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10 二丁目・由之との再会
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手に取ったスマホで時間を見ると、まだ九時を回ったところだった。平日の夜だからか、仲通りの人の出はまばらだ。たった二杯のビールで酔いが回るはずもなく、晴人の思考は正常だった。ただ横には夏樹がいる。この状況はやはり正常ではない。刑事としての使命で情報を収集したい。そう納得させるしか術はないが、担当の事件ではない。それでも署の管轄で起きた殺人事件であり、まだ大きな進展は見せていない事は情報取集の言い訳にはなる。
「確か、このビルの三階のはずなんだ」
仲通りから路地を一本入り夏樹が足を止めた。周りから見ればどんな二人に見えるのだろうか。刑事と盗人だと言い当てる人間など一人もいないだろう。ましてや人の出が殆どないこの平日の夜に、二人の姿を目に留める人間すらいない。夏樹の足はすでに雑居ビルの階段へと向いている。夏樹のズボンの裾を目にしながら、くだらない思考に笑いたくなった。
三階まで上り、足を止めた夏樹は周りを見回している。薄汚れた廊下の一角には段ボールが積まれている。その横をよく見れば、焼酎やらの瓶が転がっている。不衛生な臭いが漂うようだ。酒を飲みに来た人間なら気にする事のないだろうその一角に鼻をつまみたくなる。
「ああ、ここだ」
階段を上り切ったその廊下には左右三つずつドアが並んでいる。そのドアの横にそれぞれ看板はあるが、灯りがつけられている看板は二つだけだった。一つの看板を確認し、夏樹はドアに手を掛けている。
「いらっしゃいませ」
夏樹の姿を見たからだろう、店内に足を踏み入れる前に男の声が聞こえた。二丁目と言う場所柄、そこがどんな店なのかは容易く想像ができる。新宿東署の管轄でもあったから、何度か二丁目のその手の店には来たことがあった。だが客として訪れるのは初めての事だ。自分がその手の人間だと思われる事への嫌悪からか、ドアの一歩手前で足が一瞬躊躇した。
「どうぞ掛けて下さい。えーっと、お二人とも初めてでしたっけ」
カウンターの中の男がおしぼりを差し出す。促されるまま掛けた椅子の高さには慣れない。
「この店に来るのは初めてだよ、でも、久しぶりだな」
隣に腰掛けた夏樹の態度と口調は、居酒屋にいた頃となんら変わっていなかった。そんな夏樹の言葉に一瞬固まるカウンターの中の男。
「えーっと、どこか別のお店で会いましたっけ?」
こちらの顔を交互に見比べるカウンターの男。そのどちらの顔にも見覚えがないらしく、少し困った顔を作っている。それはこちらからしても同じだ。夏樹に会わせたい奴がいると言われたが、カウンターの中のその男の顔に見覚えはない。
「高原だろ? 高原由之。アプリで見かけたんだよ、ヨシユキって言う……。歳も三十四だったから俺はすぐに分かったんだけどな。……で、この間、仲通りでたまたま見掛けて、この店を知ったんだよ」
カウンターの中の男は驚いた顔を隠せないでいる。名前を言い当てられた事。この由之も同様に夏樹に付き纏われているのだろうか。だが高原由之と言う名前にも何一つ反応は示せない。
「全然覚えていないのか?」
夏樹の声が少し大きくなった。
「ハルとナッチだよ。小学校の時、一緒だっただろ?」
懐かしい呼び方にようやく状況が理解できた。小学校時代の同級生を誘い、別の同級生の所を訪れた夏樹の行動。何も聞かされずに置かれた状況だが、分かり易い状況でもあった。
「ハルとナッチ? ごめんね。突然だったから……。えーっと」
夏樹の突然の行動に由之も驚かされている。困惑に眉間に皺を寄せている。
「もうこんな歳だし、ハルとナッチはないだろ? 俺が晴人でこいつが夏樹。偶然会って、今こいつに付き纏われているところなんだ」
挟んだ口に少しは納得したのか、由之の顔は少し柔らかさを取り戻している。だが眉間に寄った皺に変わりはない。
「付き纏われているの?」
「ああ」
由之との会話に今度は夏樹が顔を歪めている。
「せっかく再会の機会を作ったのに、付き纏われているはないだろ?」
拗ねた表情を見せる夏樹。その顔に由之の眉間の皺は消えていた。落ち着いて店内を見回すと他の客の姿はまだない。引退した安室のPVが大画面で流されてはいるが、音は流されていない。その大画面の周りにも並べられている酒瓶にここが飲み屋である事を思い出した。
「ビールもらえますか?」
由之が冷蔵庫へと屈む。拗ねた顔の夏樹は何も注文していなかったが、由之はビールを二本取り出したようだった。
他愛もない飲み屋での話を繰り広げておけば、今日と言う夜を何事もなく、終わらせられるように思えた。差し出されたビールはさっき居酒屋で喉元に流し込んだ生温いビールとは違い、喉に心地よい刺激を走らせた。
「……それで、小林だよ」
御機嫌な顔をしてグラスに手を付ける夏樹に体を向ける。由之はカウンターの中に身を屈めたままだ。お通しでも盛っているのだろうか、電子レンジが唸る音と食器がぶつかる小さな音だけが静かな店内に響いていた。
「ああ、小林な」
「お前会ったんだろ? 小林に。さっきそう言っていたよな?」
「ああ、会ったよ」
「どういう事なんだよ?」
お通しは盛り終わっているだろうに、由之はまだ屈んだままだ。電子レンジが唸る音も聞こえない。
「まあ、慌てんなよ。あ、俺、お通し大盛りで。さっきの店で何も食ってなくて、腹が減っているんだよね」
夏樹がカウンターの中を覗き込む。ようやく屈めた体を起こした由之の顔が現れる。差し出された小鉢には肉じゃがが盛られていた。
「食べ終わったらまた温めるから、いつでも言って下さい。とりあえずどうぞ」
小鉢と一緒に目の前に置かれた割り箸に夏樹は早速手を付けている。夏樹へと目の前に置かれた小鉢を滑らせる。
「これも食えよ」
「大丈夫ですよ。いっぱい作ってあるから、好きなだけ食べてもらって」
夏樹の前に滑らせた小鉢が由之の手で戻され事に、割り箸へ手を伸ばす。
「それで小林の事だよ」
「だから、会ったんだよ。殺される前に……」
「殺される前?」
夏樹の言葉の語尾を拾う。
——殺される前にだって。
「どういう事だよ。まだ殺人かどうか分からないのに……事故かも知れないのに、殺される前って」
「おいおい、仮にもお前刑事だろ。あんな死体の状況見て事故って、そりゃないだろ?」
鼻で笑う夏樹に鋭い視線を向ける。仮にも刑事と言われた事への反発なのか、普段見せない鋭い光が放たれている事は自分でも分かった。
「えっ? 刑事なの?」
一回り大きな小鉢に肉じゃがを盛り、夏樹の前に差し出した由之が目を丸くしている。
小鉢がカウンターの上にゴトッと音を立てて置かれる。それは置くと言うより落ちたと言うような音だ。
「そうなんだよ。こいつは、この晴人はいつの間にやら、刑事になんかなっていたんだよ。びっくりだろ? こいつが刑事だなんて。この間、しょっぴかれて俺も知ったんだが、本当にびっくりだよ」
「えっ? しょっぴかれた? どう言うこと?」
由之は少し不安そうに、さっき丸くした目を細めている。黙ったまま肉じゃがの小鉢に箸を差し、夏樹の言葉を待つ。何も語らなくても、夏樹が勝手に全てを語っていく事は目に見えている。
「こいつは新宿東署の刑事なんだよ。なっ。で、俺はこいつの相棒」
「相棒? それじゃ二人とも刑事なの?」
「いやいや、相棒と言っても、まあ俺は平たく言えば盗人かな。盗人と言っても、スマートな盗人。そうそう、盗人と言っても、盗まれる奴が悪いんだから、俺はスマートな盗人」
「何が平たく言えばだよ! 何がスマートなだよ! ただの泥棒だろうが!」
にやりと笑う夏樹に腹を立て、大きな声を出していた。びっくりし由之がまた言葉を失くしている。
「そう怒んなよ。同級生三人、久しぶりの再会だろ。由之も……、あ、ヨシママだっけ? まあ、いいや。由之も何か飲めよ。再会を祝して乾杯しようぜ」
促された由之が一回り小さなグラスにビールを注いでいる。その指先を眺めていた背中に、ドスッと何かの鈍い気配が感じられた
——何だ?
その気配に振り返りはしたが、閉まったままのドアがあるだけで、ドアが開かれ誰かが来た訳ではなかった。
「何だろ? 何か今変な音したよね? お客さんかしら? 乾杯はちょっと待ってね」
由之も同じ鈍い気配を感じたようで、注ぎ終わったグラスをカウンターへ置き、カウンターの内側から外側体を滑らせている。
「確か、このビルの三階のはずなんだ」
仲通りから路地を一本入り夏樹が足を止めた。周りから見ればどんな二人に見えるのだろうか。刑事と盗人だと言い当てる人間など一人もいないだろう。ましてや人の出が殆どないこの平日の夜に、二人の姿を目に留める人間すらいない。夏樹の足はすでに雑居ビルの階段へと向いている。夏樹のズボンの裾を目にしながら、くだらない思考に笑いたくなった。
三階まで上り、足を止めた夏樹は周りを見回している。薄汚れた廊下の一角には段ボールが積まれている。その横をよく見れば、焼酎やらの瓶が転がっている。不衛生な臭いが漂うようだ。酒を飲みに来た人間なら気にする事のないだろうその一角に鼻をつまみたくなる。
「ああ、ここだ」
階段を上り切ったその廊下には左右三つずつドアが並んでいる。そのドアの横にそれぞれ看板はあるが、灯りがつけられている看板は二つだけだった。一つの看板を確認し、夏樹はドアに手を掛けている。
「いらっしゃいませ」
夏樹の姿を見たからだろう、店内に足を踏み入れる前に男の声が聞こえた。二丁目と言う場所柄、そこがどんな店なのかは容易く想像ができる。新宿東署の管轄でもあったから、何度か二丁目のその手の店には来たことがあった。だが客として訪れるのは初めての事だ。自分がその手の人間だと思われる事への嫌悪からか、ドアの一歩手前で足が一瞬躊躇した。
「どうぞ掛けて下さい。えーっと、お二人とも初めてでしたっけ」
カウンターの中の男がおしぼりを差し出す。促されるまま掛けた椅子の高さには慣れない。
「この店に来るのは初めてだよ、でも、久しぶりだな」
隣に腰掛けた夏樹の態度と口調は、居酒屋にいた頃となんら変わっていなかった。そんな夏樹の言葉に一瞬固まるカウンターの中の男。
「えーっと、どこか別のお店で会いましたっけ?」
こちらの顔を交互に見比べるカウンターの男。そのどちらの顔にも見覚えがないらしく、少し困った顔を作っている。それはこちらからしても同じだ。夏樹に会わせたい奴がいると言われたが、カウンターの中のその男の顔に見覚えはない。
「高原だろ? 高原由之。アプリで見かけたんだよ、ヨシユキって言う……。歳も三十四だったから俺はすぐに分かったんだけどな。……で、この間、仲通りでたまたま見掛けて、この店を知ったんだよ」
カウンターの中の男は驚いた顔を隠せないでいる。名前を言い当てられた事。この由之も同様に夏樹に付き纏われているのだろうか。だが高原由之と言う名前にも何一つ反応は示せない。
「全然覚えていないのか?」
夏樹の声が少し大きくなった。
「ハルとナッチだよ。小学校の時、一緒だっただろ?」
懐かしい呼び方にようやく状況が理解できた。小学校時代の同級生を誘い、別の同級生の所を訪れた夏樹の行動。何も聞かされずに置かれた状況だが、分かり易い状況でもあった。
「ハルとナッチ? ごめんね。突然だったから……。えーっと」
夏樹の突然の行動に由之も驚かされている。困惑に眉間に皺を寄せている。
「もうこんな歳だし、ハルとナッチはないだろ? 俺が晴人でこいつが夏樹。偶然会って、今こいつに付き纏われているところなんだ」
挟んだ口に少しは納得したのか、由之の顔は少し柔らかさを取り戻している。だが眉間に寄った皺に変わりはない。
「付き纏われているの?」
「ああ」
由之との会話に今度は夏樹が顔を歪めている。
「せっかく再会の機会を作ったのに、付き纏われているはないだろ?」
拗ねた表情を見せる夏樹。その顔に由之の眉間の皺は消えていた。落ち着いて店内を見回すと他の客の姿はまだない。引退した安室のPVが大画面で流されてはいるが、音は流されていない。その大画面の周りにも並べられている酒瓶にここが飲み屋である事を思い出した。
「ビールもらえますか?」
由之が冷蔵庫へと屈む。拗ねた顔の夏樹は何も注文していなかったが、由之はビールを二本取り出したようだった。
他愛もない飲み屋での話を繰り広げておけば、今日と言う夜を何事もなく、終わらせられるように思えた。差し出されたビールはさっき居酒屋で喉元に流し込んだ生温いビールとは違い、喉に心地よい刺激を走らせた。
「……それで、小林だよ」
御機嫌な顔をしてグラスに手を付ける夏樹に体を向ける。由之はカウンターの中に身を屈めたままだ。お通しでも盛っているのだろうか、電子レンジが唸る音と食器がぶつかる小さな音だけが静かな店内に響いていた。
「ああ、小林な」
「お前会ったんだろ? 小林に。さっきそう言っていたよな?」
「ああ、会ったよ」
「どういう事なんだよ?」
お通しは盛り終わっているだろうに、由之はまだ屈んだままだ。電子レンジが唸る音も聞こえない。
「まあ、慌てんなよ。あ、俺、お通し大盛りで。さっきの店で何も食ってなくて、腹が減っているんだよね」
夏樹がカウンターの中を覗き込む。ようやく屈めた体を起こした由之の顔が現れる。差し出された小鉢には肉じゃがが盛られていた。
「食べ終わったらまた温めるから、いつでも言って下さい。とりあえずどうぞ」
小鉢と一緒に目の前に置かれた割り箸に夏樹は早速手を付けている。夏樹へと目の前に置かれた小鉢を滑らせる。
「これも食えよ」
「大丈夫ですよ。いっぱい作ってあるから、好きなだけ食べてもらって」
夏樹の前に滑らせた小鉢が由之の手で戻され事に、割り箸へ手を伸ばす。
「それで小林の事だよ」
「だから、会ったんだよ。殺される前に……」
「殺される前?」
夏樹の言葉の語尾を拾う。
——殺される前にだって。
「どういう事だよ。まだ殺人かどうか分からないのに……事故かも知れないのに、殺される前って」
「おいおい、仮にもお前刑事だろ。あんな死体の状況見て事故って、そりゃないだろ?」
鼻で笑う夏樹に鋭い視線を向ける。仮にも刑事と言われた事への反発なのか、普段見せない鋭い光が放たれている事は自分でも分かった。
「えっ? 刑事なの?」
一回り大きな小鉢に肉じゃがを盛り、夏樹の前に差し出した由之が目を丸くしている。
小鉢がカウンターの上にゴトッと音を立てて置かれる。それは置くと言うより落ちたと言うような音だ。
「そうなんだよ。こいつは、この晴人はいつの間にやら、刑事になんかなっていたんだよ。びっくりだろ? こいつが刑事だなんて。この間、しょっぴかれて俺も知ったんだが、本当にびっくりだよ」
「えっ? しょっぴかれた? どう言うこと?」
由之は少し不安そうに、さっき丸くした目を細めている。黙ったまま肉じゃがの小鉢に箸を差し、夏樹の言葉を待つ。何も語らなくても、夏樹が勝手に全てを語っていく事は目に見えている。
「こいつは新宿東署の刑事なんだよ。なっ。で、俺はこいつの相棒」
「相棒? それじゃ二人とも刑事なの?」
「いやいや、相棒と言っても、まあ俺は平たく言えば盗人かな。盗人と言っても、スマートな盗人。そうそう、盗人と言っても、盗まれる奴が悪いんだから、俺はスマートな盗人」
「何が平たく言えばだよ! 何がスマートなだよ! ただの泥棒だろうが!」
にやりと笑う夏樹に腹を立て、大きな声を出していた。びっくりし由之がまた言葉を失くしている。
「そう怒んなよ。同級生三人、久しぶりの再会だろ。由之も……、あ、ヨシママだっけ? まあ、いいや。由之も何か飲めよ。再会を祝して乾杯しようぜ」
促された由之が一回り小さなグラスにビールを注いでいる。その指先を眺めていた背中に、ドスッと何かの鈍い気配が感じられた
——何だ?
その気配に振り返りはしたが、閉まったままのドアがあるだけで、ドアが開かれ誰かが来た訳ではなかった。
「何だろ? 何か今変な音したよね? お客さんかしら? 乾杯はちょっと待ってね」
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