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過去と今 ⑶
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「わたしは……」
リズは混乱したように視線を忙しなくさまよわせた。あちこちに視線は移る。バルコニーの柱に向かい、休憩用の白い革張りのソファに向かい、ヴェートルの紺のサーコートの裾に向かい、最後に彼の目を見た。
とても、悲しげな瞳だと思った。
傷ついたのは、傷つけられたのは……。
これから、ヴェートルに傷つけられるのはリズなはずだ。
それなのに彼は、苦しみを帯びた瞳で彼女を見ていた。
やはり、何かが違うのではとリズは考えた。
だけど、それはおそらく、リズが消しされない巨大な恋心が見せる願望に過ぎない。
怖い。恐い。こわい。
信じて、裏切られることが──こわい。
彼を、あいしているから。
彼を、しんじているから。
だから。
「悪魔の……」
「……?」
「悪魔、の……儀式って……なんなの」
頼りない糸のように細い声だった。
声はふるえ、上ずり、嗚咽のようになっていた。リズがそんな声を出したことも初めてだが、彼はその言葉に気を取られたのだろう。
「悪魔の儀式……?」
「っ……!」
言うつもりはなかった。
彼に尋ねるなど、リズがなにかを知っていると教えるようなものだ。
だけど、気がついたら彼女は口にしていた。
彼はなぜ、そんなに悲しげな、苦しげな──傷ついたような、瞳をしているのに、リズを殺したのだろうか。
なぜ、リズを刺したのか。
彼女はそれを知りたかった。
だけど、それを尋ねることはできなくて代わりに口から零れ落ちたのが、その単語だったのだ。
「リズ、あなたは──」
ヴェートルは何か言いかけた。
息を飲んで、リズも彼の言葉を待った。
痛いくらいの緊張感が走る空気の中、それを壊すような軽やかな声が聞こえてくる。
「あら、こちらにいらっしゃったのですね?ヴェートル様」
「!」
驚きに息を飲んだのはリズだった。
はっとしてそちらを見ると、そこにいたのはビビアン・ビリー。
ヴェートルを追いかけて探してきたのだろう。その背後には、うんざりしたような、呆れたような顔をしたロビンの姿がちらりと見えた。
ビビアン・ビリーは月光に輝く銀髪をかきあげると、自信満々にヴェートルの隣に歩いていった。
リズなど目に入っていないかのようだ。
「お探ししましたのよ?」
声をかけられたヴェートルはじっとリズを見ていたが、やがてため息を吐き、目を閉じた。
「……なにか、ご用事が?」
「次の曲は、私の好きなワルツ曲ですのよ。ご一緒にいかが?」
「申し訳ありませんが、私はダンスが不得手ですので。ほかの方を誘ってはいかがですか?」
ヴェートルの声は固く、顔も無表情だ。
ふつうの令嬢ならそれだけで怖気付くものだがビビアンは慣れているのか、それとも精神がたくましいのか──その両方か。
堪えた様子もなく、彼の腕に手をかけた。
「あなたがよろしいのよ。わかっていらっしゃるでしょう?」
「ご令嬢、エスコート役の方はどうされました?」
「ビビアンと呼んで、と言ってるじゃない。今日のエスコートならお友達にお願いしましたけど、今はどこにいるか分かりませんわ。ね、ワルツが始まってしまうわ」
「エスコート役の方を探しますので、お名前は?」
「もう!そんなのどうでもいいと言ってるじゃない」
辟易とした様子を感じさせる疲労を帯びた声で、ヴェートルは淡々とビビアンの言葉を受け流した。リズはヴェートルのその様子を見ていたが、静かにドレスの裾をつまみ、礼をとる。
「失礼します」
「……リズ」
咎めるような声だ。
リズも、その声に逆らうことなく足を止めた。
少しだけ。ほんの……少しだけ。
彼を恐ろしいと感じる気持ちは薄くなっていた。
「私は……まだ、思い出にする気は……ないので」
ぽつりと、言葉をこぼす。
彼と視線を合わせることは出来なかったので、俯きながら。
そうだ、リズはまだ彼を過去にすることは出来ない。彼と向き合うことなく強引に終わりだと、強制的に終止符を打ってしまえば、きっとリズは後悔する。
なぜ、あの時聞かなかったのかと。
なぜあの時、尋ねるだけの勇気を持てなかったのかと。
延々と悩み悔やむことだけは今、ハッキリ分かっていた。
だからこそ、まだリズは終わらせることなどできなかった。
(あと少しだけ。
あと少ししたら……ちゃんと、私も覚悟を決めるから)
リズはそのままテラスに背を向けて、ホールへと戻った。
リズは混乱したように視線を忙しなくさまよわせた。あちこちに視線は移る。バルコニーの柱に向かい、休憩用の白い革張りのソファに向かい、ヴェートルの紺のサーコートの裾に向かい、最後に彼の目を見た。
とても、悲しげな瞳だと思った。
傷ついたのは、傷つけられたのは……。
これから、ヴェートルに傷つけられるのはリズなはずだ。
それなのに彼は、苦しみを帯びた瞳で彼女を見ていた。
やはり、何かが違うのではとリズは考えた。
だけど、それはおそらく、リズが消しされない巨大な恋心が見せる願望に過ぎない。
怖い。恐い。こわい。
信じて、裏切られることが──こわい。
彼を、あいしているから。
彼を、しんじているから。
だから。
「悪魔の……」
「……?」
「悪魔、の……儀式って……なんなの」
頼りない糸のように細い声だった。
声はふるえ、上ずり、嗚咽のようになっていた。リズがそんな声を出したことも初めてだが、彼はその言葉に気を取られたのだろう。
「悪魔の儀式……?」
「っ……!」
言うつもりはなかった。
彼に尋ねるなど、リズがなにかを知っていると教えるようなものだ。
だけど、気がついたら彼女は口にしていた。
彼はなぜ、そんなに悲しげな、苦しげな──傷ついたような、瞳をしているのに、リズを殺したのだろうか。
なぜ、リズを刺したのか。
彼女はそれを知りたかった。
だけど、それを尋ねることはできなくて代わりに口から零れ落ちたのが、その単語だったのだ。
「リズ、あなたは──」
ヴェートルは何か言いかけた。
息を飲んで、リズも彼の言葉を待った。
痛いくらいの緊張感が走る空気の中、それを壊すような軽やかな声が聞こえてくる。
「あら、こちらにいらっしゃったのですね?ヴェートル様」
「!」
驚きに息を飲んだのはリズだった。
はっとしてそちらを見ると、そこにいたのはビビアン・ビリー。
ヴェートルを追いかけて探してきたのだろう。その背後には、うんざりしたような、呆れたような顔をしたロビンの姿がちらりと見えた。
ビビアン・ビリーは月光に輝く銀髪をかきあげると、自信満々にヴェートルの隣に歩いていった。
リズなど目に入っていないかのようだ。
「お探ししましたのよ?」
声をかけられたヴェートルはじっとリズを見ていたが、やがてため息を吐き、目を閉じた。
「……なにか、ご用事が?」
「次の曲は、私の好きなワルツ曲ですのよ。ご一緒にいかが?」
「申し訳ありませんが、私はダンスが不得手ですので。ほかの方を誘ってはいかがですか?」
ヴェートルの声は固く、顔も無表情だ。
ふつうの令嬢ならそれだけで怖気付くものだがビビアンは慣れているのか、それとも精神がたくましいのか──その両方か。
堪えた様子もなく、彼の腕に手をかけた。
「あなたがよろしいのよ。わかっていらっしゃるでしょう?」
「ご令嬢、エスコート役の方はどうされました?」
「ビビアンと呼んで、と言ってるじゃない。今日のエスコートならお友達にお願いしましたけど、今はどこにいるか分かりませんわ。ね、ワルツが始まってしまうわ」
「エスコート役の方を探しますので、お名前は?」
「もう!そんなのどうでもいいと言ってるじゃない」
辟易とした様子を感じさせる疲労を帯びた声で、ヴェートルは淡々とビビアンの言葉を受け流した。リズはヴェートルのその様子を見ていたが、静かにドレスの裾をつまみ、礼をとる。
「失礼します」
「……リズ」
咎めるような声だ。
リズも、その声に逆らうことなく足を止めた。
少しだけ。ほんの……少しだけ。
彼を恐ろしいと感じる気持ちは薄くなっていた。
「私は……まだ、思い出にする気は……ないので」
ぽつりと、言葉をこぼす。
彼と視線を合わせることは出来なかったので、俯きながら。
そうだ、リズはまだ彼を過去にすることは出来ない。彼と向き合うことなく強引に終わりだと、強制的に終止符を打ってしまえば、きっとリズは後悔する。
なぜ、あの時聞かなかったのかと。
なぜあの時、尋ねるだけの勇気を持てなかったのかと。
延々と悩み悔やむことだけは今、ハッキリ分かっていた。
だからこそ、まだリズは終わらせることなどできなかった。
(あと少しだけ。
あと少ししたら……ちゃんと、私も覚悟を決めるから)
リズはそのままテラスに背を向けて、ホールへと戻った。
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