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11章 身を隠す
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魔物封じの術を使おうとした時に気が付いた。魔物の後ろに潜む何かがいる。その何かは必死で魔物を鎮めようとしていた。魔物ではない何か、これは……愛なのか?
ぬいぐるみを作ったのはジランチェニシスの母親だ――子の父親に作ってくれと頼んだのに拒まれ、自ら縫い上げた一対の人形……母の深い愛情が込められた縫い目の一つ一つ、そんな人形を焼いてしまっていいのだろうか?
『男に愛されただけのただの女。だが、愛の魔力は少し他より強かった。それが少年を守ったが今はもう届かない』
人魚はそう言った。届かなくなったのは、魔物に変化したぬいぐるみが魔力で邪魔をしたからか? 人魚の話を聞いた時は母親の命が尽きたことを指すのだと思ったが、違っていたのかもしれない。
クルテが『世を去った者の思念と話す気?』と嘲笑したのを、そんなことは不可能と言ったのだとピエッチェは受け止めていた。森の聖堂でギュームと暮らしていたのは亡者だった。死者の魂なら生者の時と同じように思考もするだろう。だが今度は物に宿ったただの思念、込められた思いだけがそこにある。会話が成立するはずがないとクルテは言いたいのだと思った。
「向こうから話しかけてきたんだ。いや懇願か? あの子が幸せになったら、居るべきところへ戻る、だからこのまま見守らせて欲しいって」
言い訳じみた説明をする。他者ならばきっと信じてくれない。だけどクルテなら信じてくれる。
「ふぅん、それでなんて答えた?」
そんな馬鹿なことがあるか、とクルテは言わなかった。ピエッチェへの信用なのか、心を読んで嘘ではないと知っているからなのか?
「帰ってきたら話をするから、温和しくしててくれと言った。誰かに危害を加える気はないと返事が来た。実際、ぬいぐるみの魔物を鎮めようとしているのを感じた。親として、善悪を諭そうとしていた」
「善悪を諭すねぇ……でもジランチェニシスには届かないってか? それに誰かに危害を加えないってのは、息子に危害を加えたりしない誰かって条件付きだって判ってるよな?」
「ん……まぁ、母親なんてそんなもんだ」
「なるほど」
クルテが溜息をつく。
「勝てないんじゃなく、勝つ気がないんでもなく、母親って存在を庇いたいだけなんだな。そもそも戦う気が全くない」
「だって――だって……」
だっての先が出てこない。自分でも今の気持ちがよく判らない。きっとクルテの言う通りなんだろう。だから言い返せないんだ。
「まぁいいや。そうしたいならそうすれば――あぁあ、もうカッチーが帰って来ちゃった。アル、もっと頑張ってくれたらよかったのに」
あとでカッチーにお茶を取りに来させるから、できるだけ引き留めて欲しい……宿に戻った時、アルに依頼しておいた。
「絵のほうはあとでだな。お茶だ、お茶が来た」
そう言いながら抱き上げたぬいぐるみを見てクルテが微笑む。それからソファーにそっと座らせた。
「いい子にしててね」
小さな呟き、そしてクルっと振り返る。
「お茶菓子はなんだって言ってたっけ?」
「あぁ、アルが何か言ってたけど、他に気を取られてまともに聞いてない」
「なんだよ、役立たず」
その言いかたはないだろ? おまえだって覚えてないくせに。それに、なんで人形には優しいのに俺には冷たいんだよ?
クルテがニヤリと笑う。
「ほら、ボーっとしてないで。居間に行くよ」
不意に手を握られ引っ張られる。手を繋いでカッチーの前に出るのか?
まぁ、おまえがそうしたいなら……冷たくされたと感じて拗ねたい気分だったのが消えていく。誤魔化されてる? それなら誤魔化されとけばいい。手を引かれるまま足を踏み出した。
お茶請けの菓子はフワッと焼き上げたスポンジケーキを、レモン香る砂糖衣でコーティングしたものだった。例によってマジマジと観察するクルテ、苦笑いのピエッチェは
「マデルを呼んでくれるかな? 話があるんだ」
カップにお茶を注ぐカッチーからポットを引き受ける。
すぐにマデルは部屋から出てきた。生欠伸を噛み殺しているのは芝居だ。眠りもせずに、魔法の鏡をずっと覗き込んでいたんじゃないか? そんな気がした。
「清風の丘で、それらしい屋敷は見つかった?」
「それが……」
清風の丘で金髪碧眼の男と遭遇した。その男がノホメの言うラジで、名はジランチェニシスだった。
「自分から出てきたんですか? 対決する気ですよね、それ?」
興奮気味のカッチーをマデルが
「静かに。話しはまだこれから。そうだよね?」
窘め、話の続きをピエッチェに促す。
ジランチェニシスに誘われるまま屋敷に入り、そこでフレヴァンス他の開放を求めたこと、捕らえられた中にザジリレン王カテロヘブが含まれていたこと、交渉は成立し、幽閉している屋敷へと移動したこと……
「ギュリューの地底湖……王都がギュリューにあった頃、万が一の逃げ道は地下水路だったって歴史で学んだことがある。その名残かな? ほとんどが水を抜かれて埋め立てられた。見落としがあったのかもね」
マデルが蘊蓄を披露した。
幽閉していたのはレストランの裏手の家、人々は今もそこにいる。
「それで、だ」
ピエッチェが一息ついた。交渉内容をまだ言っていない。果たしてマデルは承知してくれるだろうか?
「ジランチェニシスを協力者として、王都に連れて行こうと考えている」
「協力者?」
「うん……その、なんだ。フレヴァンスの救出に助力してくれたって――」
「はぁあっ!?」
案の定、マデルの反応は激しい。カッと椅子から立ち上がり、ピエッチェを睨みつけた。
「誘拐したのはソイツで間違いないんだよね?」
「厳密に言うとヤツが所有するぬいぐるみで――」
「ヤツがぬいぐるみを魔物にして操ったってことよね!?」
「ジランチェニシスはぬいぐるみが勝手に――」
「あんた、そんなこと、信用するの!?」
憤るマデルにタジタジのピエッチェ、カッチーは
「マデルさん、落ち着いてください」
と言うが、オロオロしている。クルテはいつものことだが無関心、
「あぁ、そうか、判った」
やっとフォークを手にしてケーキに挿した。
「この白いのは砂糖をレモン水で練ったもの」
一口大にケーキを切って口に入れる。場を無視した発言に、ピエッチェとカッチーは戸惑って互いを窺い、カッカしていたマデルは口を開けたままクルテを見た。そんなマデルにクルテが微笑んだ。
「うん、レモンのいい香り……美味しいよ、マデルも食べて」
「クルテ……あんたって、まったく、もう!」
泣き出しそうな顔で、マデルが腰を下ろす。それでも気が治まらないのだろう、手にしたフォークで乱暴にケーキを切り分けた。
「クルテ! あんた、一緒に居たんでしょう? なんでピエッチェを止めてくれないのよっ?」
そう言ってから大きく切ったケーキを口に放り込む。
「うん、一緒に居たよ。でもね、マデル、ピエッチェは間違えないから」
「ふへ?」
口から細かな粒を吹き出して慌てるマデル、気にすることなくクルテが続ける。
「ピエッチェはいつも正しい。だからマデルも心配しないで」
カッチーが手渡してくれたお茶を飲みながら、マデルがマジマジとクルテを見詰めた。
「ふぅ……」
マデルがソーサーに戻したカップは空、すぐにカッチーが注ぎ足す。その動きにマデルがやっとクルテから視線を外した。そして再び満たされたカップに手を伸ばす。
「クルテに訊いたわたしが馬鹿だった……」
口元にカップを運んだものの、飲む気にならないのか? そのままの姿勢で視線をピエッチェに向けた。
「それで? なんの計画もないのに、アイツを協力者に仕立ててまで王都に連れて行きたいわけじゃないでしょう? 何を企んでるの?」
マデルの言葉にピエッチェが微笑んだ――
アルにグレイズのことを尋ねると、
「グレイズって奥さんが寝たきりの? 数年前からこの近くに住んでる。奥さんの療養を兼ねてギュリューに来たって言ってたけど、どうせならセレンヂュゲにしたらいいのにね」
すぐに住処を教えてくれた。
予告なしの訪問に、追い返されはしないか、ひょっとしたら留守かも知れないと危ぶんだがグレイズは在宅していたし、イヤな顔をせず家に入れてくれた。
「穢苦しいのは我慢してくれ」
と恥ずかしそうに笑う。
クルテが差し出した菓子屋の包みを見て、
「せっかくだが、俺は甘いものは苦手でね。お嬢ちゃんが持って帰って食べな」
と受け取らない。
「シャーレジアは甘いもの、大好きだって」
「あ、爺さんに会ったのか?」
「グレイズのこと心配してた――これね、奥さんにと思って。プディングなんだ、きっと食べやすいよ」
グレイズがクルテを複雑な顔で見詰めた。それから
「……うん、ありがたく貰っておくよ」
と菓子を受け取り、『いい男にはいい女がつくもんなんだな』と独り言を言った。
グレイズを訪問したのはピエッチェとクルテの二人、グレイズと面識のないマデルとカッチーは宿に残って次の計画の準備をしている。
「そんな魔物が湖の森に潜んでたなんて……」
ピエッチェの話に絶句するグレイズ、
「奥さんはグレイスのところに帰りたくって、必死に逃げたんだろうな」
ピエッチェの言葉に涙ぐむ。
「あぁ、生きて帰れただけで運が良かった。そんな魔物に食われたなんて、他の人が気の毒で仕方ない」
「俺たち、これから王都に行こうと思ってるんだ」
「王都に?」
「向こうでいい医者を探してみる。見つかったら連絡する」
「女房を連れて王都に来いって?」
「金のかかることだ、やみくもに来いとは言わない。確実に回復する見込みがある時だけ呼ぶよ。費用が足りないなら俺がなんとかする。治療が終わったら、またギュリューでもグリュンパでも好きなところで暮らせばいい」
「いいや、あんたに金を出して貰うわけにはいかねぇ」
「おい、貰う気でいるのか?」
ピエッチェが声を立てて笑う。
「奥さんが元気になったら、今よりずっと働けるだろう? 少しずつ返してくれ。貸すだけだ」
「あんた……」
グレイズの顔がクシャクシャになった――
夕食をご馳走したいと引き留めるグレイス、先約があるから次の機会にと断って宿に戻る。
「用意できてるよ」
クルテの顔を見てマデルが言った。
頼んでおいたのは小さな革袋、全部で十一だ。受け取って寝室に入るとサックから赤い革袋を出した。
クルテはピエッチェと一緒にレストランに行く。マデルとカッチーも出かけるが別行動だ。寝室から出て来たクルテが、さっきマデルから受け取った袋をマデルに返した。チャラッと音がするのはいくらかの金を入れたからだ。
「結構重いよ。あんたたち、どんだけ金持ちなのさ?」
受け取った袋をカッチーに預けてマデルが呆れる。
「王宮の金蔵くらいは持ってるよ」
クルテの返事に『大きく出たね』とマデルが声を立てて笑った。
ぬいぐるみを作ったのはジランチェニシスの母親だ――子の父親に作ってくれと頼んだのに拒まれ、自ら縫い上げた一対の人形……母の深い愛情が込められた縫い目の一つ一つ、そんな人形を焼いてしまっていいのだろうか?
『男に愛されただけのただの女。だが、愛の魔力は少し他より強かった。それが少年を守ったが今はもう届かない』
人魚はそう言った。届かなくなったのは、魔物に変化したぬいぐるみが魔力で邪魔をしたからか? 人魚の話を聞いた時は母親の命が尽きたことを指すのだと思ったが、違っていたのかもしれない。
クルテが『世を去った者の思念と話す気?』と嘲笑したのを、そんなことは不可能と言ったのだとピエッチェは受け止めていた。森の聖堂でギュームと暮らしていたのは亡者だった。死者の魂なら生者の時と同じように思考もするだろう。だが今度は物に宿ったただの思念、込められた思いだけがそこにある。会話が成立するはずがないとクルテは言いたいのだと思った。
「向こうから話しかけてきたんだ。いや懇願か? あの子が幸せになったら、居るべきところへ戻る、だからこのまま見守らせて欲しいって」
言い訳じみた説明をする。他者ならばきっと信じてくれない。だけどクルテなら信じてくれる。
「ふぅん、それでなんて答えた?」
そんな馬鹿なことがあるか、とクルテは言わなかった。ピエッチェへの信用なのか、心を読んで嘘ではないと知っているからなのか?
「帰ってきたら話をするから、温和しくしててくれと言った。誰かに危害を加える気はないと返事が来た。実際、ぬいぐるみの魔物を鎮めようとしているのを感じた。親として、善悪を諭そうとしていた」
「善悪を諭すねぇ……でもジランチェニシスには届かないってか? それに誰かに危害を加えないってのは、息子に危害を加えたりしない誰かって条件付きだって判ってるよな?」
「ん……まぁ、母親なんてそんなもんだ」
「なるほど」
クルテが溜息をつく。
「勝てないんじゃなく、勝つ気がないんでもなく、母親って存在を庇いたいだけなんだな。そもそも戦う気が全くない」
「だって――だって……」
だっての先が出てこない。自分でも今の気持ちがよく判らない。きっとクルテの言う通りなんだろう。だから言い返せないんだ。
「まぁいいや。そうしたいならそうすれば――あぁあ、もうカッチーが帰って来ちゃった。アル、もっと頑張ってくれたらよかったのに」
あとでカッチーにお茶を取りに来させるから、できるだけ引き留めて欲しい……宿に戻った時、アルに依頼しておいた。
「絵のほうはあとでだな。お茶だ、お茶が来た」
そう言いながら抱き上げたぬいぐるみを見てクルテが微笑む。それからソファーにそっと座らせた。
「いい子にしててね」
小さな呟き、そしてクルっと振り返る。
「お茶菓子はなんだって言ってたっけ?」
「あぁ、アルが何か言ってたけど、他に気を取られてまともに聞いてない」
「なんだよ、役立たず」
その言いかたはないだろ? おまえだって覚えてないくせに。それに、なんで人形には優しいのに俺には冷たいんだよ?
クルテがニヤリと笑う。
「ほら、ボーっとしてないで。居間に行くよ」
不意に手を握られ引っ張られる。手を繋いでカッチーの前に出るのか?
まぁ、おまえがそうしたいなら……冷たくされたと感じて拗ねたい気分だったのが消えていく。誤魔化されてる? それなら誤魔化されとけばいい。手を引かれるまま足を踏み出した。
お茶請けの菓子はフワッと焼き上げたスポンジケーキを、レモン香る砂糖衣でコーティングしたものだった。例によってマジマジと観察するクルテ、苦笑いのピエッチェは
「マデルを呼んでくれるかな? 話があるんだ」
カップにお茶を注ぐカッチーからポットを引き受ける。
すぐにマデルは部屋から出てきた。生欠伸を噛み殺しているのは芝居だ。眠りもせずに、魔法の鏡をずっと覗き込んでいたんじゃないか? そんな気がした。
「清風の丘で、それらしい屋敷は見つかった?」
「それが……」
清風の丘で金髪碧眼の男と遭遇した。その男がノホメの言うラジで、名はジランチェニシスだった。
「自分から出てきたんですか? 対決する気ですよね、それ?」
興奮気味のカッチーをマデルが
「静かに。話しはまだこれから。そうだよね?」
窘め、話の続きをピエッチェに促す。
ジランチェニシスに誘われるまま屋敷に入り、そこでフレヴァンス他の開放を求めたこと、捕らえられた中にザジリレン王カテロヘブが含まれていたこと、交渉は成立し、幽閉している屋敷へと移動したこと……
「ギュリューの地底湖……王都がギュリューにあった頃、万が一の逃げ道は地下水路だったって歴史で学んだことがある。その名残かな? ほとんどが水を抜かれて埋め立てられた。見落としがあったのかもね」
マデルが蘊蓄を披露した。
幽閉していたのはレストランの裏手の家、人々は今もそこにいる。
「それで、だ」
ピエッチェが一息ついた。交渉内容をまだ言っていない。果たしてマデルは承知してくれるだろうか?
「ジランチェニシスを協力者として、王都に連れて行こうと考えている」
「協力者?」
「うん……その、なんだ。フレヴァンスの救出に助力してくれたって――」
「はぁあっ!?」
案の定、マデルの反応は激しい。カッと椅子から立ち上がり、ピエッチェを睨みつけた。
「誘拐したのはソイツで間違いないんだよね?」
「厳密に言うとヤツが所有するぬいぐるみで――」
「ヤツがぬいぐるみを魔物にして操ったってことよね!?」
「ジランチェニシスはぬいぐるみが勝手に――」
「あんた、そんなこと、信用するの!?」
憤るマデルにタジタジのピエッチェ、カッチーは
「マデルさん、落ち着いてください」
と言うが、オロオロしている。クルテはいつものことだが無関心、
「あぁ、そうか、判った」
やっとフォークを手にしてケーキに挿した。
「この白いのは砂糖をレモン水で練ったもの」
一口大にケーキを切って口に入れる。場を無視した発言に、ピエッチェとカッチーは戸惑って互いを窺い、カッカしていたマデルは口を開けたままクルテを見た。そんなマデルにクルテが微笑んだ。
「うん、レモンのいい香り……美味しいよ、マデルも食べて」
「クルテ……あんたって、まったく、もう!」
泣き出しそうな顔で、マデルが腰を下ろす。それでも気が治まらないのだろう、手にしたフォークで乱暴にケーキを切り分けた。
「クルテ! あんた、一緒に居たんでしょう? なんでピエッチェを止めてくれないのよっ?」
そう言ってから大きく切ったケーキを口に放り込む。
「うん、一緒に居たよ。でもね、マデル、ピエッチェは間違えないから」
「ふへ?」
口から細かな粒を吹き出して慌てるマデル、気にすることなくクルテが続ける。
「ピエッチェはいつも正しい。だからマデルも心配しないで」
カッチーが手渡してくれたお茶を飲みながら、マデルがマジマジとクルテを見詰めた。
「ふぅ……」
マデルがソーサーに戻したカップは空、すぐにカッチーが注ぎ足す。その動きにマデルがやっとクルテから視線を外した。そして再び満たされたカップに手を伸ばす。
「クルテに訊いたわたしが馬鹿だった……」
口元にカップを運んだものの、飲む気にならないのか? そのままの姿勢で視線をピエッチェに向けた。
「それで? なんの計画もないのに、アイツを協力者に仕立ててまで王都に連れて行きたいわけじゃないでしょう? 何を企んでるの?」
マデルの言葉にピエッチェが微笑んだ――
アルにグレイズのことを尋ねると、
「グレイズって奥さんが寝たきりの? 数年前からこの近くに住んでる。奥さんの療養を兼ねてギュリューに来たって言ってたけど、どうせならセレンヂュゲにしたらいいのにね」
すぐに住処を教えてくれた。
予告なしの訪問に、追い返されはしないか、ひょっとしたら留守かも知れないと危ぶんだがグレイズは在宅していたし、イヤな顔をせず家に入れてくれた。
「穢苦しいのは我慢してくれ」
と恥ずかしそうに笑う。
クルテが差し出した菓子屋の包みを見て、
「せっかくだが、俺は甘いものは苦手でね。お嬢ちゃんが持って帰って食べな」
と受け取らない。
「シャーレジアは甘いもの、大好きだって」
「あ、爺さんに会ったのか?」
「グレイズのこと心配してた――これね、奥さんにと思って。プディングなんだ、きっと食べやすいよ」
グレイズがクルテを複雑な顔で見詰めた。それから
「……うん、ありがたく貰っておくよ」
と菓子を受け取り、『いい男にはいい女がつくもんなんだな』と独り言を言った。
グレイズを訪問したのはピエッチェとクルテの二人、グレイズと面識のないマデルとカッチーは宿に残って次の計画の準備をしている。
「そんな魔物が湖の森に潜んでたなんて……」
ピエッチェの話に絶句するグレイズ、
「奥さんはグレイスのところに帰りたくって、必死に逃げたんだろうな」
ピエッチェの言葉に涙ぐむ。
「あぁ、生きて帰れただけで運が良かった。そんな魔物に食われたなんて、他の人が気の毒で仕方ない」
「俺たち、これから王都に行こうと思ってるんだ」
「王都に?」
「向こうでいい医者を探してみる。見つかったら連絡する」
「女房を連れて王都に来いって?」
「金のかかることだ、やみくもに来いとは言わない。確実に回復する見込みがある時だけ呼ぶよ。費用が足りないなら俺がなんとかする。治療が終わったら、またギュリューでもグリュンパでも好きなところで暮らせばいい」
「いいや、あんたに金を出して貰うわけにはいかねぇ」
「おい、貰う気でいるのか?」
ピエッチェが声を立てて笑う。
「奥さんが元気になったら、今よりずっと働けるだろう? 少しずつ返してくれ。貸すだけだ」
「あんた……」
グレイズの顔がクシャクシャになった――
夕食をご馳走したいと引き留めるグレイス、先約があるから次の機会にと断って宿に戻る。
「用意できてるよ」
クルテの顔を見てマデルが言った。
頼んでおいたのは小さな革袋、全部で十一だ。受け取って寝室に入るとサックから赤い革袋を出した。
クルテはピエッチェと一緒にレストランに行く。マデルとカッチーも出かけるが別行動だ。寝室から出て来たクルテが、さっきマデルから受け取った袋をマデルに返した。チャラッと音がするのはいくらかの金を入れたからだ。
「結構重いよ。あんたたち、どんだけ金持ちなのさ?」
受け取った袋をカッチーに預けてマデルが呆れる。
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