残虐王は 死神さえも 凌辱す

寄賀あける

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第6章 春、遠からず

見詰める先に

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 女の子二人のおしゃべりは続く。
「スイテアさまは本当にお偉いわ。あの糖衣掛けグラッセ、好きだからって理由だけで作ってるわけじゃないのですって」
「あら、それじゃあどうして?」
「グランデジアは栗がたくさん採れるらしいの。で、保存が利いて栄養価も高い糖衣グラ掛けッセにしておいて、食糧が不足した時に民人隅々たみびとすみずみにまで配ってあげたいらしいわ」

飢饉ききんへの備え?」
「飢饉のときは穀類とか主食になるような食べ物に目が行って、国の蓄えもそれに応じた物。でも、そこに甘くておいしいお菓子が一粒でもあれば、きっといやしになるんじゃないかって思ったそうよ」
「そうなのね……スイテアさまはどんな暮らしをしてこられたのでしょう?」
「あら、それはどうして?」
「ご苦労をされてこなければ、そんな発想は出来ないと思ったの」
「……ルリシアレヤさまは王女なのだから、そういった苦労をしていないのは当然なのよ。比べないで」

 瓶がぶつかるかすかな音、ん、とりきむ息、蜂蜜のふたを開けるのに苦労している。

「あ、ヌバタム!」
ヌバタムを追いかける足音が寝室から出ていって離れていく……部屋に残ったのはあの人、
かないわ」
と嘆いている。

 寝具に隠れて様子をうかがうサシーニャ、三人が門前に現れた時、一人じゃないんだとガッカリし、すぐに、一人じゃなくてよかったと思い直している。今、二人きりになったらほとばしる情熱を抑えきれる自信がなかった。

 背中の鳳凰ほうおうは夜ごとサシーニャを悩ませる。甘く切ない夢にさいなまれ、眠りは浅く途切れてばかりだ。夢の目覚めに、いっそ手を取りあって二人で逃げよう、そう思っては、その先にあるのは破綻だと思い直す。仕事や雑事で気が紛れているときはともかく、こんな状態で、居間には他人ひとがいるとはいえ寝室で二人きり、理性が自分とあの人を守り切ってくれるか疑わしい。

「サシーニャ?」
蜂蜜の蓋はどうしても開けられないようだ。布団の中でギュッとサシーニャは目を閉じる。
「眠ってる? 蓋を開けて欲しいのだけど……」

 あの人が近づいてくる。寝具に丸まっているのに、あの人の香りを感じて動悸が強まる。違う、体臭を思い出しているだけだ。実際は、レモンの芳香が部屋を満たしているのだから。

「ねぇ、サシーニャ?」
柔らかな声がすぐ頭上から聞こえる。この声をやるせない吐息に変えてしまいたい、その顔が見たい――

 そっと置かれた手が寝具を遠慮がちに取り除く。それに合わせるように身体を伸ばし、あの人に顔を向ける。視線が合えば微笑む人、なんて可愛いんだ、なんて愛しいんだ――感情だけに動かされ、サシーニャの手が扉に向かう。魔法を使おう……鍵を閉めて、もう誰も入れさせない。邪魔させない。

「えっ?」
サシーニャの手が止まる。不意に唇に唇が触れた。そして、触れ合わせただけで離れていく。

「風邪が感染うつるってチュジャンに言われたわ。だから今日はこれだけね」
ひたいと額をこすり合わせてから、遠ざかっていく微笑みをサシーニャが目で追う。

 唇が触れた時、サシーニャの中で何かがコトリと音を立てた。その瞬間、さっと陽が陰るように欲望が消えた。触れた唇から発散されてしまったみたいだ。

 欲望と言うより肉欲か、愛し合う悦楽よろこびを求める気持ちは消えていない。激情が通り過ぎ、穏やかに熱い恋情だけが残っている。大事にしたい。そのために秘密は守らなきゃならない……理性ではない何かに支配された、そう感じた。あの人の〝魔法〟だろうか?

 そして魔法で思い出す。蔵書庫で寝入ってしまった間、サシーニャは何もしていないのに、チュジャンエラでさえもサシーニャの気配を察知できなかった。あれは……塔の魔法がサシーニャを守った? きっとそうだ。誰にも妨害されることなくサシーニャが眠れるように、だけど目を覚ましたから自分でやれとばかりに術を解いた――魔術師の塔は、サシーニャに適度な休息を取れと警告している。

 ハチミツの瓶を持って、居間に行くのを横たわったまま見ていた。すぐにパカッと蓋が開く音が居間から聞こえる。居室の外、近付く気配は廊下で『ヌバタム、いなくなっちゃったわ』と寂しそうな声で言った。

 身体を丸め、頭まで寝具をかぶって目を閉じる。ぐっすり眠れそうだった――

 チュジャンエラの報告に、リオネンデがニヤニヤ笑う。
悪戯いたずらを見付けられた子どもだな」
「お仕置きですか? ま、確かにね――ってか、リオネンデさまも、きつくサシーニャさまに言ってください」
「ふふん、今までだって何度も言ってるさ。言うたび『判りました、善処します』って返事だが、改善されてるように思えないな」
「そうなんですよね。魔術師としては完璧なんだから、これで自分のこともちゃんとしてくれれば、言うことないのに」

「魔術師として完璧で個人としても完璧じゃ、面白味がなさそうだぞ?」
「完璧を求めてるわけじゃないです、もう少しなんとかならないかな、って」
「気持ちは判らないでもない。が、アイツは変わりそうもない。サシーニャはこうなんだって、いい加減諦めたらどうだ?」
「うーーん……でもね、リオネンデさま、少しは改善しないと、奥方を貰ってもすぐに愛想を尽かされると思いませんか?」
「それは相手にもよるだろう? おまえみたいに世話を焼くのが好きな女性ひととなら巧く行きそうだな。でもそうなると、チュジャン、おまえ、サシーニャの女房に焼きもちを妬きそうだぞ」
「妬きませんよ! その人にサシーニャさまを任せて、僕は僕の家族と仲良く暮らします」

「家族と来たか、子どもは何人?」
「男女二人ずつって言いたいところだけど……」
「言いたいところだけど?」
「僕はほら、兄姉きょうだいが多いから、できれば自分の子どもにも兄弟姉妹きょうだいの良さを教えてあげたいなって。でも彼女、あんまり身体が丈夫じゃないんだ」
「それは心配だな」
「いや、病弱ってわけじゃないからそんなに心配は要らないんだけど、出産となると難しいかもって。頑張っても二人までかな。まぁ、無理して子どもを作ることもないと思ってる」

「チュジャンはその彼女が傍にいてくれればいいってことだな」
「うん……いろんな女の子と付き合ったけど、離したくないって思ったのは彼女だけなんです。絶対一緒になるんだ」
「彼女も同じ気持ちで?」
「いざとなったら親も生まれ故郷も捨てるって言ってくれてる」
「うん? 親元を離れてフェニカリデに出てきたってこと? 彼女は魔術師か?」
「さぁ、どうでしょうね? それより雑談はこれくらいで、本題に移りましょうよ」

 チュジャンエラが数葉の紙片をテーブルに広げる。各部隊がダズベル隊の候補者を将校のみならず下級兵に至るまで名簿にしたものだ。さらにその名簿を参考に、サシーニャがダズベル隊を編成して書き出した物もある。

「この編成はサシーニャが一人で?」
「ワズナリテさまに意見や要望を伺っています。ダズベルのどのあたりを強化したいのか、それにはどんな兵がどれほど必要か、指揮官の必要数と適した性格とか」
「ワズナリテは地の利を含め、ダズベルを熟知しているだろうからな」

「司令官は領主とも接触することになりますから新領主アスリティスさまと相性が悪そうな者を除外した中から、その下に指揮官を三人、サシーニャさまはそう考えています」
「派遣する魔術師は?」
「責任者はサーベルゴカのククルドュネが兼任、現地担当者にザザーボスとシュワリツ、それにワンボワグネの三人で決まるでしょう」

「その三人、聞かない名だな」
「一等魔術師です。が、このところ魔術の腕が上がり上級魔術師への昇格を考えています――ザザーボスとシュワリツは伝令鳥カラスを使わせれば上級に匹敵する実力者です」
「なるほど。ワンボワグネは?」
「オオカミの使役を得意としております。苔むす森に敵兵が潜めば、嗅覚ですぐに察知してくれることでしょう」

「魔法で気配は読み取れるのでは?」
「森の中には鳥類を始め雑多な生き物が生息しています。魔術師の検知術も惑わされ易い。オオカミで部隊を組むと煙幕などで妨害されることもありますが、一頭ならば敵に知られる恐れも低くなります。オオカミの配備は一頭、多くても三頭までと考えています」
「そのオオカミは戦闘用ではなく?」
「少数のオオカミは、戦闘に不向きとサシーニャさまは見ています。群れで襲うのがオオカミなのだとか」

「チュジャンはどう思う?」
「バチルデアが苔むす森を超えて侵攻してくると確定しているわけではないのですから、ダズベルに目立つ部隊を置くのは考えものです。クロウが協力を約束していることを考えても、彼らの天敵と言えるオオカミは避けたいところかと」
「ふむ、オオカミでなければならないわけでもなし、と言ったところだな――サシーニャはオオカミを飼っていないのか?」

「オオカミが気になりますか? バイガスラに伴いたいとか?」
「ジョジシアスとモフマルドの居場所を突き止めて貰えそうだと思ったが?」
「バイガスラ王宮は戦火に包まれると見込まれます。そうなるとオオカミに探させるのは難しい。サシーニャさまの検知術で充分でしょう」
「いざと言うとき、サシーニャとはぐれたりはしないだろうか?」
「そのあたりはその場にならなければなんとも……サシーニャさまをお信じくださいとしか言えません」

「ふむ……まぁ、ダズベル隊についてはサシーニャに任せる。ヤツの仕事は完璧なのだろう?」
ニヤリとするリオネンデ、先ほどの話を皮肉ったのだ。判っていながらチュジャンエラは『かしこまりました』と平然と答えた。

「ワダの仕事は巧く進んでいるのかな?」
「順調だと報告が来ています」
「あいつ、今はどこに?」
「フェニカリデに来ています」
「フェニカリデ?」
「はい、サシーニャさまがガラスを板状にする技術開発を依頼したんで、ガラス工場こうばにいるはずです」
「例の件か。巧く行くかな?」

「リオネンデさまの発案でしたね。ララミリュースさまがガラスの杯を見て『窓に使う樹脂をして乾燥させたものと似ている』とおっしゃったとか?」
「うん、今はせいぜい鏡を作るのが精いっぱいの大きさ、もっと大きなものが作れるようになれば窓からの景色も変わると思ったんだ」
「透明な窓ならば、昼間は照明が不要になりそうですね」
「問題は強度だな。表面積が大きくなればなるほど割れやすくなるらしい」

「日差しが降り注ぐ窓、楽しみですね。でも、ガラスは原材料の入手が難しいって聞いてます」
「サシーニャが、『目途めどがついた』と言った。心配ない」

 技術が開発され、バイガスラ攻めに勝利が納められれば、そう遅くないうちに窓にはガラスが使われることになる。たとえ俺とサシーニャがいなくなっても……リオネンデが遠くを見つめた。
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