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第2話

出会い(2)

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「あれは……」

 池からやや離れたところにその人物はいた。木の陰に身を隠すその人物の熱心な視線が向けられているのは、全裸で泳ぐアーチ──ではなく、岩に立てかけられている聖剣ヴァーエイルだった。

 遊泳するアーチと、岩の上に座り込んで休憩するパラァ。二人ともすっかり気が緩んでいる。聖剣が不用心に放置されていることを確認すると、息を殺して潜んでいた人影がごくりと生唾を飲み込んで一歩踏み出す。

 姿勢を低くし、足音を立てないよう一歩一歩ゆっくりと足を進めて行く。時折木の陰に隠れて様子を伺いつつ着実に距離を詰める。ついには聖剣まであと十数歩のところまで接近した。

 ここまで近づくと、岩の陰になってアーチの姿は見えなくなる。岩の上のパラァも背を向けていて完全に気を抜いている。そろりそろりと忍び足で背後に迫る人影に気付く様子はなかった。

 聖剣の柄を握ろうと手が延ばされる。その指先は緊張で震えていた。

 それが良くなかった。震える指が誤って柄を突いてしまい、ヴァーエイルが傾いていき岩の肌を滑る。

 拾おうとしたが遅かった。がしゃり、と大きな金属音が池のほとりに響いた。

「えっ!?」

「やばっ!」

 パラァが音に驚いて振り返る。その瞬間、謎の人物は聖剣を拾い上げ踵を返して脱兎のごとく走り去って行った。

「ちょっ、待ちなさい!」

「どうしたのパラァ」

「剣が盗まれたのよ!」

「はぁ!?」

 アーチが慌てて陸に上がると、聖剣を抱えて森の中へ消えていく背中が一瞬だけ見えた。

「おい待てぇ!」

 遠くなる背中に怒鳴る付けるが当然止まるわけがない。アーチは慌てて追いかけようと駆け出す──一糸纏わぬ姿で。

「ちょっと裸で追いかけるつもり!?」

「ああそっか。でも急がないと逃げられちゃうし」

「わたしが行くから! アーチは服着てから来なさい!」

 そう言ってパラァは弾かれたような勢いで飛翔し、窃盗者を追いかける。

 標的はすぐに見つかった。思いのほか小柄なうしろ姿を捕捉する。両手で剣を抱えているせいで走りづらいのか、速度はそれほどでもない。さらに森の中の移動に慣れていないのか、木の根に何度も躓きそうになっていた。

「森での追いかけっこなら負けないわよ!」

 対照的に森で育ったパラァは軽やかに木々を交わしながら着実に近付いていく。追いつくまでにはそう時間は掛からなかった。

「その剣を返しなさーい!」

 パラァが叫ぶと、声の近さに驚いたのか、逃走者は反射的に背後を振り向く。すぐ背後にパラァが迫っていることに気付くと「くっ」と唸り左へと曲がり方向転換した。パラァもそれに追走する。

「……子供?」

 振り返った時に一瞬だけ見えた顔。それはまだあどけなさを残した少年の相貌だった。しかし子供だからといって泥棒を見逃す理由にはならない。

 パラァは追いかけるだけでは埒が明かないと判断し、速度を上げて少年を頭の上から追い越した。ある程度先回りすると、木から伸びる一本の細い枝の先端を掴む。

「ふん~っ!」

 後方に思いっ切り引っ張る。すると枝は弓のように大きく撓った。

 少しして足音と荒い息遣いが聞こえてきた。聖剣を両手でしっかり抱えながら、必死の形相で走る少年が現れた。前方に潜むパラァには気付かずに。

 少年が接近するタイミングを見計らい、パラァは枝から手を離した。大きく反っていた枝はパチンコの要領で弾かれ、全力疾走していた少年の顔面に命中した。

「ぐあっ!?」

 直撃を食らった少年は間抜けな悲鳴を上げて仰向けに転倒した。両手が離され、ヴァーエイルが地面に投げ出される。

「やった!」

「痛ってぇ~!」

 顔面を手で覆い悶絶する少年。そこに「おーい」と声が聞こえてきた。

「パラァどこー?」

「アーチ! こっちよ!」

 パラァの声に誘われ、アーチが小走りでやって来た。

「大丈夫だった?」

「ご覧の通りよ」

 依然として悶える少年と、足元に転がる聖剣。アーチはすぐさま状況を察した。

「やるじゃんパラァ! いえーい!」

「これくらい当然よ」

 アーチは手のひらを前に出し、パラァもそれに応え二人はハイタッチを交わした。

 するとパラァはそこでようやくアーチの格好に気付いた。

「──って何よその恰好!」

 アーチは素肌にシャツを羽織っただけでボタンも閉めておらず、下は下着を履いただけの中途半端な姿をしていた。しかも急いでいたせいで体は完全に乾いていないため、せっかく羽織ったシャツも薄っすらと濡れて透けてしまっていた。ある意味全裸より煽情的な服装だった。

「だって急いで追いかけなきゃだったし」

「だからって適当すぎでしょ!」

 二人がそんなやり取りをしている隙に、少年は起き上がり一目散に逃げだした。

「あっ! こら!」

「逃がさない!」

 アーチはヴァーエイルを拾い上げすぐさま〈符律句〉を描く。

「〈符律句〉第二十番、捕縛の相!」

 聖剣の刀身から鎖が射出される。鎖は少年の体に巻き付き、がっちりと拘束した。

「うわぁっ!」

 体の自由を奪われた少年は再び倒れた。

「はいはい大人しくする」

「くそぉ……」

「敵じゃなさそうだけど、話は聞かせてもらおうか。どうしてあたしの剣を?」

「それは……」

「ちょっと待って、その前にその恰好をどうにかしなさいよ」

「え、まだそれ言う?」

「言うわよ! 相手は子供とはいえ男なんだから!」

「おれは子供じゃない!」

 地面に転がったまま少年は抗議の声を上げる。一般的な大人とは程遠い、あどけなさの残る声。子ども扱いに反発する物言いそのものも未熟さをおのずと証明していた。ザブン村の子供たちに比べれば年上ではあるが、少なくともアーチよりは年下であることは確実だった。年齢にして十三、四といったところだろう。

「あーじゃあとりあえずさっきのところに戻って着替えるか。泥棒くん、そのまましばらく引きずって行くけど勘弁してね。パラァ、道わかる?」

「まかせて」

 宣言通りアーチは捕獲した少年を鎖に繋いだ状態で連行しながら来た道を戻った。その間、少年は観念したように大人しかった。

「やれやれ、せっかく汗流したのにまた汗かいちゃったよ」

「アーチ大変!」

 先導していたパラァが、池に戻るなり慌てて振り返った。

「どうしたの!?」

 アーチもあとから追いかけ森を抜けると、そこに広がっていた光景に愕然とした。

 猪だ。

 さっき撒いたはずの猪二頭が水辺に集まっていた。

 しかも猪たちは──アーチが脱ぎ捨てたショートパンツに食らいついていた。逃げられた鬱憤を晴らすかのように左右から引っ張り合い、ついにはびりびりと引き裂かれてしまった。報復に満足したのか、猪たちはそのまま森の奥へと消えていった。
 無惨に散らばる衣服の残骸の前でアーチは立ちすくむ。

「どーしよ、これ」

「ひどい有様ね……」

 呆然とするアーチは改めて己のあられもない姿を確認して溜め息を吐く。

「さすがにこの恰好でコッパ村に行くわけにもいかないし……」

 アーチの呟きに、引きずられていた少年が顔を上げた。

「コッパ村? うちの村に何か用?」

「何、あんたコッパ村の人?」

「まあ、一応」

 少年は横目でアーチを見て、その半裸姿に赤面して目を逸らしながら続ける。

「服が必要なら、おれのマジェットでなんとかできるかもしれないけど」

「ほんと?」

「待ってアーチ。こんなこと言って、どうせ逃げるつもりよ」

「もう逃げないって! 反省してるから、本当に……」

 鎖でぐるぐる巻きにされた少年は地面に横たわりながら消沈する。悲壮感漂うその姿に、アーチはなんだか少年のことが不憫に思えてきた。

「うーん、じゃあお願いしようかな」

「本気!?」

「大丈夫だって。その代わり、次なんかしでかしたら縛るだけじゃすまないかんね。あとこっちは見ないこと」

「わ、わかったよ」

「よし、じゃあ解除するから」

 アーチがヴァーエイルの魔石に触れると、少年を縛っていた鎖が光の粒子となって四散した。拘束から解放された少年は「ちょっと待ってて」と地べたに胡坐をかいた。パラァが警戒心を込めた目で少年を見張る。今のところ逃げ出す様子はなかった。

 少年は左腕を胸の前に掲げる。前腕部分には青色の魔石が嵌め込まれた手甲が装着されていて、側面に細い溝があった。その溝から一枚の白い紙がぺらりと排出され、少年はそれは引き抜くとテキパキと慣れた手つきで折り始めた。肩越しに見物するアーチは、職人のような淀みのない少年の手さばきに目を見張る。

「おお、なんかすごい」

 何をやっているのかはわからないが、一枚の紙だったものが別の形に作り上げられていく工程は見ごたえがあった。

「できた!」

 完成したそれは女性が着るワンピースタイプの服だった。

「それをどうすんの?」

「うん、これを……」

 説明しよとすると、少年はアーチの顔がいつの間にか間近に接近していたことに気付いて首を不自然に反らせた。

「え、えっと、両手を上に上げて」

「こう?」

「それっ!」

 アーチが言われるままに手を上げると、少年は紙のミニチュアワンピースを上に投げた。

 するとワンピースが瞬時に巨大化した。実際の人間サイズに変化したワンピースは、ひらひらと舞い降り万歳ポーズをしてたアーチにすっぽりと覆い被さった。袖に腕が通り、襟から頭を覗かせる。純白のワンピースを身に纏ったアーチがその場でくるりと一回転する。スカートがひらりと舞い上がり、満開の笑顔が咲いた。

「いいじゃんめっちゃカワイイ! ちょっとごわごわするけど」

「へぇ、意外と似合ってるわね」

「まあそれなら裸でいるよりはマシなんじゃないの」

 少年は青黒い髪を掻きながら照れ隠しの軽口を叩いた。

「すごいじゃん。これがそのマジェットの力?」

「そう、おれの〈シャットシュット〉は魔力で出来た紙を折ることで色んな力が使えるんだ」

「へ~、あたしのヴァーエイルとちょっと似てるかも」

「ヴァーエイル! やっぱりその剣は〈聖剣ヴァーエイル〉なんだ!」

 ヴァーエイルの名を聞いた途端、少年は目を輝かせた。アーチはこの顔に見覚えがあった。ドルクと出会った時のロウルの顔だ。憧れと相対した時の輝きが少年の目に宿っていた。

「これのこと知ってるの?」

「当たり前だろ。人魔大戦の時に英雄が使っていた伝説の聖剣。それがヴァーエイルだ」

「やっぱ人魔大戦って有名なんだね」

「有名も何も常識だろ、人として」

「あはは、ソーダネー」

 何ひとつとして知らなかったアーチは目を逸らした。

「ていうか、なんであんたみたいな痴女が聖剣を持ってるんだ?」

「痴女言うな。これには色々と事情があって──」

 そらからアーチは昨日の出来事を語った。

 村を訪れた英雄。

 両親の過去と英雄との関係。

 村を襲撃した魔獣。

 そして、魔族の復活。

 粗方語り終えたアーチはふうと息を吐いた。

「そんなわけで、あたしたちはこれから魔族の復活を阻止しに行こうってわけ」

「魔族の復活……そりゃただ事じゃないな」

「で、今はお母さんが遺したっていうものを探しにコッパ村を目指してたところ」

「余計な足止めを食らうことになったけどね」

「それはもういいじゃんパラァ。なんだかんだで村の住人に会えたんだし。ってことで、せっかくだから案内てもらえる? コッパ村に」

「でもおれ……いや、わかった。そういうことなら」

「よし決まり! あたしはアーチ。そっちは?」

「おれの名前はミョウザ。よろしく」

 折り紙少年──ミョウザが微笑んだ。
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