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前編
7.危機-2
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「この術は私の秘術です。詳細の秘匿のために、治療中は眠っていただきます。これらの使用に同意してくれますか?」
「……もちろんです。先生を信じます」
この研究室へ入ってすぐ、魔法契約を結んでいる。部屋の中で見聞きしたことをいかなる方法でも漏洩しないというものだ。魔法契約は破れないので男が進んで秘密を漏らす心配はないのだが、彼を抵抗不能にして記憶を見る魔術を使われてしまえば意味がないので、念のためだ。
眠っている間に記憶をいじられ、目覚めた時は人格が変わっているかもしれない。そんな底知れない恐怖を呑み込んで、男はしっかりと頷いた。
「ありがとうございます。きっと、あなたの信頼に応えます」
そうしてイリスは、男に魔力を消す薬を打ち、彼の隣に眠り薬の香を焚く。
診察台に横たわる男は、深い呼吸を繰り返して薬を肺に含むと、やがて瞼を下ろした。薬が効いているか確認するため、イリスは彼の肩をゆすった。反応はない。
続いて魂を抜けやすくする薬の香炉に火を付け、煙を立たせる。それを隣の診察台の枕元へ置き、イリスも横になった。
湿っぽいような不思議なにおいを吸い込み、必要な時間を頭の中で数える。そうして十分な時間が経ってから、杖を自らに向けて呪文を唱えた。
その瞬間、診察台に寝ていたはずのイリスは、まるでベッドの存在が消えてしまったかのように転がり落ちて床に倒れた。だが何の感覚もない。
どうやら上手く魂が抜けたようだ。
魂の世界は色味が薄く、全体的に灰色っぽい。
基本的に現実世界と同じ場所や建物、物体が存在しているが、どれもまるで輪郭をなぞっただけの線画で、立体感が薄い。しかもその線は酔って引いた線のようにがたがたで、かつ生きているかのごとく常にぶるぶる震え動いている。
色彩は少ないのに、物体の動く輪郭のせいで視界がうるさい世界だ。
立ち上がり隣を見れば、現実と同じように、男が診察台に横たわっている。白く光る半透明の体。これが男の魂だ。
イリスの診察台は新しいものに取り替えたばかりだった。そのため物の魂がこの場に定着しておらず、魂だけになったイリスを支えてくれなかった。男の方の診察台も同時に取り替えたが、彼の魂はまだ現実の体の中にあるので、診察台をすり抜けて落ちたりしない。
イリスは男の頭部へ手を伸ばす。呪文を唱えながら額へ触れれば、記憶を見ることができる。
何度もやってきたように、男の頭に触れたその時。
ばちん、と雷撃の魔術のような何かに弾かれた。
(まずい、これは……!)
魔力で拒絶された時に起きる現象だ。
イリスの魂がぐんと後ろへ引かれる。現実の肉体へ戻ろうとしている。
また倒れ込むような感覚がして、イリスは目を見開いた。
「あッ……!」
いつの間にか診察台の上に、元通り横たわっている。視界は色のある現実の光景。
そして吐き気のするような頭痛と不快感と、震えるばかりでほとんど動かない体。
苦痛はあるが精神的動揺はない。今日も欠かさずセムラクで平常心を保っているためだ。冷静に状況を分析できる。
(一体どうして。抑制薬は十分効果が出る時間を置いたのに)
声すら出せない中、目だけで隣を見ると、診察台から男が起き上がるところだった。
まだ眠り薬の香炉からは煙が上っている。目覚めるはずなどない。
「あー、よかった。成功だ」
診察台から降りた男は、横たわり目で追いかけてくるイリスを見下ろした。
「……もちろんです。先生を信じます」
この研究室へ入ってすぐ、魔法契約を結んでいる。部屋の中で見聞きしたことをいかなる方法でも漏洩しないというものだ。魔法契約は破れないので男が進んで秘密を漏らす心配はないのだが、彼を抵抗不能にして記憶を見る魔術を使われてしまえば意味がないので、念のためだ。
眠っている間に記憶をいじられ、目覚めた時は人格が変わっているかもしれない。そんな底知れない恐怖を呑み込んで、男はしっかりと頷いた。
「ありがとうございます。きっと、あなたの信頼に応えます」
そうしてイリスは、男に魔力を消す薬を打ち、彼の隣に眠り薬の香を焚く。
診察台に横たわる男は、深い呼吸を繰り返して薬を肺に含むと、やがて瞼を下ろした。薬が効いているか確認するため、イリスは彼の肩をゆすった。反応はない。
続いて魂を抜けやすくする薬の香炉に火を付け、煙を立たせる。それを隣の診察台の枕元へ置き、イリスも横になった。
湿っぽいような不思議なにおいを吸い込み、必要な時間を頭の中で数える。そうして十分な時間が経ってから、杖を自らに向けて呪文を唱えた。
その瞬間、診察台に寝ていたはずのイリスは、まるでベッドの存在が消えてしまったかのように転がり落ちて床に倒れた。だが何の感覚もない。
どうやら上手く魂が抜けたようだ。
魂の世界は色味が薄く、全体的に灰色っぽい。
基本的に現実世界と同じ場所や建物、物体が存在しているが、どれもまるで輪郭をなぞっただけの線画で、立体感が薄い。しかもその線は酔って引いた線のようにがたがたで、かつ生きているかのごとく常にぶるぶる震え動いている。
色彩は少ないのに、物体の動く輪郭のせいで視界がうるさい世界だ。
立ち上がり隣を見れば、現実と同じように、男が診察台に横たわっている。白く光る半透明の体。これが男の魂だ。
イリスの診察台は新しいものに取り替えたばかりだった。そのため物の魂がこの場に定着しておらず、魂だけになったイリスを支えてくれなかった。男の方の診察台も同時に取り替えたが、彼の魂はまだ現実の体の中にあるので、診察台をすり抜けて落ちたりしない。
イリスは男の頭部へ手を伸ばす。呪文を唱えながら額へ触れれば、記憶を見ることができる。
何度もやってきたように、男の頭に触れたその時。
ばちん、と雷撃の魔術のような何かに弾かれた。
(まずい、これは……!)
魔力で拒絶された時に起きる現象だ。
イリスの魂がぐんと後ろへ引かれる。現実の肉体へ戻ろうとしている。
また倒れ込むような感覚がして、イリスは目を見開いた。
「あッ……!」
いつの間にか診察台の上に、元通り横たわっている。視界は色のある現実の光景。
そして吐き気のするような頭痛と不快感と、震えるばかりでほとんど動かない体。
苦痛はあるが精神的動揺はない。今日も欠かさずセムラクで平常心を保っているためだ。冷静に状況を分析できる。
(一体どうして。抑制薬は十分効果が出る時間を置いたのに)
声すら出せない中、目だけで隣を見ると、診察台から男が起き上がるところだった。
まだ眠り薬の香炉からは煙が上っている。目覚めるはずなどない。
「あー、よかった。成功だ」
診察台から降りた男は、横たわり目で追いかけてくるイリスを見下ろした。
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