【R-18】【完結】皇帝と犬

雲走もそそ

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08.二番目の犬-3

「私のお願いを聞いてくれないのなら、あなたたちが私に少しずつ家のお金を持ち出させてることをお父様に言うわ」
「そ、それは……!」

 低く冷たく言い渡した彼女の表情は、後ろにいる兵士の方を向いているためファルハードには見えないが、兵士は顔が強張っている。
 どうやら、兵士複数名で、頭の足りない娘を操って小金を盗ませていたが、それを逆手に取られたようだ。娘なら将軍も許すだろうが、兵士の方は命がないだろう。
 もしかすると、幼いところがあるだけで、頭が足りないわけではないのかもしれない。

「お父様には秘密にするから」
「わ、わかりました……」

 兵士は脂汗を滲ませながら、牢の鍵を開けた。そして命じられるまま、ファルハードを狭い牢内から前室へ引きずり出した。
 もっと優しく扱えと娘に詰られている。

「全部外してあげるわね」

 娘はファルハードの傍へ膝をつき、口枷をまず外した。

「ああ……。強く締めすぎよ、口の端が切れてるじゃない」

 痛ましそうに、ファルハードの頬に手を添えて眉根を寄せる娘。
 ファルハードは、頭が回らないなりにも、彼女に憐れまれていることはよくわかった。なにが可哀想なのか。この女の父親の所業である。気まぐれに慈悲を与えて、良い事をした気にでもなりたいのか。頭の中がお花畑のお嬢様らしい思考だ。

 半分以上は彼女の父親への怒りだった。
 だが冷静さを欠き、危機に瀕し攻撃的になっていたファルハードは、口元にかかる彼女の指に狙いを定めた。

「あっ……!」

 ひと思いに噛みちぎってやる。
 首を動かし、獣のような敵意で娘の親指を奥歯で深く咥え、なけなしの力を込める。

「お嬢様!!」

 兵士が剣を抜いた。
 娘の指が無くなるのと、ファルハードの首が落とされるのと、どちらが先か。

「だめよ!」

 その時、娘が鋭い制止の声を発した。
 だが相手はファルハードではない。斜め後ろへ手を伸ばし、背後の兵士を止めている。
 戸惑いが、彼女の親指にかかるファルハードの力を無意識に緩めた。

 娘は危険を感じているはずなのに、微笑んでいた。

「いいわよ」

 もう一方の手が、ファルハードの首と、耳の後ろをゆっくりと撫でる。

「あなたに私が危険ではないとわかってもらえるなら、構わないわ」

 指を失っても構わないと、笑顔で覚悟を口にする娘にファルハードは気圧されていた。先ほどまで、ぼろぼろの体を突き動かしていた勢いが、挫かれてしまっている。
 同時に、冷静さを取り戻せた。この同情的な気味の悪い娘の指を食いちぎっては、地下牢の中だけでは済まない騒ぎになる。そうなれば、将軍はすぐにファルハードの息の根を止めるだろう。ファルハードはあの男に報復し、生き延びなくてはならない。

「あら、偉いわ」

 ファルハードは噛みついていた娘の指を解放した。口から出てきた彼女の右手の親指の付け根には、くっきりと歯形がついている。しばらく痕になるだろう。
 自分の白い手の噛み痕に目を向けることもなく、娘はファルハードの首をまた撫でた。子供のように頭を撫でるでもなく、なぜかまた首を。
 この娘は虜囚に親切らしい。しかし、どこか違和感がある。不気味さがある。その正体が、ファルハードにはまだ分からない。

「厨房でご飯をもらってこなくては……。あ、先に枷を外してあげないと」

 娘が見上げて視線で命じると、兵士は首を横に振った。

「できませんよ。牢から出して手足まで自由にしちゃ、そいつが逃げます」
「逃げてしまうのは困るわね」

 ファルハードに起き上がって歩く体力はもう残っていないが、敵としては当然の主張だ。娘もその点についてはすんなり納得した。

「でも手足は縛らなくて大丈夫よ。さっきこの子を見つけて、部屋から『あの子』のを持ってきたから」

 そうして娘が上着の内側から取り出したのは、鮮やかな赤の細い縄と、その先に繋がれた革の首輪だった。首輪には、僅かに動物の毛が付着している。

「シュルークお嬢様……」

 兵士は苦り切った表情で娘の名を呼んだ。
 わけがわからないファルハードに、シュルークという娘はぐっと顔を近づける。

「この前、子供の時から私が飼っていた犬を、お父様が殺してしまったの。私とても悲しくて……。寂しいから、お父様にまた犬が欲しいとお願いしたのに買ってくれないの。それで仕方がないから、屋敷の中に野良犬の一匹ぐらい紛れ込んでいないかと思って探していたら、あなたを見つけたの」

 幸せそうな眼差しで、シュルークはファルハードの琥珀色の瞳を覗き込む。

「あなた、あの子と同じ目の色をしているのよ。奇跡だわ! あなたは、今日から私の犬よ」

 そしてシュルークは、ファルハードに首輪をつけた。
 この女は頭が足りないのではない。知恵もはおそらく足りている。ただ、頭がおかしいのだ。
 こうしてファルハードの、彼女の二番目の飼い犬としての生活が始まった。
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