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Chapter 3 『猫が行方不明』

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 その後すぐに店に戻ったのだろう。同じ新宿二丁目で、鳴子の店も仲通り沿いにある。歩いて二分も掛からないだろう。そんな鳴子からの電話は十分と間を空けずに鳴った。

「ねぇ、君ちゃんは何にするの?」

「俺ですか? 俺はこの緑にします」

「ピスタッシュね。あたしはフランボワーズ、シトロンときたから、次はこのカシス・ヴィオレットにするわ」

 直樹に釣られ君生までマカロンに興味を持ち始めた時だった。

「あっ、もしもし。辻山です。ええ、分かりましたか? ええ、そうなんですね。ありがとうございます。すみません、お手数掛けて。あっ、そうですね。そっちは是非今度お願いします」

「是非今度お願いしますってさっきのカズキ君? 秀三って本当に若い子が好きよね。あたしから見たらただのガキなんだけど」

 マカロンに夢中になっていたはずの直樹はしっかりと電話を盗み聞きしていた。抜かりない奴ではあるが、鳴子から提案された企みは絶対に露呈ろていさせる訳にはいかない。

 それよりも鳴子の電話で裏は取れた。

 十七年前、今野、高橋、河野の三人が口にした主犯格。四人目の少年の話は作り話ではなさそうだ。前城一樹の最後の出勤は二〇〇五年二月十三日。あの十七年前の事件の前日だ。

——よくある話じゃない。こんな商売だもの、今日まで何も言わず普通に出勤していた子が、次の日から来なくなるなんて。

 鳴子の言葉だ。

 二月十三日まで何も言わず普通に出勤していた前城一樹。それが翌日から姿を見せなくなった。もし成田和弥と同じように、二月十四日の夜に失踪したのなら。鳴子の店に出勤しなくなった事も、三人からの電話に出なかった事も、全て辻褄が合う。

「秀三さん。前城一樹って誰なんですか?」

 直樹ほどはマカロンに夢中になれない君生が首を傾げている。そう言えばまだ直樹にも君生にも、前城一樹の事は話していなかった。

「ああ、あの十七年前のホモ狩りだ。今野と高橋と河野の他に、もう一人いたんだよ。ホモ狩り犯が。永井さんが教えてくれたよ」

「えっ? それじゃ次はその前城一樹が殺されるって事ですか?」

「いや、それはない。さっきの鳴子さんの話だと、前城一樹は最近亡くなっているんだ」

「ねぇねぇ、売り専で働いていたのにホモ狩りって、その前城一樹ってゲイじゃないわね。お金のためだけに自分の体を売るノンケって、あたしが一番嫌いなやつよ!」

「お前の好き嫌いは聞いていない」

 それよりもネット記事だ。ネット記事なんて早々に消されるものでもないだろう。鳴子が目にした記事を検索できれば。

「おい、直樹」

 前城一樹の話に一瞬口を挟んだと思ったが、直樹はカシス・ヴィオレットを口にしながらも、既に薄茶色のマカロンを手にしている。

「ああ、直樹はもういい。君生、ネット記事調べてくれよ。前城一樹の死亡に関わる記事だ」

「名前だけで出てきますか?」

「ああ、そうだな」

 鳴子の言葉を思い出せ。何だ? そうだ。宗教的な団体の代表だ。

「君生、前城一樹、代表、死亡で検索してくれ」

「ええっと、前城一樹、代表、死亡ですね。えっと、あ、はい。ありました。えっ? あれ? これって、白いスカート? の、男?」

 途切れ途切れの言葉にスマホ画面を覗き込む。君生がヒットさせたネット記事。その記事のトップに使われている画像。白いスカートをはためかせる髭の男達の画像。

「おい、直樹。この画像ってまさか」

「えっ、何?」

 薄茶色のマカロンを口に放り込み、直樹がスマホを覗き込む。

「ああ、セマーね。前に話していたわよね。そうそうこんな白い衣装着てね、クルクル回るの。今は舞踊ショーだけど元々は宗教儀式だったって」

 マカロンで頬を膨らませた直樹の声は意外とクリアだった。君生が声を途切れさせる程の画像でも、マカロンに取って代わる事は出来ないらしい。


【日本旋舞せんぶ教団の代表、前城一樹氏死亡。新たな代表は高幡颯斗はやと氏】

 記事の見出しはやはり前城一樹の死亡を伝えるものだった。
 見出しの下には白装束の男の画像。
 だが髭面の男の顔は日本人には見えない。記事に合わせどこかから拾ってきた画像だろう。

【二月十一日。メヴレヴィー教団の意志を引き継ぐ日本旋舞教団の代表、前城一樹氏(36)が心臓発作により死亡。前城氏の後任として、高幡颯斗氏(28)が新たな代表となった。日本旋舞教団はトルコの伝統舞踊とされるセマー(旋廻舞踊)の公演を主とする団体だが、メヴレヴィー教団の意志を引き継ぐ宗教団体とも見られる。ただし教団側は表向き宗教団体である事を否定している。メヴレヴィー教団の根底にはイスラム神秘主義があり、今日の日本では受け入れられ難いものがあると判断しての事だと筆者は見ている。またメヴレヴィー教団は二十世紀初頭までトルコ国内で活動をしていたが、トルコの共和制に伴った政教分離に合わせ解体させられた。今回は前城代表の死により、新しい代表の誕生を伝えたが、今後取材を重ねる事で、多くの謎に包まれたこの日本旋舞教団の実態を暴いていく事を筆者は約束する。取材・文/ジャーナリスト・河野太一】

 記事の締め括りに目を疑わずにいられなかった。どう言う事だ? 先週、殺された河野太一がこの記事を書いた。その名前を目にし、これ程驚いているのに、スマホを手にする君生には既に冷静さが戻っていた。

「こんな記事を書くから人に恨まれて殺されてしまうんですよ。謎を暴いていく事を約束するだなんて」

「まあ、そうだな。でもこれで何らかの裏がある事は間違いない。死亡した前城一樹と記事を書いた河野太一は十七年前のホモ狩り犯だ。二人が繋がっていても何らおかしくはないからな。まず当るべきはこの日本旋舞教団だ」

「そうですね。河野殺害の日にも白いスカートの男が目撃されているんです。間違いなくこの教団が今回の事件に絡んでいますよ。きっとこの教団の誰かが三人を殺した」

 短絡的に結び付けるなよ。と、君生を制止したかったが、直樹の様子を見るとそれどころではなかった。薄茶色のあとオレンジ色のマカロンを手にしているところは目に入ったが、更に今は焦げ茶色のマカロンを手にしている。

「おい、お前はどれだけ食えば気が済むんだよ」

「だって止まらないんだもん。もうパリが懐かしくて、懐かしくて。頭の中にパリの下町、十一区の風景がこびり付いて、抜け出せないの。マカロンでも食べてやり過ごさないと、あたし、今すぐにでもパリに飛んじゃいそうで。もしあたしがパリに飛んで困るのは秀三でしょ? 大切な調査員を失うんだから。だからマカロンの一つや二つ見逃しなさいよ」

「お前なあ、幾ら小さくても一度に何個も食うもんじゃないだろ。全部くれてやるから家に帰ってゆっくり食べろよ」

「えっ? 全部持って帰っていいの? だって一粒三百円よ」

「好きにしろ。俺はお前や鳴子さんと違って、マカロンや可愛いもんにはときめかないんだ」

 そう言い放ってはみたが、脳裏にちらついたカズキの顔に、いや、違う。可愛い男は好きだ。と、言い訳する自分がいる。ふとマカロンからカズキに気を奪われてしまったが、君生はまだしっかりと記事に向き合っていた。

「俺、明日にでもこの日本旋舞教団へ行って来ますよ」

「ああ、そうだな。俺も行くよ。さっさと成田和弥を見つけないといけないからな。とりあえず手掛かりは片っ端から潰していくさ」

「えっ、みんな行くならあたしも行く。明日もフーデリはお休みにするわ」

 来るなと言っても、ついて来るだろう直樹は放っておいて、君生の顔を盗み見る。この店でどれだけふざけていても、やはり進展のない捜査には焦りがあるのだろう。捜査一課の連中に使われいびられ、そんな姿が目に浮かぶ。だがここにきて大きな進展じゃないか。
 
 何より冷蔵庫の裏で四日間発見されなかったグリに感謝だ。グリが居なければ鳴子との接点を持つ事は出来なかった。グリだけじゃなくグラにも感謝だ。グリの居場所を飼い主に教えなかったグラ。もしグラがグリの居場所を早々に飼い主に教えていたなら、やはり鳴子との接点は持つ事が出来なかった。

 十七年前の二月十三日まで、鳴子の店で働いていた前城一樹。直樹が言うようにゲイがホモ狩りなどしないのであれば、前城は金の為だけに体を売っていたのだろう。そんな生き方を捨て、失踪したと言うなら、前城の考えは分からなくもない。そんな前城は日本旋舞教団の代表となりつい先日亡くなった。

——そう言う事か。

 十七年前の白装束の男達は日本旋舞教団の者たちだ。その日、白装束の男達は文化センターでのイベントを終え、靖国通り沿いに停められた大型バスに乗り込んだ。文化センターでのイベントの後なら、大型バスが停められていたのは四谷方面の車線、五丁目側だ。

 だがコインパーキングの防犯カメラに映っていた成田和弥と小峰遼、そして河野らの三人は新宿方面の車線、一丁目側から歩道橋を目指した。防犯カメラに映らなかった前城。前城は五人の後を追わず、信号が変わるのを待ったのだろう。そして横断歩道を渡り、五丁目側に停められていた日本旋舞教団の大型バスに合流した。

 売り専と言う生き方から抜け出すためなのか、そうでないのかは分からない。それに前城自身の意志でバスに乗ったのか、そうでないのかも分からないが、前城が日本旋舞教団の代表となったと言う事は、日本旋舞教団のバスに前城が乗った事は間違いない。そうであれば成田和弥はどうなのだろうか?

 小峰遼と言う恋人と幸せな日々を送っていたはずだ。バレンタインにデートをする程の幸せな日々。そんな二人にホモ狩り犯達は突然襲い掛かった。結果、恋人である小峰遼は歩道橋から転落し、死亡した。もし恋人が目の前で転落死したなら? 車道であろうが気にせず恋人に駆け寄るなり、すぐに救急車を呼ぶなり、それが努めではないだろうか。

 だが成田和弥は忽然と歩道橋から姿を消した。自らの意志で消えたのでなければ、連れ去られたのか? 連れ去られたのであれば誰が連れ去った? そうだ。同じ日の同じ時間。同じ場所にいた前城一樹が日本旋舞教団のバスに乗ったのであれば、成田和弥も同様にバスに乗ったと考えるのが自然ではないか。

——日本旋舞教団。

 今野、高橋、河野殺害を解く鍵を持つだけでなく、成田和弥失踪を解く鍵も握っているのかもしれない。





Chapter 3  『猫が行方不明』 終
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