ホシノミタユメ -まだ何者にもなれない僕たちは、夜空に新星の夢を見る―

矢立まほろ

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第2話『アマチュア天文ライター』 Side智幸

2-4

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 今度は宗也くんと二人きりになった。ざらつくコンクリートの上に、並んで腰を下ろしていた。

 錆びた鉄の欄干の向こうに沈んでいく夕日の頭が見える。風にも幾分かの冷たさが混じり、半袖のシャツではいささか寒気すら感じられた。

 丘の上にある学校の、さらにその屋上ともなれば、それなりに冷えるものだ。

 わずかに体を傾けると、ナイター設備のないグラウンドが見下ろせた。さっきまで盛んに声を上げていた運動部員たちの姿も今はもう見えなくなっている。

 静かだった。
 カラスの間の抜けた鳴き声や、木々の葉が擦れあう音だけが世界を包み込んでいるかのようだ。

 隣で寝転ぶ宗也くんは今にも睡魔に負けそうになっていた。眼はうつろで、焦点をはっきりさせていない。

「取材ってことで、いろいろと聞かせてもらっていいかな」

 メモ帳をバッグから取り出して僕が言う。
 勝手にどうぞ、と僕に宛てられたとも思えないような気だるい声が返ってきた。

 苦笑を浮かべ、なおも僕は声調を整えて言葉を続ける。

「宗也くんは天文部の部長なんだよね。星が好きなの?」
「そうでもないです」

 返事はやはり、僕ではなくあさっての方向へと向けられていた。

「じゃあ、なんで天文部に?」
「部員が少なかったから、かな。今年からは俺一人だったから、好き勝手のんびりできるし」
「あ、そうなんだ」

 それきり会話は途切れてしまった。

 欠伸まじりにそっぽを向き、宗也くんは中空を見上げる。
 なんでも一生懸命に取り組む――美晴ちゃんから聞いた話とは違う気がする。

 まあ、他人の評価など案外そういうものだ。自分の知っている相手がその相手の本性ではないという事は往々にある。

 ふとやってきた妙な静けさに苦笑しつつ、僕は手元においていた大きめのバッグから、三つ束になったアルミ製の棒を取り出した。

「なんですか、それ」

 宗也くんが気づき、倒していた上半身を起こして尋ねてくる。目の前に置かれた三つ脚のそれを見て彼はすぐに言いなおした。

「三脚、ですか」
「うん。他の時もそうだけど、星を撮るときは特にカメラをしっかりと固定しておくことが大切なんだ」
「へえ、そうなんだ」

 さきほどまでの無関心さとは打って変わって、宗也くんは物珍しそうに三脚を見回していた。

 僕だって写真について精通しているわけではない。インターネットや解説本などを読みあさり、独学とも近い感覚で知識をかき集めたにすぎない。思考錯誤を繰り返し、今ではそれなりの写真をとれるようにはなったが。

 三脚を組みたて、今度は自前のカメラをバッグから取り出す。型は古めだが、値段も張るなかなかに高性能なデジタル一眼レフだ。漆黒のプラスチック製ボディは、やや粗目となっていてざらざらした手触りが良い。

 底に空いたネジ穴から三脚を差し込み、固定する。広い景色を撮れる広角レンズを取り付けて三脚の首を夜空へと向けた。

「みんな初心者でしょ。まずは写真を撮るだけでも良いと思うんだ。適当に星の写真を撮ってみて、どういったものか具合を解ってもらおうかな、ってね」
「それで星が撮れるんですか」

「うん、問題ないはずだよ、幸いこのあたりはまだ星がよく見える。丘の上だし、町の夜光がそれほど強くはないからね」
「へえ、すげえ」

 目をまん丸くして食い入るように見つめる宗也くんは、まるでおもちゃ屋の前に並ぶショーケースのおもちゃを物欲しそうに見つめる子どものようだ。夏服の薄地のズボンが汚れることも気にせず、ざらついた屋上のタイルに膝をついている。

 何より僕は、こうして会話ができている事に大きく安堵していた。初めのうちの宗也くんがあまりに無関心そうだったからだ。

 せっかく足を運んできて、実はやる気のない人ばかりでした、などと言われてはたまったものではない。記事にすらできないだろう。

 隣で息を弾ませるようにしている彼を横目に微笑を浮かべ、ファインダーを覗きこむ。小さな窓枠越しに見えるレンズの向こうには、淡いオレンジ色に染まった空と、そこにぽつりと浮かぶ宵の明星の姿があった。

 この様子ならば、あと一時間もしないうちに空は暗くなるだろう。

 満点の星空に気持ちを急かしながら、僕は闇に抱かれ始めた空を眺め続けた。

 宗也くんもすっかり上体を起こし、胡坐をかいている。微かに、彼の鼻息が荒くなっているように感じた。

「さっきまでは興味がないって感じだったのに。急に乗り気になったね」
「別に。ただ、こういった一眼のカメラとかを見る機会なんて滅多にないですから」

 僕の声に答える宗也くんは、どこか狼狽するようなぎこちない口調だった。頬が赤みを帯びているのは、彼方に消え入ろうとしている夕陽のせいではないだろう。

 宗也くんは口を尖らせながらも、なおも言葉を続けた。

「それに……天乃も頑張ってるし、暇つぶしに手伝ってやるのも悪くないかなって思えてきただけですよ」

 言って、宗也くんはそっぽを向いてしまった。照れ隠しだとすぐにわかった。おそらくそっちのほうが本音なのだろう。

「ちゃんと、自分がやり遂げたい事を掲げられてるあいつは、凄いです」
「きみには、そういったやり遂げたいことは無いのかい?」

 僕の問いに、彼の目線が下がる。声調に陰がまじった。

「無いですよ。夢を見るのは、それを叶える努力のできる人がするべきことですから。だから、俺には無理です」

 何か吐き捨てるような言い方だった。

 伏せた瞳はさきほどまでの輝きを失っている。宗也くんは胡坐を崩すと、膝を立ててそこに顔を埋めた。

 虚ろに開く彼の視線の先には何が映っているのだろう。僕にはわからなかった。

 コンクリートのタイルと、鉄の柵。黄昏時も終わりゆく西の空。高いところを流れる薄い雲。一つだけ、ぽつりと輝く金星。

 宗也くんは、僕とまったく違うものを見ているのだろうか。

 僕たちはしばらく、空の向こうを眺め続けた。
 どこか遠くでカラスが鳴いた。夕風の凪ぐ音も聞こえた。

「あんまり、自分を低く見過ぎない方が良いよ」

 ふと、僕はそんな事を口にしていた。

「なんですか、いきなり」
「自分を低く見てると、それを失敗した時の言い訳にしちゃうからね。もともと自分にはできなかったんだ。この結果は仕方のない事なんだ、ってね」

 知り合いからの受け売りの言葉だ。
 人は誰だって、言い訳を考えながら生きている。仕方のない事だ。僕たちはあまりに弱く、それがまだ未成熟な高校生ともなればなおさらだった。

 宗也くんはまさに、言い訳を付けて何かから逃げているように見えた。

 それがいったい何なのかは、僕のような若輩者にはわからない。まだ成人を迎えてから数年しか経っていない僕なんかが、偉そうにどうこう言えるようなものではないのかもしれない。

 それでも、僕は言葉を続けた。

「もちろん過信もダメだけど。ちゃんと、自分に自信をつけてやらないとね」

 宗也くんはさらに深く顔を埋めこんでしまった。膝を抱え、ぼそりと呟く。

「……大きなお世話ですよ」
「そうかい」

 僕は思わず笑った。素直じゃないなあ、と。

 それから僕たちは、静かに夜を待った。

 まだ明るみの抜けない空に、金星の他にもいくつかの光源が見え始めた。また一つ、また一つと増えていく星に、期待はおのずと高まっていく。

 すっかり辺りが闇に包まれた頃、僕たちが背にしていた階下への扉が重い金属音を掻きならしながらゆっくりと開いた。

「おまたせ。たくさん買ってきたよ」

 コンビニのレジ袋を提げた菜摘ちゃんが、軽快な足取りで屋上へと入ってきた。僅かに遅れて、同じくレジ袋を持った美晴ちゃんも姿を現す。

 もう日も暮れ、いい時間帯だ。ちょうど腹も空くだろうと思い、二人には買出しに行ってもらっていたのだ。もちろん――部費が出ないらしく泣く泣くだが――お金は僕が出している。

 携帯電話の液晶を除くと、時刻は七時半ごろを示していた。うん、頃合いだ。

 歩み寄ってきた菜摘から、僕はレシートと釣り銭を受け取った。

「ありがと。悪いね、重たかったでしょ」
「いいえ、問題ないですよ。女の子は買い物が好きですから」

 いたずらに妖艶な微笑を浮かべ、菜摘ちゃんはレジ袋を僕たちの前に置いた。美晴ちゃんも隣に並べ、みんなで取り囲むように座り合った。

 袋からおにぎりを取り出し、みんなで配る。僕の手元には、おにぎりが二つとペットボトルのコーヒーが行き渡った。

「あれ、コーヒーしかないの?」
「おにぎりといったらコーヒーですよ」

 僕がみんなの手元を見回しながら言うと、菜摘ちゃんが当然だという風に素っ気無く答えた。彼女の手元にもおにぎり二つと糖質控えめのカフェオレが置かれている。

 ――おにぎりにコーヒーか。普通はお茶とかじゃないのかな。

 などと怪訝に思っていると、右隣に座っていた宗也くんも小首をかしげているようだった。違和感を覚えたのは僕だけじゃないんだ、と安堵に胸を撫で下ろす。

 美晴ちゃんが僕たちを見て苦笑しているのに気付いた。やっぱり変ですよね、という彼女の言葉が聞こえてきそうなほどだった。

 おそらく、菜摘ちゃんのチョイスなのだろう。
 買出しに行ってもらっただけに、どうも言い出しづらい。

 僕たちは大人しくその組み合わせでおにぎりを食べていった。お米を噛み締めてできあがったブドウ糖とコーヒーの糖分で、口の中はあっという間に甘ったるくなったいった。

「なんだか水がほしくなるな」
「合わないですか?」
「い、いや。そういうわけじゃないんだけどね。あははっ」

 悪くはない組み合わせだが、せめてコーヒーは無糖でよかったかもしれない。

 他愛の無い談笑をまじえつつ、僕たちは夕食をとり終えた。

 満腹感に浸りつつ、みんないっせいに夜空を仰いだ。空にはすでに豪勢な星の絨毯が敷かれていた。

 南東の低い空には、秋の夜を彩る一等星のフォーマルハウトが見えた。秋に浮かぶたったひとつの一等星。ひとりきりで、懸命に輝いている。

 邪魔をする光源も少なく、丘の上から見上げる星空は格別だった。都会ではまず見れないだろう。

 宗也くんも、菜摘ちゃんや美晴ちゃんも、しばらくの間、浸るようにひたすら空を見入っていた。

 静かだった。
 自分の鼓動の音が驚くほどにうるさく感じた。

 体が夜に溶けていく。
 すぐ傍にいるはずの宗也くんの輪郭すら薄らいで見える。

 僕たちを照らすのはほんの僅かな星の光だけだ。真上に広がるのは、宝石のように星が散りばめられた、真っ黒というよりも瑠璃色のようなドーム状の天井。

 心地の良い闇に呑まれた気分だった。

「じゃあ、始めようか」

 僕の声を発端に三人が頷く。
 こうして、僕たちの星空観測会は始まったのだった。
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