Syn.(シノニム)

かの翔吾

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Capitulo 2 ~en Mexico~

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 どれだけ目を凝らしても他に街の灯りなど見えない暗闇の中、充分な灯りを放つガソリンスタンドは、砂漠の中のオアシスと言って過言ではないだろう。

 安っぽいはずのネオンサイン。見慣れた貝殻のマークさえ、オアシスのサインに見える。そんなガソリンスタンドには小さな売店が併設されていた。

 スタンド自体はセルフのようで従業員の姿も見えないが、売店の中には従業員らしき若い男がいた。メキシコの映画などあまり観た事はないが、昔観た『アモーレス・ペロス』と言う映画の主演俳優に似た男だ。そんな男に目を向けている間に、一緒に降りたはずの乗客の姿はすでに消えていた。

「梗佑君。こっち来て!」

 壮大な暗闇を背負ったテルが手招きする。何を見つけたのかは分からないが、その声には興奮の色が見える。

「どうした? 何かあった?」

 ゆっくりと近付きはするが、テルの興奮が伝わる事のない声で返す。

 すっかり夜になっている。売店はあるから腹は満たされそうだが、一晩中ここで突っ立っている訳にはいかない。心配事が頭にある以上、他に興味を持つ事は難しい。しかもこんな暗闇の中だ。もし日中の明るい世界が目の前にあったとしても、荒れた大地がどこまでも広がっている事は容易く想像できる。

「ほら、これトルコキキョウだよ」

 興奮を抑えられない声でテルが指差す暗闇にぼんやりと白い集合体が浮かぶ。ガソリンスタンドの灯りが微かにしか届かない暗闇の中でも、白と言う色は映えるようだ。

「トルコキキョウ?」

「うん。この花見て。俺も自生している所は初めて見た。確かにアメリカのテキサスからこのメキシコに原産地が分布している事は知っていたけど、まさかこんなすぐに見られるとは思っていなかったから」

 喜びを露わにするテルに心配事が吹き飛んでいった。テルが一番好きだと言った花だ。

 ボヤージュ・スカイの輸入ルートを確保するために訪れたメキシコではあるが、すでに一つ目的を達成できたような気にさせられる。

「白いんだな」

 素直に花への感想を口にする。トルコキキョウと言う花に興味を持ち始めてはいるが、それはテルに対しての興味に等しい。それに初めてトルコキキョウだと認識した花はボヤージュ・スカイ。淡い青色の花だった。

「うん。自生しているトルコキキョウで白色は珍しいってどこかで聞いた事がある。自生しているトルコキキョウは殆どが紫色だって」

「詳しいんだな」

「梗佑君のスペイン語みたいに役は立たないけど」

「いや、知識があるってすごい事だよ。……それより。テル。腹は減っていないか? メキシコに着いてまだコーヒーしか腹に入れていないし」

 テルが言うようにスペイン語を話せるのだからリードして当然の話だ。自分の意志を直接的にぶつけてくるようなタイプでない。そんなテルに対してだからこそ全てにおいて御膳立てをして、滞りなく事を運ばなければならない。

「そうだね。機内食が最後だもんね。……メキシコに着いてずっと緊張しっぱなしで、お腹が空いたとか、空いていないとか忘れていたよ」

 くすっと目を細めるテルに少し遅くなった提案を詫びたくなった。もっとしっかりテルをリードしていかなければ。

「……トルコキキョウは明るくなってからゆっくり見ればいい。とりあえず腹を満たそう」

 指差した売店にはさっきから一ミリも動いていないように見える若い男だ。

——アモーレス・ペロス。

 どんな映画だったかも、主演俳優が誰かも覚えてはいないが。いや、タイトルにペロスとあるのだから犬は間違いなく出てきていたはずだ。

「……メキシコでの一食目だね」

「ああ、そうだな。でも一食目がレストランじゃなく、こんな売店ですまない」

「なんで梗佑君が謝るの? 俺の方こそ梗佑君に頼りっぱなしでゴメン」

 申し訳なさそうなテルに言葉を失う。

——amore.

  テルへと向かう感情がふと思い出した映画のタイトルに引っ張られていく。ただそんな感情をぶつけるには、このガソリンスタンドと言うシチュエーションは相応しくない。

 テルは何も気付いていない様子だが、照れを誤魔化しながら売店のドアを引き開ける。若い男はチラリと一瞬視線を上げたが、注視する事もなく再び視線を落とす。

「お菓子しかないみたいだね」

 小さな店内を一回りしたテルはトルティーヤのチップスだろうか、スナックの袋を一つだけ手にしていた。

「他はなかった?」

「うん。俺は大丈夫だけど、こんなスナックじゃ梗佑君のお腹は満たされないよね」

「俺もそんな腹は減っていないから大丈夫だよ。コーヒーはあるみたいだし」

 レジカウンターの横のコーヒーマシンを指差す。少し緩んだテルの表情に安心し、若い男にコーヒーを二杯頼む。

 Si.とようやく口を開いた若い男。無愛想ではないその顔についでに聞きたい事を並べてみる。

 ここはシエネガ・デ・フローレスで間違いないか。近くにホテルはないか。そして花農園を営むアントニオ・ロペスと言う人物を知らないか。若い男の答えはどれも肯定はするが否定もするものだった。

 ここはシエネガ・デ・フローレスで間違いないが、まだ街の入口で中心からは七キロ離れている事。街の中心に行けばホテルはあるが、この近くにはないと言う事。そしてアントニオ・ロペスと言う人物は知っているが、花農園ではなく配管工であると言う事。若い男の言葉をそのままテルへと告げる。

「七キロか。歩けなくはないよね」

 けろっと言ってみせるテルに、そんな選択肢はないと思わず抵抗する。大きなスーツケースを引き摺り、初めての街の初めての道を、しかも真っ暗闇の中で歩けるはずがない。だが他にどんな手立てがあるだろうか。タクシーを呼んでくれと頼んで、こんな町外れに来てくれるものだろうか。そんな事を考えながら財布から一枚の紙幣を出した時。

「丁度いい奴が来たよ」

 暗闇に車のライトを見つけた若い男がぼそりと吐く。

 斜めにいい加減な停め方をし、ライトも点けたままで、車から飛び出してくる男。レジカウンターの中の男と同様に若い男ではあったが、その風貌はチンピラとしか言いようがなく、どんな映画の主演にも例えられない。

「アレハンドロ。丁度よかった」

「何が丁度いいんだ? ディエゴ」

 店員と客以上の知り合いである事は互いの口調で分かる。

「梗佑君……」

 話についていけないテルの手からスナックの袋が滑り落ちる。新たに現れたメキシコ人に少し驚いたのだろう。突然現れた外国人に現地の人間が驚く事はよくありそうだが、その逆をいくテルの心情も察する事は出来る。

 時差ボケもままならない状態で初めて訪れた日本以外の国だ。メキシコの地に足を下ろしまだ三時間も経っていない。少なからず日本を引き摺っている状態で、メキシコ人二人がちらちらとこちらの顔を盗み見ながら、何かを話し込んでいるのだ。

「心配しなくて大丈夫だよ」

 スナックの袋を拾い上げ笑いかける。テルを安心させるため自然に溢した表情だったが、アレハンドロが放った、100dolaresドルと言う単語に頬が引き攣る。

「梗佑君。なんかこの人、顔がにやついていない?」

 アレハンドロの不敵な笑みをテルが指摘する。ディエゴとアレハンドロが話す内容を理解できないテルには仕方のない事だ。

「今二人が話していたのは……。このアレハンドロの車で街の中心にあるホテルへ送ってくれるって。それとこのアレハンドロは花の出荷工場で働いているから、花農園を営むアントニオ・ロペスの事もよく知っているって。しかもアントニオ・ロペスに連絡まで取って会わせてくれるって」

「えっ? そんな都合のいい話があっていいの? えっ? もしかしてさっき見つけた白いトルコキキョウが幸運を呼んでくれたのかな」

 素直に歓喜を上げるテルに、アレハンドロに持ち出された百ドルの報酬の話はしないでおこうと誓う。

 まだ始まったばかりの旅でメキシコ人への不信感を植え付ける訳にはいかない。親指を立て、話に乗った旨をアレハンドロに伝える。

「お前達はどこの国から来た?」

 話が纏まった事にアレハンドロはすでに仲間意識を持ったようだ。そんなアレハンドロの問いかけに先に答えたのはテルだった。

「ソイ・ハポネス!」

 確かにこの旅に備えテルが買ったスペイン語の教材の最初の章は、『あなたは何処の国の人ですか?』『私は日本人です』そんなやり取りから始まっていた。

「おお、日本人か。それは丁度いい。今この街に日本人が一人来ている。そいつが泊っているホテルへ連れて行ってやるよ。街で一番のホテルだからお前達も気に入るはずだ。まんまだけどフローレス・ホテルって所だ」

 百ドルの話が纏まったからかアレハンドロが饒舌になっていく。

 フローレス・ホテル。そこがどんな宿であっても今日の寝床は確保できた。十九時間の長旅で疲れた体を伸ばせる事。安堵感に全身が包まれていく。

 それにアレハンドロの話が事実であるなら、苦労をせずアントニオ・ロペスに繋がる事が出来る。もし出鱈目でたらめだったとしても、日中の明るさを取り戻せば、夜と言うだけでの不安からは解放され、新たな気持ちで人探しも出来ることだろう。
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