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ちょっと苦いオレンジゼリー、チョコレートケーキを添えて
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中学生の妹と喧嘩をした。喧嘩をするのは別に珍しいことではないのだけれど、今回はなんとなく謝れないでいる。
いつもならどちらかの服を勝手に着ただとかテレビのチャンネルを勝手に変えただとか些細なことで口論になって、そしてそういう喧嘩は大抵すぐに笑い話になってしまう。
今回の一件は私が悪いのだと自覚している。
きっかけは、妹にもらった手作りのブックカバーを友達との卒業旅行の間に失くしたことだ。妹は手先が器用で縫い物や編み物をしては作りすぎたと私にくれるのだけれど、その妹の器用さは私と正反対で、私はそれがずっと羨ましかった。昔一緒に習い始めたピアノも妹の方がどんどん上手くなって、比べられるのが辛くなって私だけ辞めてしまった。さらに言えば妹の方が可愛いし愛嬌もあって、みんなに好かれるタイプだ。私は世渡りの上手い方ではないし料理なんかも苦手で、唯一妹に勝てるのは学校の成績くらいだと思っている。高校受験の頃にそれに気づいて勉強を頑張ってみたけれど、親や先生から褒められてもどこか虚しかった。それはたぶん、もらった褒め言葉に自分で「勉強『は』できるのね」という含みを加えてしまうせいだ。そしてそういうときには妹の顔が浮かぶ。
来週には上京して新生活を始めるのだし今のうちにきちんと謝っておかないとと思い続けてもうしばらく経つのだけれど、今回はつい妹に八つ当たりをしてしまって、そんな自分が情けないやら恥ずかしいやらで謝りそびれているのだ。幼稚な嫉妬がやましくてリビングで顔を合わせてもなんとなく声をかけづらいし、ピアノの発表会前だという妹は妹でピリピリしているようだった。
「日曜日なんだけど」
当たり障りのない会話ばかりを続けるのがこんなにも辛いのだと噛みしめた頃になって、電話を切った母がさらりと口にした。
「やっぱり行けなくなっちゃったの。二人で行ってきてね」
私が家を出る前の最後の週末、出張に出かける父に内緒で三人でスイーツビュッフェを予約したのだ。ところが母が仕事で行けないかもしれないと言い出したのがちょうど一週間前で、そのときは妹と「二人占め」と笑ったのだったけれど。
私は妹と顔を見合わせた。妹はやはり「残念だけど仕事なら仕方ないね」と眉を下げ、そういえばと次の話題に移った。妹のおかげで母は気づいていないようだったけれど、私はたぶん顔に出てしまっていたのだろう。そういうところも、つくづく妹が羨ましい。
小学校の頃は、学校でもよく比べられた。当時からピアノの上手かった妹のことは私の担任も知っていたし、妹の話題になるたび「それに比べて」と聞こえるようだった。だから、妹が制服が可愛いと言って私とは別の中学校に入学したときホッとしたのだ。今も、妹は別の高校を受験しようとしている。
週末は少し暑いくらいのいい天気になったけれど、私も妹も目の前のフルーツゼリーをすくう手は重い。
妹のくれたブックカバーは白地に青い花模様の布で、返しには私のイニシャルが刺繍されていた。受験の最中にクリスマスプレゼントだと押し付けられて、手にとって感心したのを覚えている。
それと同じ生地で作ったシュシュをいじりながら、妹が切り出した。
「ブックカバーなんだけど」
私は口に運びかけたスプーンを皿に戻して、うん、と返す。
「使った?」
「使ってたから失くしたんじゃない」
「そうじゃなくて、受験中に」
「受験中? もらってすぐ使い始めたけど」
要領を得ない質問に返すと、妹は満足したようだった。
「じゃあいいや」
妹は勢いよくオレンジゼリーをすくって一口で食べたあと、今度は少し弾んだ声で続けた。
「あれ、ちょっと意地悪したんだよね」
「意地悪?」
つられて、私も声が大きくなる。
「受験中にちょっと魔がさせばいいなあと思って。ほら、受験が終わるまで本を読むのを我慢するって言ってたじゃない」
少し得意げな妹の顔を見て、思わず笑いが漏れた。
「残念でした、数学の公式集に使ってたのよ」
「なあんだ」
二人顔を見合わせて吹き出した。さっきまでの気まずい空気はもうどこにもなかった。
「お姉ちゃん、私の分まで学力を持っていったでしょ。ちょっと羨ましかったの、ごめん」
「私も失くしてごめん」
滑るように口から出た言葉は、私の中に溜めていたときには考えられなかったほどするりと妹の耳に届き、さして心を動かさなかったようだった。妹はご機嫌な様子でゼリーを平らげ、チョコレートケーキをフォークでつつき始めた。
「ねえ、持っていったってなに」
心に乗っていた重しが取れたところで、今度はどうでもいいようなことが気になった。なんでも話せそうなこの機に乗じて聞いてしまおうと尋ねると、妹は不意を突かれたように笑い出し、口に運ぼうとしていたケーキを取り落とした。
「言うつもりじゃなかったのに。聞き流してよ」
「気になるのよ」
「んん、まあいいか。あれはね、」
お姉ちゃんはお母さんのお腹にいる間に、私の分まで学力を持って行っちゃったの。だから私は勉強が苦手だし、仕方ないんだってずっと思ってたの。現実逃避したかったのかも。
二人で帰る道すがら妹の持論を反芻した。初めは斜め上の言いがかりだと聞き流していたけれど、よくよく考えると互いに似たようなことを考えていたのかもしれない。そしてようやく互いの視点に立つことができたのだ。私が志望大学に受かったのは妹のおかげ、妹がピアノが得意で皆に好かれるのは私のおかげ。
「ねえ、夏休みに東京に遊びに行ってもいい」
「私の方が先に休みになるし、帰ってくると思うけど」
「いいの、遊びに行く。観光したいし」
なるほど、落としものも悪くない。
いつもならどちらかの服を勝手に着ただとかテレビのチャンネルを勝手に変えただとか些細なことで口論になって、そしてそういう喧嘩は大抵すぐに笑い話になってしまう。
今回の一件は私が悪いのだと自覚している。
きっかけは、妹にもらった手作りのブックカバーを友達との卒業旅行の間に失くしたことだ。妹は手先が器用で縫い物や編み物をしては作りすぎたと私にくれるのだけれど、その妹の器用さは私と正反対で、私はそれがずっと羨ましかった。昔一緒に習い始めたピアノも妹の方がどんどん上手くなって、比べられるのが辛くなって私だけ辞めてしまった。さらに言えば妹の方が可愛いし愛嬌もあって、みんなに好かれるタイプだ。私は世渡りの上手い方ではないし料理なんかも苦手で、唯一妹に勝てるのは学校の成績くらいだと思っている。高校受験の頃にそれに気づいて勉強を頑張ってみたけれど、親や先生から褒められてもどこか虚しかった。それはたぶん、もらった褒め言葉に自分で「勉強『は』できるのね」という含みを加えてしまうせいだ。そしてそういうときには妹の顔が浮かぶ。
来週には上京して新生活を始めるのだし今のうちにきちんと謝っておかないとと思い続けてもうしばらく経つのだけれど、今回はつい妹に八つ当たりをしてしまって、そんな自分が情けないやら恥ずかしいやらで謝りそびれているのだ。幼稚な嫉妬がやましくてリビングで顔を合わせてもなんとなく声をかけづらいし、ピアノの発表会前だという妹は妹でピリピリしているようだった。
「日曜日なんだけど」
当たり障りのない会話ばかりを続けるのがこんなにも辛いのだと噛みしめた頃になって、電話を切った母がさらりと口にした。
「やっぱり行けなくなっちゃったの。二人で行ってきてね」
私が家を出る前の最後の週末、出張に出かける父に内緒で三人でスイーツビュッフェを予約したのだ。ところが母が仕事で行けないかもしれないと言い出したのがちょうど一週間前で、そのときは妹と「二人占め」と笑ったのだったけれど。
私は妹と顔を見合わせた。妹はやはり「残念だけど仕事なら仕方ないね」と眉を下げ、そういえばと次の話題に移った。妹のおかげで母は気づいていないようだったけれど、私はたぶん顔に出てしまっていたのだろう。そういうところも、つくづく妹が羨ましい。
小学校の頃は、学校でもよく比べられた。当時からピアノの上手かった妹のことは私の担任も知っていたし、妹の話題になるたび「それに比べて」と聞こえるようだった。だから、妹が制服が可愛いと言って私とは別の中学校に入学したときホッとしたのだ。今も、妹は別の高校を受験しようとしている。
週末は少し暑いくらいのいい天気になったけれど、私も妹も目の前のフルーツゼリーをすくう手は重い。
妹のくれたブックカバーは白地に青い花模様の布で、返しには私のイニシャルが刺繍されていた。受験の最中にクリスマスプレゼントだと押し付けられて、手にとって感心したのを覚えている。
それと同じ生地で作ったシュシュをいじりながら、妹が切り出した。
「ブックカバーなんだけど」
私は口に運びかけたスプーンを皿に戻して、うん、と返す。
「使った?」
「使ってたから失くしたんじゃない」
「そうじゃなくて、受験中に」
「受験中? もらってすぐ使い始めたけど」
要領を得ない質問に返すと、妹は満足したようだった。
「じゃあいいや」
妹は勢いよくオレンジゼリーをすくって一口で食べたあと、今度は少し弾んだ声で続けた。
「あれ、ちょっと意地悪したんだよね」
「意地悪?」
つられて、私も声が大きくなる。
「受験中にちょっと魔がさせばいいなあと思って。ほら、受験が終わるまで本を読むのを我慢するって言ってたじゃない」
少し得意げな妹の顔を見て、思わず笑いが漏れた。
「残念でした、数学の公式集に使ってたのよ」
「なあんだ」
二人顔を見合わせて吹き出した。さっきまでの気まずい空気はもうどこにもなかった。
「お姉ちゃん、私の分まで学力を持っていったでしょ。ちょっと羨ましかったの、ごめん」
「私も失くしてごめん」
滑るように口から出た言葉は、私の中に溜めていたときには考えられなかったほどするりと妹の耳に届き、さして心を動かさなかったようだった。妹はご機嫌な様子でゼリーを平らげ、チョコレートケーキをフォークでつつき始めた。
「ねえ、持っていったってなに」
心に乗っていた重しが取れたところで、今度はどうでもいいようなことが気になった。なんでも話せそうなこの機に乗じて聞いてしまおうと尋ねると、妹は不意を突かれたように笑い出し、口に運ぼうとしていたケーキを取り落とした。
「言うつもりじゃなかったのに。聞き流してよ」
「気になるのよ」
「んん、まあいいか。あれはね、」
お姉ちゃんはお母さんのお腹にいる間に、私の分まで学力を持って行っちゃったの。だから私は勉強が苦手だし、仕方ないんだってずっと思ってたの。現実逃避したかったのかも。
二人で帰る道すがら妹の持論を反芻した。初めは斜め上の言いがかりだと聞き流していたけれど、よくよく考えると互いに似たようなことを考えていたのかもしれない。そしてようやく互いの視点に立つことができたのだ。私が志望大学に受かったのは妹のおかげ、妹がピアノが得意で皆に好かれるのは私のおかげ。
「ねえ、夏休みに東京に遊びに行ってもいい」
「私の方が先に休みになるし、帰ってくると思うけど」
「いいの、遊びに行く。観光したいし」
なるほど、落としものも悪くない。
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