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6. 梓、ビビッて逃走する
梓、ビビッて逃走する ⑫
しおりを挟むたかがワンフロア如き会社内で、怜を躱して逃げるのはなかなか至難の業である。
なので、怜が外回りで出ている日の解放感と言ったらない。
「今日のアズちゃん、生き生きしてる……?」
「……え? そ、そうかな?」
図星を指されて挙動ってしまう小心者を、由美はきょとんとして見て来る。
どれだけ普段張り詰めているんだろうと思ったら、何だか色々堪らなくなってくる。自分ばかりが感情に翻弄されて、持て余しているのが酷く不公平な気がして、頭の中で何度ローリングソバットを食らわせたか分からない。
実際そんな事をしようものなら、まんまと取っ掴まって泣きを見る。そのくらい解っているから頭の中だけの出来事にしておく。
それで溜飲を下げた所で誰も文句は言わないだろう。怜にさえバレなければ、取り敢えず安泰だ。
これで本当に怜が好きなんだろうかとか、本気で考えてしまう。
いや。好きな事は好きなんだけど、結婚を前提とする程、彼が思ってくれている半分も怜を好きなんだろうかと、考えてしまう。
毎日毎日往復二時間かけて、梓に会いに通ってくれた怜に絆されて、それを特別と思い込んでいるだけではないのだろうかと思えてならない。
(……エッチが気持ち良いいから、余計に錯覚してるんだ。うん。きっとそお)
梓はパソコンをスリープにし、
「入金確認できたんで、銀行行ってきます。振り込みはこの二件だけでしたよね?」
先方指定の振込用紙を由美に見せ、「うん。そう」と頷くのを確認して小さな手提げバッグに通帳と振込用紙を入れる。
「あと二十、お願いしても良いかな?」
「二十で足りますか?」
五十万を超える出金は、防犯上、翔か怜に頼む事になっている。つまりそれ以下なら護身のできる梓が任されていた。一応、無理な深追いはしないように言われているが、今のところ問題ない。
「経費削減に協力しやがれってのよ。でなきゃガンガン仕事取ってこいやッ! ねえ?」
鬼経理が内勤の営業たちに一瞥をくれ、笑ってない目で梓ににっこり笑う。背筋が瞬間冷凍された錯覚を覚えながらも、彼女は首振り人形の様に頷き、手持ち金庫から判子を取り出してバッグに入れた。
何だか地雷を踏んでしまったようなので、梓はいそいそと事務所を出、エレベーター前でパンツスーツにハーフコートを羽織る。
外は寒いだろうなぁと暢気にマフラーを巻きながら、遣って来たエレベーターに乗った。
銀行はそこそこ込んでいて、待っている間の暇潰しに梓は雑誌を開き、思わず唸ってしまった。
ヴァレンタイン特集の文字に、否が応でも怜の顔が浮かぶ。
(これはやっぱり、何かした方が良いんだろうか?)
チョコをあげるのは毎年のことだけど、今年は去年までと違う。
(去年と変わらずチョコだけで、って訳にはいかないのかな…?)
今年は何だかんだと買いそびれてしまっていたけれど、一応、ブランド物のチョコを二人に毎年あげている。
しかし、去年と同じ扱いで、あの怜が果たして納得するだろうか?
(いや。しないな……)
翔にまでヤキモチ妬くくらいだから、そっくり一緒なんてことをしたら、我が身が危なくなるだろう。
(あれ。でもちょっと待って。そんな事したら、お兄ちゃんがまたイジケちゃう?)
充分あり得る。
週末に怜の所に泊まると言ったら、翔が拗ね捲って口を利いてくれなかったのは、つい数日前のこと。
(尽々面倒臭い人たちだなぁ)
ヴァレンタインまで、今日を残すところ後三日。
さてどうしたものかと頭を悩ませていたら、番号が表示された。
キャッシュトレイに通帳やら何やら全部乗っけて、顔見知りの行員のお姉さんに「ヴァレンタインってどうしてます?」と訊いてみる。すると彼女は「プライベートの方?」と訊き返してきて、梓は頷いた。
「残念ながら、二年ほどおやすみ中です」
「そっかぁ」
「お役に立てず、ごめんなさいね」
がっくりと項垂れた梓に、心底申し訳なさそうな顔をする。
「いえいえ。こちらこそ突飛な事を済みません」
梓はソファに腰掛け、先程の雑誌を開いた。
思えば怜が何を欲しがっているのか、皆目見当もつかない。
(あの人たち、カッターシャツもオーダーだからなぁ)
既成だと袖が短いらしい。
二人が仕立てている所に頼むにしても、どちらにしろもう間に合わないだろう。
(無難なところでネクタイかな~……?)
色んなアイテムが載っているけれど、ピンとくる物がない。
使わない物をあげた所で邪魔になるだけだし、と取り敢えずネクタイにターゲットを絞る。
(今日の帰りにでも、ちょっと見に行って来ようかな)
由美と清香を誘ってみよう、と考えたところで社名が呼ばれ、受け取って早々に銀行を後にする。
出て五十メートルも歩いた所だろうか。背後で悲鳴が上がり、咄嗟に振り返った。
「ひったくりよーッ! 誰かその男を捕まえてッ!!」
金切り声のような女性の声だった。
当然と言えば当然の様に、関わりたくない人たちが道を開け、男が薄笑いを浮かべて走って来る。
「…あ~あ。怒られるなぁ」
脳裏に烈火の如く怒り狂うだろう二人の顔が浮かぶ。
「義を見てせざるは勇無きなり。南無参」
パンツスーツで良かったと暢気に考えてる。
ひったくり犯はこれっぽっちも考えてなかっただろう。自分よりも小さな女のハイキックを顔面で受けるなどとは。
ひらりと身を返し、もんどり打って倒れていく男の姿をスローモーション映像の様に眺めていた。
ドシャッとアスファルトに叩きつけられた音がして、周囲が俄かに騒がしくなる。被害者の女性が必死にお礼を言っているのを聞きながら、梓はマフラーで男の腕を縛り上げ、その上にどっかりと座り込んだ。
誰かが通報してくれて駆け付けた警察官に犯人を引き渡し、よれよれに伸びてしまったマフラーを見ながら「カシミアなのに」と切なく呟いた。
警察官に身元を聞かれたが、梓は慌てて逃げだした。翔と怜にバレたら大目玉を食らってしまう。
(けど……ちょっと気持ち良かったわ。久々に)
ローリングソバットではなかったけれど、何となく既視感を感じてニヤリとする。
怜が相手だったらこんなに綺麗に決まらなかった。
二月の寒空の下、梓は爽快な表情で帰社の途についた。
まさかこれが、後から梓を追い詰める要素の一つになろうとは思わずに。
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