秘魔 =追放されし王は 荒天に煌めく星を目指す= 

寄賀あける

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6章  待ち過ぎた女

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 ピエッチェに手を伸ばしたハァピーが、鼻を鳴らしてクルテを笑う。
《 あらン、威勢がいいわね。あなたがここで出来るのは、黙って見ている事だけなのに 》
クスクスと、忍び笑いが幾つか聞こえる。

《 自分の男だって言ってるよ? 》
《 あんな貧相な身体で、わたしたちに勝てると思ってるらしいね 》
《 目の前で、わたしたちに夢中になる男を見れば身の程を思い知るわ 》

「コイツはだ」
小さく呟いたのはピエッチェだ。
「コイツが居てくれるなら、他にはなんにも要らない」
ひそひそ囁き合う声がピタッと止まる。クルテの怒鳴り声よりも、ピエッチェの囁くような声の方がハァピーたちにはこたえたようだ。だが沈黙はつか、再びクスクス笑いが始まった。

《 本当のを知らないのよ 》
《 そうね、教えてあげなくちゃね 》

 ハァピーたちが口々に囁き始める。その囁きは小鳥たちが朝に夕に、集まってさえずり合うような喧騒となる。

《 教えてあげるわ、魂がけてしまいそうな快楽 》
《 波のように幾度も押し寄せる欲望に、決してあらがえはしない 》
《 酔いしれなさい、心地よさに 》
《 終わった途端、思い出してまた欲しくなる 》
《 満たしてあげるわ、命尽きるまで 》
《 色情の海にどっぷり浸かり、忘我の悦楽に溺れなさい 》
《 連れて行ってあげられるのはわたしたちだけ 》

「寄るなっ! 触るなっ!」
その喧騒の中、後ろ手にピエッチェをかばいクルテが叫ぶ。徐々に後退し、とうとう大岩のきわに追い詰められた。

(おい、崖っぷちみたいだぞ?)
背中に感じる岩の感触に、ピエッチェが心の中でクルテに話しかける。それに答えたクルテが笑う。
(追い詰められるのはいつも崖っぷち)

(今回は落ちたりしないが――おまえが後退するから、ここまで追い詰められたんじゃないか)
(だが、これで後ろからは襲われない)
(逃げ道をなくしただけでは?)
(うむ……)
黙ってしまったクルテにピエッチェが焦る。

(まさかおまえ、これからどうするか考えていないのか?)
(権利を主張すれば、退くと思っていた)
(その権利、ヤツらは認めてないってことか?)
(案ずるな。認めさせる!)

「うっさい、黙れ!」
クルテが叫んだ。だが囀りは収まらない。
「どんなに肉欲の魔法を使おうと、男はずっとわたしの後ろに居るじゃないか! おまえたちの誘いに乗る気はないんだ、諦めろ!」

《 あんなこと言ってるよ? 》
《 あの女がいなくなれば、男の気も変わるんじゃ? 》
《 誰か女を引き離せ 》
《 わたしはイヤよ。早く男に満たして欲しい。もう、棒のれ口からよだれが垂れてるの 》
ゲラゲラとハァピーたちが笑う。そしていっせいに、わたしも、わたしもと口を揃えた。

 その時――バサッとひときわ大きな羽搏はばたきの音、ハッとクルテが頭上を仰ぐ。ピエッチェが背にした大岩の上には一体のハァピー、翼を広げて見下ろしている。
《 なにを騒いでいる? 》
穏やかだが今まで聞いたハァピーの、どの声よりも大きな声だ。クルテの前に集まっていたハァピーたちも、上を見て口をつぐんだ。

 誰も何も答えないと見て取ると、岩の上のハァピーはバサッと一つ羽搏いて宙に身を躍らせた。フワッと浮いたかと思うと、そのまま下に降りてくる。ハァピーたちを見渡し、クルテを見、そしてピエッチェを見た。

 一体のハァピーが
《 お姉さま、女神さまのご用事はもう済んだのですか? 》
降りてきたハァピーに、恐る恐るたずねた。〝姉〟と呼ばれたハァピーはこの群れのリーダーらしい。他のハァピーたちが恐れているのが見て判る。

《 終わったから戻ってきた……今さっき、女神さまに約束はたがえていないと明言してきたばかりなのに、なぜここに人間の女がいる? 》
《 それはその……男は渡さないってその女が我らの邪魔を――ヒッ! 》
リーダーに一睨ひとにらみされて、言い訳が悲鳴に変わる。

《 狙っていいのは身寄りのない男のみ。それが女神さまとの約束。なのに女がいる男を連れてきた!? 》
《 でも、でも! このところの男日照ひでり。わたしたち、もう身が持ちません! 》

 ふん! とリーダーが鼻を鳴らす。
《 連れてきてしまったものは仕方ない。せっかくの獲物だ、味わい尽くせ――女は草原に帰してやれ。記憶を消すのを忘れるな 》

「そうはさせない!」
クルテが叫ぶ。
「女神とどんな約束をした!? その約束、じっくり聞かせて貰おうじゃないか!」

 その声にクルテを見たリーダー、じっくりと値踏みしているようだ。
《 諦めろ。男はおまえを忘れて我らとの交尾に夢中になる。男とはそんなもの……我らのことだけでなく、男の記憶もおまえから消してやる。せめてものつぐないだ 》

「コイツはそんな男じゃない。その証拠に、いまだ誰の誘惑にも乗っていないじゃないか」
《 ふむ……言われてみれば、男はおまえの後ろに隠れ、わたしたちを避けているようだな。肉欲の魔法が効いているようには見えない 》

「諦めるのはそっちだ。判ったら、早くわたしたちを解放しろ」
《 それがそうもいかない。聞いただろう? 妹たちは飢えている 》
リーダーが溜息をついた。

「女神との約束を言え! 本来、連れてきてはいけない男を連れてきたのは口ぶりで判っている。女神にしらせるぞ」
必死なクルテをリーダーが鼻で笑った。

《 たかが人間風情ふぜいがどうやって女神さまにしらせるのだ? だが、いいだろう。どうせ消える記憶、教えてやろう――待つ者のいる男には手を出さない、女子おんなこどもに危害は加えない。それを条件にこの森を女神さまから頂いた 》
「ほう! 完全に契約違反じゃないか」

《 ここに連れて来ただけで、おまえに危害は加えていない。その男を誰が待っている? あの草原に迷い込んだと言う事は、待つ者がいないと言う事だ 》
「言っただろう、この男はわたしのものだ」

《 おまえのものだという証拠は? 》
「おまえたちの魔法がさっぱり効いていないのがその証拠だ」

《 ふむ……どんな男だろうが、人間の男にはそれなりの効力があるはずなのに、そのあたりは不思議だ 》
「愛の力だ――人間は、色欲だけで欲情するわけじゃない」

《 愛の力だと? 》
「おまえたちと違って、サカリが付けば交尾するのとはわけが違う――愛し愛され、互いに互いを求めあう。そんな二人の仲は、どんな力をもってしても裂くことはできない」

《 なるほど、おまえとその男はその愛で結ばれていると言いたいか…… 》
リーダーが嘲笑した。

《 かつて、わたしは人間の娘だった。わたしに愛を誓った男はわたしを見詰め、わたしの手を握って『この手を放しはしない。この手を忘れはしない』と言った。その言葉を信じてわたしは男とむつみあった。だが翌日、男は別の女と手を繋いでいた。そして二度とわたしの手を握ることはなかった。わたしに残されたのは絶望と男に教えられた肉欲への渇望、耐えきれず森で自死したわたしを憐れんだ女神さまがわたしをハァピーに変えた。もうあなたは男を信用しない。けれど情欲を抑えきれない。だから今度はあなたが男をもてあそべばいい…… 》

「それは、おまえに男を見る目がなかっただけだ」
クルテが言い切った。
「この男はわたしを裏切ることはない。わたし一人を守り抜く」

《 ほほう。果たしてそうかな? 》
リーダーが嘲り笑う。
《 いいだろう。その男が間違いなくおまえを選んだら、二人とも草原に帰し、森から出してやる。もし間違っておまえ以外を選んだら、その時は潔く一人で森を去ると約束しろ 》

「選ぶ?」
《 そうだ、その男を試すのだ。どうする? やりたくなければやらずともよい。さっさとこの場から消えて貰うだけだ 》

「やるとも!」
クルテがリーダーを睨みつけた――

 ピエッチェとクルテが連れ去られた後もリュネは言いつけ通り草原を駆け抜けた。これ以上動かないぞとばかり、突然足を止めたのは森に入ってすぐだ。カッチーが急いで荷台から降りてマデルが降りるのを手伝ったあと、荷台をリュネからはずした。そこには木に住んでいた女の言った通り、道が続いていた。

「やっぱりリュネは賢いね」
マデルが泣きそうな声で言う。
御者ぎょしゃが居なくなっても、ちゃんとわたしたちを運んでくれた」

「クルテさんが言ってた通りですね」
カッチーがしみじみと言った。
「リュネを大事だいじにするんだよってピエッチェさんにもクルテさんにも言われました」

 するとマデルが
「もう耳栓を外したの?」
と驚く。
「はい、耳栓は外したし、鼻も拭きました――でもリュネのフンはいいにおい過ぎて暫く消えそうもありません」
とカッチーが笑う。

「ハァピーの肉欲の魔法は目と耳と鼻を塞げば効かないってクルテが言ってたけど、本当だったみたいだね」
「でも不安でいっぱいでした。何が起きているのか判らなくって、俺、マデルさんに頼るしかできなくて……」
「そのうちカッチーに守って貰うから、一つ貸しよ」
「はい、一生忘れません!」
「一生は大袈裟だって。カッチーに大切な誰かができるまででいいわ。それともわたしの夫になってくれる?」

「無理です!」
笑いながらカッチーがきっぱり言った。
「俺はよくてもマデルさんが承知するはずありません」

「あら、カッチーはわたしでいいの? って、わたしがカッチーじゃ不服だって?」
「マデルさんには好きな人がいますよね? なんとなく判ります」
「そっか……」
「否定するかと思ったのに、認めちゃうんですね」
「まぁね。でも、その人のことは諦めてる」
「……大人の事情ってやつですか? 大人って、自分に素直になっちゃいけないもんなんですかねぇ?」

 話しを打ち切るようにカッチーが箱から出した水袋を持ってリュネに近寄る。
「ピエッチェさんとクルテさん、大丈夫でしょうか?」
リュネに水を飲ませながら、カッチーが呟いた。

「ハァピーとの知恵比べ……ピエッチェの目・耳・鼻を塞ぎ、それを気取られなければ勝てるって言ってたけど、巧くいったかしらね?」
「ピエッチェさんの目、クルテさんの魔法で見えなくしたんでしょう?」
「クルテはそう言ってたけど、難しい魔法なのよ……成功を祈るわ」
「匂いが判らないのはともかく、見えない聞こえないじゃ、クルテさんとも意思の疎通ができませんよね。どうハァピーを騙すんでしょう?」

「もともと連れ去られるなんて予定になかった。あのままここまで四人で来るはずだったのに」
マデルが道端に腰を下ろした。
「でも、クルテは必ず戻るって言った。だからここで待つしかない」
そうですね、カッチーがマデルの隣に腰を下ろした――

 ハァピーたちがやいやい騒ぐ。
《 当てられっこないって 》
《 やる前から結果は判ってる。惨めになるだけだ 》
《 ま、いっか、その惨めさも忘れさせてあげるね 》

 ハァピーたちの手をクルテと同じ大きさ、同じ感触に魔法で変えた。ピエッチェに目隠しし、その手を順に握らせるらしい。
《 果たしておまえは選ばれるかな? 》
ハァピーのリーダーがクルテを見て、あざけり笑った。
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