【完結】花水木

かの翔吾

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【3】 青梅西署

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 花水木の白い花の塊を、どれくらいの時間眺めていたかは、自分でも分からなかった。ただ次の電車で到着しただろう乗客とすれ違ったのが、駅近く戻っての事だったので、それほど長い時間ではなかったのだろう。

 軍畑の駅で上り電車を待っている間に、青梅西署の所在を確認した。まだ二時にもなっていない。時間は充分にある。
 
 青梅の駅に着いた頃には、何度も襲われた空腹の苦しさが、きれいに無くなっていた。周辺の飲食店が目に飛び込んできたが、足を止められる事もない。

 改札を抜け、寄り道もせず十分は歩いていたが、目的地にはまだ辿り着いていなかった。スマホの地図を見直せばよかったが、警察署に行ったところで、何と説明をしようかと、まだまとまらない考えに、急ぐ必要もなかった。
 それでも新宿や渋谷と言った大きな町ではない。警察署ほどの大きな建物が沢山存在する訳でもないから、道に迷う事もなく、青梅西署の看板を簡単に見つけ出してしまった。
 
「すみません。少しお尋ねしたい事があって伺ったんですが」
 
 署に入ってすぐ、受付らしきデスクに腰掛けた制服の女性に声を掛ける。
 
「どう言ったご用件ですか?」

 笑顔の一つも見せずに、事務的に答える女性に纏らない考えが更に恐縮していく。
 
「あの、数日前に発見された白骨死体の事で」
 
 白骨死体と言うワードを口にしたからか、女性の顔が一瞬にして険しくなった。ただその表情は想像する警察官のものに近く、恐縮を薄れさせた。
 
「それで、どの様なご用件ですか」
 
「あの、発見された白骨死体ですが、十五前に行方不明になった母親じゃないかと」
 
「分かりました。とりあえず、こちらにお名前と連絡先を書いてください。この後は三階に上がってお待ちください。犯罪対策課の担当になります。電話しておきますので、三階の廊下でお待ち下さい」
 
 事務的な受け応えだったが、不快感は与えられない。

 言われた通りにエレベーターへ乗り込み、三階へと上がる。廊下にあったベンチに腰掛け、何もない廊下を見回す。壁には幾つものポスターが貼られていたが、どれも今の自分には関係のない犯罪防止の、そんなポスターばかりだった。
 ベンチに腰掛け、ほんの二、三分で、廊下の奥のドアが開き、刑事らしき一人の男が近付いて来た。
 
「あの……」
 
 立ち上がり軽く会釈し発した声を、男が遮る。
 
「……白骨死体の関係者の方はあなたですか? 私が話を伺います。犯罪対策課の川野です。お名前は小泉陽太さんでお間違えないですか?」

 まくし立てるような早口にさっき薄れた恐縮が戻る。
 
「はい、小泉です。小泉陽太と申します……」
 
 返事を聞き終わる前に、川野と名乗った刑事はすでに背中を向けている。
 
「あちらの部屋で詳しく伺いますね」
 
 川野が指差した方向は背中に隠され見えなかったが、ただその言葉に従い、川野に続く。
 
「改めまして、犯罪対策課の川野です。これから詳しくお話を伺いますが、惣岳山で発見された白骨死体が、小泉さん、あなたのお母さんだと言う事ですか? 行方不明になられた」

「はい、そうじゃないかと思いまして」
 
「分かりました。それで、どう言った観点からご自身のお母さんの死体だと思われるのですか? 何か手掛かりでも?」
 
「ニュースで若い女性のものだと聞いたんです。それと今さっき、現場に行って来ました。花水木に見覚えがあって、子供の頃から目を閉じると浮かんできた花水木の光景と同じで。花水木の下で幼い自分が若い男に手を引かれているんです。夢だと思っていた花水木が現実だったんです」
 
「えっ? それだけですか?」
 
「はい」
 
 呆れを含んだ驚きの表情を作る川野。
 
「分かりました。まずあなたの事からお聞かせ下さい。お名前は小泉陽太さんでしたね」
 
「はい」
 
「今、歳はお幾つですか? それとどちらにお住まいですか?」
 
「歳は二十一で、杉並の下井草しもいぐさに住んでいます」
 
「杉並ですか。遠い所わざわざ。今日もそちらから?」
 
「はい、荻窪から電車で来ました」
 
「ずっとその、下井草にお住まいですか?」
 
 ノートにメモを取る川野が時折、目線を上げてくる。
 
「いえ、十八までは八王子の児童養護施設にいました。その前は三鷹にいたと聞いています」
 
「そうですか。三鷹にいたと言うのは、誰から聞いたのですか? 行方不明のお母さんから?」
 
 何度も上げ下ろしされた川野の目線が、今はこちらに真っすぐ向けられている。
 
「いえ、叔父です。母の双子の弟です。母が行方不明になり、八王子の施設に預けられたと聞いています。その前は母と二人で三鷹に暮らしていたと」
 
「……そうですか。それでお父さんは?」
 
「いません。施設に預けられたのは六歳の時です。その後、十八まで施設にいましたが、その間、年に一度、叔父が顔を見にきてくれただけで、父親の話を叔父が切り出した事もありません」
 
「すみません。分かりました。お母さんが行方不明になり、それで八王子の施設に預けられた。その前はお母さんと三鷹で暮らしていた。そう言う事ですね」
 
「はい。施設の人や、叔父から聞かされた話では」
 
「今回、その叔父さんに連絡を取られましたか?」
 
「いいえ、電話は掛けたんですが、繋がらなくて」
 
「分かりました。最後に、お母さんが行方不明になった際、警察に届けは出されていますかね?」
 
「幼かったので分からないですが、叔父が出していると思います」
 
 川野がノートに立てたペンを胸のポケットに仕舞しまう。
 
「分かりました。今回の白骨死体は今のところ、正直何の手掛かりもないんです。死後十年以上は経っていて、若い女性であろうと言う事しか分かっていないんです。……ああ、それで小泉さん。お母さんの名前は?」
 
「茜です。小泉茜です」
 
「分かりました。一度、三鷹の警察へ問い合わせてみます。あと歯の治療痕はあるので、三鷹周辺の歯医者なり調べてみますよ。どうなるかは分かりませんが。いざとなればDNA鑑定と言う手もあります。その時はご協力お願いします」
 
「分かりました」
 
 ノートを閉じた川野が名刺を取り出す。右手で受け取ったその名刺には、青梅西署、犯罪対策課、係長、川野順平と書かれている。その名刺を財布に仕舞い、腰を上げる。
 
「あのう、僕の連絡先伝えておいた方がいいんじゃ」

 先に部屋を出ようとする川野の背中に声を掛ける。
 
「ああ、さっき受付されていますよね? そこに連絡先書かれましたよね?」
 
「はい、携帯の番号を」
 
「何か分かったら、そちらに連絡しますから大丈夫ですよ」
 
「分かりました」
 
 既に体を廊下へと出した川野に小さく礼をした。

 何か状況が変わった訳でも、進展した訳でもなかったが、胸に痞えていた何かが取れた気にはなった。ポケットからスマホを取り出し時間を見ると、三時を回ったところだった。その並んだ数字が忘れていた空腹を思い出させる。駅周辺の飲食店で何かを食べて帰ろう。
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