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12章 王の恋人
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そこでの払いはピエッチェ……つまりクルテが支払った。これで二日目、今夜泊まるソノンセカではラクティメシッスの番だ。
六人揃って部屋から出てきた。クルテが支払いを済ませている間に厩に向かう。マデルはクルテと受付に残った。
「気になっていたんですけど、お嬢さんが金を預かっているんですよね?」
そりゃあ気になるだろう……なにしろ金を出すのはもっぱらクルテ、しかも金袋はクルテのサックに入れてある。
苦笑してピエッチェがラクティメシッスに答える。
「あぁ、アイツの持ってる革袋は俺の金庫に繋げてある。いくら使ったか、覚えてるのも面倒なんで預けた。アイツ、きっちり帳面を付けて管理してくれてる」
「ふぅん。なるほど」
なるほどと言いながら、ラクティメシッスは納得していないと感じるピエッチェだ。
「そう言えば、これはマデルに訊いたんだけど、カッチーの給金も帳面につけているんだとか?」
「あぁ、それもクルテが持ってる。で、カッチーが申請すればいつでも渡す約束で、金は預かってる。その給金からはあいつの屋敷の管理費を差っ引いて、管理人に送ってるんだ」
マデルに訊いて知っているかもしれないなと思いながら答えると、少し前を歩いていたカッチーが振り返る。
「大した仕事もしないのに、剣術まで教えて貰ってるんです。それなのに給金まで貰ってます。腹ぺこで泣きたくなるようなこともなくなりました。俺って幸せ者ですよね」
「剣術を教えて貰ってるんですか。そりゃあいいですね」
ラクティメシッスに先を越され、何も言えなくなるピエッチェ、大した仕事をしてないなんて、俺は思ってないぞ――でもいいか、あとで言おう。
「それにしても腹ぺこで泣きたくなる? ピエッチェに会うまではそんなに苦しい生活を?」
「俺、生まれ育ちはコゲゼリテなんです」
「あぁ、温泉の街コゲゼリテ。確か温泉の枯渇や騎士病って魔物の仕業だったんだよね。その魔物を退治したのがピエッチェで……しかし、そんなに困窮してたとは知らなかったな」
「へへ、俺、大食らいだから、みんなと同じじゃ足りなかったってだけです。残った連中を取りまとめて世話を焼いてくれた人は親切でいい人だけど、俺一人を特別扱いにはできないでしょ? で、俺も足りないって言い出せなかったんです」
「今は、足りないってちゃんと言えてる?」
「もちろんです! 俺が言い出す前に、もっと食うかって聞いてくれますから」
ラクティメシッスが『そうですか、良かったですね』と微笑んだ。
クルテとマデルはなかなか来ない。さては二人で内緒話か? マデルは自分の屋敷に帰っていて、暫く会えなかった。つもる話があるのかもしれない。二人はいったいどんな内緒話をしているのだろう? なんだか悪口を言われているような気がするのはなぜだ? ピエッチェが苦笑いする。
「思い出し笑いですか?」
ピエッチェとカッチー・オッチンネルテがリュネの世話をしているのを眺めていたラクティメシッスが、ピエッチェの苦笑を見咎める。コイツの観察癖はクルテに匹敵しそうだ。って言うか、おっとりしているのは見かけだけ、けっこう細かい。
「いやさ、クルテとマデルが遅いから……陰口叩いて笑ってそうだと思ってさ」
「悪く言われるようなこと、したんですか?」
「そう言うわけじゃないけど」
リュネに水を飲ませるためのバケツを片付けていたカッチーが
「女の子って、男の悪口言うのが好きみたいですよ」
と笑う。
「コゲゼリテでの共同生活じゃ女の子も一緒だったけど、しょっちゅう男どもの悪口言って笑ってましたよ。ストレスが発散できるらしいです」
「ストレスですか。ストレスが溜まるようなこと、あるんですかねぇ?」
ラクティメシッスが首を捻る。それを見てピエッチェが『あんたにゃストレスなんかないだろうよ』と、言いはしないが思う。
馬車の準備が終わる頃、やっとクルテとマデルが厩に姿を現した。クスクスと笑いあっている。厩が急に明るくなった気がした――
モリモステからカテール街道を下っていく。今夜はソノンセカ泊の予定、だがグリュンパに用事がある。ピエッチェの変装用のウイッグを買わなくてはならない。あとはクルテの花と菓子と果物、だけど花は昨日買ったから不要になった。
「次に花を買うのはトロンバ」
「トロンバに花屋はあるのか?」
「村って言ってもそこそこ大きい。コゲゼリテと同じくらい。花屋くらいある」
いくら王でも自国の全てを把握しきれはしない。それはザジリレンのような矮小国でも同じだ。大きな街ならともかく、山間の小さな村にどんな店があるかまで覚えちゃいない。
カテール街道の始点グリュンパには何度も来ている。街の様子もそれなりに知っているが、さすがにウイッグを売っている店までは判らない。
どうしたものかと思っていると、キャビンの覗き窓が開いてマデルが顔を出した。
「グリュンパに入ったら三つ目の角を右に曲がって。で、すぐに馬車を停めて」
言われたとおりに馬車を停めると、キャビンのドアが開いてカッチーが飛び降りてくる。
「グリュンパのことなら任せてください」
ウイッグを売っている店の心当たりがあるらしい。
「時間がかかるだろうから、マデルさんたちは街を見て回るそうです。俺、タラップを降ろしてきますね。それで、そのぉ……俺、オッチンネルテさんと本屋に行ってもいいですか?」
待ち合わせはリュネを預ける都合からボシェッタ爺さんの店、時刻は昼頃とした。ウィッグにどれくらい時間がかかるか判らないし、ソノンセカはさほど遠くない。昼過ぎにグリュンパを出ても日没までには着くだろう。それに……ただの先入観かもしれないが、宿はきっとガラガラだ。
キャビンに乗っていた四人はそこで降り、ピエッチェとクルテだけでボシェッタ爺さんの店に向かった。ウイッグを扱ってる店の場所はカッチーから詳しく訊いておいた。
「よぉ、ピエッチェ。嫁さんを貰ったか!」
ボシェッタ爺さんはクルテが判らなかったらしい。ピエッチェの襟元をひっつかんで引き寄せると
「前のよりいい女じゃねぇか」
耳元で囁いた。
クルテはニヤニヤしていたが、
「お爺さん、元気にしてた?」
気にする様子はない。キョトンとしたものの、それでもボシェッタ爺さんは気が付かなかったようだ。
馬車を預かって欲しいと頼むと
「あの老いぼれ、とうとう死んじまったか? こいつぁあ、これまたいい馬だ――ピエッチェ、相当稼いでるな」
リュネを見て感心する。するとボシェッタ爺さんに向かって、リュネがブヒヒと鼻を鳴らした。笑ったに違いない。
話し相手をして欲しそうなボシェッタ爺さんからなんとか逃げ出してグリュンパの街を行く。ウイッグを扱っているのは理容店、ボシェッタ爺さんの店の近くだ。
「っらっしゃい!」
出てきたのは髭を蓄えた厳つい男、見かけとそぐわない甲高い声で出迎えられた。
「こちらでウイッグを用意できると聞いたんだが?」
「あぁ、できるよ。どんなのがいいんだい?」
「黒髪のものはあるかな?」
「黒ね。ちょっと待ってて」
男が奥から持ってきたのは大きな箱、蓋を開けると中には沢山の箱が入っていた。
「黒髪って言ってもいろいろあるけど、長さとか、巻き毛とか、具体的にどんなのがいい?」
「これから故郷に帰るんだけど、ちょっと変装したいんだ。でないと家に着く前にあっちこっちで捕まって長話になりそうでね。まず最初にお袋に会って安心させてやりたいんだよ」
「ふぅん、なるほど。嫁さんを連れての里帰りか。確かにこんな別嬪さんを連れてきゃあ、知り合いみんなに冷やかされてなかなか家に帰れなさそうだ」
だったらさ、と男が出したのは黒い巻き毛の少し長めのものだった。大きな鏡の前に置かれた椅子に座らされる。
「まずはこのネットで地毛を抑える。はみ出さないように、全部ネットに入れちまうんだ。うん、それでいい。で、こっちを被る、っと――どうだい、自分じゃないみたいだろ?」
鏡の中からこちらを見ているのは自分のはずなのに、男が言うようにまるで別人だ。髪が違うだけでこんなに違うものなのか。
「あんたは目の色は青だけど、暗めの青だ。だから黒髪もそんなに浮かない。もっと明るい青だと不自然になるから黒髪はやめとけって言うけどな。でも、眉の色はちょっと薄すぎる。眉墨を使って誤魔化したほうがいいかもしれん」
「いや……髪が変わるだけで随分違うものなんだなぁ」
「なにを言ってるのやら? そのためにわざわざウイッグを買うんだろ?――どうする? 他も試してみるかい?」
「ほかにもお勧めがあるんだ?」
「んっだなぁ……ネットを被せた感じだと、あんたの髪は柔らかくって悪さしなさそうだから、短髪もいいかもしれんね。実は今のだと、これからの季節、ちと暑いかもしれん。ま、大差ないけどな」
ピエッチェの返事を待たずに被っていたウイッグを取ると、別の物を被せてきた。
今度は毛先が少し巻いているだけ、全体に短く、ピエッチェの地毛と大して変わらないスタイルだ。けれど色のせいか、ふわっとした感じはなく硬質に見える。
「おっ!」
男が小さく叫び、後ろで見ていただけのクルテが
「それがいい」
いきなり声をあげる。
「嫁さんも、そう思うかい? こっちのほうが似合ってる。男ぶりが上がった」
クルテはそれには答えずニッコリしただけだった。
「ところで、これって頭に乗せてるだけみたいだけど、落ちたりしないのかな?」
ピエッチェの疑問に、
「嫁さんに言ってヘアピンで留めて貰うといい。みんなそうしてる。土台もネットになってるからね、ネットとネットにヘアピンを噛ませるようにすればそう簡単に落ちないし、表面に出てこない……ネットが緩いってことは? 反対にきつくて頭痛がしそうだとか、そんなことはないかい?」
男がピエッチェの頭からウイッグを外しながら答えた。
理髪店のあとは表通りに出た。クルテの菓子と果物を買うためだ。
「髭さん、久しぶりにウイッグが売れるって喜んでた」
髭さんって、理髪店の男のことだよな。ピエッチェがニヤっと笑う。
「あの箱の中、全部つけさせるつもりだったんだよ」
「そうだったのか?」
「だから二つ目で決めた。付き合いきれない」
「なんだよ、似合ってたんじゃなかったんだ?」
「似合ってたよ。良かったね、二つ目に変なのを出されなくて」
とんでもなく似合わなくても二つ目にする気だったのか?
果物屋でペアとオレンジを六個ずつ、ブドウ一房を買ったあと、菓子店に行った。
「今日は少な目だな」
「今夜と明日の朝の分だけでいい。桃の瓶詰もあるから」
季節柄、傷むことを考えたのかもしれない。
「ミテスク村にも菓子屋と果物屋あるよね?」
クルテが少しだけ不安そうな顔になった。
六人揃って部屋から出てきた。クルテが支払いを済ませている間に厩に向かう。マデルはクルテと受付に残った。
「気になっていたんですけど、お嬢さんが金を預かっているんですよね?」
そりゃあ気になるだろう……なにしろ金を出すのはもっぱらクルテ、しかも金袋はクルテのサックに入れてある。
苦笑してピエッチェがラクティメシッスに答える。
「あぁ、アイツの持ってる革袋は俺の金庫に繋げてある。いくら使ったか、覚えてるのも面倒なんで預けた。アイツ、きっちり帳面を付けて管理してくれてる」
「ふぅん。なるほど」
なるほどと言いながら、ラクティメシッスは納得していないと感じるピエッチェだ。
「そう言えば、これはマデルに訊いたんだけど、カッチーの給金も帳面につけているんだとか?」
「あぁ、それもクルテが持ってる。で、カッチーが申請すればいつでも渡す約束で、金は預かってる。その給金からはあいつの屋敷の管理費を差っ引いて、管理人に送ってるんだ」
マデルに訊いて知っているかもしれないなと思いながら答えると、少し前を歩いていたカッチーが振り返る。
「大した仕事もしないのに、剣術まで教えて貰ってるんです。それなのに給金まで貰ってます。腹ぺこで泣きたくなるようなこともなくなりました。俺って幸せ者ですよね」
「剣術を教えて貰ってるんですか。そりゃあいいですね」
ラクティメシッスに先を越され、何も言えなくなるピエッチェ、大した仕事をしてないなんて、俺は思ってないぞ――でもいいか、あとで言おう。
「それにしても腹ぺこで泣きたくなる? ピエッチェに会うまではそんなに苦しい生活を?」
「俺、生まれ育ちはコゲゼリテなんです」
「あぁ、温泉の街コゲゼリテ。確か温泉の枯渇や騎士病って魔物の仕業だったんだよね。その魔物を退治したのがピエッチェで……しかし、そんなに困窮してたとは知らなかったな」
「へへ、俺、大食らいだから、みんなと同じじゃ足りなかったってだけです。残った連中を取りまとめて世話を焼いてくれた人は親切でいい人だけど、俺一人を特別扱いにはできないでしょ? で、俺も足りないって言い出せなかったんです」
「今は、足りないってちゃんと言えてる?」
「もちろんです! 俺が言い出す前に、もっと食うかって聞いてくれますから」
ラクティメシッスが『そうですか、良かったですね』と微笑んだ。
クルテとマデルはなかなか来ない。さては二人で内緒話か? マデルは自分の屋敷に帰っていて、暫く会えなかった。つもる話があるのかもしれない。二人はいったいどんな内緒話をしているのだろう? なんだか悪口を言われているような気がするのはなぜだ? ピエッチェが苦笑いする。
「思い出し笑いですか?」
ピエッチェとカッチー・オッチンネルテがリュネの世話をしているのを眺めていたラクティメシッスが、ピエッチェの苦笑を見咎める。コイツの観察癖はクルテに匹敵しそうだ。って言うか、おっとりしているのは見かけだけ、けっこう細かい。
「いやさ、クルテとマデルが遅いから……陰口叩いて笑ってそうだと思ってさ」
「悪く言われるようなこと、したんですか?」
「そう言うわけじゃないけど」
リュネに水を飲ませるためのバケツを片付けていたカッチーが
「女の子って、男の悪口言うのが好きみたいですよ」
と笑う。
「コゲゼリテでの共同生活じゃ女の子も一緒だったけど、しょっちゅう男どもの悪口言って笑ってましたよ。ストレスが発散できるらしいです」
「ストレスですか。ストレスが溜まるようなこと、あるんですかねぇ?」
ラクティメシッスが首を捻る。それを見てピエッチェが『あんたにゃストレスなんかないだろうよ』と、言いはしないが思う。
馬車の準備が終わる頃、やっとクルテとマデルが厩に姿を現した。クスクスと笑いあっている。厩が急に明るくなった気がした――
モリモステからカテール街道を下っていく。今夜はソノンセカ泊の予定、だがグリュンパに用事がある。ピエッチェの変装用のウイッグを買わなくてはならない。あとはクルテの花と菓子と果物、だけど花は昨日買ったから不要になった。
「次に花を買うのはトロンバ」
「トロンバに花屋はあるのか?」
「村って言ってもそこそこ大きい。コゲゼリテと同じくらい。花屋くらいある」
いくら王でも自国の全てを把握しきれはしない。それはザジリレンのような矮小国でも同じだ。大きな街ならともかく、山間の小さな村にどんな店があるかまで覚えちゃいない。
カテール街道の始点グリュンパには何度も来ている。街の様子もそれなりに知っているが、さすがにウイッグを売っている店までは判らない。
どうしたものかと思っていると、キャビンの覗き窓が開いてマデルが顔を出した。
「グリュンパに入ったら三つ目の角を右に曲がって。で、すぐに馬車を停めて」
言われたとおりに馬車を停めると、キャビンのドアが開いてカッチーが飛び降りてくる。
「グリュンパのことなら任せてください」
ウイッグを売っている店の心当たりがあるらしい。
「時間がかかるだろうから、マデルさんたちは街を見て回るそうです。俺、タラップを降ろしてきますね。それで、そのぉ……俺、オッチンネルテさんと本屋に行ってもいいですか?」
待ち合わせはリュネを預ける都合からボシェッタ爺さんの店、時刻は昼頃とした。ウィッグにどれくらい時間がかかるか判らないし、ソノンセカはさほど遠くない。昼過ぎにグリュンパを出ても日没までには着くだろう。それに……ただの先入観かもしれないが、宿はきっとガラガラだ。
キャビンに乗っていた四人はそこで降り、ピエッチェとクルテだけでボシェッタ爺さんの店に向かった。ウイッグを扱ってる店の場所はカッチーから詳しく訊いておいた。
「よぉ、ピエッチェ。嫁さんを貰ったか!」
ボシェッタ爺さんはクルテが判らなかったらしい。ピエッチェの襟元をひっつかんで引き寄せると
「前のよりいい女じゃねぇか」
耳元で囁いた。
クルテはニヤニヤしていたが、
「お爺さん、元気にしてた?」
気にする様子はない。キョトンとしたものの、それでもボシェッタ爺さんは気が付かなかったようだ。
馬車を預かって欲しいと頼むと
「あの老いぼれ、とうとう死んじまったか? こいつぁあ、これまたいい馬だ――ピエッチェ、相当稼いでるな」
リュネを見て感心する。するとボシェッタ爺さんに向かって、リュネがブヒヒと鼻を鳴らした。笑ったに違いない。
話し相手をして欲しそうなボシェッタ爺さんからなんとか逃げ出してグリュンパの街を行く。ウイッグを扱っているのは理容店、ボシェッタ爺さんの店の近くだ。
「っらっしゃい!」
出てきたのは髭を蓄えた厳つい男、見かけとそぐわない甲高い声で出迎えられた。
「こちらでウイッグを用意できると聞いたんだが?」
「あぁ、できるよ。どんなのがいいんだい?」
「黒髪のものはあるかな?」
「黒ね。ちょっと待ってて」
男が奥から持ってきたのは大きな箱、蓋を開けると中には沢山の箱が入っていた。
「黒髪って言ってもいろいろあるけど、長さとか、巻き毛とか、具体的にどんなのがいい?」
「これから故郷に帰るんだけど、ちょっと変装したいんだ。でないと家に着く前にあっちこっちで捕まって長話になりそうでね。まず最初にお袋に会って安心させてやりたいんだよ」
「ふぅん、なるほど。嫁さんを連れての里帰りか。確かにこんな別嬪さんを連れてきゃあ、知り合いみんなに冷やかされてなかなか家に帰れなさそうだ」
だったらさ、と男が出したのは黒い巻き毛の少し長めのものだった。大きな鏡の前に置かれた椅子に座らされる。
「まずはこのネットで地毛を抑える。はみ出さないように、全部ネットに入れちまうんだ。うん、それでいい。で、こっちを被る、っと――どうだい、自分じゃないみたいだろ?」
鏡の中からこちらを見ているのは自分のはずなのに、男が言うようにまるで別人だ。髪が違うだけでこんなに違うものなのか。
「あんたは目の色は青だけど、暗めの青だ。だから黒髪もそんなに浮かない。もっと明るい青だと不自然になるから黒髪はやめとけって言うけどな。でも、眉の色はちょっと薄すぎる。眉墨を使って誤魔化したほうがいいかもしれん」
「いや……髪が変わるだけで随分違うものなんだなぁ」
「なにを言ってるのやら? そのためにわざわざウイッグを買うんだろ?――どうする? 他も試してみるかい?」
「ほかにもお勧めがあるんだ?」
「んっだなぁ……ネットを被せた感じだと、あんたの髪は柔らかくって悪さしなさそうだから、短髪もいいかもしれんね。実は今のだと、これからの季節、ちと暑いかもしれん。ま、大差ないけどな」
ピエッチェの返事を待たずに被っていたウイッグを取ると、別の物を被せてきた。
今度は毛先が少し巻いているだけ、全体に短く、ピエッチェの地毛と大して変わらないスタイルだ。けれど色のせいか、ふわっとした感じはなく硬質に見える。
「おっ!」
男が小さく叫び、後ろで見ていただけのクルテが
「それがいい」
いきなり声をあげる。
「嫁さんも、そう思うかい? こっちのほうが似合ってる。男ぶりが上がった」
クルテはそれには答えずニッコリしただけだった。
「ところで、これって頭に乗せてるだけみたいだけど、落ちたりしないのかな?」
ピエッチェの疑問に、
「嫁さんに言ってヘアピンで留めて貰うといい。みんなそうしてる。土台もネットになってるからね、ネットとネットにヘアピンを噛ませるようにすればそう簡単に落ちないし、表面に出てこない……ネットが緩いってことは? 反対にきつくて頭痛がしそうだとか、そんなことはないかい?」
男がピエッチェの頭からウイッグを外しながら答えた。
理髪店のあとは表通りに出た。クルテの菓子と果物を買うためだ。
「髭さん、久しぶりにウイッグが売れるって喜んでた」
髭さんって、理髪店の男のことだよな。ピエッチェがニヤっと笑う。
「あの箱の中、全部つけさせるつもりだったんだよ」
「そうだったのか?」
「だから二つ目で決めた。付き合いきれない」
「なんだよ、似合ってたんじゃなかったんだ?」
「似合ってたよ。良かったね、二つ目に変なのを出されなくて」
とんでもなく似合わなくても二つ目にする気だったのか?
果物屋でペアとオレンジを六個ずつ、ブドウ一房を買ったあと、菓子店に行った。
「今日は少な目だな」
「今夜と明日の朝の分だけでいい。桃の瓶詰もあるから」
季節柄、傷むことを考えたのかもしれない。
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