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第495話 雅なクマちゃん。リオとマスター。二つの王城。
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高貴なるクマちゃんは、ゆったりと猫手を動かし、言った。
「クマちゃ……」
どうぞ……と。
◇
歴史や伝統を感じさせる厳かな空間。
――に見えるが、実際は完成して数時間な王城風医務室の一室。
やわらかな陽が、繊細なカーテン越しに、彼らに癒しを贈っている。
壁一面の大窓から見える、白亜のバルコニーの手すりには、白い小鳥が二羽止まっていた。
高貴なるクマちゃんは、優しい白に包まれた夢の中からふわりと意識を覚醒させた。
ぱちり、と開いたつぶらな瞳が、大好きな彼を探す。
目の前には、着心地の良さそうな黒いシャツ。
湿ったお鼻がきゅ、と鳴る。
すると、大きな手が羽のようなふとんを避け、ふわふわと背をなでてくれた。
嬉しくなったクマちゃんは、もこもこ、と体を動かし、仰向けになって彼の手を捕まえた。
しばしの間、彼の長い指をかみしめ、ふんふんと鼻を鳴らし、朝の挨拶を交わす。
ルークの指が、クマちゃんの鼻にとん、とふれる。
彼からの『おはよう』に、クマちゃんも上品にきゅ、とこたえた。
◇
クマちゃんは、すでに美しい身をさらに整える前に、やるべきことがあると気がついた。
なんと、仲良しのリオちゃんが、まだ眠っているのだ。
金髪の彼は、仰向けで、いつものように顔に腕をのせ、目元を隠している。
部屋の中から、ぱら、と紙をめくる音がする。
ハッとして視線を向ける前に、窓の外から密やかな小鳥の歌が聞こえてきた。
なるほど……。
クマちゃんは深く頷いた。
高貴可憐なるクマちゃんの、雅やかな歌声でリオちゃんを起こしてあげよう。
◇
さんざん夜更かしをして、横になったのは朝だった。
リオはまだ、深い眠りの中にいた。
夢かうつつか、小さく紙をめくる音と小鳥のさえずり、子猫の鼻息のようなものが聞こえる。
心地好い癒しの気配が、ふわふわとまぼろしのように、彼の意識にふれてくる。
――あと三十分、いや、あと二時間は寝れる。
ぼんやりとした頭が、男を幸福な二度寝へといざなう。
そんなふうに、リオがもう一度、深き眠りの世界まで二時間の小旅行に行こうとしていた時だった。
リオの鼓膜を、謎めいた調べが揺らした。
「くまちゃーん」
起きてはりますかー。
「なに今の」
起きていなかったはずの男が、カッと目を開く。
リオは耳元の、妙に雅やかな鳴き声を響かせる獣を見た。
「くまちゃ……」
お目覚めやす……。と、雅やかなもこもこは、おっとりした口調で言った。
白き猫手をそっと口元に添え、
「くまちゃ……」お起きやす……と。
「『やす』」リオは一番気になる箇所を繰り返した。「『やす』」
いつも通り可愛いが、耳と心が違和感を叫んでいる。
やすって何。
彼が雅な謎を解く前に、『真っ白で愛くるしいが、何かが変』なもこもこは、麗しの魔王様の手で、もふ……と連れ去られてしまった。
「…………」リオは無言のまま、着替えと毛繕いのために浴室の方へ向かった一人と一匹を追った。
その途中、「『やす』って何」と誰にも分からぬ答えを、死にかけの死神に訊いてみた。
死神からの応えは、貴様に欠けているものだ――であった。
◇
「俺に欠けてる『やす』って何」とリオが南国の鳥に尋ね、「それは……僕の口からはとても言えない『やす』だね……」と深刻な顔でおちょくられる数時間前のこと。
王都の高台には、雪白の王城が悠然とそびえ立っていた。
王城では、深刻と思しき問題に、深刻に向き合えないという問題が発生していた。
カツン、カツン、と硬質な音が西塔警備司令室の円卓から響いている。
漆黒の万年筆が意味もなく、艶やかな木目に何度も叩きつけられる。
最年少騎士は、あれ、という顔で、神経質そうな騎士を見た。
「先輩、いつもなら『あのイライラに同意する』っていうのに、今日は嫌そうな顔をしていませんね」
「それをここで言うのはやめたまえ! カツカツに聞こえたらどうする!」
神経質そうな騎士は、より聞こえてはまずそうな発言をした。
運が良かったのか、今現在円卓をカツカツしている上官に気づかれることはなかった。
最年少騎士曰く、よく他人をイライラの渦に巻き込むカツカツが、突然カツ――と止んだ。
「南にも北にも連絡がつかん。いったいどうなっている……あいつらはどうして戻ってこない?」
万年筆を片手に呟いたのは、王宮第二騎士団の第一副団長だった。
第二騎士団の騎士によって起こされたのは、二時間ほど前のことだ。
副団長は自分でも驚くほど、起きたくなかった。
だがそうも言っていられず、現状を確認し、指示を出したのだ。
南と北、どちらの魔道通信にも反応はなかった。
それぞれの塔への連絡役として、二人はきびきびと出て行ったはずだが、何の音沙汰もない。
すでに一時間以上は経過していた。
「司令室の方々と同じように、二度寝をしているんじゃないでしょうか?」
と最年少騎士が、石造りの床に転がる第四騎士団の第一副団長を手のひらで示す。
神経質そうな騎士は、口から出かかっていた『同意する』をぐっとのみこんだ。
血走った目で『やめろ!』と訴えた。
そうして、何事もなかったかのようにきりりと進言した。
「副団長、やはり東塔にも連絡をしたほうが」
「……まさか、誰も連絡をしていないのか?! ……まぁ、王宮の近衛は、第二が全員でかかっても倒せないようなクソ野郎ばかりだが」
副団長は一瞬『馬鹿な! どれだけ時間が経ったと思っている!』という顔をした。
が、すぐに万年筆で円卓をカツ、とやりはじめた。
王の護衛はもっとクソ野郎だがな、と呟きながら。
「……いま、まさか『クソ野郎』とおっしゃいましたか?」
神経質そうな騎士は、普段は仏頂面で隙を見せない上官の、意外どころではない一面に、信じられないという顔で答えた。
さすがにクソには同意しかねる、という顔だった。
そのまま再度、姿勢を正す。
「万が一ということもありますので」
「ありえん。奴らは不死身だ」
カツ、カツ、の拍に合わせ、試しに後ろから斬りかかってみろ、と副団長は言った。
神経質そうな騎士は、少しのあいだ目をつぶり、小声で意見を述べた。
「その行いこそが『クソ野郎』なのでは……」
◇
王都の王城で、騎士道精神に反する発言をしていた副団長が、王城警備に関わる魔道具を扱う〈王宮第二特殊魔導士団〉の副団長を叩き起こしていた頃。
高貴なるクマちゃんがベッドで休んでいる間、王の護衛にはまた別の問題が起きていた。
王弟から命を受け、仲間を探しに廊下を進む男もまた、例の道を通り、同じものを見たのだ。
真面目な護衛が進行方向、左斜め前方の壁に視線を向ける。
護衛の目に、とんでもない張り紙が飛び込んだ。
――王家の指輪、貸し出し中、ご自由におつかいくだちゃい――。
「ばっ、は、はぁ?! ご自由におつかいくだちゃい?!」
荒げた声は、同じ廊下で扉を護る護衛達まで届いた。
「おつかいくだ〝ちゃい〟?」
「あいつ、今『ちゃい』っていったか?」
思わず声に出すが、王の護衛とは、いついかなる時も冷静でなくてはならない。
彼らは揃って警護に戻った。
「異常なし」
◇
国王の寝室に酷似した部屋の中。
美人な王弟はのんびりとした口調で言った。
「廊下で叫んだのってあいつだよなぁ」
王弟は銀製のカトラリーを手に、愛くるしいコネコを模した冷菓を掬い上げ、静かに口に運んだ。
薄藍のサングラスの奥で、高貴な色味の瞳がゆるりと隠れ、二度またたく。
一人で広い室内を警戒する護衛が、「は」と応答した。
「おそらく、ですが……」
あれだけ叫べば一般の兵士でも聞こえるだろう。
と護衛は思った。
同じく王族を護る者としての付き合いはあるが、おかしな悲鳴を上げているのは聞いたことがない。
少々、いや、本人に『おつかいくだちゃい』と言った真意を問いたいぐらいには気になる。
いつから、赤子の言葉を使うようになったのかと。
『廊下で叫んだ護衛』の相方である男は、王弟が小さな銀食器で妖精に冷菓を食べさせているのを、少々険しい顔で眺めていた。
『赤ちゃん言葉は、人に聞かれないようにしろ』
同僚への伝え方を、険しい表情のまま考えた。
いや、自分の口からはとても言えない。
ならば『くだちゃい』に手紙を……いや『キュウリ』から伝えてもらうか。
険しい顔の護衛は頭の中で、仲間の護衛に失礼なあだ名をつけていた。
◇
眠っていた間の出来事を知らないクマちゃん達は、相変わらずまったりと過ごしていた。
高貴なるもこもこクマちゃんが、威厳を宿すテーブルで仕事を片付けるマスターを、じっと見つめる。
視線に気づいた渋い男は「ん? どうした白いの」と目元を和ませた。
深い樫樹のテーブルに、宮廷芸術を思わせるマグカップが置かれている。
丸い耳がついた白磁のカップからは、ほのかに湯気がくゆっていた。
クマちゃんは、白き猫手をすいと持ち上げた。
ルークの大きな手が、もこもこした口元へそっと、マグカップを運ぶ。
チャ……チャ……と心地好い音が広がる。
クマちゃんの白猫のごとき前腕が、空をかくように動いた。
もどかしげな猫のような姿に、それを凝視していたリオは、ぼそりと呟いた。
「牛乳飲んでるだけなのに可愛い……」
天鵞絨が張られた長椅子で、気配を殺していたクライヴが「天上の音色――」と冷徹な声を漏らした。
牛乳を飲んでいる『だけ』ではない。
そういう意味らしかった。
ハッと顔を上げたクマちゃんは、高貴なる子猫のような声音で、リオに常識を教えた。
「くまちゃーん……」
モーニングミールークー……。
ちょうど向かい側でモーニングコーヒーを飲んでいたマスターは、ごほっ、とむせた。
リオは、耳の中に猫の長鳴きを『ニィャァーォァー』と直接吹き込まれたような顔で、正直に答えた。
「牛乳だよね」
それから少しのときが流れ、派手な男に連れ去られた正直者は、雅な部屋に帰って来た。
「マスター王様と王弟クンってほっといていいの?」
真っ当な疑問に、マスターは書類の処理をしながら答えた。
「そのまま帰すわけにもいかんだろ」
さっきも言ったと思うが、と。
渋い声は苦みを吐き出すようだった。
王都には暗殺者を雇った人間がいるのだ。
暗殺者のほうは、白いのがとんでもない方法で締め上げたが、黒幕はまだ王城にいるに違いない。
今頃、城内の人間から情報を引き出そうと動いているはずだ。
まぁ、王族が揃って空の上にいることなど、誰も知らないわけだが。
マスターがそんなふうに考えていると、闇色の球体がテーブルから大きな気泡のように現れた。
闇は処理済みの書類を飲み込み、また、新しい山を築いた。
「怖い怖い……つーか減ってなくね?」とリオが言うのと、マスターが万年筆で金髪を狙うのは同時であった。
「暴力じゃん!」
叫んだリオの膝に、もふり……と愛らしき白がのる。
クマちゃんは仰向けで、ふわふわなお腹を存分に見せつけ、短いあんよをピピピ! と動かした。
「やばいやばいクマちゃんその動きで金貨稼げるよ」と言った金髪は、ルーク様のコツンで静かになり、部屋が静かなことに気づいたクマちゃんが、猫手をくいくいと動かす。
「クマちゃ……」
宮廷音楽ちゃんをどうぞ……。
『高給取りになれる動き』をしたクマちゃんによって呼び出されたのは、なんでも映る掲示板だった。
「それさ、マジで良いもん映んないよね」
リオの言葉を証明するかのように、クマちゃんの掲示板に、眠り込んでいる騎士達が映る。
騎士達の口から『ごぉぉ……』と、地鳴りにも似た音楽が響いた。
正直者は感じるままに尋ねた。
「クマちゃん『いびき』って知ってる?」
「クマちゃ……」
どうぞ……と。
◇
歴史や伝統を感じさせる厳かな空間。
――に見えるが、実際は完成して数時間な王城風医務室の一室。
やわらかな陽が、繊細なカーテン越しに、彼らに癒しを贈っている。
壁一面の大窓から見える、白亜のバルコニーの手すりには、白い小鳥が二羽止まっていた。
高貴なるクマちゃんは、優しい白に包まれた夢の中からふわりと意識を覚醒させた。
ぱちり、と開いたつぶらな瞳が、大好きな彼を探す。
目の前には、着心地の良さそうな黒いシャツ。
湿ったお鼻がきゅ、と鳴る。
すると、大きな手が羽のようなふとんを避け、ふわふわと背をなでてくれた。
嬉しくなったクマちゃんは、もこもこ、と体を動かし、仰向けになって彼の手を捕まえた。
しばしの間、彼の長い指をかみしめ、ふんふんと鼻を鳴らし、朝の挨拶を交わす。
ルークの指が、クマちゃんの鼻にとん、とふれる。
彼からの『おはよう』に、クマちゃんも上品にきゅ、とこたえた。
◇
クマちゃんは、すでに美しい身をさらに整える前に、やるべきことがあると気がついた。
なんと、仲良しのリオちゃんが、まだ眠っているのだ。
金髪の彼は、仰向けで、いつものように顔に腕をのせ、目元を隠している。
部屋の中から、ぱら、と紙をめくる音がする。
ハッとして視線を向ける前に、窓の外から密やかな小鳥の歌が聞こえてきた。
なるほど……。
クマちゃんは深く頷いた。
高貴可憐なるクマちゃんの、雅やかな歌声でリオちゃんを起こしてあげよう。
◇
さんざん夜更かしをして、横になったのは朝だった。
リオはまだ、深い眠りの中にいた。
夢かうつつか、小さく紙をめくる音と小鳥のさえずり、子猫の鼻息のようなものが聞こえる。
心地好い癒しの気配が、ふわふわとまぼろしのように、彼の意識にふれてくる。
――あと三十分、いや、あと二時間は寝れる。
ぼんやりとした頭が、男を幸福な二度寝へといざなう。
そんなふうに、リオがもう一度、深き眠りの世界まで二時間の小旅行に行こうとしていた時だった。
リオの鼓膜を、謎めいた調べが揺らした。
「くまちゃーん」
起きてはりますかー。
「なに今の」
起きていなかったはずの男が、カッと目を開く。
リオは耳元の、妙に雅やかな鳴き声を響かせる獣を見た。
「くまちゃ……」
お目覚めやす……。と、雅やかなもこもこは、おっとりした口調で言った。
白き猫手をそっと口元に添え、
「くまちゃ……」お起きやす……と。
「『やす』」リオは一番気になる箇所を繰り返した。「『やす』」
いつも通り可愛いが、耳と心が違和感を叫んでいる。
やすって何。
彼が雅な謎を解く前に、『真っ白で愛くるしいが、何かが変』なもこもこは、麗しの魔王様の手で、もふ……と連れ去られてしまった。
「…………」リオは無言のまま、着替えと毛繕いのために浴室の方へ向かった一人と一匹を追った。
その途中、「『やす』って何」と誰にも分からぬ答えを、死にかけの死神に訊いてみた。
死神からの応えは、貴様に欠けているものだ――であった。
◇
「俺に欠けてる『やす』って何」とリオが南国の鳥に尋ね、「それは……僕の口からはとても言えない『やす』だね……」と深刻な顔でおちょくられる数時間前のこと。
王都の高台には、雪白の王城が悠然とそびえ立っていた。
王城では、深刻と思しき問題に、深刻に向き合えないという問題が発生していた。
カツン、カツン、と硬質な音が西塔警備司令室の円卓から響いている。
漆黒の万年筆が意味もなく、艶やかな木目に何度も叩きつけられる。
最年少騎士は、あれ、という顔で、神経質そうな騎士を見た。
「先輩、いつもなら『あのイライラに同意する』っていうのに、今日は嫌そうな顔をしていませんね」
「それをここで言うのはやめたまえ! カツカツに聞こえたらどうする!」
神経質そうな騎士は、より聞こえてはまずそうな発言をした。
運が良かったのか、今現在円卓をカツカツしている上官に気づかれることはなかった。
最年少騎士曰く、よく他人をイライラの渦に巻き込むカツカツが、突然カツ――と止んだ。
「南にも北にも連絡がつかん。いったいどうなっている……あいつらはどうして戻ってこない?」
万年筆を片手に呟いたのは、王宮第二騎士団の第一副団長だった。
第二騎士団の騎士によって起こされたのは、二時間ほど前のことだ。
副団長は自分でも驚くほど、起きたくなかった。
だがそうも言っていられず、現状を確認し、指示を出したのだ。
南と北、どちらの魔道通信にも反応はなかった。
それぞれの塔への連絡役として、二人はきびきびと出て行ったはずだが、何の音沙汰もない。
すでに一時間以上は経過していた。
「司令室の方々と同じように、二度寝をしているんじゃないでしょうか?」
と最年少騎士が、石造りの床に転がる第四騎士団の第一副団長を手のひらで示す。
神経質そうな騎士は、口から出かかっていた『同意する』をぐっとのみこんだ。
血走った目で『やめろ!』と訴えた。
そうして、何事もなかったかのようにきりりと進言した。
「副団長、やはり東塔にも連絡をしたほうが」
「……まさか、誰も連絡をしていないのか?! ……まぁ、王宮の近衛は、第二が全員でかかっても倒せないようなクソ野郎ばかりだが」
副団長は一瞬『馬鹿な! どれだけ時間が経ったと思っている!』という顔をした。
が、すぐに万年筆で円卓をカツ、とやりはじめた。
王の護衛はもっとクソ野郎だがな、と呟きながら。
「……いま、まさか『クソ野郎』とおっしゃいましたか?」
神経質そうな騎士は、普段は仏頂面で隙を見せない上官の、意外どころではない一面に、信じられないという顔で答えた。
さすがにクソには同意しかねる、という顔だった。
そのまま再度、姿勢を正す。
「万が一ということもありますので」
「ありえん。奴らは不死身だ」
カツ、カツ、の拍に合わせ、試しに後ろから斬りかかってみろ、と副団長は言った。
神経質そうな騎士は、少しのあいだ目をつぶり、小声で意見を述べた。
「その行いこそが『クソ野郎』なのでは……」
◇
王都の王城で、騎士道精神に反する発言をしていた副団長が、王城警備に関わる魔道具を扱う〈王宮第二特殊魔導士団〉の副団長を叩き起こしていた頃。
高貴なるクマちゃんがベッドで休んでいる間、王の護衛にはまた別の問題が起きていた。
王弟から命を受け、仲間を探しに廊下を進む男もまた、例の道を通り、同じものを見たのだ。
真面目な護衛が進行方向、左斜め前方の壁に視線を向ける。
護衛の目に、とんでもない張り紙が飛び込んだ。
――王家の指輪、貸し出し中、ご自由におつかいくだちゃい――。
「ばっ、は、はぁ?! ご自由におつかいくだちゃい?!」
荒げた声は、同じ廊下で扉を護る護衛達まで届いた。
「おつかいくだ〝ちゃい〟?」
「あいつ、今『ちゃい』っていったか?」
思わず声に出すが、王の護衛とは、いついかなる時も冷静でなくてはならない。
彼らは揃って警護に戻った。
「異常なし」
◇
国王の寝室に酷似した部屋の中。
美人な王弟はのんびりとした口調で言った。
「廊下で叫んだのってあいつだよなぁ」
王弟は銀製のカトラリーを手に、愛くるしいコネコを模した冷菓を掬い上げ、静かに口に運んだ。
薄藍のサングラスの奥で、高貴な色味の瞳がゆるりと隠れ、二度またたく。
一人で広い室内を警戒する護衛が、「は」と応答した。
「おそらく、ですが……」
あれだけ叫べば一般の兵士でも聞こえるだろう。
と護衛は思った。
同じく王族を護る者としての付き合いはあるが、おかしな悲鳴を上げているのは聞いたことがない。
少々、いや、本人に『おつかいくだちゃい』と言った真意を問いたいぐらいには気になる。
いつから、赤子の言葉を使うようになったのかと。
『廊下で叫んだ護衛』の相方である男は、王弟が小さな銀食器で妖精に冷菓を食べさせているのを、少々険しい顔で眺めていた。
『赤ちゃん言葉は、人に聞かれないようにしろ』
同僚への伝え方を、険しい表情のまま考えた。
いや、自分の口からはとても言えない。
ならば『くだちゃい』に手紙を……いや『キュウリ』から伝えてもらうか。
険しい顔の護衛は頭の中で、仲間の護衛に失礼なあだ名をつけていた。
◇
眠っていた間の出来事を知らないクマちゃん達は、相変わらずまったりと過ごしていた。
高貴なるもこもこクマちゃんが、威厳を宿すテーブルで仕事を片付けるマスターを、じっと見つめる。
視線に気づいた渋い男は「ん? どうした白いの」と目元を和ませた。
深い樫樹のテーブルに、宮廷芸術を思わせるマグカップが置かれている。
丸い耳がついた白磁のカップからは、ほのかに湯気がくゆっていた。
クマちゃんは、白き猫手をすいと持ち上げた。
ルークの大きな手が、もこもこした口元へそっと、マグカップを運ぶ。
チャ……チャ……と心地好い音が広がる。
クマちゃんの白猫のごとき前腕が、空をかくように動いた。
もどかしげな猫のような姿に、それを凝視していたリオは、ぼそりと呟いた。
「牛乳飲んでるだけなのに可愛い……」
天鵞絨が張られた長椅子で、気配を殺していたクライヴが「天上の音色――」と冷徹な声を漏らした。
牛乳を飲んでいる『だけ』ではない。
そういう意味らしかった。
ハッと顔を上げたクマちゃんは、高貴なる子猫のような声音で、リオに常識を教えた。
「くまちゃーん……」
モーニングミールークー……。
ちょうど向かい側でモーニングコーヒーを飲んでいたマスターは、ごほっ、とむせた。
リオは、耳の中に猫の長鳴きを『ニィャァーォァー』と直接吹き込まれたような顔で、正直に答えた。
「牛乳だよね」
それから少しのときが流れ、派手な男に連れ去られた正直者は、雅な部屋に帰って来た。
「マスター王様と王弟クンってほっといていいの?」
真っ当な疑問に、マスターは書類の処理をしながら答えた。
「そのまま帰すわけにもいかんだろ」
さっきも言ったと思うが、と。
渋い声は苦みを吐き出すようだった。
王都には暗殺者を雇った人間がいるのだ。
暗殺者のほうは、白いのがとんでもない方法で締め上げたが、黒幕はまだ王城にいるに違いない。
今頃、城内の人間から情報を引き出そうと動いているはずだ。
まぁ、王族が揃って空の上にいることなど、誰も知らないわけだが。
マスターがそんなふうに考えていると、闇色の球体がテーブルから大きな気泡のように現れた。
闇は処理済みの書類を飲み込み、また、新しい山を築いた。
「怖い怖い……つーか減ってなくね?」とリオが言うのと、マスターが万年筆で金髪を狙うのは同時であった。
「暴力じゃん!」
叫んだリオの膝に、もふり……と愛らしき白がのる。
クマちゃんは仰向けで、ふわふわなお腹を存分に見せつけ、短いあんよをピピピ! と動かした。
「やばいやばいクマちゃんその動きで金貨稼げるよ」と言った金髪は、ルーク様のコツンで静かになり、部屋が静かなことに気づいたクマちゃんが、猫手をくいくいと動かす。
「クマちゃ……」
宮廷音楽ちゃんをどうぞ……。
『高給取りになれる動き』をしたクマちゃんによって呼び出されたのは、なんでも映る掲示板だった。
「それさ、マジで良いもん映んないよね」
リオの言葉を証明するかのように、クマちゃんの掲示板に、眠り込んでいる騎士達が映る。
騎士達の口から『ごぉぉ……』と、地鳴りにも似た音楽が響いた。
正直者は感じるままに尋ねた。
「クマちゃん『いびき』って知ってる?」
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