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○3章 旅館のあり方
-2 『大問題』
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昔の事を夢で見たのは久しぶりだった。
昨日、アーシェの部屋の前で蛍のことを思い出したせいだろう。
目が覚めると部屋はすっかり明るくなっていた。
窓の外には陽光が照りつけ、初夏がそろそろ顔を出してきたかのようなやんわりとした暑さを漂わせている。
どれくらい眠ったのだろうか。
脇に置いていたスマホで時間を確認しようと布団の中に手をもぐらせる。
手探りの中、ふとなにか生暖かいものにぶつかる感触を得た。
「……ん?」
布団の中にあるその何かをもう一度触ってみる。
なんだろうか。やわらかく、すべすべしている。
もう少し探ろうと手を更に布団の中に沈めこませた時だ。
「ひゃんっ」と唐突に声が聞こえた。布団の中からだ。
慌てて布団を取り除ける。そこには、
「エ、エルナト?!」
どういうわけか、昨夜見た浴衣姿のままのエルナトがそこにいた。猫のように背を丸め、俺の布団の中に忍び込んでいた。
「ハル、やっぱり大胆なんだね」と顔を赤らめている。
その理由は俺の手に位置にあった。スマホを探っていたはずの俺の手は、エルナトの胸元からはだけた服と肌の間に滑り込み、ちょうど脇の辺りに突き刺さっていたのだ。
状況を理解できず、俺はとにかく慌てて手を引っ込めた。
「こんなところにも興味があるなんて。どうしよう。ボク、旦那様の性癖に応えられるかな」
「いやいや待て待て。なに言ってるんだ。というか、なんでここにいるんだ」
「ハルに会いたくなったんだもん。どんなところに住んでるのかなって気になるし」
「いや、でも家の場所はわかるはずがないだろう」
「ああ、それね」
エルナトが懐から小瓶を取り出す。
中にはカナブンによく似た虫が入っている。
「ツガイムシっていう向こうの世界の変わった習性をもつ虫だよ。メスはまったく動かないんだけど、番になったオスはどれだけ離れたところにいてもメスの所に戻ってくるんだ。だからメスを誰かにくっつけてやると、それを追いかけるオスをたどれば簡単に出会えちゃうんだ」
言われ、そういえば昨夜の帰り際、エルナトが不自然なボディタッチをしてきたことを思い出す。そういうことか、と俺は顔をしかめた。
「でも、だからって家の鍵がかかってたはずだ。そんな簡単に入れるわけ――」
「それはもう、ボクの工作道具でちょちょいっと」
エルナトはそう言って懐に忍ばせている工具を自慢げに見せ付けてきた。
目の前の事実に、俺の背に変な冷や汗が流れ始める。
自称・男のくせに絹のような艶肌が目の前にある興奮とは別に、それをはるかに凌駕する緊急事態に胃が窄むほどの焦りを覚えた。
そう、これは大問題だった。
「エルナト。お前、ここに来ることを誰かに言ったか?」
「え? 言ってないけど」
「やっぱり」
エルナトの返答を聞いて、俺の顔が一瞬にして青ざめる。
「来い!」
慌てて飛び起き、俺は大急ぎでエルナトを連れて旅館にまでひた走った。
○
案の定、旅館に駆けつけると館内は大騒ぎになっていた。
当然だ。
異世界人は原則、許可がなければ旅館の外に出られない。申請をして、許可が下りて初めて外に出られるのだ。
それは異世界の情報をみだりに外部へ出さないための処置でもあるし、こちらの世界にやって来た異世界人を監視下に置いておきたいという意味合いもある。そのため、異世界人の所在の管理は絶対なのだ。
異世界人が旅館から外に出られるのはロビーからの正面玄関を通してでなければ不可能だ。敷地内は厳重な結界魔法がかけられており、中庭から飛び立つことすらできないようにされている。
唯一通ることができる正面玄関も、必ずフロントに誰かを置くことで見張っているし、その付近を政府の人間が二十四時間監視しているという話だ。
非常に厳重な監視網があるはずのその旅館から、どういうわけかエルナトが抜け出してきてしまったのだ。監視すべき対象の所在がわからなくなれば大事になるのは必至である。
「あっ、ハルくん!」
事務所に顔を出すと、ノートパソコンを前に頭を抱えて突っ伏していたふみかさんが悲壮な顔を浮かべて駆け寄ってきた。半ば涙目になっているが、その理由も簡単に想像がつく。
「大変よ。お客様が一人、行方不明なの」
どう言い出せばいいかわからず、俺は後ろについてきていたエルナトの襟首を引っ張って無理やりふみかさんの前に放り出した。
「……あれ?」とエルナトに気づいたふみかさんが腑抜けた声を漏らす。
「こいつです。こいつが行方不明の張本人です」
えへっ、とおどけるようにエルナトが笑みを浮かべて進み出る。
それを見たふみかさんは呆けたように固まったが、やがて思考が追いついたのか、
「……よ、よかったああああああああああ!」
まるで赤ん坊のように、ふみかさんは深く息を吐きながら膝を折って泣き崩れてしまった。
○
腰を抜かしたふみかさんが再起するのに数分を要した。
その後、館内を駆け回っていた従業員や俺の両親たちを集め、騒動の取り纏めが行われた。
エルナトは旅館にすんなりと戻ってきたものの、重要機密が漏れ出る危険があったのだ。俺の両親の表情は神妙で、こと息子である俺が関わっているだけに余計にバツが悪そうだった。
数十分にも及ぶ話し合いの結果、ひとまずはエルナトに対する厳重注意と従業員による更なる注意の促進というところで話が落ち着いた。
あくまで仮処分という形で、実際のエルナトの処分に関しては政府の意向を伺うらしいが、概ね現状のままで終わるだろう。
よほど重大と見た場合は何かしらの措置がなされる可能性もあるが、政府側の監視不備の責任も少なからずはあり、ふみかさん曰くそれはないだろうとのことだった。
「それにしても夜中だとはいえ監視体制はちゃんとしてたはずだろ。どうやったんだ」
「ハルたちが使っている出口があるでしょ。あれをちょちょいと弄ったら普通に開いたよ」
ドライバーやピックのような自前の工作道具を取り出し、さも自慢げにエルナトが言う。
簡単には言うが、従業員用で入り口はかなり最先端のカードキー式だったはずだ。
一体どう弄ったというのだろうか。とんでもない話だが、手先が器用なエルフ族であるエルナトのこれまでの工作を考えれば不可能とも思えない辺りが恐ろしい。
「魔法でも使ったのかしら。これに関しては私たちも甘かったわ。玄関や中庭は厳重に警備していたけれど、まさかあのセキキュリティを突破できるだなんて。いろいろと考え直す必要があるのかもしれないわ」
ふみかさんの言葉に、隣で話を聞いている俺の両親も頷く。
「とにかく、この件に関しては政府直轄である私が預かります」
「すみません、ふみかさん」
「ハルくんは悪くないわ」
「ごめんなさい。ボク、悪かったって思ってるよ」
エルナトも十分に反省してるようで素直に頭を下げる。
肩を落としてしょぼくれた様子のエルナトに、それでもふみかさんは「大丈夫」と優しく微笑み返してくれた。
昨日、アーシェの部屋の前で蛍のことを思い出したせいだろう。
目が覚めると部屋はすっかり明るくなっていた。
窓の外には陽光が照りつけ、初夏がそろそろ顔を出してきたかのようなやんわりとした暑さを漂わせている。
どれくらい眠ったのだろうか。
脇に置いていたスマホで時間を確認しようと布団の中に手をもぐらせる。
手探りの中、ふとなにか生暖かいものにぶつかる感触を得た。
「……ん?」
布団の中にあるその何かをもう一度触ってみる。
なんだろうか。やわらかく、すべすべしている。
もう少し探ろうと手を更に布団の中に沈めこませた時だ。
「ひゃんっ」と唐突に声が聞こえた。布団の中からだ。
慌てて布団を取り除ける。そこには、
「エ、エルナト?!」
どういうわけか、昨夜見た浴衣姿のままのエルナトがそこにいた。猫のように背を丸め、俺の布団の中に忍び込んでいた。
「ハル、やっぱり大胆なんだね」と顔を赤らめている。
その理由は俺の手に位置にあった。スマホを探っていたはずの俺の手は、エルナトの胸元からはだけた服と肌の間に滑り込み、ちょうど脇の辺りに突き刺さっていたのだ。
状況を理解できず、俺はとにかく慌てて手を引っ込めた。
「こんなところにも興味があるなんて。どうしよう。ボク、旦那様の性癖に応えられるかな」
「いやいや待て待て。なに言ってるんだ。というか、なんでここにいるんだ」
「ハルに会いたくなったんだもん。どんなところに住んでるのかなって気になるし」
「いや、でも家の場所はわかるはずがないだろう」
「ああ、それね」
エルナトが懐から小瓶を取り出す。
中にはカナブンによく似た虫が入っている。
「ツガイムシっていう向こうの世界の変わった習性をもつ虫だよ。メスはまったく動かないんだけど、番になったオスはどれだけ離れたところにいてもメスの所に戻ってくるんだ。だからメスを誰かにくっつけてやると、それを追いかけるオスをたどれば簡単に出会えちゃうんだ」
言われ、そういえば昨夜の帰り際、エルナトが不自然なボディタッチをしてきたことを思い出す。そういうことか、と俺は顔をしかめた。
「でも、だからって家の鍵がかかってたはずだ。そんな簡単に入れるわけ――」
「それはもう、ボクの工作道具でちょちょいっと」
エルナトはそう言って懐に忍ばせている工具を自慢げに見せ付けてきた。
目の前の事実に、俺の背に変な冷や汗が流れ始める。
自称・男のくせに絹のような艶肌が目の前にある興奮とは別に、それをはるかに凌駕する緊急事態に胃が窄むほどの焦りを覚えた。
そう、これは大問題だった。
「エルナト。お前、ここに来ることを誰かに言ったか?」
「え? 言ってないけど」
「やっぱり」
エルナトの返答を聞いて、俺の顔が一瞬にして青ざめる。
「来い!」
慌てて飛び起き、俺は大急ぎでエルナトを連れて旅館にまでひた走った。
○
案の定、旅館に駆けつけると館内は大騒ぎになっていた。
当然だ。
異世界人は原則、許可がなければ旅館の外に出られない。申請をして、許可が下りて初めて外に出られるのだ。
それは異世界の情報をみだりに外部へ出さないための処置でもあるし、こちらの世界にやって来た異世界人を監視下に置いておきたいという意味合いもある。そのため、異世界人の所在の管理は絶対なのだ。
異世界人が旅館から外に出られるのはロビーからの正面玄関を通してでなければ不可能だ。敷地内は厳重な結界魔法がかけられており、中庭から飛び立つことすらできないようにされている。
唯一通ることができる正面玄関も、必ずフロントに誰かを置くことで見張っているし、その付近を政府の人間が二十四時間監視しているという話だ。
非常に厳重な監視網があるはずのその旅館から、どういうわけかエルナトが抜け出してきてしまったのだ。監視すべき対象の所在がわからなくなれば大事になるのは必至である。
「あっ、ハルくん!」
事務所に顔を出すと、ノートパソコンを前に頭を抱えて突っ伏していたふみかさんが悲壮な顔を浮かべて駆け寄ってきた。半ば涙目になっているが、その理由も簡単に想像がつく。
「大変よ。お客様が一人、行方不明なの」
どう言い出せばいいかわからず、俺は後ろについてきていたエルナトの襟首を引っ張って無理やりふみかさんの前に放り出した。
「……あれ?」とエルナトに気づいたふみかさんが腑抜けた声を漏らす。
「こいつです。こいつが行方不明の張本人です」
えへっ、とおどけるようにエルナトが笑みを浮かべて進み出る。
それを見たふみかさんは呆けたように固まったが、やがて思考が追いついたのか、
「……よ、よかったああああああああああ!」
まるで赤ん坊のように、ふみかさんは深く息を吐きながら膝を折って泣き崩れてしまった。
○
腰を抜かしたふみかさんが再起するのに数分を要した。
その後、館内を駆け回っていた従業員や俺の両親たちを集め、騒動の取り纏めが行われた。
エルナトは旅館にすんなりと戻ってきたものの、重要機密が漏れ出る危険があったのだ。俺の両親の表情は神妙で、こと息子である俺が関わっているだけに余計にバツが悪そうだった。
数十分にも及ぶ話し合いの結果、ひとまずはエルナトに対する厳重注意と従業員による更なる注意の促進というところで話が落ち着いた。
あくまで仮処分という形で、実際のエルナトの処分に関しては政府の意向を伺うらしいが、概ね現状のままで終わるだろう。
よほど重大と見た場合は何かしらの措置がなされる可能性もあるが、政府側の監視不備の責任も少なからずはあり、ふみかさん曰くそれはないだろうとのことだった。
「それにしても夜中だとはいえ監視体制はちゃんとしてたはずだろ。どうやったんだ」
「ハルたちが使っている出口があるでしょ。あれをちょちょいと弄ったら普通に開いたよ」
ドライバーやピックのような自前の工作道具を取り出し、さも自慢げにエルナトが言う。
簡単には言うが、従業員用で入り口はかなり最先端のカードキー式だったはずだ。
一体どう弄ったというのだろうか。とんでもない話だが、手先が器用なエルフ族であるエルナトのこれまでの工作を考えれば不可能とも思えない辺りが恐ろしい。
「魔法でも使ったのかしら。これに関しては私たちも甘かったわ。玄関や中庭は厳重に警備していたけれど、まさかあのセキキュリティを突破できるだなんて。いろいろと考え直す必要があるのかもしれないわ」
ふみかさんの言葉に、隣で話を聞いている俺の両親も頷く。
「とにかく、この件に関しては政府直轄である私が預かります」
「すみません、ふみかさん」
「ハルくんは悪くないわ」
「ごめんなさい。ボク、悪かったって思ってるよ」
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