秘魔 =追放されし王は 荒天に煌めく星を目指す= 

寄賀あける

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8章  窪みは常に動く

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 寝室でもクルテの上機嫌は続いていた。

 クルテの肩に腕を回して抱き込むように寝室に向かった。背の低いクルテはすっぽりピエッチェのふところに納まってしまう。胸に寄り掛かり、見あげてくるクルテからピエッチェは目を離さない。寝室に入るとそのままクルテをベッドに座らせ、自分も隣に腰を降ろした。そしてまた肩を抱き寄せる。うふふ、と嬉しそうな笑い声、肩に回す腕に力を籠めるとクルテも両腕をピエッチェの身体に回して抱き返してきた。

「随分と機嫌がいいな」
あごに頭を押し付けてくるクルテにピエッチェが話しかける。

「うん、ずっと抱いててくれたから」
「んん? おまえ、気を失ってたんじゃないのか?」
「そうなのかな? きっとそう。でも時どき気付くと抱き締められてて、安心してまた眠った」
「眠ってたんだ?」
失笑するピエッチェ、そう言えば眠っているように見えたなと思い出す。

「そんなに眠かったか?」
「ダン! って木が倒れてきて、回避したんだけど、アリジゴクだって言われて見たらヘンなのが動いてて。アリジゴクって何?」
そこからかよ?

「で、そっちに気を取られてたら、いきなりズズーーって足が滑って、倒れたところで何かに殴られた」
それはきっと、あのならの木だ。
「そしたらなんか気持ちよくなっちゃって、眠っちゃった」

「おまえ、それは眠ったんじゃなくって失神したんだ……アリジゴクって言うのは虫の幼虫、ウスバカゲロウって見たことないか?」
「トンボみたいだけどやけに弱々しいヤツ? 親に似てないね」
「虫は似てない親子がほとんどだ。で、そのアリジゴクの巣が蟻地獄。摺り鉢状の巣の表面がもろくなってて、はまったら抜け出せず底の方へ落ちてく仕組みだ」
「家に居ながらにして狩りができるなんて便利。あっ、蜘蛛の巣も同じだね――わたしたち、虫の餌にされるところだった?」
「ま、そうだな」

「わたしをずっと守ってくれていたんでしょう?」
「俺だけじゃ守り切れなかった」
「マデルとカッチーのお陰?」
「それもあるにはあるけど……あの二人には言わなかったが、人魚が助けてくれたんだよ」

 ピエッチェが人魚に助けられた顛末てんまつを話すと
「妖精の成れの果てってわたし?」
クックと笑うクルテ、振動がピエッチェの胸に伝わってくる。

「でも、そうだね。人魚のことは言わない方がいいかも。なんで人魚が助けてくれたのか、説明が難しそう――だけどグレイズギュリューの男の女房がどうして助かったのかが説明できないよ?」
「水脈に落ちたのは偶然、俺たちが辿り着いた空洞に打ち上げられたのも偶然、で、俺たちが登った木の洞から出てきたんだって言うしかないかな」
「偶然で済ませちゃうんだ?」

「偶然って言うのは馬鹿にできないぞ。人生なんて偶然の積み重ねみたいなもんだ」
「空洞から登ったうろのある木の場所はどうする?」
「みんなに教えるってことか? それはしない。教えてあの空洞に人が行くようになったら、また別の問題が起こりそうだ。聞かれても忘れたっていう。俺もコテージに着いた時はボロボロだった。どこをどう歩いたかなんて覚えてなくても不思議じゃない」

「空洞に人間が押し寄せたら人魚に迷惑が掛かりそうだよね……ま、難しいことはどうでもいいや。人魚の助力があったとしても助けてくれたのはカティ。わたしを離さずにいてくれた、それがわたしには重要」
「カティ?」
「長すぎてカテロヘブって咄嗟に言えなかった」
そう言えば、アリジゴクが現れてすぐ、クルテがそう叫んでいたっけ?

「なんだ、俺って名前を省略されちゃう程度の存在なんだな」
そんなこと思ってない癖にピエッチェが言った。悪い気はしなかった。王侯貴族の恋人たちの間で諸略した名で呼びあうのはよくあること、御大層ごたいそうな名をつける弊害だ。

「イヤだった? これからカティって呼ぼうと思ってたのに」
「どうせ二人きりの時だけだろ、好きにしろよ」
「じゃあ、みんなの前ではピエって呼ぶ」
「イヤ、それはやめろ。恥ずかし過ぎる」
「恥ずかしいのは、名を省略して呼ぶのは恋人同士がすることだから? それともわたしが恋人だと思われるのがイヤだから?」
ピエッチェを抱き返すクルテの腕に力が増した。ピエッチェの心臓がドクンと音を立てる。

「い……イヤなわけない」
裏返った自分の声に羞恥し狼狽うろたえる。クルテは何も言わず、さらにきつくピエッチェを抱き締めてきた。

 なぁ、いっそ、本当に恋人になっちまわないか? そう言ってみようか? でも、答えは判り切っている。カテロヘブがそう願うのなら……そんな答えは聞きたくない。

「おまえはどうなんだ? みんなに、その、誤解されてもいいのか?」
クルテは答えない。代わりに今度もギュッとしがみ付いてきた。それをどう受け止めたらいい? 判断つかないまま、ピエッチェもクルテを抱き締める。

 抱き締めた身体の柔らかさとしなやかさ、優しい温もり――誰にも渡したくない。俺のものだ。そんな思いがコテージの裏木戸で、手を貸そうとするカッチーを無視させた。

 その時は魔物から守ろうとした興奮が続いているんだと思おうとした。カッチーが魔物じゃないこともクルテに危害を加えないことも判り切っているのに、守りたいと強く感じた。

 何しろクルテを放したくない。ずっと触れていたい。それは生への執着かも知れない。クルテだけは死なせないと思い、自分も生きたいと願った。コイツと一緒に生きていくんだ、強くそう思うことで生き永らえた。それがなければ諦めてしまった。

 生命の危機が去って、その執念が全てクルテに向かっているんじゃないか? 木の洞を登りながら、湖の畔を歩きながら、コテージに向かう坂を上りながら、背中の重みが教えてくれたのは自分が生きている現実だ。

「また何か考えてる……」
胸元でクルテが呟く。
「考えてばかりいないで、思うようにしてみればいいのに」

 ピエッチェの鼓動が早くなる。思うように? 思うようにしていいのか?

 おまえ、心が読めるんだろう? だったら俺が何を求めているか知っているよな? 知っていてそんなことを言うんだろう?

 入浴の僅かな間、おまえが横に居ないことがどれほど俺を不安にさせたか。風呂から戻っておまえを見た時、俺がどう感じたか。

 腕に絡みついてくるのを払えなかった。嬉しくて嫌がるふりができなかった。それどころかもっとそばに居て欲しくて肩を抱き寄せた。

 嬉しそうに俺を見上げ微笑むたびに、なんて綺麗なんだと感じていた。おまえはどんどん美しくなっていく。そして思ってたんだ。そのふっくらと優しい薄紅色の唇に唇で触れてみたい――

「クルテ……」
キスしていいか? そう言おうと思って、どうしても言えなかった。カテロヘブが望むなら、そう言われるのがやっぱり怖い。でも、どうしたらいい? 迷いの中でクルテをさらに引き寄せ、両腕で抱き締めた。

「カティ……」
クルテの手がピエッチェの背を撫でまわす。同じようにクルテの背を撫でたい。

 でも、ここでもピエッチェは躊躇する。
「おまえ、最近あんまりうなされなくなったな」

「イヤな夢、見なくなった。カティのお陰」
「だったら……おまえの身体を撫でてもいいか?」
「カティには、撫でられるのもキスされるのも気持ちいい」

 キスなんかしたことないのになんでそう言い切れる? だけど、そんなことはどうだっていい。何も考えなくていい。クルテがそう言ったんだ。

 ゆっくりと左手で背中を愛撫してから、指の間を遊ばせるようにクルテの髪を掻き上げ、頭を撫でた。クルテが顔をあげ、濃い緑色の瞳でピエッチェの顔を見る。左腕を背中に戻し右手で頬を撫で、耳朶みみたぶに触れた。クルテが手に摺り寄せてきた頬を、てのひらで包んでさらに上を向かせた。

 ひたいひたいこすり付ける。触れる鼻先、顔を傾けて……唇が重なり合った。なんて柔らかいんだ、最初にそう思った。その感触を確かめたくて、唇で挟み込んだ。だけどそれでも物足りなくて、そっと吸った。僅かに吸い返されるのを感じた。クルテに許され求められているとピエッチェに思わせるのに充分だった。

 舞い上がったピエッチェの、キスにも愛撫にも遠慮が無くなっていく。両手でクルテの頭を支え、キスを何度も繰り返す。するとクルテも指で髪をくようにピエッチェを愛撫する。

 キスは唇だけでなく、頬に顎に耳元へと移っていく。耳朶みみたぶを甘噛みしたとき、クルテが微かな声を上げた。それは甘い溜息だった。
「クルテ……」
再びキスが唇へと戻り激しさを増した。

 逆上のぼせていくのが自分でも判る。でも、これでいいんだ……しがみ付くクルテの腕をほどき、抱き上げるようにクルテをベッドに横たえた。クルテはピエッチェのなすがまま、ほんの少しも抵抗しない。

 自分もベッドに上がり、クルテの前髪を掻き揚げる。再開されたキス、ピエッチェの手がクルテの顎を撫で首元を辿り肩へ、そして胸元へと動く。初めて触れる柔らかさは他と違っていて不思議な弾力があった。貧相だなんて嘘じゃないか。そう言おうと思ってやっぱりやめた。何も言いたくなかった。言えばブレーキがかかる、そう思った。

 ピエッチェがキスをやめ、上体を起こす。弾力の硬さが変わってきたと感じた。見たい、触れたい、キスしたい。絡みつくようなクルテの腕をもう一度ほどき、クルテの上にまたがるよう膝をついた。焦る手でボタンを外し、シャツを脱ぎ捨てた。それからクルテのシャツに手を伸ばした。これでいい、これでいいんだ、なぜか自分に言い聞かす。これは言い訳か、それとももっと違うものか? あぁ、そうだ、愛してるって言ってない。だからきっと、こんなこと思うんだ。

 クルテのシャツのボタンを外す手を止めて、ピエッチェがクルテを見た。愛してるよ、おまえだけだ。一生大事にする――そう告げる気だった。

「クルテ……」
ピエッチェの動きが一切止まる。荒くなっていた息さえ止まった。鼓動は? きっと止まった。

「どうかした?」
クルテはピエッチェを見ていた。静かな目だ。

 ふうっとピエッチェが深呼吸し、脱ぎ捨てたシャツを探す。跨っていたクルテから降りてベッドに腰かけてシャツの袖に腕を通した。

「すまない」
何を謝っているのだろうと思うのに、他に言葉が思い浮かばなかった。
「忘れろ――間違いだ。キスも、身体に触れたのも」

 立ち上がるとピエッチェは、置いてあったサックを椅子に移してもう一つのベッドに潜り込んだ。

 愛してる、そう言おうと思って見たクルテの目は醒めていた。抱き返してくれたのも、キスに応えてくれたのも、愛撫も、俺の真似をしただけだ。俺がしたようにしてみただけだ。クルテも俺を求めている、そう思ったのは思い上がりだった。クルテはやっぱり魔物なんだ。俺に逆らわないだけで、俺の思いを受け止めてくれたわけじゃない――
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