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第十章 タダイ Thaddaeus

Ⅲ・10月5日

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 テレビが異様な光景を映し出していた。渋谷のスクランブル交差点をうごめく赤い集団。

「ああ、あれな。"TAMTAM"のフォロワーが三百万人を超えたんだよ」

 カツ丼が差し出されるのを、首を長くして待つ葉佑が、座敷のテレビへと、その首を伸ばす。右隣の晃平はすでに盛り蕎麦に箸を伸ばしている。

「フォロワーが三百万人超えたからって何なんだよ」

「だからまた"TAMTAM"ブーム再燃なんだよ。タムシンが殺されて、また一気にフォロワーが増えちまったみたいだな。三百万超えた記念とかで、誰かが呼び掛けたんだろ? 赤いパーカーを着て渋谷に集合だとさ」

「狂っているな」

 葉佑の声が耳に届いていたのか、晃平がぼそりと呟く。晃平が言う通り、本当に狂っている。

 "TAMTAM"は殺人鬼であって、芸能人でもなんでもないのに。何故、そんな殺人鬼をフォローし、その格好まで真似るのか。

「今日はお兄ちゃんのも、大盛りになっているわよ」

 女将さんが葉佑に丼を差し出す。

 大将は葉佑を常連と認めたのだろうか? それでも女将さんはまだ葉佑を認めていないようで、差し出された丼がゴトッと大きな音を立てた。

「やった!」

 何を気にする様子もなく、葉佑は差し出されたカツ丼に、目を輝かせている。

「もう何でこんな事になっちゃうんだろうね」

 葉佑に向けられていた、女将さんの冷ややかな目は、すでにテレビへと移っている。その顔は明らかにうんざりしたものだが、少し意味合いが違うように見える。

「本当ですね。何でこんな殺人鬼の格好なんか真似て」

「そうじゃないのよ。あのタムシンが殺されて、また特番ばっかり組まれたじゃないの。でもようやく落ち着いたと思ったら、ほら、また始まった。三百万とかどうでもいいの! もう"TAMTAM"なんか大っ嫌い! しっかり食べて早く捕まえてよ!」

「あ、はい。すみません」

 語尾が強くなった、女将さんをなだめる言葉は見つからなかった。"TAMTAM"を捕まえる事。女将さんを宥めるために、残された道は一つしかない。そうは分かっていても易々とはいかない。

「それで光平は何か進展あったか?」

「いや、特には」

 大きな口を開け、カツを頬張る。

——"TAMTAM"は二人いる。

 そんな推測に頭を占められてはいるが、新たな進展もなく、決定的な何かを掴めている訳でもない。新たな事を言い出せない口なら、今はカツをしっかり噛む事に専念するしかない。

「そう言う松田警部は何かあったのか?」

 晃平は早々、盛り蕎麦を食べ終わっているようだった。

「よくぞ聞いてくれましたね」

 葉佑の顔がいつもの勿体ぶったものに変わる。

 またこの顔だ。晃平に任せておこう。

 今葉佑に突っかかっても、"TAMTAM"が二人いると言う、推測には結びつかないだろう。もしそんなネタを持っているなら、もっと大騒ぎをしているはずだ。

「それで? 何が分かったんですか?」

「そうよ、そうよ。カツ丼大盛りサービスしているんだから、晃平ちゃんと山﨑ちゃんに協力しなさいよ」

 女将さんが晃平を援護する。葉佑が女将さんに気に入られるまで、まだまだ時間が掛かるようだ。

 今は下手に口を挟まず、熱々とまではいかないが、温かいカツをゆっくり味わおう。晃平や葉佑を目に収める事なく、三切れ目のカツを大きな口で頬張る。

「田村さん宛てにメッセージが来たんですよ。あのアカウントに」

「あのSNSのアカウントにか?」

「そうです。やはり次の犠牲者は"TAMTAMにフォローされている、四人の中から出ますよ。もちろん田村さんを殺させたりはしませんが」

「どう言う事だ?」

 咄嗟の声に、口からご飯粒がかれる。

「おい、光平。汚いな」

「あ、ごめん。それでどう言う事なんだ? メッセージって、誰からなんだ? まさか"TAMTAM"からなのか?」

「いや、違う。メッセージはタムラタクミからだ。"TAKUMI1028"って言う、アカウントがあったろ? 四人の中に」

「タムラタクミ?」

「ああ、俺が勝手にタムラタクミって、呼んでいるだけだけどな。この事件に関わっているんだし、"TAMTAM"にフォローされているんだから、タムラで間違いないだろ」

「それで何てメッセージが来たんだよ?」

「俺、ちょっと外で煙草吸っているわ」

 晃平が席を立つ。

 無神経な話だと気付いた時には遅かった。葉佑が勝手に作ったアカウントだ。晃平にとって複雑な心境があるのは間違いない。

「晃平さん。すみません」

「あっ? 外で煙草吸っているだけだから。続きは二人でどうぞ」

 穏やかな口調で、何食わぬ顔をする晃平に、申し訳なくは思うが、先に進まなければならない。どんな些細な事でも、しかと刻んでいかなければ、いつまで経っても奴には辿り着けない。これが焦りである事も承知している。それでもいつか晃平に、安心感を与えられる事になると信じるしかない。

「それでそのタムラタクミは何て?」

「まあ、後でお前にも見せてやるけど。タダイは自分だって。次に殺されるのは自分だから、あなたは心配しないで下さいって」

「自分が次に殺されるって言ってきたのか?」

「ああ。それともう一つ」

「それと、何だ?」

「こっちは俺も意味が分からないんだけどな。ハロウィンに"TAMTAM"から、プレゼントがあるだとさ。なっ、意味が分からないだろ?」

「プレゼント?」

「ああ、でも。タムラタクミと"TAMTAM"には繋がりがあったって事だ。それとさっき言っただろ? 四人の中から次の犠牲者が出る。タムラタクミが、自分がタダイだって言っているんだ。お前が言う田邑博の線は消えたな」

 葉佑がにやりと笑う。いつの間にカツ丼を食べ終わっていたのか、ご馳走様。と、その手を合わせている。

「ちょっと田村さんに、殺されませんからって、伝えてくるわ。次に殺されるタダイは、タムラタクミで、田村さんじゃないって。あ、お前も早く食えよ」

 一段落着いたのか、女将さんが座敷に腰を掛けていた。その目の先のテレビには、まだ赤いパーカーの集団が映し出されている。この集団が"TAMTAM"に躍らされているように、タムラタクミもその一人なのだろうか? 自らその死を受け入れようとしているのか? 全く理解の出来る話ではない。

「山﨑ちゃん。よく噛んでゆっくり食べなさいね」

「あ、ありがとうございます」

 早く食え。と、言った葉佑への当て付けにも聞こえたが、女将さんの顔は、じっとテレビに向いているだけだった。
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