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4章 聖堂の鐘、鳴りやまず
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食事を終えて寝室に入ったピエッチェ、クルテを覗き込んで額に手を当てる。まだ熱いが燃えるような、と言う事もない。
「ピエッチェ……」
クルテが小さな声で呟く。寝言かと思っていると目を開けた。
「食事、済んだ? ちゃんと食べた?」
「きちんと食べたさ。おまえがぶっ倒れた時のために体力を維持しなくちゃならないからね」
「もう倒れたりしない。迷惑かけない」
「迷惑かけたなんて考えなくていいんだ。だけどこれからは、こんなことにならないよう気を付けような」
「そんなに優しいのは、わたしの体調が悪いから?」
その問いにピエッチェが戸惑い、
「俺がおまえにそんな事を言わせちまった」
と苦笑した。
「なんで? いつの間に、わたしに言えと命じた?」
「んーっとね」
椅子に腰を降ろし、クルテの手を取る。
「命じたわけじゃない。おまえがそう言いたくなるようなことを、俺がしたり言ったりしてしまってた。この説明で判るか?」
「ピエッチェに誘導されて言ったってこと? でもピエッチェは誘導するつもりなんかなかった?」
「まぁ、そんな感じだね――で、俺はそれを反省している」
「反省なんか必要ない。ピエッチェはいつも正しい。何を反省する?」
クルテ、どうしておまえは俺をそんなに妄信する? 俺が世界の全てって言葉を俺はどう受け止めればいい? 俺と同じ気持ちでいてくれると、思いあがっちまうじゃないか。
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、俺は完璧な人間じゃない。いくつもの欠点を持っている。自覚しているものもあれは無自覚のものもある。自覚していることは改善しようと心がけ、無自覚なものだって誰かに指摘されたり自分で気が付いたりで自覚できれば反省しもするし、改善していきたいと思う。そうやって人間的に成長していきたい」
「人間的な成長……」
クルテが考え込む。
「人間として王として、より多くの人に信頼され頼られ支持される人物になるってことだね。判った――でも、そのためにどうしたらいいのか、魔物のわたしにはきっと判らない」
魔物のわたし……ピエッチェが握る手に力を込める。
「クルテ、そのこと――おまえが魔物ってことなんだけど、必ず思い出しておまえを人間にする。人間になって、ずっと俺のそばに居てくれないか?」
クルテはなんと答えるか? ピエッチェの胸が不安に震える。
クルテは少しだけ笑んで、手を握り返してきた。
「心配しなくっていい。人間になったらもちろん、人間になれなくてもカテロヘブから離れない――わたしはカテロヘブのものだ」
クルテの答えに、永遠に思いが通じない気がしてピエッチェが黙り込む。魔物に恋愛感情はないのかもしれない……でもきっと人間になりさえすれば、気付いてくれる時が来るんじゃないか? 傍を離れず居てくれるなら、チャンスは幾らも巡ってくる。
「まだ何か心配? あのね、少し疲れた。眠ってもいい?」
「あ、あぁ……オヤスミ」
もう一度クルテが笑みを見せてから目を閉じた。
ピエッチェは暫くそのままクルテの顔を見ていたが、寝息が聞こえ始めると深く溜息を吐いた。何しろクルテを人間にすることだ。そう思ったがまたも不安になる。ひょっとしたらクルテは人間になりたくないんじゃないか? ピエッチェが願うから、仕方なく人間になれなくもないと言い出した?
「おまえが大嘘つきだって、知ってるぞ?」
眠るクルテにそっと囁く。だけど俺には嘘を吐かないって約束したね。それも嘘?
そんなはずはないと、なんの根拠もないのに思う。俺が疑えば、きっとクルテも俺を疑う。
もう一度溜息を吐き、クルテの顔を見詰める。クルテは微笑みを浮かべたまま眠っている。悪夢なんか見させるもんか――ピエッチェもベッドに潜り込み、起こさないようにそっとクルテを抱き寄せた。
翌朝、クルテの第一声は『お腹空いた』だった。思わず笑い出したピエッチェに拗ねるクルテ、
「でもいい。ピエッチェが嬉しそうだから」
と、すぐに機嫌を直した。
「あぁ、嬉しいさ。食欲が出たってことは元気になった証拠。でも、今日一日は温和しくしてるんだよ」
「ピエッチェ、一緒に居てくれる?」
「俺はおまえから離れないって決めてる――カッチーとマデルはお芝居を観に行くってさ」
「マデルがお芝居を? 街に出るのを嫌がらなかった?」
「うん? マデル? この街に何かあるのか?」
「マデルはこの街に会いたくない相手がいる。その相手は、昨日は別の街に行ってて居なかったけど、今日中に戻ってくる」
「会いたくない相手?」
「会いたいけど会うと辛くなる相手」
「ふぅん、男か? フラれた?」
「半分だけ察しがいい。相手がマデルにフラれた――マデルに言っちゃダメ」
「判ってるよ。だけど、芝居を観に行ったからって、必ずソイツと遭遇するとは限らない。そんなに心配しなくっていい」
「そうかな? そうかもしれない――ピエッチェはお芝居、観なくていいの?」
「俺はおまえの顔を見てるからいい」
するとクルテが首を傾げた。
「わたしの顔? お芝居みたいに面白い?」
「鏡で確かめてみたら? そこに鏡台がある」
ベッドから出て鏡台の前に立つクルテ、ピエッチェも起きるとクルテの後ろに立って鏡を覗き込む。
右を向いたり左を向いたり、クルテは顔の点検に余念がない。
「面白くなんかない」
鏡越しに不平を言った。
「そうだね。つまり、面白いから見てるわけじゃないってことだ――クルテの可愛い顔を見てれば飽きないって言ったんだよ」
自分で言いながら照れるピエッチェ、クルテは
「可愛い? わたしが?」
と、どこか不満顔だ。
さては子どもに見られたと思ったなと、照れて損したと感じるピエッチェ、
「あぁ、おまえは可愛いよ。どこの誰よりもな」
と言って居間に向かった。
「それ、半分は嘘。子どもに見たわけじゃないのに可愛いってヘン」
心を読んだのが明らかなクルテに苦笑しただけのピエッチェ、クルテもすぐにあとを追った。
居間に行くとマデルもカッチーも起きていた。
「クルテ、随分良さそうだわ。よかった」
喜ぶマデルに
「お医者さん、呼ばなくてもいい?」
不安そうなクルテ、
「この分なら、もう一日寝てれば良さそうね」
マデルが微笑み、クルテも安心して嬉しそうに笑んだ。
横ではニコニコ顔で二人を見ていたカッチーにピエッチェが、朝食代といくらかの金を渡した。
「芝居代二人分、これで足りるか?」
「充分過ぎます! いつもすいません」
「気にするな。それより給金を払ってないな……クルテ、どう決めたんだった?」
椅子に腰かけたクルテが、
「それ、気になってたんだけど、カッチーに渡したら全部食べちゃいそうで心配」
と言えば、
「クルテさん、幾ら俺が食いしん坊でも金は食べません」
カッチーがきっぱり言った。
ピエッチェがクルテを見、クルテがマデルを見、マデルがカッチーを見た。そして三人同時に吹き出した。
「ま、小出しにしたほうがよさそうだね」
笑いながらマデルが言う。
「なんで三人で笑うんですか!?」
不貞腐れるカッチーを無視してピエッチェが、
「それじゃあ、預かっておくか? 何か必要な時は渡すとか?」
と言えば、マデルが
「何に使うかチェックするの?」
と問う。
「そうだな、成人するまではそうしようかな?」
ピエッチェが答える。
「成人してからは自分の金をどう使おうが本人の勝手だ」
「カッチーはそれでいいのかな?」
マデルが訊けば、
「はい! 今日の芝居代、給金から引いてください」
と言い出したカッチーだ。
すると黙って成り行きを見守っていたクルテが、
「今日の分はダメ。こっちの都合で時間を持て余して芝居を見に行くことになった。だから必要経費」
と言うと、ピエッチェが、
「そう言えば休暇も決めてなかったな」
と呟く。
「休暇なんか要りません」
断固拒否の姿勢を見せるカッチーにピエッチェが、
「この先の予定が立ってないんだから、休暇についてはすぐには決められない。給金は必要な時、カッチーの申し出により欲しい分だけ渡す。で、今日の芝居は必要経費で決定――飯が来たな。カッチー受け取ってくれ」
と、話しを打ち切った。
食事をしながらピエッチェが、クルテに
「金のことなんだけど帳面を付けるか?」
と尋ねた。
「わたしは必要ないけど、カッチーの分をはっきりさせるためならあったほうがいいかも。時どきカッチーに確認して貰う」
「ついでだから適当なのを見繕って買ってこようか?」
マデルが買い物を引き受けてくれた。カッチーは申し訳なさそうな顔をしただけで何も言わなかった。
クルテがバルコニーに出たいと言ったのはカッチーとマデルが出かけて少ししてからだった。出かける前にカッチーが用意してくれたお茶を居間で楽しんでいた。
「広いバルコニー、でも二階。だからそんなに見晴らしはよくない」
止めるピエッチェを無視してバルコニーに出たクルテが笑う。何が可笑しいんだろうと思いながら、クルテのそばに居たいピエッチェもバルコニーに出た。
風はそよとも吹かず、今日は昨日よりもっと暖かい。短時間なら体に障ることもないだろう。
「ねぇ、ピエッチェ?」
「うん?」
「干しリンゴは嫌い。リンゴの香りはするけどクシャっとして、リンゴとは別の物。食べないとカッチーが悲しむ?」
「俺が食うからいいよ。何かの折にカッチーには言っておく」
「あっ……昨日の馬車だ」
「昨日の馬車? 聖堂に向かったデカい馬車か?」
クルテの視線の先をピエッチェが追った。
「ギュリューを早く出たんだな。まぁ、歩いても半日だ。馬車ならこの時間か」
「劇場はどこにあるんだろう?」
クルテが心配そうに言った。
「馬車に乗っていた男がマデルの相手?」
「そんなの知らない、って言うのは嘘。今だけ嘘を吐いてもいい?」
「そうだな、知らないことにしといた方がいいかもしれないな。俺もおまえも」
クルテは嬉しそうに微笑み、すぐに悲しそうな顔に変わった。
「好きなのに、自分と相手の立場を考えて嫌いって言うのはきっと辛いよね?」
ピエッチェがクルテの顔を見る。
「マデルがフッた理由はそれなのか?」
「そう、それと申し訳なくて……心を読んだだけでマデルから聞いたわけじゃない。だから絶対言わないで」
「判っているよ。でも、申し訳ないって?」
「申し訳ないと思っているのはフレヴァンスに……別れを選んだのはフレヴァンスに申し訳ないからが最大の理由――お茶のお替りが欲しいな」
そう言うと、クルテは居間に戻ってしまった。
フレヴァンスに申し訳ない? マデルはなぜそう思ったのだろう? フレヴァンスも同じ男を慕っていたんじゃないかと、最初に思いついた。でもなんだかしっくりこない。それに馬車に乗っていた男には見覚えがある。誰だったかと考えながらピエッチェもクルテを追って居間に入った。
「ピエッチェ……」
クルテが小さな声で呟く。寝言かと思っていると目を開けた。
「食事、済んだ? ちゃんと食べた?」
「きちんと食べたさ。おまえがぶっ倒れた時のために体力を維持しなくちゃならないからね」
「もう倒れたりしない。迷惑かけない」
「迷惑かけたなんて考えなくていいんだ。だけどこれからは、こんなことにならないよう気を付けような」
「そんなに優しいのは、わたしの体調が悪いから?」
その問いにピエッチェが戸惑い、
「俺がおまえにそんな事を言わせちまった」
と苦笑した。
「なんで? いつの間に、わたしに言えと命じた?」
「んーっとね」
椅子に腰を降ろし、クルテの手を取る。
「命じたわけじゃない。おまえがそう言いたくなるようなことを、俺がしたり言ったりしてしまってた。この説明で判るか?」
「ピエッチェに誘導されて言ったってこと? でもピエッチェは誘導するつもりなんかなかった?」
「まぁ、そんな感じだね――で、俺はそれを反省している」
「反省なんか必要ない。ピエッチェはいつも正しい。何を反省する?」
クルテ、どうしておまえは俺をそんなに妄信する? 俺が世界の全てって言葉を俺はどう受け止めればいい? 俺と同じ気持ちでいてくれると、思いあがっちまうじゃないか。
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、俺は完璧な人間じゃない。いくつもの欠点を持っている。自覚しているものもあれは無自覚のものもある。自覚していることは改善しようと心がけ、無自覚なものだって誰かに指摘されたり自分で気が付いたりで自覚できれば反省しもするし、改善していきたいと思う。そうやって人間的に成長していきたい」
「人間的な成長……」
クルテが考え込む。
「人間として王として、より多くの人に信頼され頼られ支持される人物になるってことだね。判った――でも、そのためにどうしたらいいのか、魔物のわたしにはきっと判らない」
魔物のわたし……ピエッチェが握る手に力を込める。
「クルテ、そのこと――おまえが魔物ってことなんだけど、必ず思い出しておまえを人間にする。人間になって、ずっと俺のそばに居てくれないか?」
クルテはなんと答えるか? ピエッチェの胸が不安に震える。
クルテは少しだけ笑んで、手を握り返してきた。
「心配しなくっていい。人間になったらもちろん、人間になれなくてもカテロヘブから離れない――わたしはカテロヘブのものだ」
クルテの答えに、永遠に思いが通じない気がしてピエッチェが黙り込む。魔物に恋愛感情はないのかもしれない……でもきっと人間になりさえすれば、気付いてくれる時が来るんじゃないか? 傍を離れず居てくれるなら、チャンスは幾らも巡ってくる。
「まだ何か心配? あのね、少し疲れた。眠ってもいい?」
「あ、あぁ……オヤスミ」
もう一度クルテが笑みを見せてから目を閉じた。
ピエッチェは暫くそのままクルテの顔を見ていたが、寝息が聞こえ始めると深く溜息を吐いた。何しろクルテを人間にすることだ。そう思ったがまたも不安になる。ひょっとしたらクルテは人間になりたくないんじゃないか? ピエッチェが願うから、仕方なく人間になれなくもないと言い出した?
「おまえが大嘘つきだって、知ってるぞ?」
眠るクルテにそっと囁く。だけど俺には嘘を吐かないって約束したね。それも嘘?
そんなはずはないと、なんの根拠もないのに思う。俺が疑えば、きっとクルテも俺を疑う。
もう一度溜息を吐き、クルテの顔を見詰める。クルテは微笑みを浮かべたまま眠っている。悪夢なんか見させるもんか――ピエッチェもベッドに潜り込み、起こさないようにそっとクルテを抱き寄せた。
翌朝、クルテの第一声は『お腹空いた』だった。思わず笑い出したピエッチェに拗ねるクルテ、
「でもいい。ピエッチェが嬉しそうだから」
と、すぐに機嫌を直した。
「あぁ、嬉しいさ。食欲が出たってことは元気になった証拠。でも、今日一日は温和しくしてるんだよ」
「ピエッチェ、一緒に居てくれる?」
「俺はおまえから離れないって決めてる――カッチーとマデルはお芝居を観に行くってさ」
「マデルがお芝居を? 街に出るのを嫌がらなかった?」
「うん? マデル? この街に何かあるのか?」
「マデルはこの街に会いたくない相手がいる。その相手は、昨日は別の街に行ってて居なかったけど、今日中に戻ってくる」
「会いたくない相手?」
「会いたいけど会うと辛くなる相手」
「ふぅん、男か? フラれた?」
「半分だけ察しがいい。相手がマデルにフラれた――マデルに言っちゃダメ」
「判ってるよ。だけど、芝居を観に行ったからって、必ずソイツと遭遇するとは限らない。そんなに心配しなくっていい」
「そうかな? そうかもしれない――ピエッチェはお芝居、観なくていいの?」
「俺はおまえの顔を見てるからいい」
するとクルテが首を傾げた。
「わたしの顔? お芝居みたいに面白い?」
「鏡で確かめてみたら? そこに鏡台がある」
ベッドから出て鏡台の前に立つクルテ、ピエッチェも起きるとクルテの後ろに立って鏡を覗き込む。
右を向いたり左を向いたり、クルテは顔の点検に余念がない。
「面白くなんかない」
鏡越しに不平を言った。
「そうだね。つまり、面白いから見てるわけじゃないってことだ――クルテの可愛い顔を見てれば飽きないって言ったんだよ」
自分で言いながら照れるピエッチェ、クルテは
「可愛い? わたしが?」
と、どこか不満顔だ。
さては子どもに見られたと思ったなと、照れて損したと感じるピエッチェ、
「あぁ、おまえは可愛いよ。どこの誰よりもな」
と言って居間に向かった。
「それ、半分は嘘。子どもに見たわけじゃないのに可愛いってヘン」
心を読んだのが明らかなクルテに苦笑しただけのピエッチェ、クルテもすぐにあとを追った。
居間に行くとマデルもカッチーも起きていた。
「クルテ、随分良さそうだわ。よかった」
喜ぶマデルに
「お医者さん、呼ばなくてもいい?」
不安そうなクルテ、
「この分なら、もう一日寝てれば良さそうね」
マデルが微笑み、クルテも安心して嬉しそうに笑んだ。
横ではニコニコ顔で二人を見ていたカッチーにピエッチェが、朝食代といくらかの金を渡した。
「芝居代二人分、これで足りるか?」
「充分過ぎます! いつもすいません」
「気にするな。それより給金を払ってないな……クルテ、どう決めたんだった?」
椅子に腰かけたクルテが、
「それ、気になってたんだけど、カッチーに渡したら全部食べちゃいそうで心配」
と言えば、
「クルテさん、幾ら俺が食いしん坊でも金は食べません」
カッチーがきっぱり言った。
ピエッチェがクルテを見、クルテがマデルを見、マデルがカッチーを見た。そして三人同時に吹き出した。
「ま、小出しにしたほうがよさそうだね」
笑いながらマデルが言う。
「なんで三人で笑うんですか!?」
不貞腐れるカッチーを無視してピエッチェが、
「それじゃあ、預かっておくか? 何か必要な時は渡すとか?」
と言えば、マデルが
「何に使うかチェックするの?」
と問う。
「そうだな、成人するまではそうしようかな?」
ピエッチェが答える。
「成人してからは自分の金をどう使おうが本人の勝手だ」
「カッチーはそれでいいのかな?」
マデルが訊けば、
「はい! 今日の芝居代、給金から引いてください」
と言い出したカッチーだ。
すると黙って成り行きを見守っていたクルテが、
「今日の分はダメ。こっちの都合で時間を持て余して芝居を見に行くことになった。だから必要経費」
と言うと、ピエッチェが、
「そう言えば休暇も決めてなかったな」
と呟く。
「休暇なんか要りません」
断固拒否の姿勢を見せるカッチーにピエッチェが、
「この先の予定が立ってないんだから、休暇についてはすぐには決められない。給金は必要な時、カッチーの申し出により欲しい分だけ渡す。で、今日の芝居は必要経費で決定――飯が来たな。カッチー受け取ってくれ」
と、話しを打ち切った。
食事をしながらピエッチェが、クルテに
「金のことなんだけど帳面を付けるか?」
と尋ねた。
「わたしは必要ないけど、カッチーの分をはっきりさせるためならあったほうがいいかも。時どきカッチーに確認して貰う」
「ついでだから適当なのを見繕って買ってこようか?」
マデルが買い物を引き受けてくれた。カッチーは申し訳なさそうな顔をしただけで何も言わなかった。
クルテがバルコニーに出たいと言ったのはカッチーとマデルが出かけて少ししてからだった。出かける前にカッチーが用意してくれたお茶を居間で楽しんでいた。
「広いバルコニー、でも二階。だからそんなに見晴らしはよくない」
止めるピエッチェを無視してバルコニーに出たクルテが笑う。何が可笑しいんだろうと思いながら、クルテのそばに居たいピエッチェもバルコニーに出た。
風はそよとも吹かず、今日は昨日よりもっと暖かい。短時間なら体に障ることもないだろう。
「ねぇ、ピエッチェ?」
「うん?」
「干しリンゴは嫌い。リンゴの香りはするけどクシャっとして、リンゴとは別の物。食べないとカッチーが悲しむ?」
「俺が食うからいいよ。何かの折にカッチーには言っておく」
「あっ……昨日の馬車だ」
「昨日の馬車? 聖堂に向かったデカい馬車か?」
クルテの視線の先をピエッチェが追った。
「ギュリューを早く出たんだな。まぁ、歩いても半日だ。馬車ならこの時間か」
「劇場はどこにあるんだろう?」
クルテが心配そうに言った。
「馬車に乗っていた男がマデルの相手?」
「そんなの知らない、って言うのは嘘。今だけ嘘を吐いてもいい?」
「そうだな、知らないことにしといた方がいいかもしれないな。俺もおまえも」
クルテは嬉しそうに微笑み、すぐに悲しそうな顔に変わった。
「好きなのに、自分と相手の立場を考えて嫌いって言うのはきっと辛いよね?」
ピエッチェがクルテの顔を見る。
「マデルがフッた理由はそれなのか?」
「そう、それと申し訳なくて……心を読んだだけでマデルから聞いたわけじゃない。だから絶対言わないで」
「判っているよ。でも、申し訳ないって?」
「申し訳ないと思っているのはフレヴァンスに……別れを選んだのはフレヴァンスに申し訳ないからが最大の理由――お茶のお替りが欲しいな」
そう言うと、クルテは居間に戻ってしまった。
フレヴァンスに申し訳ない? マデルはなぜそう思ったのだろう? フレヴァンスも同じ男を慕っていたんじゃないかと、最初に思いついた。でもなんだかしっくりこない。それに馬車に乗っていた男には見覚えがある。誰だったかと考えながらピエッチェもクルテを追って居間に入った。
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