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16.待望-1

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 記憶を失ったシュルークを、ファルハードはすぐに処刑することもできた。彼女がファルハードに屈辱を与えたことに変わりはなく、そんな女を捕虜扱いとはいえ養ういわれもない。

 ――ファルハード殿下、恐れながら……。あの娘はもう処刑いたしましょう。殿下は義理堅いお方です。私どもの当然の働きにまで報いてくださいます。しかし、彼女の偶然の行動にまで、そうすべきか悩まれる必要はありますまい。もし仮に、それでも報いるべきとお考えでしたら、あの心ここにあらずのうちに死なせてやることが十分な恩赦となりましょう。

 苦難に満ちた捕虜生活を知るシャーヤールは、そう進言した。だが、ファルハードは頷かなかった。

 自分が何をしたのか覚えていないシュルークを処刑したところで、ファルハードの気は晴れない。彼女の父である敵国の将軍のように、自分のしたことの報いであるとよく分からせたうえで処刑しなくては、腹の中で渦巻く復讐心のやり場がないのだ。
 そうしてファルハードはシュルークを処刑せず、記憶が戻るまで待つことにした。

 彼女が記憶を失っていると知る前は、結果的に命を救われたという事実から生じた迷いを振り払うのに何日もかかったというのに、待つという決断はすぐにできた。
 決断の早さだけでなく、待つという選択自体おかしなことだった。ファルハードは全裸で犬のまねをさせられた姿を、腹心で命の恩人であるシャーヤールに見られたことすら、耐えがたい恥辱に感じている。だからシュルークに復讐する。ところが彼女の記憶が戻るのを待てば、それを覚えている者を一人増やすことになってしまう。殺意を抱くほどの屈辱ならば、本来は思い出させたくないはずなのだ。
 生きながらえさせ、消し去りたい屈辱の日々を思い出させる。このような決断を迷いなく即座に下した心中の矛盾を、ファルハードは自覚していなかった。ただ自分には、罪を自覚させて処刑しなくてはならないと言い聞かせた。

 ――シュルーク……。日の出、ですか。

 当初ファルハードは、シュルークとの間に起きたことを話せば、すぐに思い出すと考えた。だから、まず本人の名前を伝えた。すると彼女は、自分の朝日を意味する名前すら腑に落ちた様子はなく、馴染まないがそんな名前なのかと受け入れたのだ。
 嫌な予感がして、続く家名は嘘を教えてみた。するとシュルークは、それもそのまま受け入れた。繰り返し口にして覚えると、そんな家名だったのかもしれないと納得した。
 そこでファルハードは、今後シュルークに対し過去を語ることを止めた。話して聞かせても、シュルークは何も思い出さない。それどころか、聞いた話だけで自分の頭の中を上書きしてしまう。全て語り終えた後の彼女は、この以前とは別人のような表情で、そういうことがあったのかと何の感慨もなく受け止めるだろう。
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