7 / 61
素直な兎
しおりを挟むそれから三日が経過した。
あれ以来ティナは青年に会うことはなかった。
青年は、ティナが逃げることを良く思っていないようで帰り際、玄関で釘を刺してきたが、その後音沙汰もないことからやはりあれはいわゆる一夜の過ち、というやつなのだろう。
ティナ自身彼と肌を合わせた、という自覚は全くないが朝起きたらティナは肌着のみ、青年に至っては裸のようだった。疑う余地もない。
それに、あの日はなんだか下半身が妙に痛かったような気もする。知らない間に処女を失っていたが、彼女にはにわかに信じられない。
自分がどうやって彼と体を重ねたのか気になるが、思い出したらとんでもなく恥ずかしくなりそうで、思い出さなくてもいいかな、と思っているティナだった。
その日は、少し遅くまで雑貨店の奥で作業をしていた。ティナは雑貨店て雇われている従業員である。
ティナの腕を買ったオーナーが、王都に来たばかりの、当時はまだ子供であった彼女を雇ったのだった。
もう遅いから早く帰んなさい、とオーナーの女性に声をかけられたティナは、熱心にレース編みをしていた手を止めて帰り支度を整えた。
気がつけば陽はとっくに沈み、夜が近づいてきている。
布で作った斜めがけカバンをかけて、裏手の扉を押し上げる。途端、びゅうと強い風が吹いてきた。初夏が近いとはいえ、春の夜の風はまだ冷たい。冷たい夜風に頬を叩かれたティナは乱れた前髪を抑えた。
「お仕事お疲れ様、いつもこんなに遅いの?」
強い風が吹き抜けたせいで目を瞑っていたティナの耳に、覚えのある声が聞こえてきた。
驚いて顔を上げると、そこには月光を浴びた青年が立っていた。
相変わらず美しい青年だ。
彼の銀髪は、月光を浴びて煌々と光っていた。宵闇には眩しすぎるその色彩は、しかし不思議と月夜に似合っていた。彼は、丈の長い黒の外套を羽織っていて、それが暗闇に同化している。
目を見開いて息を飲み、驚きを隠せないティナの表情を見て彼は苦笑した。
「そんな驚かせた?ここで働いてるって教えてくれたのはきみなのに」
確かにティナが教えた。
酒を飲みかわしながら、この雑貨店で働いているのだと。
……でも、なぜ彼は裏手にいるのだろうか?
それにいつから彼は、ティナを待っていたのだろう。
戸惑いを隠せない彼女に対し、青年は手を差し出した。
「ほら、帰ろう?」
……その声は、あまりにも優しくて、ティナはますます混乱する。
それにその手はとても冷たくて、もしや青年は長くここにいたのではないかとティナは考えた。
ティナと、この青年の関係はつい数日前に会ったばかり。知り合ったばかりだというのになぜ、彼はそんな優しい声を出すのだろう?
こんなに手が冷たくなるまで、ティナのことを待っていたのだろう?
目を丸くして動けないティナの手を、青年は勝手にとった。
そのまま、彼は歩き出し、それにつられてティナの足も動いた。
だけど、混乱は収まらない。
なぜここに?どうして?
そればかりが頭を占めるティナはパッと顔を上げた。その視線に気がついた青年は、前を向いていたが彼女の方を見た。ティナは必死に手を閉じたり開いたりしながら、ようやく彼に尋ねる。
「あのっ……!あなたのお名前はなんていうの?」
そして、ようやく彼の名前を尋ねたのだ。
ティナに名を尋ねられた彼は、その質問に驚きのためか目を見張った。
「……覚えてない?」
「……ごめんなさい」
「いや……どうりで呼ばないと思った。俺の名前を忘れてたんだね。いいよ」
彼はそう言うと、くい、とティナの手を引っ張った。
とん、とティナが彼の胸にぶつかる。彼はティナの片手を掴み、もう片方の手で彼女の腰を抱き寄せた。
あまりにも親密すぎる距離感に彼女が抵抗しようとしたその時。
彼はティナを真っ直ぐ見つめた。
「俺の名前はロベート。よろしくね、ティナ」
「……私の本名はティナディア・アメリアって言うの」
ティナ自身、なぜそう言ったか分からない。
だけど、当たり前のようにティナと呼ぶ彼はもしやティナのフルネームを知らないのではないかと思ったのだ。ティナの言葉に、青年……ロベートは少し驚いた様子を見せてから、また笑った。
「知ってるよ。あの日もきみはそうやって名乗ってたから」
「じゃあ、」
「俺はティナって呼びたいな。……だめ?」
初対面の異性に愛称を呼ばれるのは落ち着かない。男女問わず、愛称を呼ぶのは友人の同性か、よほど親しい異性の友人か、あるいは恋人だと決まっている。
昨日今日会ったばかりの異性が呼ぶものではない。
ティナはそう思ったが、もう今更かしら、とも考えた。思えば彼にはずっとティナと呼ばれていた。今更呼び名を変えるのも、きっと違和感がある。
ティナはおずおずと頷いた。
「分かったわ」
「ありがとう。きみに拒否されてもそうやって呼びそうだったから……助かった」
「あなたって、不思議なひとね。どうして私に構うの?」
ティナはそれが不思議でならなかった。
Ωより数の少ないαは常にΩから秋波を送られるものだし、とにかくΩが放っておかない存在だ。
ロレリーナはきっぱりと恋人以外は不要だと言い切っているため、言いよるΩは少ない方だが、あれは稀な例だろう。
それに、ロベートはティナが今まで見たことないほど美しい顔立ちをしている。第2性別関係なく、彼のような神秘的な美貌を持つ青年はフワロー以外でも常に望まれる立場だろう。
それがなぜ、ティナを?
ティナに構う彼の真意が分からず尋ねる彼女に、ロベートは彼女の手を持ちあげて、手の甲に口付けを落とした。
まるで、騎士の挨拶のようである。
ティナはその行動にぴしりと固まった。
50
あなたにおすすめの小説
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
英雄魔術師様とのシークレットベビーが天才で隠し通すのが大変です
氷雨そら
恋愛
――この魔石の意味がわからないほど子どもじゃない。
英雄魔術師カナンが遠征する直前、フィアーナと交わした一夜で授かった愛娘シェリア。フィアーナは、シェリアがカナンの娘であることを隠し、守るために王都を離れ遠い北の地で魔石を鑑定しながら暮らしていた。けれど、シェリアが三歳を迎えた日、彼女を取り囲む全ての属性の魔石が光る。彼女は父と同じ、全属性の魔力持ちだったのだ。これは、シークレットベビーを育てながら、健気に逞しく生きてきたヒロインが、天才魔術師様と天才愛娘に翻弄されながらも溺愛される幸せいっぱいハートフルストーリー。小説家になろうにも投稿しています。
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました
ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。
名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。
ええ。私は今非常に困惑しております。
私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。
...あの腹黒が現れるまでは。
『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。
個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。
混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない
三国つかさ
恋愛
竜人たちが通う学園で、竜人の王子であるレクスをひと目見た瞬間から恋に落ちてしまった混血の少女エステル。好き過ぎて狂ってしまいそうだけど、分不相応なので必死に隠すことにした。一方のレクスは涼しい顔をしているが、純血なので実は番に対する感情は混血のエステルより何倍も深いのだった。
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる