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○1章 異世界の少女達

 -9 『バイトも大変』

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「いっただっきまーす」

 机に並べられたハンバーグのお皿を前に、手を合わせた千穂が嬉しそうに言った。俺もエプロンを外して座り、同じように「いただきます」と呟く。

 真っ白いご飯に、丸皿に乗った二つのハンバーグとレタスにトマト。
 ハンバーグは少し焦げてしまったが、箸で割るとほどよく肉汁が垂れ流れ、同時に十分炒められたたまねぎの甘い香りが鼻腔をくすぐってくる。

「お兄ちゃん、すっごい美味ひー!」

 リスのように両頬に詰め込んで膨らませた千穂が、満足そうな笑みを浮かべて親指を立てた。

「今日は花丸です。合格」
「それはどうも。お眼鏡にかなって光栄だな」
「千穂は明日もこれを所望します!」

「いやいや、もう買い物は済ませてるんだ。明日はほっけの開きだ」
「ええー。千穂、あれイヤ。骨があって食べづらいんだもん」
「文句を言うな。魚を食うのも大事なんだぞ」

 ぶーぶー、と千穂がわざとらしく口を尖らせる。

 さっきまでは笑っていたのに、表情に忙しい奴だ。そう思いながら眺めていると、千穂はハンバーグの残りを口に放り込み、またけろりと表情を一変させて破顔させていた。

 夕食後は洗い物を済ませた千穂と一緒に居間でテレビを見た。

「ねえ、お兄ちゃん」

 一時間枠の動物番組が終わった頃、唐突に千穂が声をかけてきた。
 また「○○が飼いたい」などと言い出すのかと思ったが、ソファに寝転がる俺に改まって正座して向き直ったのを見て、少し様子が違うことに気づいた。

「私もお母さんたちやお兄ちゃんが働いてる旅館に行きたい」
「ダメだ」

 即答だ。

 ずっと昔、まだ旅館の裏山で異世界との『門』が開く前は、俺も千穂も旅館に併設された実家に住んでいた。だが異世界との交流を持ち、異世界間交流旅館として生まれ変わることになって以降、千穂はいまだに旅館に戻ったことがなかった。

 かくいう俺も、旅館でのバイトを始めてからやっと戻れたくらいだ。
 その時に初めて異世界のことを知り、あまりに現実離れした事実に愕然とした覚えがある。

 旅館の外観には認識阻害魔法がかけられているらしい。

 知らない人が外から見ればただの古ぼけた旅館なのだが、一歩中に入れば異世界の住人が闊歩する別世界だ。ただの子どもがそれを知って、必ずしも他に口外しないとは限らない。

「いいじゃんいいじゃん。行きたいの!」
「ダメだ。遊びに来るようなところじゃないんだぞ。前にも言っただろ」
「小さい頃はよく行ってたじゃん」
「それはそれ、これはこれだ。父さんらの仕事の邪魔になるだろ」
「邪魔しないからぁ!」

 どうすれば言い聞かせられるのか。異世界という事情を説明できないのが歯がゆい。食い下がる千穂に辟易しながらも、いつか諦めるだろうと適当にあしらい続けておいた。

 それからも千穂は延々と駄々をこね続けていたが、さすがに眠気には勝てず、風呂に入ってからは大人しく自室で眠ってくれた。やはりまだまだ子どもだ。

 自分の部屋で学校の課題を済ませておく。
 最近は両親にひどくこき使われていて、若者の本分である学業が疎かになり気味だ。

 せっかくお金を稼いでも、東京の大学に受かれる程度には成績も収めておかなければならない。だが俺のことを都合のいい仕事道具のように扱う両親のせいで、給料はいいが、自分の時間をことごとく削られるばかりだった。

 寝転んでいるとスマホのアラームが鳴った。十一時半を知らせるアラームだ。
 それを反射的にすぐ止めると、部屋の天井を見やりながら深く息をつく。

「はあ、行くか」と俺は重い身体を持ち上げてベッドから起き立った。
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