イシャータの受難

ペイザンヌ

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第3部 佐藤の試練

第29話 Childhood friends【幼年期の終わり】  

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 氷川神社ひかわじんじゃで腹を満たした三匹はおのおの別行動に移った。

 フライはザンパノのもとへ。
 ヴァンは一旦『猫屋敷』へ戻り、そして佐藤といえば「ボク、ちょっとギリーと約束があんねん」と、どこかへ行ってしまった。

『ふーん、佐藤とギリーのやつめ。いつの間にかいい仲になってきてるじゃないか──』

 そんなことを考えながら帰宅したヴァンを迎えたのはイシャータ、クローズ、そして当のギリーだったのでヴァンは少し驚いた。

「んぁ?」
「おかえり、ヴァン」

 そう振り向いたイシャータに対し、遅れをとってなるものかとギリーもそれに続く。

「おかえりなさい! ヴァン!」

 そんなギリーの小さな対抗意識に気付くはずもなく、イシャータはごく自然にヴァンに歩み寄る。

「何か食べたの? お腹すいてない?」
「いや、途中で食ってきた。ジャンクフードもたまには悪かないな」

 そんな二匹の会話に何かを察知したのかクローズはニヤニヤとほくそ笑んだ。

「それよりギリー、おまえ佐藤と何か約束があるんじゃなかったのか?」
「佐藤? ……ううん、別に」

 ギリーは何の話だと言わんばかりに首を横に振る。

 してやられた。

『あいつめ、まさか……』





 佐藤はどうしても好奇心を抑えることができなかった。

『犬よりもデカく仔猫を喰らう』というS区のボス、ザンパノ。そのザンパノをどうしても一目見たくて仕方なかった。

──本当なのだろうか?

 一方フライといえば、まさか佐藤が自分をきているなど夢にも思わず、まったく別のことを考えながら歩いていた。

──ヴァン=ブラン……。ふざけやがって! ふらっと帰ってきたかと思えば皆の前で俺に恥をかかせ、リーダーの座を奪い、挙げ句の果ては「どうして肩書きにこだわる?」ときた。

 まあ、いいさ。ザンパノとの交渉がうまくいけばあいつの出る幕もなく手柄は全て俺のものだ。その暁には皆、誰が本当のリーダーであるのかを理解してくれるに違いない。

 その思いを心に刻み付け、フライは気を引き締めた。

『この交渉、何としても俺が成し遂げてやる!──』

 ▼▲▼▲▼▲

 ヴァンは屋根の上でゴロリと仰向けに寝転がって空を眺めていた。その視界へ逆さまのクローズの顔がにゅっと入ってきたが、別段ヴァンは驚かない。

「よお。どうした?」
「何かあったんでしょ?」

 興味津々といった具合のクローズがニヤニヤと顔を近付ける。

「ナニカって……何が?」
「まったまたぁ、すっとぼけちゃって。ねえねえ、イシャータとさ、何かあったんでしょ? さっき、いい感じだったじゃない。まるで──」
「バーカ、なんもねえよ」
「何、照れちゃってんのよ、まったく」

 クローズはケタケタ笑ったが、それをよそにヴァンはゴロリと横を向く。

「……クローズ、フライがさ、屋敷ここに来た時のこと覚えてるか?」
「何よ、突然」
「あいつは何でも自分から率先してやった。みんなの面倒見も良くて、婆さんからも一目置かれて……そして俺はといえば、おまえまであいつに盗られた」
「ちょ、ちょ。全っ然話が見えないんだけど……」

 ヴァンは飛んでくる羽虫をしっぽで払いのけると寝転がったまま意味もなくカリカリと爪で瓦を掻いた。

「俺さ、ホント言うとあいつが羨ましかったんだと思う。嫉妬してたんだなきっと。そのくせ何処か一方ではあいつみたいになりたいって憧れもあったりして──」

 クローズは眉間に皺を寄せた。

「あんたまさか……だから今回、その仕返しでフライの鼻をへし折ってやりたいとか思ってたんじゃないでしょうね」
「違う!」

 急に鎌首をもたげたヴァンにクローズはたじろぐ。──まるでやってもない罪を誰からも信じてもらえず救いを求めている少年──クローズにはヴァンの顔つきがそんな風に見えた。

「ヴァン……」
「そうじゃない。それは違うんだ」

 きっと本来であれば、これは最近ギクシャクしているフライに向けて言いたかった言葉なのだろう。ヴァンはそのことを誰かにわかってほしかったに違いない。クローズはそう察した。

「クローズ、俺な、今回のことがどう転ぼうと最終的にはまたあいつにさ、リーダーに戻ってもらいたいんだな」
「?」
「前におまえが言ってた通り、そもそも俺はハナっから誰かの上に立てるなんて、そんなガラじゃない。もとの生活に戻りさえすれば、リーダーってのは──フライみたいに温和で皆に気を配ってやれるタイプの方がやっぱり適任なんだよ」

 クローズがヴァンを睨み付けるような表情に変化はない。

「別に、あんたがそうしたいって言うならそうすればいいんじゃないの? ただ……」
「な、なんだよ」
「そんなのはヴァンらしくないっ。なにさ、グチグチグチグチ変に大人ぶっちゃって。『へへ~んだ! リーダーになんかなったら遊べないや!』なんて言って笑いとばしてるヴァンの方が全っ然ヴァンらしいっ」
「むむ……」
「さあほれ、笑ってみろよ! ヴァン=ブラン!」

 クローズはヴァンの上にのし掛かると腹をくすぐり、脇を撫で回し始めた。

「バカ、やめろ! やめろっつの! うははは、うひゃひゃひゃひゃ!」
「ほーれほれほれ。こんなとこをイシャータに見られたら大変なことになっちゃうよ。ラノベみたいな展開になっちゃうよ?」
「わかったよ、わかったから! 降参だ、うはははは!」

 そうやってじゃれ合うヴァンとクローズだったが、ふと視線が重なった瞬間、まるで時計の歯車がカチリと止まるように動かなくなってしまった。

「でも、もっと早く……」
「ん?」
「もっと早く……さっきみたいに、素直に弱さを見せてくれてたら、ひょっとしたら私、ヴァンを選んでたかもしんないね」
「…………」

 しばしの静寂の後、クローズはくすりと笑った。そして、まるで子供がおもちゃに飽きた時のようにスクッと起き上がると遠くを見つめる。

「あーあ、あの頃みたいに戻れるといいね。早く」

 ヴァンもそれに習いむくりと起き上がると視線をS区の方へ向けた。

「大丈夫さ。フライならきっとうまくやってくれる」

 になど決して戻れはしない。

 そんなことはヴァンにも、そしてクローズだってわかっていた。そしてあの頃とはまた違う、今の自分たちの生活を存続していくには、ひとつ、またひとつと、新たな壁を乗り越えて行かねばならないことも。

 そんなヴァンたちの思いも今はまだ残暑の風にただ揺られているだけであった。











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 今回、ヴァンたちの会話にあったことは、ヴァンの幼少期を描いた『子猫のヴァン=ブラン』(童話・児童文学ジャンル)の方で詳しく書いております。童話なので文体はかなり違っておりますがヴァンが[猫屋敷]にやってきた時のお話です。

 お暇がございましたらそちらも併せて読んでやってみてください。何卒よろしくお願いいたします。


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