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Chapter 4 『友だちのうちはどこ?』
05
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君生の顔を見るのは四日ぶりだった。ジャカルタから戻ったばかりの蔵前に連絡を取り、明日の昼一時に訪問する旨を伝え、その足で店を訪れた顔に生気はなかった。
「君ちゃん、元気ないわね」
「すみません。ちょっとボーっとしちゃって」
直樹にすら見透かされるそんな生気のなさで、何が出来ると言うんだろう。
「お前なあ、しっかりしろよ。明日ようやく蔵前に話を聞けるんだ。あの日本旋舞教団には絶対何かあるんだ。明日ようやくそれが暴けるかもしれないって時に」
「すみません。そうなんですけど」
「けど、何だよ」
「さすがに宗教法人じゃないですか。何の証拠もなしに、いきなり殺人事件と関連付けて話し出すのもなって」
「やっぱり届出はあったのか?」
「はい。ちゃんとした法人でした。この間、蔵前さんが言っていた通りです。日本旋舞教団なんて名前での届出はなかったですが、ジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュで届出がありました。調べたらかなり大きな団体だったんですよね」
「大きいからってビビッても仕方ないだろ」
「そうなんですけど。上からこっぴどく言われたんですよ。宗教法人なんて敵に回すもんじゃないって。もちろん敵に回すつもりはないですけど、もし本当にあの団体の誰かが連続殺人に関連していたらって。そうしたら嫌でも敵に回す事になるじゃないですか」
「まあ、そうなるな。だけどな。現に殺された河野はあの団体を取材していたんだ。それに河野が示したダイイング・メッセージ。それに河野が殺された夜も、今野と高橋が殺された夜も白いスカートの男が目撃されているんだ。十七年前もだよ。小峰遼が転落死した夜、その日も白装束の男達の姿が目撃されている。あと前城一樹だ。今年の二月に死んだ前城はあの団体の代表だった。その前城を取材していたのは河野だ。それに前城は十七年前のホモ狩り犯の一人だと言って間違いないだろうしな。これだけの事が積み上がってしまったんだ。蔵前だって協力しない訳にはいかないだろ」
「そうよ。君ちゃん、あたしもついているから、頑張ってよ」
「やっぱり来るんだな」
「勿論よ。あたしはこの探偵興信所のナンバーワン調査員ですから」
「何がナンバーワンだ。一人しかいないのに!」
「そうよ。二人も三人もいたら、あたしが一番になんてなれないじゃない!」
「よく解っているじゃないか」
「……ですよね。頑張らないとですよね」
少しは落ち着いたのか君生の目に光が戻っていた。どんなアプローチで行くかは君生次第だが、明日も前面に立つ事は分かっている。
「あ、あと、明日ですけど、永井さんも来ます」
「永井さんが? 今回の事件からは外れたんじゃないのか?」
「まあ、そうなんですけど。さすがに上から俺一人じゃ駄目だって言われたんですよ。他の連中もみんな捜査で手が塞がっていて」
永井の名前を聞き、滅入るまではいかないが、気が少し重くなる。享の行方を捜す手伝いをすると言いながら、まだ一度もそんな行動には移していない。何か一つでも享の情報を持っての事なら気も晴れるだろうが、今日の明日でそんな情報を収集する余裕なんてものはない。
「永井さん、お久しぶりです」
直樹と共に降りた代々木上原の駅には、君生と永井の姿が先にあった。
「ああ。それでだ、長谷沼から話は聞かされてはいるが、今一つ俺は把握しきれていない。申し訳ないが俺はいないものだと思ってくれ」
永井の反応は当たり前のものだ。ちらっと話を聞かされただけで捜査なんて出来るはずもない。それにあの連続殺人事件からは外されているんだ。永井にとってはただ勤務時間を消化する手立てでしかないはずだ。
「大丈夫です。あたしがしっかり把握していますから」
出しゃばる直樹を押え付ける。
「すみません。うちの……」
折角紹介してやろうと思ったのに、押え付けた手を払いのけ、直樹が一歩前に出る。
「辻山秀三探偵興信所のナンバーワン調査員。新井直樹です。よろしくお願いし致します」
「あ、永井です。こちらこそ」
例に漏れず永井も直樹には圧倒されてしまったようだ。
「それで直樹、分かっているよな。君生の邪魔だけはするなよ」
「邪魔なんてしないわよ。今日もお口チャックで大人しくしています。あ、この間まだ蕾だった黄色のチューリップ。もう咲いているかしら」
今日の陽気と同じくらい平和な頭をかち割ってやろうとも思う。だが、「へぇ、チューリップですか」と何故か関心を示す永井に、直樹を押し付けておくのも悪くはない。
五日前の記憶が薄れるはずもなく、君生の足は無言でジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュへと向かっている。代々木上原の駅から歩いて七、八分だっただろうか。もう西原と上原を何往復もする必要はない。その前に井之頭通りの信号を越える必要もない。
訪問時間を伝えていたからだろう。到着したジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュ。シャッターの隙間に見えた庭には既に蔵前の姿があった。だがその姿に思わず驚きの声を上げる。
「白装束——」
五日前はジャカルタへ出掛けるためにスーツだったが、この白装束が普段の姿だと説明をする蔵前に出迎えられる。
「あ、やっぱり咲いていたわ」
スマホを取り出し黄色のチューリップへと向ける直樹。そんな直樹の横で、チューリップの花弁に顔を寄せる永井。
「ええと、新宿東署の長谷沼さんと、辻山秀三探偵興信所の辻山さん、そして新井さんでしたよね?」
チューリップに不似合いな五十男を不審に思ったのか、蔵前がノブを手にしたまま扉を開く事を躊躇している。
「ああ、すみません。私と同じ新宿東署の永井巡査部長です」
「刑事さんでしたか」
苦笑いする君生に手を差し出す必要はない。永井に関しては君生の担当だ。どれだけ永井が不審に思われても、刑事に見えなくても構う必要はない。それよりも直樹だ。
「おい、直樹。いい加減にしろ」
チューリップを挟み、お互いの写真を撮り合う直樹と永井。こんな事なら何が何でも置いてくればよかった。
扉の向こうは玄関であったが、その天井の高さにまず圧倒された。吹き抜けになった玄関はホールと言ってもいいくらいの広さだ。
「それでどう致しましょうか? まずお話を致しましょうか? それとも館内をご案内させて頂きましょうか?」
「まず館内案内で!」
蔵前の提案にすかさず直樹の声が飛ぶ。何がお口チャックだ。屋敷に入るなりいきなり大きな声を出しやがって。
「そうですね。先に一通り館内を見せて頂いて、その後にゆっくりお話を伺う事は出来ますか? 少しは調べさせて頂いたんですが、まだ今一つこのワーリン・ダーヴィッシュについて分かっていないものですから」
君生の答えは直樹に乗っかったものだったが、その意味合いは全く違うようだ。ワーリンなんて単語を初めて耳にしたように、まだこの団体の事は何一つとして分かっていない。そうであればまずアウトラインから知っていくのは妥当なところだ。
「分かりました。それではまず館内をご案内いたします。ですがプライベートな生活空間もございますので、ご案内できる所は一部に限られますが。それではまずこちらにどうぞ」
ホールとも言える玄関。その玄関の左奥のドアを蔵前が開ける。
「こちらは書庫兼勉強室になっています」
書庫と言うだけあって、夥しい数の書物が並んでいる。数千、いや数万冊以上かもしれない。
「凄い数の本ですね」
君生が感嘆の声を上げる。テレビなんかで見掛ける海外の図書館のようにも見える。それは古さを感じる背表紙の本が大半を占めているからだろう。
「ええ、父が研究者だったので」
「お父様が?」
「いえ、あっ。……メヴレヴィー教はご存じでしょうか? そのメヴレヴィー教に関する書物が殆どなんですが。中には十九世紀、十八世紀と大変古い物もあります」
「凄いですね」
君生の口からは感嘆の声しか上がらないようだ。確かにこれだけの書物を目の前にすれば、このジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュの規模が計り知れる。それは大きさと言う意味だけではなく、歴史と言う重みも併せ持つものだ。
「では奥へどうぞ」
玄関から続いたドアとは別に書庫には二枚のドアがあった。そのドアの一つを蔵前が押し開く。
「あっ、すみません。こっちのドアは?」
蔵前に続く君生のその後ろに続こうとした時、蔵前が触れなかったドアのノブに直樹が手を伸ばしていた。
「そちらはダイニングとキッチンです。いま昼食の片付けの最中ですので、ご遠慮頂けますか?」
穏やかに答える蔵前は既に次のドアの向こうへと姿を消していた。
「わっ、何なんですか? 凄いですね」
君生の声に釣られドアを抜けたそこには、すぐに用途が思い浮かばない大きな広間があった。天井からは幾つものランプがぶら下げられ、足元を見れば色とりどりの絨毯が敷き詰められている。壁を飾る青タイルには見覚えがあったが、それが屋敷を取り囲む壁に填め込まれていたあの青タイルだと思い出す前に、蔵前からの指示が飛んでくる。
「申し訳ございませんが、こちらは土足厳禁となっております。そちらの棚に靴を入れて頂けますか?」
床一面に敷かれた絨毯を見れば、蔵前の指示がなくても靴を脱がざる得ない事は分かる。
「わあ、広い。ブルーモスクくらいあるんじゃない?」
お口チャックと言っていた直樹が大きな声を上げる。
「ブルーモスクほどはないですよ。その半分あるかないか位だと思います。ここは私共の施設の中心となる場所です。もちろんモスクとしての機能も持っておりますので、毎日の礼拝はこちらで行います。それと毎週金曜の夜にはここでセマーを行います」
「えっ? セマー。ここで?」
「そうです。私達にとっての儀式を行う場所ですので一番神聖な場所になります」
直樹が興味を示すところはどこかズレているようにも思えるが、蔵前はその都度反応を示していく。もしかしたらこの施設では直樹の反応が正しいのかもしれない。
「では、続いてですが。申し訳ございません。皆さんそれぞれに靴をお持ち頂いてよろしいですか。玄関に戻れば回れるんですが、この広間の奥の扉から抜けたいと思いますので」
棚から自身の靴を手にした蔵前に続く。敷き詰められた絨毯は柔らかい物も堅い物もあったが、どれも足の裏にはすぐに馴染んだ。セマーと言うものをまだよく解っていないが、多くの人々の足に馴染んできた絨毯はきっと誰の足にも馴染むのだろう。
「それではこちらでお話を伺います。どうぞ皆さんお掛けになって下さい」
通された部屋はさっきの書庫の対面に位置しているのだろう。対を為してはいるが同じ位置に扉がある。
「応接室と言いましょうか、お客様がお見えの時はこちらで対応させて頂いています」
大きな陶器の器から、小さなガラスのカップへ蔵前がお茶を注いでいる。
「二階は皆さんの生活空間になっているんですか?」
君生は蔵前の最初の言葉を思い出しているのだろう。
「ええ、そうです。私共の寝起きの部屋になっています」
「失礼ですが、こちらではどれ位の信者の方が生活されていらっしゃるんですか?」
「信者と言う言葉は好きではないですが」
「失礼致しました」
「今、現在、私共ジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュでは、ルーミーを含め八十四人が修行をしております」
「八十四人ですか」
「ええ。全世界を見ればもっと多くの人間が日々修行をしております。確かに日本と言う事で、私共は人数的には最も規模の小さな団体ではありますが、三代続けてルーミーを選出してきた事により、最高位に位置しております」
「世界に目を広げれば、大きな団体であると言う事ですね」
「ええ。昨日までいたジャカルタでは二千人規模です。もちろんインドネシア全体を見ればもっとですが」
目撃された白いスカートの男が誰なのか。八十四人の中から探し当てる事さえ難しいと言えるのに、世界に手を広げられては成す術もないように思える。
「君ちゃん、元気ないわね」
「すみません。ちょっとボーっとしちゃって」
直樹にすら見透かされるそんな生気のなさで、何が出来ると言うんだろう。
「お前なあ、しっかりしろよ。明日ようやく蔵前に話を聞けるんだ。あの日本旋舞教団には絶対何かあるんだ。明日ようやくそれが暴けるかもしれないって時に」
「すみません。そうなんですけど」
「けど、何だよ」
「さすがに宗教法人じゃないですか。何の証拠もなしに、いきなり殺人事件と関連付けて話し出すのもなって」
「やっぱり届出はあったのか?」
「はい。ちゃんとした法人でした。この間、蔵前さんが言っていた通りです。日本旋舞教団なんて名前での届出はなかったですが、ジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュで届出がありました。調べたらかなり大きな団体だったんですよね」
「大きいからってビビッても仕方ないだろ」
「そうなんですけど。上からこっぴどく言われたんですよ。宗教法人なんて敵に回すもんじゃないって。もちろん敵に回すつもりはないですけど、もし本当にあの団体の誰かが連続殺人に関連していたらって。そうしたら嫌でも敵に回す事になるじゃないですか」
「まあ、そうなるな。だけどな。現に殺された河野はあの団体を取材していたんだ。それに河野が示したダイイング・メッセージ。それに河野が殺された夜も、今野と高橋が殺された夜も白いスカートの男が目撃されているんだ。十七年前もだよ。小峰遼が転落死した夜、その日も白装束の男達の姿が目撃されている。あと前城一樹だ。今年の二月に死んだ前城はあの団体の代表だった。その前城を取材していたのは河野だ。それに前城は十七年前のホモ狩り犯の一人だと言って間違いないだろうしな。これだけの事が積み上がってしまったんだ。蔵前だって協力しない訳にはいかないだろ」
「そうよ。君ちゃん、あたしもついているから、頑張ってよ」
「やっぱり来るんだな」
「勿論よ。あたしはこの探偵興信所のナンバーワン調査員ですから」
「何がナンバーワンだ。一人しかいないのに!」
「そうよ。二人も三人もいたら、あたしが一番になんてなれないじゃない!」
「よく解っているじゃないか」
「……ですよね。頑張らないとですよね」
少しは落ち着いたのか君生の目に光が戻っていた。どんなアプローチで行くかは君生次第だが、明日も前面に立つ事は分かっている。
「あ、あと、明日ですけど、永井さんも来ます」
「永井さんが? 今回の事件からは外れたんじゃないのか?」
「まあ、そうなんですけど。さすがに上から俺一人じゃ駄目だって言われたんですよ。他の連中もみんな捜査で手が塞がっていて」
永井の名前を聞き、滅入るまではいかないが、気が少し重くなる。享の行方を捜す手伝いをすると言いながら、まだ一度もそんな行動には移していない。何か一つでも享の情報を持っての事なら気も晴れるだろうが、今日の明日でそんな情報を収集する余裕なんてものはない。
「永井さん、お久しぶりです」
直樹と共に降りた代々木上原の駅には、君生と永井の姿が先にあった。
「ああ。それでだ、長谷沼から話は聞かされてはいるが、今一つ俺は把握しきれていない。申し訳ないが俺はいないものだと思ってくれ」
永井の反応は当たり前のものだ。ちらっと話を聞かされただけで捜査なんて出来るはずもない。それにあの連続殺人事件からは外されているんだ。永井にとってはただ勤務時間を消化する手立てでしかないはずだ。
「大丈夫です。あたしがしっかり把握していますから」
出しゃばる直樹を押え付ける。
「すみません。うちの……」
折角紹介してやろうと思ったのに、押え付けた手を払いのけ、直樹が一歩前に出る。
「辻山秀三探偵興信所のナンバーワン調査員。新井直樹です。よろしくお願いし致します」
「あ、永井です。こちらこそ」
例に漏れず永井も直樹には圧倒されてしまったようだ。
「それで直樹、分かっているよな。君生の邪魔だけはするなよ」
「邪魔なんてしないわよ。今日もお口チャックで大人しくしています。あ、この間まだ蕾だった黄色のチューリップ。もう咲いているかしら」
今日の陽気と同じくらい平和な頭をかち割ってやろうとも思う。だが、「へぇ、チューリップですか」と何故か関心を示す永井に、直樹を押し付けておくのも悪くはない。
五日前の記憶が薄れるはずもなく、君生の足は無言でジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュへと向かっている。代々木上原の駅から歩いて七、八分だっただろうか。もう西原と上原を何往復もする必要はない。その前に井之頭通りの信号を越える必要もない。
訪問時間を伝えていたからだろう。到着したジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュ。シャッターの隙間に見えた庭には既に蔵前の姿があった。だがその姿に思わず驚きの声を上げる。
「白装束——」
五日前はジャカルタへ出掛けるためにスーツだったが、この白装束が普段の姿だと説明をする蔵前に出迎えられる。
「あ、やっぱり咲いていたわ」
スマホを取り出し黄色のチューリップへと向ける直樹。そんな直樹の横で、チューリップの花弁に顔を寄せる永井。
「ええと、新宿東署の長谷沼さんと、辻山秀三探偵興信所の辻山さん、そして新井さんでしたよね?」
チューリップに不似合いな五十男を不審に思ったのか、蔵前がノブを手にしたまま扉を開く事を躊躇している。
「ああ、すみません。私と同じ新宿東署の永井巡査部長です」
「刑事さんでしたか」
苦笑いする君生に手を差し出す必要はない。永井に関しては君生の担当だ。どれだけ永井が不審に思われても、刑事に見えなくても構う必要はない。それよりも直樹だ。
「おい、直樹。いい加減にしろ」
チューリップを挟み、お互いの写真を撮り合う直樹と永井。こんな事なら何が何でも置いてくればよかった。
扉の向こうは玄関であったが、その天井の高さにまず圧倒された。吹き抜けになった玄関はホールと言ってもいいくらいの広さだ。
「それでどう致しましょうか? まずお話を致しましょうか? それとも館内をご案内させて頂きましょうか?」
「まず館内案内で!」
蔵前の提案にすかさず直樹の声が飛ぶ。何がお口チャックだ。屋敷に入るなりいきなり大きな声を出しやがって。
「そうですね。先に一通り館内を見せて頂いて、その後にゆっくりお話を伺う事は出来ますか? 少しは調べさせて頂いたんですが、まだ今一つこのワーリン・ダーヴィッシュについて分かっていないものですから」
君生の答えは直樹に乗っかったものだったが、その意味合いは全く違うようだ。ワーリンなんて単語を初めて耳にしたように、まだこの団体の事は何一つとして分かっていない。そうであればまずアウトラインから知っていくのは妥当なところだ。
「分かりました。それではまず館内をご案内いたします。ですがプライベートな生活空間もございますので、ご案内できる所は一部に限られますが。それではまずこちらにどうぞ」
ホールとも言える玄関。その玄関の左奥のドアを蔵前が開ける。
「こちらは書庫兼勉強室になっています」
書庫と言うだけあって、夥しい数の書物が並んでいる。数千、いや数万冊以上かもしれない。
「凄い数の本ですね」
君生が感嘆の声を上げる。テレビなんかで見掛ける海外の図書館のようにも見える。それは古さを感じる背表紙の本が大半を占めているからだろう。
「ええ、父が研究者だったので」
「お父様が?」
「いえ、あっ。……メヴレヴィー教はご存じでしょうか? そのメヴレヴィー教に関する書物が殆どなんですが。中には十九世紀、十八世紀と大変古い物もあります」
「凄いですね」
君生の口からは感嘆の声しか上がらないようだ。確かにこれだけの書物を目の前にすれば、このジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュの規模が計り知れる。それは大きさと言う意味だけではなく、歴史と言う重みも併せ持つものだ。
「では奥へどうぞ」
玄関から続いたドアとは別に書庫には二枚のドアがあった。そのドアの一つを蔵前が押し開く。
「あっ、すみません。こっちのドアは?」
蔵前に続く君生のその後ろに続こうとした時、蔵前が触れなかったドアのノブに直樹が手を伸ばしていた。
「そちらはダイニングとキッチンです。いま昼食の片付けの最中ですので、ご遠慮頂けますか?」
穏やかに答える蔵前は既に次のドアの向こうへと姿を消していた。
「わっ、何なんですか? 凄いですね」
君生の声に釣られドアを抜けたそこには、すぐに用途が思い浮かばない大きな広間があった。天井からは幾つものランプがぶら下げられ、足元を見れば色とりどりの絨毯が敷き詰められている。壁を飾る青タイルには見覚えがあったが、それが屋敷を取り囲む壁に填め込まれていたあの青タイルだと思い出す前に、蔵前からの指示が飛んでくる。
「申し訳ございませんが、こちらは土足厳禁となっております。そちらの棚に靴を入れて頂けますか?」
床一面に敷かれた絨毯を見れば、蔵前の指示がなくても靴を脱がざる得ない事は分かる。
「わあ、広い。ブルーモスクくらいあるんじゃない?」
お口チャックと言っていた直樹が大きな声を上げる。
「ブルーモスクほどはないですよ。その半分あるかないか位だと思います。ここは私共の施設の中心となる場所です。もちろんモスクとしての機能も持っておりますので、毎日の礼拝はこちらで行います。それと毎週金曜の夜にはここでセマーを行います」
「えっ? セマー。ここで?」
「そうです。私達にとっての儀式を行う場所ですので一番神聖な場所になります」
直樹が興味を示すところはどこかズレているようにも思えるが、蔵前はその都度反応を示していく。もしかしたらこの施設では直樹の反応が正しいのかもしれない。
「では、続いてですが。申し訳ございません。皆さんそれぞれに靴をお持ち頂いてよろしいですか。玄関に戻れば回れるんですが、この広間の奥の扉から抜けたいと思いますので」
棚から自身の靴を手にした蔵前に続く。敷き詰められた絨毯は柔らかい物も堅い物もあったが、どれも足の裏にはすぐに馴染んだ。セマーと言うものをまだよく解っていないが、多くの人々の足に馴染んできた絨毯はきっと誰の足にも馴染むのだろう。
「それではこちらでお話を伺います。どうぞ皆さんお掛けになって下さい」
通された部屋はさっきの書庫の対面に位置しているのだろう。対を為してはいるが同じ位置に扉がある。
「応接室と言いましょうか、お客様がお見えの時はこちらで対応させて頂いています」
大きな陶器の器から、小さなガラスのカップへ蔵前がお茶を注いでいる。
「二階は皆さんの生活空間になっているんですか?」
君生は蔵前の最初の言葉を思い出しているのだろう。
「ええ、そうです。私共の寝起きの部屋になっています」
「失礼ですが、こちらではどれ位の信者の方が生活されていらっしゃるんですか?」
「信者と言う言葉は好きではないですが」
「失礼致しました」
「今、現在、私共ジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュでは、ルーミーを含め八十四人が修行をしております」
「八十四人ですか」
「ええ。全世界を見ればもっと多くの人間が日々修行をしております。確かに日本と言う事で、私共は人数的には最も規模の小さな団体ではありますが、三代続けてルーミーを選出してきた事により、最高位に位置しております」
「世界に目を広げれば、大きな団体であると言う事ですね」
「ええ。昨日までいたジャカルタでは二千人規模です。もちろんインドネシア全体を見ればもっとですが」
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