25 / 31
3・桐とタルト
桐とタルト・4
しおりを挟む
厨房の工事が終わると、今度は壁とウッドデッキを塗り直す作業が始まった。工事の人間が出入りするのと、ペンキの匂いが充満するのとで、また花達から不満の聲が上がる。
こういう時動物ならば食べ物でご機嫌をとることもできるのだろうが、植物となるとそれもできない。必要もない時に栄養剤をあげたら有麻に叱られるだけだし、秀治にできることは、言葉で慰めたり幹や葉を撫でてやるくらいだ。
厨房の中の機材を揃え、備品を揃え、棚に飾るちょっとした小物も買い揃えていく。テーブルの配置を考えて、客がゆったりと過ごせるように、目隠しになる鉢植えを幾つか置くことにする。
植物関係のことは、やはり有麻に任せるに限る。知り合いだという花屋にさっそく話を通してくれた。カフェに合いそうな鉢植えの植物を有麻と二人で吟味して、花屋に注文して仕入れてもらう。
壁はアイボリーを基調にして、下部分をフォレストグリーンに塗ってもらった。床はワックスで磨き上げて、ウッドデッキは焦げ茶色に塗り直す。
そろそろ店名を決めて、看板も作らなければならない。やっとペンキの匂いの薄れてきたウッドデッキに腰かけて、秀治は庭を眺めていた。
レースのような花をつけるオルラヤが花壇にも小道沿いにも咲き群れて、異国の草原のような風景を作り出している。生垣に目立たないように備えつけられたフェンスにはツルバラが巻きつけてあって、ポツポツとベージュや薄紅の花をつけ始めていた。
ふいに生垣のツゲの向こうに顔が覗いた。成人男性が背伸びすると、ちょうど庭が覗けるくらいの高さの生垣なのだ。秀治と目が合って、相手は少しばつの悪そうな顔をする。克也だった。
「荒川さん、どうもお世話になってます」
「すみません、こんなところから。ちょっとした報告なんですが」
「そっちに進んでみてください。裏口がありますので」
秀治が手で示すと、克也の頭が引っこんだ。裏口で待っていると、すぐに克也が現れる。今日も作業着姿だ。
「せっかくだから、コーヒー飲んでいきませんか?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「まだ、修業中みたいなものなんですけど」
克也にウッドデッキのイスを勧めて、秀治はテーブルにカップやミルを並べていく。ガスはもう引かれているので、ポットでお湯を沸かし、ついでに有麻にも声をかけて、三人分の豆をミルで挽く。
カフェでは注文が入るたびに手動で豆を挽くつもりだった。電動のミルを使うと、莉々子が音が怖いと耳をふさぐのだ。小さな子が嫌がる音は、庭の植物達も不快にするだろう。カフェのお客さん達にも嫌がる人はいるかもしれない。
手挽きのミルもガリガリと音はするが、どこか親しみのある優しい音だ。秀治の労力は増えるが、秀治自身電動のミルよりも、手挽きのコーヒーの味が好きなのだ。
温めたカップに一杯一杯、ハンドドリップでコーヒーを注いでいく。時間も手間もかかるが、秀治はカフェをそういうものにしたいと思っている。
莉々子の世話をすることで秀治が学んだのは、子育てというのは膨大な手間と時間がかかるということだった。ここの庭だって、膨大な時間が費やされて今のこの景色を作り上げているのだし、曾祖父と祖父と有麻の惜しみない努力のおかげでこの景色が維持されてきたのだ。
秀治もそんな風に、自分の店を育てていきたいと思っている。
コーヒーを淹れる時間も、そこで過ごす人々の思いも、カフェを包む景色も、全てが店の歴史となり、店の持つ空気となっていくのだと思う。
コーヒーを淹れ終えたところに、手を洗った有麻がやってくる。莉々子はウッドデッキの隅で塗り絵に集中していた。
克也がカップに口をつける瞬間、思わずじっと様子を観察してしまった。コーヒーを口にして、克也は『おっ』と言いたげな顔をする。その後ふわりと表情がほどけた。
「これは、おいしい」
行儀よく微笑みを返しながら、秀治は胸の内でガッツポーズをしていた。
「ところでご報告って」
「ああ、そうでした」
カップを置いて、克也は秀治に向き合った。
「この間、桐の木をどうしたかって、聞かれたでしょう。それで妻が依頼した業者に問い合わせてみたんです」
克也から聞いたことは全て、有麻にも話してある。
「どうでした?」
「それがですね、もうすぐ発送できますって言われたんですよ」
「発送できますって、何を?」
「教えてくれないんです」
「え?」
「依頼主との約束で、発送するまでは教えられないって言うんです」
有麻がカップをソーサーに置く音が、カチリと響いた。その音に、秀治も克也も有麻を見つめる。
「すみません。奥様のお話、秀治から伺っております。発送するということは、奥様が桐の木材を何かに加工することを依頼していたということですね?」
「そ、そうです。そこの業者は木の伐採から加工まで自社で行っているようで」
「桐の木っていうことは、やっぱり箪笥かな?」
秀治のつぶやきに即座に有麻が首を振った。
「それはない」
「何で言い切れる」
「祥子さんのお母さんは、それを望んでいなかったからだ」
「何か、わかるんですか?」
有麻に顔を向けた克也の表情は、何だかすがるようだった。
「私にはわからないんです。妻の気持ちが。どうして祥子の記念樹の桐の木を伐ったのか。どうして祥子に遺した物が、ただの石ころなのか。薬のせいで判断力がおかしくなっていたのかとも考えましたが、思い出してみても妻は最後までそんなおかしな様子はなかったんです。妻のあの行動には、何か意味があるんでしょうか」
「意味はあると思います」
有麻はうなずいた。横で見ている秀治が不安になるほどにきっぱりと断言して。
妻という身近な人の行動が理解できないという不安さは、秀治にもよくわかる。どんなに身近な存在でも、心の内までつまびらかに知ることはできない。
夫である克也にわからないことが、有麻にはわかるというのだろうか。
「教えてください」
そう有麻に頼みこむ克也の必死な姿に、秀治も身に詰まされるようだった。
雪乃の行動の理由がわかるなら、自分も必死になって有麻に頼みこむだろう。
「まだ、その時ではありません」
有麻は静かに首を振った。
「その、何かが発送されたというお知らせが来たら教えてもらえませんか。それが届いたら奥様のしたことの意味がわかると思いますよ」
家の電話番号をメモした紙を、有麻は克也に手渡した。
こういう時動物ならば食べ物でご機嫌をとることもできるのだろうが、植物となるとそれもできない。必要もない時に栄養剤をあげたら有麻に叱られるだけだし、秀治にできることは、言葉で慰めたり幹や葉を撫でてやるくらいだ。
厨房の中の機材を揃え、備品を揃え、棚に飾るちょっとした小物も買い揃えていく。テーブルの配置を考えて、客がゆったりと過ごせるように、目隠しになる鉢植えを幾つか置くことにする。
植物関係のことは、やはり有麻に任せるに限る。知り合いだという花屋にさっそく話を通してくれた。カフェに合いそうな鉢植えの植物を有麻と二人で吟味して、花屋に注文して仕入れてもらう。
壁はアイボリーを基調にして、下部分をフォレストグリーンに塗ってもらった。床はワックスで磨き上げて、ウッドデッキは焦げ茶色に塗り直す。
そろそろ店名を決めて、看板も作らなければならない。やっとペンキの匂いの薄れてきたウッドデッキに腰かけて、秀治は庭を眺めていた。
レースのような花をつけるオルラヤが花壇にも小道沿いにも咲き群れて、異国の草原のような風景を作り出している。生垣に目立たないように備えつけられたフェンスにはツルバラが巻きつけてあって、ポツポツとベージュや薄紅の花をつけ始めていた。
ふいに生垣のツゲの向こうに顔が覗いた。成人男性が背伸びすると、ちょうど庭が覗けるくらいの高さの生垣なのだ。秀治と目が合って、相手は少しばつの悪そうな顔をする。克也だった。
「荒川さん、どうもお世話になってます」
「すみません、こんなところから。ちょっとした報告なんですが」
「そっちに進んでみてください。裏口がありますので」
秀治が手で示すと、克也の頭が引っこんだ。裏口で待っていると、すぐに克也が現れる。今日も作業着姿だ。
「せっかくだから、コーヒー飲んでいきませんか?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「まだ、修業中みたいなものなんですけど」
克也にウッドデッキのイスを勧めて、秀治はテーブルにカップやミルを並べていく。ガスはもう引かれているので、ポットでお湯を沸かし、ついでに有麻にも声をかけて、三人分の豆をミルで挽く。
カフェでは注文が入るたびに手動で豆を挽くつもりだった。電動のミルを使うと、莉々子が音が怖いと耳をふさぐのだ。小さな子が嫌がる音は、庭の植物達も不快にするだろう。カフェのお客さん達にも嫌がる人はいるかもしれない。
手挽きのミルもガリガリと音はするが、どこか親しみのある優しい音だ。秀治の労力は増えるが、秀治自身電動のミルよりも、手挽きのコーヒーの味が好きなのだ。
温めたカップに一杯一杯、ハンドドリップでコーヒーを注いでいく。時間も手間もかかるが、秀治はカフェをそういうものにしたいと思っている。
莉々子の世話をすることで秀治が学んだのは、子育てというのは膨大な手間と時間がかかるということだった。ここの庭だって、膨大な時間が費やされて今のこの景色を作り上げているのだし、曾祖父と祖父と有麻の惜しみない努力のおかげでこの景色が維持されてきたのだ。
秀治もそんな風に、自分の店を育てていきたいと思っている。
コーヒーを淹れる時間も、そこで過ごす人々の思いも、カフェを包む景色も、全てが店の歴史となり、店の持つ空気となっていくのだと思う。
コーヒーを淹れ終えたところに、手を洗った有麻がやってくる。莉々子はウッドデッキの隅で塗り絵に集中していた。
克也がカップに口をつける瞬間、思わずじっと様子を観察してしまった。コーヒーを口にして、克也は『おっ』と言いたげな顔をする。その後ふわりと表情がほどけた。
「これは、おいしい」
行儀よく微笑みを返しながら、秀治は胸の内でガッツポーズをしていた。
「ところでご報告って」
「ああ、そうでした」
カップを置いて、克也は秀治に向き合った。
「この間、桐の木をどうしたかって、聞かれたでしょう。それで妻が依頼した業者に問い合わせてみたんです」
克也から聞いたことは全て、有麻にも話してある。
「どうでした?」
「それがですね、もうすぐ発送できますって言われたんですよ」
「発送できますって、何を?」
「教えてくれないんです」
「え?」
「依頼主との約束で、発送するまでは教えられないって言うんです」
有麻がカップをソーサーに置く音が、カチリと響いた。その音に、秀治も克也も有麻を見つめる。
「すみません。奥様のお話、秀治から伺っております。発送するということは、奥様が桐の木材を何かに加工することを依頼していたということですね?」
「そ、そうです。そこの業者は木の伐採から加工まで自社で行っているようで」
「桐の木っていうことは、やっぱり箪笥かな?」
秀治のつぶやきに即座に有麻が首を振った。
「それはない」
「何で言い切れる」
「祥子さんのお母さんは、それを望んでいなかったからだ」
「何か、わかるんですか?」
有麻に顔を向けた克也の表情は、何だかすがるようだった。
「私にはわからないんです。妻の気持ちが。どうして祥子の記念樹の桐の木を伐ったのか。どうして祥子に遺した物が、ただの石ころなのか。薬のせいで判断力がおかしくなっていたのかとも考えましたが、思い出してみても妻は最後までそんなおかしな様子はなかったんです。妻のあの行動には、何か意味があるんでしょうか」
「意味はあると思います」
有麻はうなずいた。横で見ている秀治が不安になるほどにきっぱりと断言して。
妻という身近な人の行動が理解できないという不安さは、秀治にもよくわかる。どんなに身近な存在でも、心の内までつまびらかに知ることはできない。
夫である克也にわからないことが、有麻にはわかるというのだろうか。
「教えてください」
そう有麻に頼みこむ克也の必死な姿に、秀治も身に詰まされるようだった。
雪乃の行動の理由がわかるなら、自分も必死になって有麻に頼みこむだろう。
「まだ、その時ではありません」
有麻は静かに首を振った。
「その、何かが発送されたというお知らせが来たら教えてもらえませんか。それが届いたら奥様のしたことの意味がわかると思いますよ」
家の電話番号をメモした紙を、有麻は克也に手渡した。
1
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
【コミカライズ決定】愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
【コミカライズ決定の情報が解禁されました】
※レーベル名、漫画家様はのちほどお知らせいたします。
※配信後は引き下げとなりますので、ご注意くださいませ。
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる