秘魔 =追放されし王は 荒天に煌めく星を目指す= 

寄賀あける

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8章  窪みは常に動く

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 濁流に飲み込まれたのはいつだった? あれはそうだ、ネネシリスに追い詰められた崖っぷち、肩越しにのぞき込んできたクルテに驚いて足を踏み外した時だ。ってことは、なんだ、振出しに戻ったってことか? 戻ったっていうよりも、あの時から、こうして溺死する運命が決まっていて、それがようやくここに来て実現するってことなのか? 死神は狙った獲物を逃したりしないのだろう。

 今度は一人じゃない。クルテが一緒だ。だけど判らない。一緒なら、それもいいかと思っているのに、やっぱりクルテが死んでしまうのには堪えられない。クルテだけは助けたい。そしてできることならば――死にたくない。

 朦朧もうろうとしそうな意識を奮い立たせ、ピエッチェが水を蹴る。左腕でクルテをしっかり抱え、右手でなんとか水をく。もみくちゃにされて平衡感覚が、今度は確実に狂っている。上はどっちだ? 水脈の上部には少しくらい空気の層があったって奇怪おかしくない。それを見つけ出せ、そこに辿り着ければまた死神をあざむける。

 でも、だけど、もう……これが俺の限界か? 息が苦しい――薄れていく意識の中で上に向かっているのを感じた。背中を掴まれ引っ張られている。黄泉よみの国への道案内か?

「ゴホッ! ゲホッ!」
気付けば上半身は小石がごろごろしたに寝かされた状態、下半身は水流にさらされたままだ。詰まっていた水を吐き出すと同時に意識が戻った。横向きにされ、強く背を叩かれた気がする。ここはどこだ? 暗くてよく見えない。

「息を吹き返したか?」
どこかが漏れているような甲高かんだかい声、背中を叩いてくれたのはこいつか?

「クルテ!」
ハッとして上体を起こしクルテを探す。すぐそこに横たわっているのを見てほっと息を吐けば、
「精霊の成れの果てを放っておくものか」
キーキー声があざけりを含んで言った。

「水に引き込んだものの人間は泳ぎが苦手、しかも水中で息ができない」
声の主を見てから周囲を見た。どうも濁流のあとは洞穴と相場が決まっているようだ。陽光が届かず、暗くてぼんやりとしか見えない。

 だが、声には聞き覚えがある。
「人魚か?」
疲労で声が震えていた。

「人間は我々をそう呼んでいる。人で魚、無礼なことはなはだしい」
「あ、いや、そう呼ぶのが無礼なのだとは知らなかった、許して欲しい」
「ふむ……ザジリレン国王はいつのも素直な心根を持っているようだ」
「えっ?」

「どうして知っているのかと問いたいか? グレナムの精霊に守られた男がザジリレン王でないはずがない。おまえがザジリレン王なのは一目瞭然」
隠したところでバレバレのようだし、相手は人魚、隠す意味もない。

「地下水脈に引き込み、助けてくれたのだな? 礼を言う」
「我らは人間と違って受けた情けを忘れはしない。おまえの祖先は我らのために涙を流した。その心に報いたまで」
人魚たちを封印した時の話か? 当時の王は助けられなかったと泣いて詫びたと聞いている。きっとその事だ。

「さっさと水から上がれ。おまえがしようとしていたことは我が引き受けよう」
「それって……あの虫を退治してくれるのか?」
「あれは五年ほど前、金髪碧眼の男があの森に放ったものだ。見逃すつもりだったがグレナムの精霊にきばいたとあらば捨て置けぬ」

「金髪碧眼って、コテージの少年のことか?」
「少年はいつまでも少年にあらず――街では飼えなくなったと虫に謝っていた。自分で餌を捕れとも言っていた」
街では飼えなくなった……つまりヤツはどこかの街に居る。

「こないだたずねた時、どうして教えてくれなかった?」
「虫のことをおまえたちはかなかった」
「いや、そうだけど」
「訊かれた事には誠実に答えたつもりだが不満か?」
「……いいえ、こちらが不遜でした」
少しだけ人魚が笑んだような気がした。
「あの時も、同じような会話があった」
これは人魚の独り言、封印に関わったザジリレン王を思い出しているのだろう。

 ぐっしょり濡れた身体で水から出ると、すぐにクルテの様子を見た。クルテはまるで眠っているようだ。鼻の前に手を当ててみると呼吸が触れた。

「そこに見えている木の根を探れ。精霊の成れの果てを担いで通れるほどのうろが地上まで続いている」
「木の洞? 登っていけるものなのか?」
「以前、女を助けた。その女はケラケラ笑いながら登っていった」

「うん? なぜその女は笑っていたんだ?」
「あれは失策だった。この場を暗くするのを忘れ、我が姿を見た女は恐怖のあまり気が触れた――ザジリレン王、きっとおまえは我を見ても動じないだろう。が、見られたくないのだ。人の心を壊すほど、人間にとって我が姿はおぞましい」
「見慣れていないからなんじゃないか?」
再び人魚が笑ったように感じた。 

「無駄話を終える。虫を逃がしたくない。判ったら今すぐこの場を去れ」
「今すぐ?」
本音を言えばくたくただ。少しくらいは休みたい。

「我はあの虫がいる場へと戻り、今度はあいつを水脈に引きずり込む――明日の朝、あの虫のむくろが湖の畔で見つかるだろう。それはおまえの手柄てがらにしろ」
「いや、他人ひとの仕事を自分のことのようには言えない」
「我が存在を漏らさぬためだ。あんなものが湖に上がれば人間は騒ぐ。湖を捜索されてはたまらない。おまえがヤツを水脈に落として溺れさせたと言えば、疑う者はおるまい――おまえの仕業しわざにして欲しいという我が願い、聞き届けてはくれまいか?」
そこまで言われて断れるものではない。

「では、何か手伝えることはないか? 手伝わせてくれ」
「何もない。敢えて言うならさっさとここを去ることだ」
きっぱりとした人魚の声、
「水脈に落ちた虫はここを通り湖へと流される。虫が足搔き、この空洞には水が溢れるだろう。再び溺れたくなくば、さっさと去れ」
言うだけ言うと人魚はザバンと水の中に消えた。

 うかうかしていてはまた溺れてしまう――慌ててクルテを担ごうとすると目の端で何かが光る。見ると、シャーレジアの剣だ。水に流されてここにきたのか、人魚が拾ってくれたのか? 去ってしまった人魚に訊くこともできない。

 腰に残っていたさやに剣を納め、クルテを背中に担ぎ上げた。言われたとおり木の根を探る。絡み合うように伸びた太い根に隠された中を覗き込むと、洞が上に向かって広がっている。枝のように伸びた根もある。足場に困らず登れそうだ。

 ぐっしょりと水を吸った衣服で自分の身体がいつもより重い。身体も冷えてきた。クルテも同じで、いつもより重いと感じたが、これくらい軽いもんだと思い直した。きっと命はもっと重い。なにしろ早くコテージに戻り、クルテを温めてやりたい。風邪をひかせたら可哀想だ――

 ふっと空を見てマデルが溜息をついた。
「こんな時でも、星空は綺麗なのね」
戻って来ない二人、なのに星を見て綺麗だと思った。マデルはそんな自分を責めたいのだろうか?

 デッセムがお茶を淹れてくれたあと、焚き場の前にウッドデッキのテーブルも運んで二人で椅子に腰かけていた。気になっているのは戻って来ない二人のことだけ、話が弾むはずもなく、ひたすら待っているだけだった。

 カッチーも空を見上げた。
「そうですね、綺麗です。きっと、こないだ見た時より綺麗ですよ」

「こないだより?」
「はい……もうすぐ二人は戻ってきます。そしたら、四人で空を見ましょう。きっと一生忘れられないくらい綺麗だと思うはずです」
少しだけ息を飲んだマデル、
「カッチー、あんた、グリュンパの女将おかみさんじゃないけど、女ったらしにならないでね」
と笑った。

「なんですか、それ? 酷いですよ、マデルさん」
マデルの言葉は本気でカッチーの気に障ったようだ。

「怒らない、怒らない。あなたを褒めたのよ。もうちょっとわたしが若くって、心に決めた相手がいなければ惚れたかもって思った。本当よ」
クスクス笑いが止められないマデルに
「そんなこと言って……誤魔化されませんからね」
カッチーはプリプリしてる。が、
「デッセムさんが夕食を運んできたようです」
と木戸に目を向ける。見ると、食事用の木箱を乗せた台車をコテージの敷地内に入れ終わったデッセムが木戸を閉めているところだった。

「手伝いに行かないの?」
「そんな気分じゃないんです。強がりを言ってるけど、俺、食欲なくて」
「なんだかいつもより箱が大きいんじゃない?」
「俺たちを励ますつもりなのかな? 逆効果です――って、俺、ひねくれてるんでしょうか?」
「だったらわたしも捻くれてる」

 そんな二人の気持ちをデッセムも察しているのだろう。焚口のほうをチラリと見たデッセム、いつもだったら馴れ馴れしく『手伝ってくれよ』なんてカッチーに声を掛けるのに、見ないふりをしてコテージの玄関に向かっている。まだ戻って来ないんだ……木箱は玄関室にでも置いておこう、きっとそう考えている。

 と、そのデッセムが足を止め、台車から手を放した。
「こっちだ! こっちに早く、手伝えっ!」
大声でそう言うと台車を放り出したまま、建屋の方に駆けていく。

「なに事かしら?」
いぶかるマデル、
「とにかく行ってみます」
カッチーが立ち上がりデッセムが消えた方へと走った。

「マデルさん! こっちです」
そのカッチーもコテージの向こうで叫んだ。
「ピエッチェさんです! 戻ってきました」
そしてデッセムが行った方へと再び走り出した。

 カッチーが叫んだ場所まで行くと、湖に続く道に出られる木戸が開け放され、そこから入ってくるピエッチェが見えた。背中にクルテを担いでいる。カッチーがピエッチェに手を貸してクルテを引き受けようとするのをピエッチェが断っているようだ。
「まったくあんたったら、こんな時でもクルテのことは誰にも任せたくないのね」
泣き笑いのマデルがその場にくずおれた――

 ずぶ濡れの二人を見て風呂を沸かすというカッチーにデッセムが
「浴場から湯を運んだほうが早い。従業員総出で運べばすぐだ」
と、すっとんでいった。湯を入れたバケツを持ってきたのは全部で九人、さらにデッセムもバケツを持って戻ってきている。

 さすがのピエッチェも、クルテの入浴はマデルに任せた。
「俺は後でいいから。何しろクルテを頼む。早く身体を温めて乾いた服を着せてやってくれ」

 それでもバスルームまでクルテを運んだのはピエッチェだ。マデルは着替えとタオルを持ってついてきている。やっと目を覚ましたクルテが『行かないで』とピエッチェにすがったが、
「綺麗にしてこい、待ってるぞ」
とバスルームから出て行った。

「珍しく、気の利いたセリフだったね」
笑うマデルに
「マデル……お姉さん」
抱き着くクルテ、
「あらら。わたしの服もびしょ濡れ――仕方ない、一緒に入ろう。こんなこともあるかと思って着替えとタオル、自分の分も持ってきた」
マデルがクルテを抱き締め返した。
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