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第4話『取捨選択』 Side宗也

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「どうだい、宗也くん」

 智幸さんは俺に一枚の写真を手渡してくれた。

 星空の写真だった。
 俺たちと夜の屋上に集まった時、智幸さんが撮ったものだ。

 一面に広がった群青色を背に、白や赤に輝く無数の星たちが散りばめられている。あの日、肉眼で見たほぼそのままの光景が鮮明に写し出されていた。

 蒼井智幸というアマチュア天文家が来てからというもの、俺たち天文部の活動は盛んになっていた。

 本格的に、新星を見つけようと動き出したのだ。初めはなんの冗談だと思っていたが、活動を続けるにつれ、それは思った以上に現実味を持ち始めていた。

 智幸さんが顔を出してくれる日に行われる観測会。週に二度というそのペースは、俺たちにもちょうどいい頻度だった。

 木曜日は美晴も都合が悪いらしいし、俺だって、そう毎日続けられては疲れもたまるというものだ。かといって放課後に行く当ても無く、俺は放課後になると決まって部室へと足を運んでいた。

 あっという間に日は過ぎていき、気がつけば、俺たちが初めて夜の活動をした日からもうすでに半月が経とうとしている。

 先週は学校ではなく別の山に登って観測会もしたし、智幸さんの来れない日には、働いている本屋に俺たちが出向いて公然と本を漁ったりもした。立ち読みするのはさすがに印象が悪いので、金を出し合って本を買ったりもした。

 少しずつ、俺たちの生活が天文色に染められていく。そんな気がした。

 そして今日。
 五度目の観測会を行なうために、俺は放課後の部室へとやって来ていた。

「宗也くんも、だいたいカメラの使い方がわかってきたみたいだね」

 窓際でパイプ椅子に腰掛けていた俺と向かい合うように椅子を持ち寄り、智幸さんが言った。

 星がたくさん写った写真を片手に、俺は薄っすらと苦笑を浮かべる。

「まだ、ちゃんと指示してもらわないと上手く撮れないですよ。シャッタースピードだとか、レンズの露光時間だとか、そういったのが何なのかまったくわからないですから」

 智幸さんに渡された写真は、彼が仕事の予備でたまに使っているカメラで撮ったものだった。

 これまでも、智幸さんにレクチャーしてもらいつつ、俺や菜摘たちが交代で撮る練習をした。今日はまだ二人が来ていないので俺の番だ。

 窓の桟の上にも数枚の写真が置かれている。型の古そうなデジタル一眼カメラにしては写りがよく、綺麗な写真を撮ることができていた。

 もちろん、画集などでお金をもらえるようなほどではない。まったくの初心者が撮ったものだ。構図などに一切の配慮もされていないし、完全にカメラの性能を頼りにしただけの一枚絵に過ぎない。

「結局は慣れだよ。やっていくうちにだんだん細かいこととかもわかってくるさ」
「そうですかね」
「そんなもんだよ」

 経験や感覚というやつだろうか。難しい。

 そういえば親戚の叔父さんがマニュアル車を運転していて、どうして手元も見ずにスムーズにギアを変えられるのかと不思議に思って尋ねたこともあった。やっぱり叔父さんも「さあ。体が覚えてるもんさ」と笑って返していた。

 まだまだ子供である俺達には経験が圧倒的に不足しているというわけか。

「とにかく、これからいろいろとやってみよう。同じ星空の写真を撮り続けて比較したり、星についていろんな知識を持ったり。小数点なんかを語呂あわせで覚えるみたいに、星とも少し違ういろんな知識をつけていったら、自然と星にも詳しくなっていくよ」

 智幸さんの言葉は、さすが大人だなと思うくらいに頼もしかった。

「……智幸さんって彼女いるんですか」
「な、なにを急に言い出すのかな」
「あ、明らかに動揺してる。これはいないパターンか」
「そ、そうとは言ってないだろう。いや、まあ。なんとも言えないけど」

 これは一度もできたことがない奴だな。
 俺も特にこれといって女子に好かれた経験が無いから人のことを茶化せないけど。

「ま、星が恋人ってことでいいじゃないですか」
「いやいや。生身がいいよ」
「なんか生々しい言い方……」
「え、じゃあ等身大? あれ、なんて表現すればいいんだ?」

 ははっ、と俺は笑い声を上げる。

 くだらない会話。軽い談笑。
 そんな光景もすっかり見慣れたものになっている。初めはそう気乗りしなかった天文部の時間も、俺は悪くないかもしれないと思え始めていた。

 本当に、俺の日常は大きく変わっていた。

 放課後になれば部室に向かい、文庫本などを読んでだらだら過ごしていた時間は、今となってはすっかり菜摘に占められている。彼女は活動がない日も部室に訪れ、本当に他愛も無い世間話などを俺に呟いていた。

 返事をよこさないと「聞いてるのかな、部長くん」などと口を尖らせ、しかし口許では面白おかしそうな笑みを浮かべてくる。からかって反応を楽しんでいるのだ。そのため素っ気ない適当な言葉を返すようにしてはいたものの、菜摘と過ごす時間に悪い気はしなかった。

 そして週に二日は、今日のように智幸さんを呼んで観測会を行っている。

「おまたせ」

 部室で俺と智幸さんが話をしていると、扉が勢いよく開いた。雑務で遅れていた菜摘だ。続いて美晴も顔を出す。これでいつものメンバーが勢ぞろいだ。

「まだカメラ操作に手こずっているのかい?」

 自分もまだ不慣れなくせに、菜摘が上から目線で茶化してくる。それを俺は苛立ちの交えた声で「うるさいな!」と返すのは最近の決まりのパターンだ。

「あー、わかんねー。そもそもカメラの用語どころか、星の位置を覚えるとか、そういう記憶力に頼る系は苦手なんだよなー」
「あ、確かに。部長くんは読書をして一見知的に見せているけど、本当は頭が固い筋肉系って感じだものね」
「なんだと天乃!」

「きゃっ。恐いね美晴ちゃん。一緒に、女子をいじめてくるって先生にちくりにいこうか」
「あ、あたしを巻き込まないでくださいよぉ……」

「ははっ。キミたちはみんな仲がいいんだね」
「そんなことないって、智幸さん」
「そんなことないさ、智幸さん」

「気が合うじゃねえか天乃」
「素直にショックだよ」
「なんだと!」

「きゃっ。ねえ美晴ちゃん。やっぱり」
「だからあたしを巻き込まないでってばぁ……」

 ははっ、と智幸さんの気持ちのいい笑い声が弾んでいた。

 夕方。
 部活動の本番はこれからだ。

 窓の外は綺麗な夕焼け色の空が広がっていた。
 雲は無い。今日も星がよく見えることだろう。

 俺たちは揃って屋上に上がった。

 三脚やカメラを手に、円を作るようにして並ぶ。
 西に沈んでいく赤い夕陽はもう半分以上も姿を隠していた。
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