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第一部 揺動のレジナテリス
6.啐啄の史家 アクレイア・オータムーン(EX-108)
しおりを挟む「日報はなるべく1、多くても2ページでまとめないと」
研修で語った自分の言葉が、目の前で起きた出来事と共に頭を駆け巡った。
新人のサーシャと城食が始まるのを食堂で待ちながら先日の日報を添削して、
ベーレンス卿と雑談していた所に衛兵が駆け込み、急遽臨時朝議に招集された。
議場に入った時には既に座着した女王に対し王子が従礼しており、
傍らに見慣れない2人の同行者――1人は子供に見えた――が控えていた。
入室直後に飛び込んで来た異様な光景に一瞬言葉を失った。
そして朝議はすぐ終わり、軍務書記席で苦闘しながら日報を書き直している彼女の姿が映る。
既に門兵しか居ない議場は、直前の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
日報照合に違和感が無いようにと、もう一度見直し添削することにする。
角兎月15D 朝議(臨) 政務書記:アクレイア・オータムーン
謁見者:エリアス・ノルドランド 他2名
【特別保護区レインフォールにおける不法侵入に関して】
『一昨日の朝議の謁見者である樵夫の陳情により、兵長代理エリアスが特別保護区の、
レインフォール大森林へ向かった所、2名の身元不明者と交戦中の大型翼獣と遭遇。
3名の協力にて翼獣を討伐するも、使役していたと思われる不審者が現れ再び交戦。
不審人物に誰何した所、帝国第3皇女のリアーナ・ガートランドであることが判明。
協定違反である侵入の理由は現在不明。広範囲に渡り森を焼き払っていたとのこと。
兵長エリアスが即時帝国への交渉を主張するも、女王は一先ず城内の独房に於いて、
投獄勾留し、明日の朝議にて再度審議する旨を伝える。エリアス兵長はこれを受け、
無断で即時退室する。既に地下牢に収容された帝国皇女の処置を女王が衛兵へ指示。
兵長と共に謁見に同席していた協力者2名は女王の依願で兵舎での待機が命じられ、
呼び出されたメイドに連れられて議場を後にした。女王も退出し朝議は終了となる。』
強引に1ページ十行に収めた日報には、行間の微細な表情や語気、嘆息などは一切含まれず、
目の前の事象をただ書き留めただけの『記号』に過ぎなかった。
それが書記だと頭で理解はしていても、気乗りしないのは今に始まった事ではない。
手が止まったように見えるサーシャに合わせて席を立ち、退室を促した。
「あれは……一体なんだったんでしょう」
議場を出て東階段を下りながら、サーシャが問いにならない程に小さく呟いた。
長年この仕事をしている身からしても異質だった先程の臨時朝議は、
眼前で繰り広げられた見るに堪えないやり取りよりも不穏な裏が含まれているように感じられた。
「そういえば、一昨日の朝議でも一悶着あったらしいね……何か聞いてる?」
丁度公休で不在にしていた日にも、元老長と王子が言い争いをしていたという話を聞いたが、
当然日報から詳細は伺い知れず、《王命で王子がレインフォールに赴いた》という経緯が
淡々と記されているだけでしかない。
「いえ……先輩が休みの時は私は事務方ですので、詰所で話していたのを聞いただけです」
サーシャの認識も大差無いらしく噂の出所は似たりよったりで、議場の外の廊下にまで怒声が
漏れていたのが伝言形式で官舎まで広まったのだろう。
こうして踊場で立ち話をしていても何も解決しないと、再び一階に降りると、
始業時間が近づいている為か城内はにわかに動き始めていて、食堂からも芳香が漂っている。
「日報貸して、書庫に入れてくるから、先に城食に行ってて良いよ」
「い、いえ! とんでもない! 私が行ってきます!!」
「いや、鍵持ってるの自分だけだし、すぐだから大丈夫大丈夫」
書庫を施錠するようになったのは政変が原因で、筆頭書記官のみが鍵を持つ事を許されている。
休日は届出の上で一等書記に限り預けて良い決まりになっていた。
「あ……そ、そうですね、分かりました」
何度も頭を下げて食堂に去っていくサーシャを見送って、薄暗い直線の通路を歩いていると、
少し前に動き出したのであろう噴水が、既に盆に溜まった水を勢いよく噴出していた。
紅白咲き乱れる庭園と見慣れない庭師を横目に眺めながら詰所に向かうと、通路奥に
背高な女性の姿が見えた。ドイエン女史だろう。
マルセル・ドイエン卿は若くして法務官に就いた所謂秀才で、その厳格さもさることながら、
余りの男っ気の無さと目つきの悪さで、陰では『鉄の処女』という異名で呼ばれているらしい。
優秀な人なので気の毒だとは思うが、自分よりも高所から睨め降ろされる視線に、
本当は気を使っているのだろうと解っていてもつい委縮してしまう。
自分の背丈が低いことが原因なので彼女の問題では無く、もはや小動物と大型獣の本能の話だろう。
ドアを引いて入り口を塞ぐように立っている女性にあらかじめ予定した挨拶をかける。
「おはようございますドイエン卿」
ショートの綺麗なグレー頭がこちらを向いて、切れ長の視線をこちらに向けた。
「おはようございます。今日は少し遅いようですが何かあったのですか?」
官僚の中で最も朝早くから出仕しているのが書記官で、書記官とは要するに《雑用見習》を
意味合いとして兼ねている。官僚としての最初の役職であり、それを統括する筆頭書記官は、
誰よりも先に詰所に居るべきではある。
「いえ今日は急遽臨時朝議がありまして、たまたま食堂に居た自分が呼ばれたんです」
「……え? では今日の朝議は……」
「ええ、もう終わりました」
これは先程議場を退出する女王の言葉なので間違いはない。
明日再審議をするそうなので延期と言ってもよいかもしれないが。
「えっと……朝御飯はもう食べたかしら?」
「いえ、これからです。コレを置きに来ただけで……えっと、まぁ白紙ですけど」
白紙というのは嘘だ。だが朝議の詳細を問われても、上手く説明出来る自信が――っと、
早々に片してしまおうと上げた右手に強い圧力を感じた。
「い、一緒に朝食どう?」
どよっと騒めいて一斉に注がれる視線と、強引な笑みと口角で硬まっている女史の表情筋、
それに明らかに笑ってない目は、戦人修行時のグレートトードとの対峙を思い出させる。
「あの……えっと、ほら朝議の内容も知りたいし」
「あ、ああ、そういう事ですか、分かりました」
聞こえないように息を吐いて腕を降ろすと、なーんだという声が聞こえて来そうな室内から
脱兎のように退室した女史が『先に行ってるから!』と廊下に声を響かせる。
「分かりました!」
聞こえるように返事をすると、言葉以上の清涼感を背中に感じながら、扉をそっと閉じた。
城食は既に何人かの官僚が朝食を取っていた。
サーシャは朝セットを置いたまま背筋を伸ばし長卓に座っている。
奥のカウンターで何やら頼んでいる法務官は、物怖じしないおばさ……お姉さんの指示で
左側に流れて待たされている。実質一番偉い人なのだが。
「シスルさん食べてていいよ、自分も頼んでくるから、あと……ドイエン卿も来るから」
えええ! という驚声に内心『そうだよね』と頷きながら、カウンターに向かう。
朝食セットの焼き立て白パンを半分に千切って、角猪のベーコンエッグをナイフで割り、
トロッと黄身に浸して口に運ぶ目の前で、グリーンサラダだけをフォークで啄む法務官に、
数多あるの中で最も気になった疑問が思わず口を衝く。
「あの……ドイエン卿、ダイエットか何かですか……?」
「え! あ、そ、そう、あまり食欲が…‥あはは」
焦ったり笑ってる姿が珍しくて新鮮ではあるが、益々朝食に誘われた理由が分からない。
正面でコーンスープに口を付けたまま視線を泳がせているシスル嬢は、
《爆弾ポーションを埋めたものの場所を思い出せず責められているトラッパー》に見える。
「朝はちゃんと食べた方が良いですよ? ところで何か話があったのでは?」
「え、っと……そうですね……分かりますか」
誰かと会食をしている事自体が珍しい法務官を、チラチラ遠巻きに官僚達が様子を伺い、
食堂内でも長卓一つだけが見えない壁で仕切られたようになっている。
話の内容次第では声を落とす必要があるかもしれない。
「えっと……ですね。先程ベーレンス卿から聞かされたのですが、見慣れない不審者を
王子が連れていたと……臨時朝議はその件だったのでしょうか?」
「あぁ、まぁ……はい、そうですね」
意識か無意識か小声になるドイエン卿に合わせるように、諦めながら顔を近づけると、
気まずそうに綺麗な碧眼を逸らす姿に、らしくなく緊張しながら顛末を説明した。
「……なるほど、帝国の皇女。それは確かに繊細な議題ですね……それでその皇女は、
今はどこに居るのでしょう? 噂にはなっていないようですが」
「朝議前に地下牢に収監されたようですが、その後の動向は解りません。
かなり早い時間でしたので、衛兵以外は目にして居ないと思います」
「地下への立ち入りは……今の所問題はなさそうですね」
「そうですね。あ、あと……えっと、すみません。先程は白紙と言ったんですが――」
横目でシスルの不安そうな顔を見て、自分で選択するしかないと思いなおし詳細を話す。
見知らぬ2名の同行者のこと、エリアス兵長の態度と、無言で退室した際の不穏な様子。
これを話すと決めたのは、こちらからも確認したい事が一つあったからに他ならないが、
聞くまでも無くフォークを置いたドイエン卿の口から前置きと共に話が進む。
「これは私だけでは無く他の官僚も同席していましたし、いずれ当日の書記から
報告が上がると思うので共有しますが……」
内容は、一昨日の朝議に突然陳情に来た樵夫の報告で、
レインフォールに大型のビーストが確認されたという話だった。
そして急遽参列義務の無いエリアス兵長代理が臨時で召喚され、元老長のエスパニョール卿、
監察官であるアデラール卿と一悶着あったという。なぜ彼らが朝議に来ていたかは分からない。
今日のやり取りはその延長だと思われるが、今朝はこの2名が来ていないのが気にかかる。
明らかに元老派と揉めていたようだが、領主を兼ね領地に釘付けになっている中立派の
ランベルト卿やボードウィン卿は不在として、先程姿を見せたロータル卿が居たかを確認したい。
ただ同じ中立派でもドイエン卿とロータル卿は絶望的に性格が合わない。
迂闊に名前を出して良いものか思案していると、思いがけない方向に話が逸れる。
「私は自身の役目の事もありますから、どんな結果になっても法に反しない限り従うつもりです。
筆頭書記官も恐らくそうでしょう? 個人的な感情が入る事は無いはずです。ですが再度兵長代理が
召喚されれば……とにかくお互いに職分を果たしましょう」
……何を言いたいのかよく分からない。この女史は良くも悪くも徹底した法律の番人なので、
無駄な揉め事や官僚の争いを嫌うことは理解出来るが、書記に物事を左右出来る力など存在しない。
もし直接的な力を用いた争いになっても、とてもじゃないが官僚特権で能力を盛っている
《戦人兼官僚崩れ》では一衛兵に勝てるかも怪しい所だ。
そんなことは彼女も良く知っているはずで、何を警戒していのかが読めない。
何となく釘を刺しているだけかもしれないが、思惑があって誘導しているのかもしれない。
この事はまだ誰にも話す気は無かったが、ここは先手を打っておいた方が良い。
「……ドイエン卿、ここだけの話で願いますが、私は近いうちに職を辞するつもりでいます」
ガタッっという椅子の音とンッっと何かに喉を詰まらせたような音を重ねて奏でるシスルに、
苦笑いと静止で応えて、手付かずのグラスを差し出して続けた。
「私ももうここに来て3年になります。書記官と言う仕事は嫌いでは無いですし
必要以上に他人と関わらずに済む、関わらない方が職を全うしやすい、この仕事は性に合ってました」
目を見開いて頷くドイエン卿は、幼い少女のように見えたので、花向けにと続ける。
「ですが、このままでもいけないと思うのです。終わった事象を記す、
その重要さは恐らく私が一番理解していますが、私は『これから起こること』が知りたい。
その上で観測者として、未だ知らない人々の物語を後世に紡ぎたいと思っています……」
『そう、史家になりたいんです』
口にはしなかった造語だが、これほどしっくりくる職は無いだろう。
他の人と深く交われない自分が、人に関わるにはこれしかないと――本気で思っていたから。
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