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第三章―1
初デートの興奮とときめきと少しの物足りなさを抱えたまま、ふわふわ悶々とした日曜を過ごして迎えた週明け。
いつもの秘書仕様に表情筋をこねくり回して整えて出勤した鞠花は、いつものように真面目に仕事に取り組みつつも、昼休みのチャイムが鳴るのを今か今かと待ちわびていた。
なにしろ隼人から外ランチに誘われているのだ。
出勤前にスマホを確認したら、朝一番でこんなメッセージが届いていた。
『今日は一日内勤予定だから、外でランチをとろう』
『店はこっちで予約しとくから、近くのコンビニで落ち合おう』
『間違っても浜中は呼ばないように』
絵美里などを交えた社食ランチは何度も経験しているが、外の店で、しかも二人きりなんて初めてだ。
予約のいる店なら他の社員に会うこともないだろうし、別々に帰れば仲を疑われる可能性も低くなる。仮に二人でいるところを見とがめられても、戻る途中で一緒になったとか、たまたま同じ店だったとか、いくらでも言い訳はできる。
……ただ、以前ほど周囲に交際がバレることを恐れたりはしていない。
あの一度のデートだけで、どれだけ彼が真剣に自分との交際に臨んでいるか、大切にしたいと思っているかを痛いほど感じたおかげで、彼との身分差に引け目を感じなくなったというか、愛されているからこその自信が芽生えた感じがするのだ。
身体を重ねられなかったのはやっぱり残念だったが、健全なデートも悪くなかった。
むしろ過去の交際経験におけるデートは、ベッドに至るまでのプロセスの一つでしかない、形式的でつまらないものだったと気づいたのだから、ある意味では有意義な一日だったと言える。
それに、あの様子では次のデートではきっと――……とあらぬ方向に思考が走りそうになったのを、小さくかぶりを振って追い払って黙々とキーを叩いていると、有馬がオフィスに現れた。
アンダーフレームの銀縁眼鏡にタイトなスーツが似合う怜悧な男で、常務のみならず重役たちからも信頼の厚い先輩秘書だ。
同じ上司に仕える者という点では同僚だが、実質的な上司である。
「黒田、ちょっといいか?」
「あ、はい。今週の会議のスケジュール調整は終わっています。議事録はもう少しお待ちください」
「ああ、いや。仕事のことじゃなくて……」
有馬は何やら逡巡した様子で視線をさまよわせたのち、絞り出すように告げた。
「その、たまには飯でも食いながら話をしようかと……」
「ランチミーティングということでしょうか?」
「ま、まあ、そんなところだが、そこまで堅苦しいものじゃない。業務外での交流もたまには必要かと思っただけだ」
超のつく仕事人間の有馬から仕事以外の話題を振られたのは初めてで、一体何が飛び出すのか不安だったが、まさかランチに誘われるとは予想もしていなかった。
しかし、飲み会だって時間と金の無駄と一刀両断するような男が、ランチミーティングもどきを計画するとは一体どんな風の吹き回しなのか。
有馬のことだから業務外と言いつつ、結局仕事の話しかしなさそうな気がするし、仮に世間話のようなものをするとしても、プライベートがほぼ謎の包まれている彼と、一体何を話せいいのか見当もつかない。
「……私の他にどなたをお誘いしているんですか?」
「いや、この機会に黒田とサシで、腹を割った話がしたいと思っている」
「はあ……」
有馬には何か思うところがあるのかもしれないが、鞠花には腹を割りたい理由はない。
もしかしたらランチを口実に口説かれているのかも、と一瞬よぎったが、あの有馬に限ってそれはないと打ち消す。隼人の件でちょっと調子に乗っているようだ。
やっぱり仕事の話か、あるいは恋愛相談あたりが妥当だろう。
「えっと、申し訳ありませんが、今日は先約がありまして――」
「そうか。なら、明日はどうだ?」
「え……」
また後日、と流そうとしたのに、グイッと食い下がってきた。
そこまでしてサシでランチがしたいという熱量はどこからくるのか。
当初の予想通り口説かれるのであれば、下手に誘いに乗らずここでノーを突き付けなければ後々面倒なことになる。隼人に有馬と二人きりのところを見られでもしたら、修羅場確定だ。
「あの……私、今お付き合いしている人がいまして。仲を取り持ってくれた共通の友人が社内にいるので、他の男性と一緒にいるところを見られたら、浮気だと誤解されかねません。なので、サシでのランチはお断りさせてください」
「そ、そうなのか……それは失礼した」
相手の存在は性別すらもぼかしたが、それ以外に嘘はつかずにきっちりお断りすると、彼は呆然とした顔をしながらもあっさり引き下がった。
引き際を心得ているのか、はたまたそこまで鞠花を口説く熱量を持っていなかったのか。
どちらにせよ、これ以上食い下がられたら自分一人で対処しきれないところだった。
しかし、いくら気のない相手とはいえ上司をぶった切ったまま放置、というわけにもいかない。
「ああ、その代わりと言ってはなんですが、来週のノー残業デーに秘書課だけでプチ忘年会をやるんです。翌日も仕事なので皆さんお酒をセーブしてますし、有馬さんもいかがですか?」
「……考えておく」
業務外の交流云々を建前にランチに誘ったためか、いつものように無駄と一刀両断できず、物凄い渋い顔をしながら前向きな返事をして去っていった。
彼が自分の秘書室に戻ったのを確認し、今まさに取ったばかりの言質を秘書課女子のグループチャットに投げかけると、まだ就業時間中だと言うのに高速でレスが飛んできた。
『嘘ぉぉぉ! 有馬さん忘年会来るの!? マジで!?』
『え? え? やばい、どうしよう、嬉しくて爆発する!』
『ファインプレイよ、黒田さん。ぜひ会費奢らせて』
有馬仁は実は、秘書課女子から絶大な人気を誇る超モテ男だ。
普段から仕事以外の付き合いをシャットアウトする彼と、お近づきになる千載一遇のチャンスの到来に、チャットルームは喜びと興奮で混沌の渦と化している。
席の近い同僚は、こっそり身を乗り出してサムズアップしてくる始末。
(有馬さん……なんで私に興味持ったのかよく分かりませんけど、どうぞこの中からいいお相手を見つけて、私のことはきれいさっぱり忘れて幸せになってくださいね!)
いい笑顔でスマホを仕舞い、再びタスクの消化に集中した。
いつもの秘書仕様に表情筋をこねくり回して整えて出勤した鞠花は、いつものように真面目に仕事に取り組みつつも、昼休みのチャイムが鳴るのを今か今かと待ちわびていた。
なにしろ隼人から外ランチに誘われているのだ。
出勤前にスマホを確認したら、朝一番でこんなメッセージが届いていた。
『今日は一日内勤予定だから、外でランチをとろう』
『店はこっちで予約しとくから、近くのコンビニで落ち合おう』
『間違っても浜中は呼ばないように』
絵美里などを交えた社食ランチは何度も経験しているが、外の店で、しかも二人きりなんて初めてだ。
予約のいる店なら他の社員に会うこともないだろうし、別々に帰れば仲を疑われる可能性も低くなる。仮に二人でいるところを見とがめられても、戻る途中で一緒になったとか、たまたま同じ店だったとか、いくらでも言い訳はできる。
……ただ、以前ほど周囲に交際がバレることを恐れたりはしていない。
あの一度のデートだけで、どれだけ彼が真剣に自分との交際に臨んでいるか、大切にしたいと思っているかを痛いほど感じたおかげで、彼との身分差に引け目を感じなくなったというか、愛されているからこその自信が芽生えた感じがするのだ。
身体を重ねられなかったのはやっぱり残念だったが、健全なデートも悪くなかった。
むしろ過去の交際経験におけるデートは、ベッドに至るまでのプロセスの一つでしかない、形式的でつまらないものだったと気づいたのだから、ある意味では有意義な一日だったと言える。
それに、あの様子では次のデートではきっと――……とあらぬ方向に思考が走りそうになったのを、小さくかぶりを振って追い払って黙々とキーを叩いていると、有馬がオフィスに現れた。
アンダーフレームの銀縁眼鏡にタイトなスーツが似合う怜悧な男で、常務のみならず重役たちからも信頼の厚い先輩秘書だ。
同じ上司に仕える者という点では同僚だが、実質的な上司である。
「黒田、ちょっといいか?」
「あ、はい。今週の会議のスケジュール調整は終わっています。議事録はもう少しお待ちください」
「ああ、いや。仕事のことじゃなくて……」
有馬は何やら逡巡した様子で視線をさまよわせたのち、絞り出すように告げた。
「その、たまには飯でも食いながら話をしようかと……」
「ランチミーティングということでしょうか?」
「ま、まあ、そんなところだが、そこまで堅苦しいものじゃない。業務外での交流もたまには必要かと思っただけだ」
超のつく仕事人間の有馬から仕事以外の話題を振られたのは初めてで、一体何が飛び出すのか不安だったが、まさかランチに誘われるとは予想もしていなかった。
しかし、飲み会だって時間と金の無駄と一刀両断するような男が、ランチミーティングもどきを計画するとは一体どんな風の吹き回しなのか。
有馬のことだから業務外と言いつつ、結局仕事の話しかしなさそうな気がするし、仮に世間話のようなものをするとしても、プライベートがほぼ謎の包まれている彼と、一体何を話せいいのか見当もつかない。
「……私の他にどなたをお誘いしているんですか?」
「いや、この機会に黒田とサシで、腹を割った話がしたいと思っている」
「はあ……」
有馬には何か思うところがあるのかもしれないが、鞠花には腹を割りたい理由はない。
もしかしたらランチを口実に口説かれているのかも、と一瞬よぎったが、あの有馬に限ってそれはないと打ち消す。隼人の件でちょっと調子に乗っているようだ。
やっぱり仕事の話か、あるいは恋愛相談あたりが妥当だろう。
「えっと、申し訳ありませんが、今日は先約がありまして――」
「そうか。なら、明日はどうだ?」
「え……」
また後日、と流そうとしたのに、グイッと食い下がってきた。
そこまでしてサシでランチがしたいという熱量はどこからくるのか。
当初の予想通り口説かれるのであれば、下手に誘いに乗らずここでノーを突き付けなければ後々面倒なことになる。隼人に有馬と二人きりのところを見られでもしたら、修羅場確定だ。
「あの……私、今お付き合いしている人がいまして。仲を取り持ってくれた共通の友人が社内にいるので、他の男性と一緒にいるところを見られたら、浮気だと誤解されかねません。なので、サシでのランチはお断りさせてください」
「そ、そうなのか……それは失礼した」
相手の存在は性別すらもぼかしたが、それ以外に嘘はつかずにきっちりお断りすると、彼は呆然とした顔をしながらもあっさり引き下がった。
引き際を心得ているのか、はたまたそこまで鞠花を口説く熱量を持っていなかったのか。
どちらにせよ、これ以上食い下がられたら自分一人で対処しきれないところだった。
しかし、いくら気のない相手とはいえ上司をぶった切ったまま放置、というわけにもいかない。
「ああ、その代わりと言ってはなんですが、来週のノー残業デーに秘書課だけでプチ忘年会をやるんです。翌日も仕事なので皆さんお酒をセーブしてますし、有馬さんもいかがですか?」
「……考えておく」
業務外の交流云々を建前にランチに誘ったためか、いつものように無駄と一刀両断できず、物凄い渋い顔をしながら前向きな返事をして去っていった。
彼が自分の秘書室に戻ったのを確認し、今まさに取ったばかりの言質を秘書課女子のグループチャットに投げかけると、まだ就業時間中だと言うのに高速でレスが飛んできた。
『嘘ぉぉぉ! 有馬さん忘年会来るの!? マジで!?』
『え? え? やばい、どうしよう、嬉しくて爆発する!』
『ファインプレイよ、黒田さん。ぜひ会費奢らせて』
有馬仁は実は、秘書課女子から絶大な人気を誇る超モテ男だ。
普段から仕事以外の付き合いをシャットアウトする彼と、お近づきになる千載一遇のチャンスの到来に、チャットルームは喜びと興奮で混沌の渦と化している。
席の近い同僚は、こっそり身を乗り出してサムズアップしてくる始末。
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