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1章 夢見る村
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雨が降り出したのは昼過ぎ、朝からの曇り空だったがいきなり突風が吹いたかと思うと稲妻が光り、間を置かず雷鳴が轟いた。
「ムニャッ!」
奇妙な悲鳴を上げて飛び上がったのはクルテ、慌てて建物の中に逃げていく。止める間もない素早さに、呆気にとられるピエッチェ、ババロフはガハハと笑った。
「雷が怖いだなんてクルテはやっぱりまだまだ子どもだな――ピエッチェ、俺たちも中に入ろう。すぐ雨が……って降ってきやがった! そのバケツを持って走れ!」
雨もいきなり、しかも土砂降り、自分も両手にミルクのバケツを下げてババロフがも駆けだした。慌ててピエッチェも残されたバケツを持って建物に飛び込んだ。バケツは蓋がしてあって、ミルクは無事だがピエッチェとババロフはずぶ濡れだ。
食堂に行くとババロフのカミさんが
「いきなり降ってきたねぇ。さっさと拭かないと風邪ひくよ」
とタオルを出してきてくれた。
「自分を拭いたら次は床を拭くこと」
と、モップの用意も忘れない。
「ところでクルテはどうしたんだい?」
「あぁ? アイツは雷が鳴った途端、吹っ飛んで逃げてったぞ?」
「なんだ、部屋にでも籠ったのかね? 玄関が開いたのには気付かなかったけど」
心なしか、だらだらと拭いているババロフ、さっさと動くピエッチェが先に拭き終わる。仕方なくモップを手に取ると、ニヤッとババロフが笑った。
ちょっとムッとしたピエッチェだが、
(ババロフは腰痛。床掃除はピエッチェがするんだね)
そんなクルテの声が頭の中で聞こえた。
(昨夜、久々の戦闘に挑んだが、途中で軽くぎっくり腰。で、カミさんと大喧嘩。今朝の不機嫌の理由)
(ぎっくり腰……本当に?)
(仮病に決まってるじゃん。敵前逃亡だよ。で、モップ掛けなんかしたら仮病がバレちまう。だからしたくない)
(ミルクが入ったバケツを二つも持ってフッとんでったんだぞ? もうバレてるんじゃないか?)
(見えてなきゃ気付かない。人間ってそんなことが多い)
クルテのクスクス笑いがピエッチェの頭に響く。
(大した秘密じゃないけど、ダブルの秘密で変わった味だった)
(もう一つの秘密は?)
(途中で戦闘不能になったと知られたくない。だから敵前逃亡するしかなかった――でもさ、少し渋みがあった気がする。人間の秘密は若者のほうがいい味だ)
面白がっているクルテに呆れ気味のピエッチェ、
(で、おまえ、どこに居るんだよ?)
頭の中で問いかける。すると
(お願い、探さないで!)
とクスクス笑いを引きずってクルテが答える。
ピカッ! ドン、ゴロゴロゴロ!!!
二度目の稲妻、間髪入れずに響く雷鳴、地響きがしたところをみると今度は確実にどこかに落ちたようだ。同時にクルテの叫び声。
(グギャッハ!)
「あはは」
つい笑ったピエッチェをババロフとカミさんが訝る。
「あ。いや、クルテが怖がってるだろうな、と思って――床はこんなところでいいよな。玄関や廊下も綺麗にしとく。自分たちの部屋も拭くから、モップをちょっと借りてていいかい?」
「あぁ、助かるよ。ピッカピカにしといてくれ。モップは雨が止んでから、洗って返してくれればいいし、いつでも好きに使いなよ。仕舞い場所は今、見てただろう?」
井戸は外だ。水瓶の水はモップ洗いになんか勿体なくて使えない。ま、そりゃそうだ。
部屋に戻ると鍵がかかっていたが、すぐにカチリと開錠する音がした。ところが中にクルテの姿がない。
「居ないのか?」
(いるよ)
「姿を消してる?」
(声を出すなよ。誰かに聞かれたらどうすんだ? まぁ、近くには誰もいないけど)
どさっと寝台に腰を降ろすピエッチェ、
「雷なんかが怖いんだな」
クルテを揶揄うと、
(雷なんか怖いもんか――稲妻に直撃されたことある?)
ツンとクルテが答えた。
(おまえはあるのか?)
(ない――でも、目撃したことはある)
(それで雷が苦手になった?)
(まっさか! 生き物が一瞬でただの物質に変わっちゃうのはあんまり気持ちいいもんじゃない……生も死も幾つも見てきた。そんなことでビビったりしない)
(んじゃ、なんで悲鳴を上げてるんだよ?)
(雨と雷が空気を振動させる。風よりも微妙に宙を揺らす。それが苦手。作り物の身体を維持できなくなる)
(なるほど。それで隠れちまったのか。いきなり消えるところを見られちゃ拙いもんな)
(わたしのことはほっといて、さっさと掃除しちゃいなよ。でさ、終わったらモップを返しに行くじゃん、で、ムニョ!……ゴヒャッ!)
三度目の雷、今度は少し遠い。光ってから雷鳴まで少し間があった。クルテのヘンな悲鳴には慣れてしまったピエッチェ、平然と話の続きを促す。
(で? モップを返しに行ったら?)
(うにゅ……なんだったっけ?)
やれやれと肩を竦めるピエッチェ、狭い部屋だ、モップ掛けはもう終わっている。
(あ、そうそう。どうせ暇だろ? 退屈しのぎに子どもたちに読み書きを教えてやったらいいと思って)
(読み書き?)
(そう、特に一番年長の少年。カッチーって名前らしいんだけど、あの子、街に出て働こうと思ってる)
カッチーとは、これまた懐かしいな、と思いつつ口にはしない。子どもの頃は『カッチー』と呼ばれることもあったカテロヘブだ。
(読み書きができたほうが圧倒的に有利だな)
(ここが宿を営業していたころ、食堂のメニューを書くのに使ってた石盤と石筆がある。ババロフのカミさんに言えば出してくれるよ)
(ふぅ~ん。おまえ、本当に魔物?)
(意識に話しかけてるのに信じられない? 姿も消したり変えたりしてるのに?)
ま、どっちでもいいや、と呟くピエッチェ、モップを持って部屋を出た。
ピエッチェが持ち帰ったプラムはジャムにされるらしい。サルナシは数が足りたものの、プラムは全員に行き渡たるには少なすぎた。手持ちの干した果実と併せてジャムにして明日の朝食に出すと、夕飯の席でババロフのカミさんが言った。すると小さな子どもたちが一斉に歓声を上げた。
「ジャムなんか滅多に作れないんだよ。砂糖は高価だからね……なけなしの砂糖を使わなきゃなんないけど、明日、薪を売りに街に行くってことだから、また買って来て貰うさね」
ババロフのカミさんが泣き笑いのような表情で呟いた。
砂糖は村の産物にない。金を出して買わなければならないのだ。どうしても必要な時のために買っておいたのだろう。明日は砂糖の代わりに別の物が省かれる。複雑な心境のピエッチェだ。
「街に行くなら俺も連れてってよ」
そう言ったのは、子どもたちの中では一番年上に見える少年だった。ババロフが、
「連れて行くのは良いけどよ。村から通いの仕事なんか、見つからないぞ?」
と宥めるように言った。
「でもババロフ、住み込みの仕事って食事が出る分、給金が安い。差額は俺の食い扶持より多い」
「部屋代も入ってるんだ――カッチー、街まで片道一時間半は歩かなきゃなんねぇ。それが毎日だぞ? 仕事は日の出から日没まで。それが毎日だ。通いじゃ勤まらねぇって誰でも思うさ」
「それくらいへっちゃらだし、根性で乗り越える!」
「俺はカッチーを良く知ってるから信用するけど、知らない相手はできるモンかと思う。根性なんて目に見えないものは証明するのが難しいんだ」
「それじゃ、どうしたらいいんだよ……少しでも村の役に立ちたいのに」
モップを返しにピエッチェが食堂に行った時は、誰もいなかった。だからクルテに言われた文字を教える話はまだしていない。お誂え向きの話題だが、どう切り出せばいいかピエッチェが迷う。
するとクルテがババロフとカッチーの会話に割り込んだ。
「カッチーは、どんな仕事がしたいの?」
急に聞かれて驚くカッチー、正直者と見える。それに、聞かれればすぐに答えなければいけないと思い込んでるようだ。
「えっ? いや、俺ができる仕事は荷役とか、そんな力仕事しかないよ」
「そんなことはないと思うよ? 得意なことは?」
「え? そんなこと、考えたことないや」
するとババロフがガハハと笑う。
「こいつは金の計算だけは早いぞ。さっき、聞いてただろう? どっちの給金のほうが得かなんてあっと言う間に答えを出す」
「数字は読めるんだね? 文字は?」
「数字は金に直結するからな――文字が読めるヤツなんか、この村じゃ、今や俺とカミさんくらいだ」
「だったらさ……」
クルテがカッチーを見る。
「読み書きを覚えるといいよ。すると就ける仕事に幅が出る。しかも力仕事よりもずっといい給金が貰える」
「おいおい、ヘンな入れ知恵するなよ。それに、文字を教えるなんて面倒なこと、俺はしたかないぞ。一日に何度もコイツの頭を殴りたくなるに決まってる」
慌てるババロフ、当の本人は目を輝かせてクルテを見ている。
「本当に稼げる?」
「金が欲しいんだ?」
「みんなにもっと旨いもんを食わせてやりたい」
「そうか……使い捨てにされるような仕事じゃなく、年季奉公って手もある」
「年季奉公?」
「何年も住み込みで働くってことだよ。店に必要な人材に育てる意味もある。その場合、その年数に応じて給金が前払いされることが多い。纏まった金が入る」
「おい、クルテ、子どもに変なことを教えるなって」
「黙っててババロフ! ね、クルテ、それってどれくらい貰えるの?」
だがババロフは黙らない。
「
年季奉公なんて人身売買と同じだ。使えるって思えば法外な金を積んではくれる。読み書きができればそうなる可能性が高い。でもそれは、ソイツの人生の値段だ。一生こき使われて、他の仕事にゃ就けなくなる。嫁を貰うにしても店の許可がいる。だけど大抵許されない。それに……村には二度と帰ってこれなくなるんだぞ?」
「どうせ俺は、十七になったらこの村を出て行くって思ってるんだろう? だったら同じじゃないか!」
言い返すカッチーにババロフが口をパクパクさせる。
「だが、だけど、それでも、俺はおまえには幸せになって欲しい。おまえだけじゃない、子どもらみんなが幸せになって欲しい。幸せになるべきなんだ」
聞いていたピエッチェが溜息を吐く。
「まぁ、二人とも落ち着けよ。クルテが言った働き方は読み書きができての話だ。計算が早いなら商人なんかいいんじゃないかと思ったんだろう」
これにクルテが飛びついた。
「ねぇ、ピエッチェ。ピエッチェがカッチーの読み書きを教えてあげたら? ババロフはそう言うの苦手なんだって。ピエッチェならカッチーの頭をぶん殴ったりしないでも教えられるだろう?」
「そうだよ、そうしなよ」
しゃしゃり出てきたのはババロフのカミさんだ。これでババロフの口は封じられた。
「どうせだったらカッチーだけじゃなくほかの子たちも纏めて面倒見てよ……学ってもんはあったほうがいい――わたしらがいなくなったら、この村に文字の読めるモンがいなくなる。小狡い役人や商人にいいようにされちまう」
最後のほうは独り言だった。
「ムニャッ!」
奇妙な悲鳴を上げて飛び上がったのはクルテ、慌てて建物の中に逃げていく。止める間もない素早さに、呆気にとられるピエッチェ、ババロフはガハハと笑った。
「雷が怖いだなんてクルテはやっぱりまだまだ子どもだな――ピエッチェ、俺たちも中に入ろう。すぐ雨が……って降ってきやがった! そのバケツを持って走れ!」
雨もいきなり、しかも土砂降り、自分も両手にミルクのバケツを下げてババロフがも駆けだした。慌ててピエッチェも残されたバケツを持って建物に飛び込んだ。バケツは蓋がしてあって、ミルクは無事だがピエッチェとババロフはずぶ濡れだ。
食堂に行くとババロフのカミさんが
「いきなり降ってきたねぇ。さっさと拭かないと風邪ひくよ」
とタオルを出してきてくれた。
「自分を拭いたら次は床を拭くこと」
と、モップの用意も忘れない。
「ところでクルテはどうしたんだい?」
「あぁ? アイツは雷が鳴った途端、吹っ飛んで逃げてったぞ?」
「なんだ、部屋にでも籠ったのかね? 玄関が開いたのには気付かなかったけど」
心なしか、だらだらと拭いているババロフ、さっさと動くピエッチェが先に拭き終わる。仕方なくモップを手に取ると、ニヤッとババロフが笑った。
ちょっとムッとしたピエッチェだが、
(ババロフは腰痛。床掃除はピエッチェがするんだね)
そんなクルテの声が頭の中で聞こえた。
(昨夜、久々の戦闘に挑んだが、途中で軽くぎっくり腰。で、カミさんと大喧嘩。今朝の不機嫌の理由)
(ぎっくり腰……本当に?)
(仮病に決まってるじゃん。敵前逃亡だよ。で、モップ掛けなんかしたら仮病がバレちまう。だからしたくない)
(ミルクが入ったバケツを二つも持ってフッとんでったんだぞ? もうバレてるんじゃないか?)
(見えてなきゃ気付かない。人間ってそんなことが多い)
クルテのクスクス笑いがピエッチェの頭に響く。
(大した秘密じゃないけど、ダブルの秘密で変わった味だった)
(もう一つの秘密は?)
(途中で戦闘不能になったと知られたくない。だから敵前逃亡するしかなかった――でもさ、少し渋みがあった気がする。人間の秘密は若者のほうがいい味だ)
面白がっているクルテに呆れ気味のピエッチェ、
(で、おまえ、どこに居るんだよ?)
頭の中で問いかける。すると
(お願い、探さないで!)
とクスクス笑いを引きずってクルテが答える。
ピカッ! ドン、ゴロゴロゴロ!!!
二度目の稲妻、間髪入れずに響く雷鳴、地響きがしたところをみると今度は確実にどこかに落ちたようだ。同時にクルテの叫び声。
(グギャッハ!)
「あはは」
つい笑ったピエッチェをババロフとカミさんが訝る。
「あ。いや、クルテが怖がってるだろうな、と思って――床はこんなところでいいよな。玄関や廊下も綺麗にしとく。自分たちの部屋も拭くから、モップをちょっと借りてていいかい?」
「あぁ、助かるよ。ピッカピカにしといてくれ。モップは雨が止んでから、洗って返してくれればいいし、いつでも好きに使いなよ。仕舞い場所は今、見てただろう?」
井戸は外だ。水瓶の水はモップ洗いになんか勿体なくて使えない。ま、そりゃそうだ。
部屋に戻ると鍵がかかっていたが、すぐにカチリと開錠する音がした。ところが中にクルテの姿がない。
「居ないのか?」
(いるよ)
「姿を消してる?」
(声を出すなよ。誰かに聞かれたらどうすんだ? まぁ、近くには誰もいないけど)
どさっと寝台に腰を降ろすピエッチェ、
「雷なんかが怖いんだな」
クルテを揶揄うと、
(雷なんか怖いもんか――稲妻に直撃されたことある?)
ツンとクルテが答えた。
(おまえはあるのか?)
(ない――でも、目撃したことはある)
(それで雷が苦手になった?)
(まっさか! 生き物が一瞬でただの物質に変わっちゃうのはあんまり気持ちいいもんじゃない……生も死も幾つも見てきた。そんなことでビビったりしない)
(んじゃ、なんで悲鳴を上げてるんだよ?)
(雨と雷が空気を振動させる。風よりも微妙に宙を揺らす。それが苦手。作り物の身体を維持できなくなる)
(なるほど。それで隠れちまったのか。いきなり消えるところを見られちゃ拙いもんな)
(わたしのことはほっといて、さっさと掃除しちゃいなよ。でさ、終わったらモップを返しに行くじゃん、で、ムニョ!……ゴヒャッ!)
三度目の雷、今度は少し遠い。光ってから雷鳴まで少し間があった。クルテのヘンな悲鳴には慣れてしまったピエッチェ、平然と話の続きを促す。
(で? モップを返しに行ったら?)
(うにゅ……なんだったっけ?)
やれやれと肩を竦めるピエッチェ、狭い部屋だ、モップ掛けはもう終わっている。
(あ、そうそう。どうせ暇だろ? 退屈しのぎに子どもたちに読み書きを教えてやったらいいと思って)
(読み書き?)
(そう、特に一番年長の少年。カッチーって名前らしいんだけど、あの子、街に出て働こうと思ってる)
カッチーとは、これまた懐かしいな、と思いつつ口にはしない。子どもの頃は『カッチー』と呼ばれることもあったカテロヘブだ。
(読み書きができたほうが圧倒的に有利だな)
(ここが宿を営業していたころ、食堂のメニューを書くのに使ってた石盤と石筆がある。ババロフのカミさんに言えば出してくれるよ)
(ふぅ~ん。おまえ、本当に魔物?)
(意識に話しかけてるのに信じられない? 姿も消したり変えたりしてるのに?)
ま、どっちでもいいや、と呟くピエッチェ、モップを持って部屋を出た。
ピエッチェが持ち帰ったプラムはジャムにされるらしい。サルナシは数が足りたものの、プラムは全員に行き渡たるには少なすぎた。手持ちの干した果実と併せてジャムにして明日の朝食に出すと、夕飯の席でババロフのカミさんが言った。すると小さな子どもたちが一斉に歓声を上げた。
「ジャムなんか滅多に作れないんだよ。砂糖は高価だからね……なけなしの砂糖を使わなきゃなんないけど、明日、薪を売りに街に行くってことだから、また買って来て貰うさね」
ババロフのカミさんが泣き笑いのような表情で呟いた。
砂糖は村の産物にない。金を出して買わなければならないのだ。どうしても必要な時のために買っておいたのだろう。明日は砂糖の代わりに別の物が省かれる。複雑な心境のピエッチェだ。
「街に行くなら俺も連れてってよ」
そう言ったのは、子どもたちの中では一番年上に見える少年だった。ババロフが、
「連れて行くのは良いけどよ。村から通いの仕事なんか、見つからないぞ?」
と宥めるように言った。
「でもババロフ、住み込みの仕事って食事が出る分、給金が安い。差額は俺の食い扶持より多い」
「部屋代も入ってるんだ――カッチー、街まで片道一時間半は歩かなきゃなんねぇ。それが毎日だぞ? 仕事は日の出から日没まで。それが毎日だ。通いじゃ勤まらねぇって誰でも思うさ」
「それくらいへっちゃらだし、根性で乗り越える!」
「俺はカッチーを良く知ってるから信用するけど、知らない相手はできるモンかと思う。根性なんて目に見えないものは証明するのが難しいんだ」
「それじゃ、どうしたらいいんだよ……少しでも村の役に立ちたいのに」
モップを返しにピエッチェが食堂に行った時は、誰もいなかった。だからクルテに言われた文字を教える話はまだしていない。お誂え向きの話題だが、どう切り出せばいいかピエッチェが迷う。
するとクルテがババロフとカッチーの会話に割り込んだ。
「カッチーは、どんな仕事がしたいの?」
急に聞かれて驚くカッチー、正直者と見える。それに、聞かれればすぐに答えなければいけないと思い込んでるようだ。
「えっ? いや、俺ができる仕事は荷役とか、そんな力仕事しかないよ」
「そんなことはないと思うよ? 得意なことは?」
「え? そんなこと、考えたことないや」
するとババロフがガハハと笑う。
「こいつは金の計算だけは早いぞ。さっき、聞いてただろう? どっちの給金のほうが得かなんてあっと言う間に答えを出す」
「数字は読めるんだね? 文字は?」
「数字は金に直結するからな――文字が読めるヤツなんか、この村じゃ、今や俺とカミさんくらいだ」
「だったらさ……」
クルテがカッチーを見る。
「読み書きを覚えるといいよ。すると就ける仕事に幅が出る。しかも力仕事よりもずっといい給金が貰える」
「おいおい、ヘンな入れ知恵するなよ。それに、文字を教えるなんて面倒なこと、俺はしたかないぞ。一日に何度もコイツの頭を殴りたくなるに決まってる」
慌てるババロフ、当の本人は目を輝かせてクルテを見ている。
「本当に稼げる?」
「金が欲しいんだ?」
「みんなにもっと旨いもんを食わせてやりたい」
「そうか……使い捨てにされるような仕事じゃなく、年季奉公って手もある」
「年季奉公?」
「何年も住み込みで働くってことだよ。店に必要な人材に育てる意味もある。その場合、その年数に応じて給金が前払いされることが多い。纏まった金が入る」
「おい、クルテ、子どもに変なことを教えるなって」
「黙っててババロフ! ね、クルテ、それってどれくらい貰えるの?」
だがババロフは黙らない。
「
年季奉公なんて人身売買と同じだ。使えるって思えば法外な金を積んではくれる。読み書きができればそうなる可能性が高い。でもそれは、ソイツの人生の値段だ。一生こき使われて、他の仕事にゃ就けなくなる。嫁を貰うにしても店の許可がいる。だけど大抵許されない。それに……村には二度と帰ってこれなくなるんだぞ?」
「どうせ俺は、十七になったらこの村を出て行くって思ってるんだろう? だったら同じじゃないか!」
言い返すカッチーにババロフが口をパクパクさせる。
「だが、だけど、それでも、俺はおまえには幸せになって欲しい。おまえだけじゃない、子どもらみんなが幸せになって欲しい。幸せになるべきなんだ」
聞いていたピエッチェが溜息を吐く。
「まぁ、二人とも落ち着けよ。クルテが言った働き方は読み書きができての話だ。計算が早いなら商人なんかいいんじゃないかと思ったんだろう」
これにクルテが飛びついた。
「ねぇ、ピエッチェ。ピエッチェがカッチーの読み書きを教えてあげたら? ババロフはそう言うの苦手なんだって。ピエッチェならカッチーの頭をぶん殴ったりしないでも教えられるだろう?」
「そうだよ、そうしなよ」
しゃしゃり出てきたのはババロフのカミさんだ。これでババロフの口は封じられた。
「どうせだったらカッチーだけじゃなくほかの子たちも纏めて面倒見てよ……学ってもんはあったほうがいい――わたしらがいなくなったら、この村に文字の読めるモンがいなくなる。小狡い役人や商人にいいようにされちまう」
最後のほうは独り言だった。
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