【青天白雪、紅の君。2072】 〜2072年夏、僕は無口な少女と出会った〜

凜 Oケイ

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第一部

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「良い写真だ」
 僕は手渡された写真を眺めた。若い男女が立派な龍を描いた水墨画を背景に笑顔で立っており、その間に赤髪のユヅハがいる。全員が正式な格好をしており、しっかりとした背景からも写真屋に撮ってもらったであろうことが想像できた。気になる点はあった。両親とも髪の毛は黒なのにユヅハはこの通り赤茶色なのだ。
「髪の毛の色が違うでしょ」
 ユヅハが僕の隣に座り、彼女自身を指差した。僕は写真を幽霊にも見えるようにすこし傾けた。
「これも遺伝子編集で?」
 彼女は頷く。
「十八年前だから、まだ今ほどは正確じゃなかった。精子と卵子だった私を編集して、より良い私にしようって目論見。結果としてケルト系の遺伝子が私の髪に反映された。他にも色んな遺伝子が混じってる。17人種の混血」
 彼女は自分の髪を撫でた。
「ちゃんと効果はあった。免疫系統は人一倍強いし、自分で言うのも変だけど脳みそもちょっとだけ他より優れてる」
「日本じゃ解禁されていない。もしかして海外で?」
「そう、スイスで」
 解禁された国では遺伝子編集で生まれる子供は年々増えている。より良い子供を生みたい、それは古今東西の親の願いだ。しかし技術が実際に普及したのはごく最近の話だ。二十年ほど前はまだ技術としても未熟だっただろう、僕は彼女の親の先見性、あるいは勇気に驚いた。
「そうだ、面白いものを見せてあげる」
 彼女は立ち上がって僕についてくるように言った。二階に上がり、彼女が僕を招き入れたのは彼女の部屋だった。
 煙草の匂いがした。壁がスクリーンになっていたが特に何も映されておらず、現在時刻のみが隅で点滅するだけだった。物は少ないが中には奇妙なものもあり、革で作られた縄のようなものすらあった。ベッドに古びた巨大なぬいぐるみがいることを除けば女性の部屋らしからぬ殺風景さだ。部屋は広かったが窓がないのですこしだけ窮屈に感じた。
 彼女は胸あたりの高さの棚を手で指し示した。棚の上に何かが置いてあった。大きな硝子の筒が横に置いてある。僕は近づいてそれを見つめた。
「腕の骨の…模型か?」
 そこにあったのは人間の左腕の骨格模型だった。上腕の半ばあたりで切断されており、それは掌をこちらに向けて横たわっていた。硝子製の容器は縦に分かれており、その気になれば開けられそうに見えた。
「これが面白いもの?」
 僕は彼女の方に振り向いた。こんなのただの模型じゃないか。そして僕は彼女の笑顔から右下へ、彼女の左腕を見てゾッとした。六本の指が生えた義手。
「まさか、君の…」
「そう、私の腕」
 僕は思わず骨から離れた。彼女は硝子の筒を愛おしげに左手で撫でた。
「ああ、本物だなんて思いもしなかった」
「触ってみる?」
 彼女は容器の蓋を開けた。硝子の隔たりがなくなったことで骨の白さがよりはっきりと強調された。
「いや、」
「ちゃんと漂白されてるから汚くない」
 彼女は弁明するように言った。そういう問題じゃない。僕の思考と動きは石像のように固まってしまった。
「ほら、来て」
 僕は導かれるままに骨の前に立った。
「他人に触らせるのは初めて」
 彼女は笑顔で、僕がそれに触れるのを待っていた。僕は手を伸ばして骨の上にかざした。彼女の呼吸がわずかに激しくなるのを僕は耳で感じ取る。僕は少しずつ手を下ろした。
 彼女の真っ白な左腕は…冷たかった。僕ができるだけ優しくそれを撫でると彼女は感嘆のため息を漏らした。
「どう?」
 ちょっとだけ大げさに言うとユヅハはしゃいでいた。彼女のこんな表情を見るのは初めてだ。いつもはもっと冷淡というか、そんな印象を持っていた。
「どうって…すこしざらざらしていた」
 ユヅハは僕が骨に触れた手をぎゅっと握り、「ありがとう」と丁寧に言った。これ以上ないほどの感謝の伝わる声色だった。
 ユヅハは僕に三階の部屋を貸してくれた。二人用の寮室よりも広く、一人で生活するには贅沢すぎるように思えた。
「部屋にあるものは自由に使っていい。夕食は七時までに用意しておく」
「夕食の準備、何か手伝うよ」
 僕は荷物を下ろして言った。彼女は首を傾げながらも了承した。
 そして七時前、僕はキッチンに立っていた。小綺麗なキッチンだった。中身の詰まった食器棚を背に僕はとりあえずと鍋を手にとった。彼女は大型の冷蔵庫からパウチのようなものを数袋取り出していた。僕は鍋を洗いながら何をすればいいかを尋ねた。
「じゃあこのボタンを押して」
 僕がボタンを押すと電波調理器は独特の音を出して調理を開始した。彼女は別のパウチの中にお湯を注いでいた。数十秒後、僕たちは何袋かのパウチの中身を皿に盛り付けた。
「…完成」
 ユヅハが呟く。それもそうだ、こんなに長く家を空けているのだから生鮮食品なんてあるわけないじゃないか。
 レトルトのカレーライス。味は悪くなかった。
「美味しい?」
「ああ、美味しい」
 三メートルはありそうな高い天井、花瓶の載っただだっ広い食卓。大人数のパーティー会場としても申し分なさそうな空間だ。でもここには僕たち二人しかいない。いや、幽霊と猫を入れるべきだろうか。ロボット猫は本棚の上にちょこんと座り、僕たち二人を監視するかのように見つめる。
「そういえばまだ聞いていなかったな」
 他愛のない話のなか、僕は思い出したように口にする。
「何を?」
「君の腕について。何で義手なのかなって」
 最初僕が彼女の義手を見たとき、それは事故によるものだと思った。でもあの白い骨に傷らしきものはなかった。僕は医療について詳しいとは言えないが、あれほど完璧な切断なら後遺症を残さずに再接合することだってできただろう。
「ああ、これは自分の意思で義手にした」
「自分の意思で?」
「そう、中学生の頃に」
「でもどうして」
「自分の身体が嫌いだった」
 彼女は自分の左手を見つめる。
「私は何もかもが設計書通り、肉体も将来も親に決められた。昔からそれが嫌だった。だからできるだけ親の設計を破綻させようとした。最初はちょっとしたこと。手首に傷をつけたりとか、学校をサボったりもしてた」
 天井のプロペラが低い音を立てて回っていた。
「その頃私は親と北京に住んでて、現地の友達が義眼だった。その子は事故だったんだけど、私はそれを見てある願望を持つようになった」
 食事を終えた僕たちは食洗機に食器を入れながら話を続けた。
「それは、身体を全て入れ替えたいっていう願望」
「それで義手に、」
「そう、決めてからの行動は早かった。その友達に話したら兄が義肢職人だから安くやってくれるだろうって。私は親の金をくすねてすぐに手術してもらった」
 彼女はやけに僕の顔を見ながら話を続けた。
「最初は一気に四肢を機械化しようかとも思ったけど、お金も足りなかったしさすがに怖さがあった。それで左手だけ」
「くすねたって…親に無許可でやったのか? 未成年者はいろいろ親の同意書とか要るだろうに」
 彼女は冷蔵庫から二本オレンジジュースを出した。
「その義肢職人は今の私たちぐらいの年齢だったんだけど、両親を亡くして家のお金はほとんど彼が稼いでたみたい。でも高い給料じゃなかった、だから多少非合法な手術も請け負ってた。若くても腕は確かだった。彼が働いてる病院に行って数日で私は元通りに、いやそれ以上に腕を使いこなせるようになった」
「両親は…」
「とんでもない怒りようだった」
 彼女は嫌なことを思い出した時のように目元を細めた。
「事故以外で義肢にする場合、基本的に元の肉体は一ヶ月は病院で再生可能な状態で保管される、万が一があったときにも戻せるように。それを知っていた親はすぐに再接合すると言って病院に乗り込んだ、でも私の言いつけどおり、切り落とされた腕はすでに骨だけにされていた」
 彼女は誇らしげに語った。ボードゲームで大人に勝った子供のようにその武勇伝を語った。
「今後、機会があったら脚や右手も義肢にするつもりか?」
 僕はとある米国人アーティストを思い出した。脳以外を全て機械化しており腕が四本もあった。彼女もそんな姿を目指しているのだろうか。
「その気になればいつだってできる、でも今はもうそこまで執着してない」
 僕は足元に歩み寄ってきた猫を抱え上げて背中を撫でた。腹にシリアル番号が表示されていることを除けばロボットとはとても思えなかった。温もりもゴロゴロといった鳴き声もさながら本物だ。
「情熱を失ったわけじゃない。設計を壊す方法は他にもある」
 僕に向けた言葉ではなく、それは彼女自身への言葉だった。猫が僕の手の中で身をよじり少女の方を向いた。
「今日はもう寝る。愚痴を聞いてくれてありがとう」
 ユヅハは猫を一瞥して二階に上がっていった。
「僕はユヅハの助けになれるだろうか」
 ユヅハ、君は僕が君を手伝うのを許すだろうか。
「できるかもしれないけど、きっと簡単じゃないんじゃないかな」
 食卓の上に浮いて僕を見下ろす幽霊はそう答えた。
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