好みは変わっていないようである。
「陛下、キース様、おはようございます。できましたら、イルーシャ様のお相手をお願いしたく存じますが、よろしいでしょうか」
「ああ、いいぞ」
「もちろん、そのつもりで来たからね」
リイナの願いを二人は快く引き受けた。……もとより、そのつもりがなければここにはいないはずの二人なのだが。
「おまえ達もここで控えていろ」
「はっ」
三人はリイナと近衛騎士達を残してその場を離れた。
「きれーい」
爽やかな風に吹かれて、花々が揺れる。
その様子をイルーシャが目を輝かせて見ていた。
「ねーねー、おはな、もらっていーい?」
「ああ、いいぞ」
「わあいっ」
カディスの返事にイルーシャが両手を挙げて喜ぶ。
イルーシャは興味津々な様子で辺りを見回していたが、なにを思ったのか手近な樹によじよじと登り始めた。
「危ないよ」
キースが慌てて声をかける。
「だいじょぶー」
そう言うと、イルーシャは樹にしがみついたまま静止した。
「?」
もしかして降りられなくなったのかと思って二人が内心ハラハラして見ていると、ふいにイルーシャが言った。
「みてみてー、いるーしゃ、かぶとむしー」
イルーシャの突飛な言動に、キースは思わず噴き出した。
「可愛い……っ、可愛すぎる」
腹を抱えて笑うキースに舌打ちすると、カディスはイルーシャを樹から引きはがした。
「まったくお転婆がすぎるぞ。なにをやってるんだ、おまえは」
「やーん、かでぃすのいじわるぅ」
舌っ足らずなその声に、カディスは思わず固まった。その間にもカディスに羽交い締めされた格好でイルーシャがじたばた暴れる。
「……カディス、今変なことを考えただろ」
「い、いや、そんなことはないぞ」
「いいや、絶対考えた。今の言葉を大人のイルーシャに言わせたいとか考えただろ」
「はなして、はなしてえ」
「……」
カディスは一瞬赤くなると、イルーシャを地面に降ろした。
「……カディス、言っておくけど今のイルーシャは三歳なんだからね」
「あ、ああ、分かっている」
狼狽えたようにカディスが頷くと、イルーシャは二人を置いて、てってっと駆けだした。
「あ、イルーシャ」
「危ないぞ」
二人が慌てて追いかけると、イルーシャは開けた場所の芝生に膝をつくところだった。
「ねーねー、みてて、みててー」
今度はなにをする気だと二人がイルーシャに注目する。
「ぜんてーん」
そう言うと、イルーシャは芝生に手をつき、前に回り始めた。
……前転、というより前転もどき。はっきり言うと、体が斜めになって回り切れていない。
それでも、イルーシャは前転を試みる。
慌てたのは傍にいる二人で、一斉に叫びだした。
「イルーシャ!」
「見える! やめろ!」
二人に大声で止められて、イルーシャはようやく止まった。
「ふあ?」
イルーシャが芝生に座り込んだまま二人の方を向く。
乱れたドレス、覗く白い脚。
乱れて顔にかかった一房の髪、紅潮した頬、半開きの唇。
「……っ」
幼児とは思えない色気に、二人が絶句する。弱冠三歳でこれとは末恐ろしい。
「かでぃす、きいす、どしたの?」
イルーシャが小首を傾げて聞いてきたことで、ようやく二人は我に返る。
「イルーシャ、その格好で前転はやっちゃ駄目だよ」
「いや、その前に姫がそういうことをやるな」
二人に駄目だしされて、イルーシャは大きな瞳を見開く。
「……おひめさま、ぜんてんやらない?」
「やらないよ」
「ああ、やらないな」
「……そっかー」
イルーシャが眉を下げて、残念そうに呟く。
「ぜんてん、みえるからだめ?」
「……っ、ああ、だめだ」
カディスは一瞬言葉に詰まると頷いた。
「なにがみえるの?」
「イルーシャ、それは聞いちゃ駄目だよ」
キースは有無を言わせない笑顔で言った。
いくら小さくても、イルーシャに下着が、などと言えるわけがない。
「?」
イルーシャは不思議そうに首を傾げていたが、やがて不承不承頷いた。
「わかったー。いるーしゃ、ぜんてんやらないよー」
「うふふふふ」
少し離れた場所でその様子を観察している者がいた。侍女長のリイナだ。
彼女は諜報用の魔法眼鏡を外すと嬉しそうに笑った。ちなみに魔法眼鏡とは離れた場所の映像と音声を送る魔法器具だ。
「三歳でもお二人を悩殺されるなんて、さすがイルーシャ様ですわ」
有能とされる侍女長の実益をかねた趣味が覗きであるとは、周囲にはあまり知られていない。唯一、接点の多い近衛騎士達だけが自分達の団長の奥方の趣味を知っていると言えた。
「……リイナ様、楽しそうですね……」
団長もすごい方を奥方にしてるなあと近衛騎士達はダリルの胆力に感心していた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
339
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる