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魔王を殺した勇者の顔色が優れない

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 やっと、やっと追い詰めた。

 僕は今、魔王城の最奥に足を踏み入れた。

 ただの村人だった僕が、何の因果か勇者に選ばれてしまい、最初はどうしたものかと困り果てたものだけれど、世界を守るため、僕の大切な仲間や家族を守るために魔王を倒す決心をした。

 これまで数々の苦難を乗り越えてきた。
 強敵との戦い。仲間の死。

 後悔することはたくさんあるけれど、失ってきたもののためにも、今、僕はこの手でこの戦いに終止符を打つ。

「残虐非道な魔王よ。お前が今まで殺して来た人々の恨みを、今ここで晴らし、平和な未来を手に入れて見せる!」

 僕は聖剣を魔王に向けて宣誓する。
 たとえ相手が魔王だろうと、正々堂々と戦って勝つ。それが、勇者たる僕の役目だ。

 魔王はぐおっと立ち上がる。

 普通の人なら正対しただけでのけぞってしまいそうな威圧感。人間の形はしているが、人間ではあり得ないほどの巨体に、凶悪さを表すような黒い角。

 まさしくこの男こそ、魔王というものだろう。

「……………………」

 魔王は僕をジッと見つめ、フッと緊張を緩めたかと思うと、どこからか杖を顕現させる。臨戦態勢。

 何も言わないのは、どこからでも掛かってこいという意思表示だろうか。

 魔王や魔族がどうしてそこまで残酷になれるのかとか、人間と分かり合うことは出来なかったのかとか、語り合ってみたいこともたくさんあった。

 けれど仮に彼らに事情があったところで、もはや引き返せないところまで来ている。魔王を討たないことには、この戦争を終わらせることなんて出来ないだろう。講和を結んだって、誰も納得してくれない。

 だから、語り合わないで良かったのかもしれない。もしも魔王に、一滴でも正義があれば、僕の決心が鈍ったかもしれないから。

 いや、それはあまりにも希望を持ち過ぎか。

 魔族がやってきたことを考えれば、彼らがおおよそまともな神経など持ち合わせているはずがない。語り合ったところで、怒りに囚われる可能性の方が高いだろう。

 だから僕は、目の前の魔王を最後まで憎き相手だと思って剣を振ることにした。

 これが、人類の命運を賭けた戦いだ。
 勇者と魔王の死闘が、今ここに――。





 ずぶり、と手の中の感触に僕は戸惑う。
 明らかに心臓を貫いた感触だった。

 この聖剣で貫かれた傷は、魔法でも簡単には治らない。
 どんなに頑張ったって、傷が治るより死ぬ方が早いだろう。

 おかしい……。なんだ? なにがあるんだ……?

 あまりにもあっさりと、あまりにも簡単に魔王を殺してしまった。

 魔王の四天王などはかなりの強敵で、戦うたびに生死の境を彷徨うような怪我をした。

 その頂点にいる魔王が、何でこんなに弱い……?

「や、やりました! やりましたよ、勇者様!」

 聖女が叫ぶ。

 死んでいなければ大抵の傷は治してしまう彼女は、まさに聖女と呼ぶに相応しい実力を持っている。

 その彼女の言葉に、やっと僕は、魔王を殺したんだと理解する。理解はするのだが、実感が全くなかった。

「気を抜くな!」

 ビクッとして顔を上げると、賢者が叫んでいた。

 白ひげを蓄えたその老人は、全ての英知を極めたと言われるほど攻撃魔法に長けている。
 その長い経験から、この戦いがまだ終わっていないことを悟ったのだろう。

 僕も変だとは思っていたが、その一喝で気を取り直し、魔王への警戒を続ける。

 すると……。

 ジュウウウウ!

 魔王の身体から煙が立ち込めてきた。

「やはりか!」と聖騎士が盾を構え、僕たちを守るように前に出る。

 どんな攻撃にも耐えて見せると豪語する彼は、都市を一撃で吹き飛ばしたドラゴンの攻撃も三度耐えて見せた。僕も何度か命を救われているし、聖女との組み合わせはまさしく『壁』といった有り様だ。

 警戒する僕たちだったが、魔王は起き上がるでもなく、煙を巻き上げながら、その身体を縮めて行く。

 そしてそこに現れたのは……。

「少女…………?」

 僕はぼんやり呟いた。
 そこにあったのは、少女の死体だった。

 胸を貫かれた傷はそのまま残っているので、この女の子が魔王の正体だったのだろう。
 あの禍々しい姿は仮のものだったというのか?

 でもこれじゃあまるで……。

 人間みたいじゃないか。

『お兄ちゃん……』

「え…………?」

 突如聞こえた声に僕は周囲を見回す。

 けれどパーティメンバー以外は誰もいないし、そのパーティメンバーですら、僕が聞いた声に気づいていない様子だ。突然きょろきょろし出した僕を訝しげに見ている。

『お兄ちゃん、私ね、魔族とか、人間とか、そういうのどうでもいいと思うんだ』

「あ……が……ぐ、あああああああ!」

「ど、どうしたのですか、勇者様!」

「勇者!」

「勇者どの!」

 突然の頭痛に僕は頭を抱える。

 パーティメンバーが僕の身体を支えようとするが、僕はその手から逃れるように振り払って、頭を抱えてうずくまる。

『朝起きたらお兄ちゃんがいて、おはようって言い合えて、夜寝る時にはお兄ちゃんにおやすみなさいって、笑い合えるような日常があれば、それで満足なんだ』

「あ、あ……ああぁ……!」

 なんだ、これは……? なんだ……? なんなんだ?

『人類のためとか、世界のためとか言われてもよく分からないけど、私はただ、お兄ちゃんと平和に暮らしていけるのが、幸せなんだ』

 少女が僕に微笑む。
 これは、夢……? いや、記憶……か?

『だからお兄ちゃんは、戦わなくて良いんだよ』

 記憶の中の少女が僕の手を握る。
 勇者の力が目覚めたばかりで、まだ戦う力もなく、戦うことに怯える僕を励ますように。

『魔族が襲ってきたらどうするの?』

 僕は聞く。

 ああ、ここは、僕の村だ。僕の生まれ育って村で、僕は妹と話している。幸せそうな顔で。今のような殺伐としたことなんて、何も知らないように。

『そうしたら……うーん、私がなんとかするよ!』

『カレンが?』

 そう。カレンだ。僕の妹の名前はカレンという。

『カレンが魔族を倒してくれるの?』

『ううん。その時は、仲良くしましょ、って。魔族と握手して、一緒に畑を耕すの!』

『それは、難しいんじゃないかな……』

『難しくてもやるの! だって私たちが平和に暮らしたいんだもん、魔族だって、平和な方がいいよ』

『優しいね、カレンは』

『うん! だからね、お兄ちゃんが困ったら、いつでも呼んでね! 私が颯爽と駆け付けて、仲良くなれるように頑張るから!』

 そう、そうだ。僕はカレンのために、この世界を守ると決めたんだ。

 今では守りたいものが大分増えたけれど、それでも一番は、唯一の肉親であるカレンを守るために……。

「あ、が、あああああああああ!」

 記憶の再生は続く。

『やめろ、やめてくれっ!』

 目の前には火に包まれる村があった。
 そうだ、僕の村は、襲撃に遭って……。

 魔族め! 許さない! 皆殺しにしてやる!
 あれ……? でも待って。何で……なんで国軍の旗が……?

『ヒャッハー! 邪教徒どもめ! 殲滅してくれる!』

 国軍の騎士たちが、僕の村の人たちを次々と殺して行く。

 やめてくれ! 見たくない! 駄目だ! これ以上は……!

『お兄ちゃん! お兄ちゃん、助けて! お兄ちゃん!』

『カレン! カレン! た、頼む、放してくれ! カレンだけは、カレンだけは!』

 騎士に追い回されるカレンを助けようと手を伸ばす僕に、背中から圧力が掛かる。
 騎士二人がかりで地面に押さえつけられたのだ。

『邪教徒がどうなるかよく見ておくんだな!』

『違う! 僕たちは邪教徒なんかじゃ――』

『お兄ちゃん! いや、いやぁあ! 助けて、助けて、お兄ちゃん!』

『カレン! カレェン!』

 騎士に捕まったカレンは、そのまま圧し掛かられ、服をびりびりと破かれる。

『やめろ、カレンはまだ十二歳だぞ!』

『いや、いやだ、お兄ちゃん、怖いよぉ……! んん!』

 カレンの唇が男の唇で塞がれる。
 僕は滅茶苦茶に叫んで暴れるが、カレンを助けることは出来ずに……。








『邪教徒の村の生き残りか』

『はい。精神は壊してありますので、いかようにも』

 なんだ、これは……? 国王様と、宰相様?

 ここは、神殿か?
 村を滅ぼされ、意識を失った僕が運び込まれた場合だ。

『では、邪教徒狩りを魔族の仕業と思い込ませろ』

『はっ! しかしまさか、あの村の生き残りが勇者だとは……』

『騎士のストレスを晴らすにはちょうど良かったが、勇者を操るにはな……』

『しかし、精神はほとんど壊れてましたので、操り易くなったとも言えますな』

 これが……真実なのか……?

 僕の村は、もうずっと前に騎士たちによって滅ぼされていて、それは国王様や宰相様が指示したことだったのか?

 魔族の襲撃に遭った村を、騎士団が助けてくれたんじゃなかったのか……?

 魔族なんて関係なくて、ただただ醜い人間のエゴだったというのか……?

 もしかして、他の、魔族が行ったとされる残虐行為も、いくつかは国の……?

 じゃあ、僕は、この世で最も大切な、カレンを殺した奴らに操られ、あんな奴らのために死にもの狂いで戦っていたのか?

 僕は、倒れている魔王を呆然と見つめる。
 いや、魔王なんかじゃない。
 彼女は……。

「カレン……」

 かすれた声が、喉の奥から小さく漏れる。

 僕が……僕がこの手でカレンを殺めてしまったのか?

 ぽろぽろと涙がこぼれる。

 でも、どうしてカレンが魔王になんて……?

 僕は這いずる様にしてカレンの亡骸に辿り着き、抱きしめる。

 いまだに蒸発するように立ち上る煙は、カレンの最後の魔力の残滓だ。その中に、カレンの記憶が見え隠れした。

 僕が突然記憶を思い出したのも、カレンの記憶に触れたからだろう。







『ぐすっ! ぐすん……!』

 村だった焼け跡を前にして、カレンは座り込んで泣いていた。

 衣服は乱れ、幼い彼女にはあまりにも辛かっただろう経験をした後の記憶だろう。

 すぐにでも抱きしめてあげたいが、これは記憶なので、今の僕には介入出来ない。当時の僕はおそらく、勇者の力を発現して連れて行かれた後だろう。

『おい、娘』

 泣いているカレンの前に、一人の男が現れて声を掛ける。

 男を恐れているのだろう、カレンの肩がびくりと震え、顔を上げると、そこには……。

 アビス?!

 そこにいたのは僕もよく知った顔だった。
 アビスは魔王四天王の一人だ。

『………………っち!』

 アビスはカレンを見下ろして舌打ちすると、何も言わずに着ていた上着を彼女に着せた。

『行くところはあるのか?』

 アビスがカレンに問いかける。
 カレンはフルフルと首を左右に振って応えた。

『ならばついてこい』

 そう言ってアビスは手を差し出す。
 カレンはおっかなびっくりという様子でアビスの手を握り、二人は手を繋いでどこかに消えた。







 次に現れた記憶は魔王城の庭で、アビスとカレンが向き合っているところだった。
 カレンは剣を構え、アビスに斬りかかっている。

『もう限界だろう。そろそろ休んだらどうだ?』

 アビスが問う。
 カレンはフルフルと首を左右に振って、『……力がないと、守れないから』とぶっきらぼうに呟いた。

『…………そんなに大事か?』

『うん。お兄ちゃんは、絶対に生きてるから。私が助けてあげないといけないの』

『貴様の兄は人間だろう? 我らに牙をむいたらどうする? 兄と一緒に我らを殺すか?』

『ううん。お兄ちゃんなら大丈夫。アビスも、四天王のみんなも、優しくて良い人だって教えたら、きっと人間と魔族が一緒に暮らせる道を探してくれると思う』

『だと良いがな……』

 そんなやりとりをしながら、カレンは全力で斬りかかっている。
 力を求めて、幼いカレンが死に物狂いでアビスに鍛えてもらっている。







『どうしてっ!?』

 次の場面はカレンが机を叩いている瞬間だった。

『今なら人間も魔族も傷つかずに戦争をやめられるのに! どうして受け入れてくれないの!?』

 このときすでにカレンは魔王になっていたようだ。
 場にいる四天王たちが臣下の礼を見せている。アビスだけカレンの隣で対等な立場であるようだった。

『人間は我らを滅ぼさないと気がすまないのだろう』

『そんな……っ!』

『ペールの町を覚えているか? 貴様が慈悲をくれて助けてやった町だ』

『え? う、うん……』

『滅ぼされたらしいぞ、人間どもに』

『な、んで……? だって、人間の町だよ……?』

『極悪非道な魔族、ということにしておきたいんだろうな』

『それだけのために……っ!?』

『それだけのために同族の町を滅ぼすような気狂いどもと、講和をするのは無理だろう』

『で、でも……。だって!』

『とにかく攻めてくるなら殺さねばならぬ。指示をくれ』

『…………全軍、戦闘準備。北方に主力を展開……』

『『『っは!』』』

 苦渋に満ちた表情で人間と戦うことを決断するカレン。

 そうか……。カレンはあんな酷い目に遭わされても、みんなが傷つかないように、僕との平和な日常を取り戻すために、精一杯戦ってたんだ……。





『…………アビス、行くの?』

 次の場面でも辛そうな顔をしたカレンがいた。

『ああ。我が行かねば魔族は滅ぶ』

『…………………』

 何かを言い掛けては飲み込むということを繰り返すカレン。

『手心は加えぬ。いくら貴様の意に沿わぬことだろうとな』

『…………分かってる。気を付けてね。死なないで』

『分かっておる』

 アビスが消える。

 カレンはぐったりとした様子で椅子に腰かけると、両手を組み合わせて祈るように俯いた。

『ごめんね、みんな。私の……私のせいだよね。私が、お兄ちゃんを殺すって決断できなかったから、みんなを死なせちゃったんだよね。ごめんね、アビス。あなたに辛い役目を背負わせちゃったね。死なないでね……』

 ぽろぽろと涙をこぼすカレン。

『それでもお兄ちゃんに死んで欲しくないって思うのは、罪なのかなぁ……』

 疲れ果てたような表情だった。
 僕は嫌な予感がして、今はカレンの記憶の中にいるはずなのに、全身から汗が噴き出しているような気分だった。






『いやああああああああ! アビス! アビス! なんで! なんで!? 死なないって言ったじゃん! 死なないって約束したじゃん! アビスが、アビスがいなくなったら私、どうしたらいいの……? あぁ、何でこんなことになっちゃったのかな……。私、一人ぼっちだよ……』

 僕が……僕が、殺したんだ。
 辛い思いをしたカレンを救い、カレンの心の支えだった四天王のアビスを、僕が……僕がこの手で殺して、カレンから全てを奪ったんだ。

 そして、最後の記憶が訪れる。

『ああ、勇者が来たのか』

 カレンは玉座にぐったりと腰掛け、ぽつりと呟く。
 ついさっきの記憶だ。僕たちが魔王城に侵入したのを感知したのだろう。

『アビス……アビスの言った通りになったね。お兄ちゃんが私たちを殺しに来たよ。でも、私はみんなを裏切ったりしないから。私も魔王として勇者に殺されて、みんなのところに行くからね。お兄ちゃんは私のことなんて忘れちゃったみたいだし、いまさら憧れてた普通の幸せなんてありえないもんね。せめて、私を殺してお兄ちゃんは幸せになってくれるといいな。魔族は滅びるかもしれないけど、お兄ちゃんだけでも、幸せになってほしいな』

 カレンが立ち上がり、幻術を纏う。
 華奢な少女は、巨躯の魔王へと変身し、扉を開けて入ってきた僕たちを出迎える。

『残虐非道な魔王よ。お前が今まで殺して来た人々の恨みを、今ここで晴らし、平和な未来を手に入れて見せる!』

 何も知らない道化の僕が、誰よりも優しいカレンに向かって生ぬるい正義を吠えていた。

 
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